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(もっと頼りんしゃい/仁王・毛利)
新学期が始まった。
始業式を終えた生徒達はぞろぞろと海友会館へ向かって歩いており、その群衆の中にはゆめこの姿もあった。
旧校舎とも呼ばれている海友会館には、講演会などでも使用されている大教室がいくつかあり、今日はそこで中等部の全生徒を対象とした新教育テストが行われるのだ。
ちなみにこのテストは毎年1月に行われているが、これは学力を測るテストというよりはIQを測るテストで、謎解きパズルゲームみたいでなんか楽しい、という理由でゆめこはこのテストがそこそこ得意だった。
教室は一人一人ランダムに割り振られ、ゆめこが受け取ったプリントには大教室2と書かれていた。
同じクラスの丸井と星梨のプリントには大教室1と書いてある。
「うちらのこれって一階で合ってるよね?」
星梨は海友会館までの道のりを歩きながら隣の丸井に確認した。ちなみに大教室は3室あるので、三分の一の確率で同じ教室になるのだが今回はゆめこだけ違う教室になってしまった。
とは言え、朝にプリントが配られた時点で"いつメン"という名の9人のグループチャットが動いており、それによると仁王と真田とジャッカルも同じ大教室1であることが分かっていたので寂しい気持ちはあまり無い。
「ゆめこは2階だよね?」
「えっ、あ・・・うん」
急に話を振られ、星梨と丸井の横でぼーっとしていたゆめこは現実に引き戻されたように返事をした。
その様子に丸井と星梨は顔を見合わせる。
「まぁ、元気出せよ」
「ブンブン、顔が笑ってるよ」
丸井がゆめこの肩に手を置きながら励ますと、星梨はすぐにツッコんだ。
二人とも、ゆめこが毛利とケンカ中であることは朝の内に本人から聞いて知っていた。登校してきた時点からゆめこは元気が無かったので、二人とも事情を聞かずにはいられなかったのだ。落ち込むゆめこはかわいそうだったが、丸井は心の内では「このまま別れちまえ」なんて悪いことを考えていたのでついうっかり顔に出てしまったらしい。星梨に指摘され、丸井はやべっと自分の顔を手で触った。
そんな二人にゆめこは「あはは」と力無く笑うと、
「大丈夫。元気元気」
と言った。
その声にも表情にも全く覇気が無く、星梨は「よしよし」とゆめこの頭を撫でて慰めた。
毛利とケンカをした日から早3日。
その間、彼から連絡がくることは無かった。
やはりここは私からメッセージを送るべき?とゆめこは何度もトーク画面を開いたが、仁王と仲良くしないという約束も出来ぬまま「ごめんなさい」と謝罪するのも、自分から帰っておいて「会いたい」と要求するのもなんだか違う気がして、結局何も行動に移せていないままだった。
やはりもう愛想を尽かされてしまったのだろうか。色んな考えが一周した結果、諦めモードのゆめこはそんなことを思っていた。
「二人ともありがとう、またね」
海友会館に到着し、ゆめこは丸井と星梨に手を振って二階に続く階段を上っていった。
その後ろ姿を、丸井と星梨はその場でしばらく見送る。完全にゆめこの後ろ姿が見えなくなったことを確認して、星梨は腰に手を当てたまま口を開いた。
「ブンブン、ちょっとは空気読みなよ」
「あー、悪ぃ。でも期待しちまうだろい?」
「別に二人が別れたって次にあんたが付き合えるとは限らないじゃん」
「・・・イタイとこつくなよい」
相変わらず毒舌な星梨に、丸井は苦い顔をした。
大教室2に到着したゆめこは、プリントを見ながら自分の席を探していた。M-12と書かれた席は真ん中よりも後ろの方で、広い教室が良く見渡せる。
その間もぞくぞくと生徒達が教室に入ってきていて、ゆめこはぼんやりとその光景を眺めていたが、その中には毛利の姿もあって、3日ぶりに見る恋人の姿にゆめこはドキリとした。
寿三郎さんもここの教室なんだ。
三学年合同で行われるのでもしかしたら?なんて思っていたが、本当に同じ教室になるとは。幸か不幸か、後方の席のゆめこと前方から入ってきた毛利の間にはそれなりに距離があり、ゆめこはこのまま知らんぷりをしてしまおうと思った。その矢先、ふと毛利が顔を上げばちりと目が合ってしまい、ゆめこは驚いた。
私を見てるよね?目合ってるよね?まるでアイドルのコンサートに訪れたファン状態だった。
どうしよう。そう思ったのも束の間、ぷいと顔を逸らされてしまいゆめこは「えっ・・・」とショックを受けた。
知らんぷりしようだなんて思っていたくせに、いざ無視されるとそれはそれで傷付く。
やっぱりまだ怒ってるんじゃーん。
ゆめこはがっくりと肩を落とした。
その時、ゆめこの隣の席に誰かがやって来て、ゆめこはなんの気なしに目線をそちらに向けた。
ゆめこの存在に気付いた女子生徒が「あ」と声を漏らしたのと同時、ゆめこも思わず「げ」と声を漏らしそうになったがあまりにも失礼なので慌てて呑み込んだ。
代わりにぺこりとお辞儀をすると、彼女も無表情で会釈をし静かに左隣に腰を下ろした。
・・・いや、気まずっ!
隣に座ったのは毛利の元カノだった。
直接対峙したことはないが、何度か遠くから見かけたことはある。よりによって隣?運命のイタズラ?態度にこそ出さなかったが、ゆめこは内心慌てふためいていた。
その時スカートのポケットに入れていたスマホが震え、ゆめこは机の下でこっそり開いた。
仁王からのメッセージで「右斜め後ろ」とだけ来たので振り返ると、6列くらい後ろに仁王の姿があり、ゆめこと目が合った彼はにやりと笑うと小さく右手を上げた。
ゆめこはそうだ!と思いつくと、すぐに仁王にメッセージを打つ。
「隣、元カノ、ピンチ」
送ってすぐ、再び仁王を見る。
テンパっていたので単語のみであったが、十分伝わったようで、仁王はスマホから目線を上げると驚いた顔でゆめこを見た。
「どうしよう」ゆめこの顔にはありありとそう書かれている。仁王はまたすぐにメッセージを打った。
「右?左?どっち?」
仁王の質問にゆめこは慌てて右隣を確認する。いかにも柔道部ですと言った角刈りの大男座っていて、「右な訳無いでしょ雅治くんのばかっ」とゆめこは思った。
仁王はそんなゆめこを遠くで見ながら肩を震わせて笑っていて、それにつられたゆめこもなんだか可笑しくなってきて必死に笑いを堪えた。
しかし教室に先生が入ってきて、やり取りはそこで途切れた。テストの説明が始まりそうな雰囲気があったので、ゆめこはスマホの電源を切り、前を向いておいた。
30分のテストを受けたら、30分休憩を挟み、さらに30分のテストを受ける、という流れだった。
説明を聞きながらゆめこはぼんやりと教室を見渡す。
毛利の姿が見当たらない。元カノに気を取られ、彼がどこに座ったのか確認するのをすっかり忘れてしまった。前方にいないということは、自分よりも後ろに座っているのだろうか。そう思うと、なんだか妙に背中がそわそわした。結局、今更振り返って探す訳にも行かず、ゆめこは諦めてテストに集中することにした。
去年と同様、様々な図形や数字、アルファベットが出てくるテストで、そこそこ手応えがあったゆめこは、一列ずつ回収しに来た教師に答案用紙を渡すと、うーんと大きく伸びをした。
30分のテストはあっという間に終わってしまった。
これから30分の休憩時間に入る。
通常の学力テストと違い最後の追い込みで教科書を開くなんて必要もなく、ゆめこは一気に手持ち無沙汰になった。
溜まっていたメッセージでも返信しようか、ゆめみの所にでも行こうか、そんなことを考えていると、
「ねぇ、ちょっといい?」
元カノに急に声を掛けられ、ゆめこの肩がビクッと跳ねた。
わ、私でしょうか?驚いて自分の顔を指差すと、元カノは当たり前だと言わんばかり首を縦に振った。
これがいわゆる呼び出しというやつか。
遠慮しておきます、などと言える訳もなく、ゆめこは「はい・・・」と消え入りそうな声で返事をして彼女についていく。
無言ですたすたと歩く彼女は、人気の無い廊下の奥までゆめこを連れ出した。別棟へ続く渡り廊下の近くで足を止めたので「これ殴られたりしないよね?」先日見たヤンキードラマの影響かゆめこはそんなことを考えながら辺りをきょろきょろ見回していた。
「あなた、ゆめのゆめこさんだよね?寿三郎の彼女の」
「は、はい」
名前を確認され、ゆめこは慌てて元カノに視線を戻す。
すらっと伸びた手足、モデルのような高身長、ワンレンの黒いウェーブヘアーはクールな顔立ちの彼女によく似合っていた。
形の良い薄い唇にはほのかに赤いリップが塗られており、ああこの唇と寿三郎さんはキスしてたんだな、と思うとゆめこの気持ちは真っ暗な海の中に放り込まれたようにズーンと沈んだ。キスだけじゃないかもしれない。もしかしたらそれ以上のことも。なんて考えが頭をよぎったところで、
「単刀直入に言うけど」
と切り出され、一気に現実に引き戻された。
「寿三郎のこと、譲ってくれない?」
真剣な瞳。ゆめこは眩暈がした。
あぁ、顔逸らしてもーた。
時は遡り、テストが始まる前。
毛利は沈鬱な面持ちで自席に着いていた。
会いたいのに合わせる顔が無い。
ここ3日ずっとそんなことを考えていた毛利は、ゆめこの顔が見れたことにときめく一方で、いまだ消えやらぬ罪悪感から咄嗟に目を逸らしてしまったことを後悔していた。
「はぁ」
大きな溜め息を吐きながら、自分より10列以上前に座っている彼女の後ろ姿をじっと見つめる。しかしその途中で、ゆめこの隣に座っているのが自分の元カノだと気付いて毛利は肝を潰した。
よりにもよって隣かいや。
さぞゆめこも嫌な思いをしていることだろう。
心配そうにゆめこを見ていると、彼女は急に斜め後ろの方に振り向いて誰かとアイコンタクトを取っていた。最初は慌てたようにやり取りをしていたが徐々に笑顔になり、最後には苦しそうに笑いを堪えるゆめこに、自然と毛利も笑顔になる。
最後に見た泣き顔とは打って変わり、今のゆめこはとてもきらきらして見える。仲の良い友達でもいるのだろうか、そう思ってゆめこの視線を辿った時、毛利は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
彼女の視線の先には仁王がいて、彼もまたゆめことやり取りをする中で珍しく表情豊かに笑っていた。
あかん。
ズキズキと胸が痛む。呼吸を忘れてしまったかのようにうまく息が出来ず、自然と拳に力が入った。
どこにも行かんといて。そんな悲痛な心の叫びが口を突いて出そうになる。
その後すぐにテストの説明が始まりゆめこが前を向いたことで、毛利はようやく息が出来るような気がした。
大して集中できないままテストが始まり、30分後まったくと言っていい程手応えを感じぬまま1回目のテストが終わってしまった。
答案用紙を提出し放心していると、ゆめこが元カノに連れられ教室を出ていくのが見えた。そのことでハッとした毛利は、璃々果のやつ余計なことせぇへんやろな?と慌てて席を立った。
璃々果(りりか)というのは元カノの名前だ。彼女は少々気が強いところがあり、歯に衣着せぬタイプなのでゆめこを傷付けるようなことを言わないか毛利は心配になった。
廊下に出て左右を見回すも、既に二人の姿は見えない。
どこまで行ってしまったのか。休憩に入り次々と廊下に生徒達が出てきて余計に探しにくくなってしまった。
毛利は当てっずっぽうで左に進むと、廊下の奥の方までやって来た。
やっぱりいないか。諦めて踵を返そうとした時、渡り廊下の方から声が聞こえてきて、毛利は咄嗟に壁側に身を隠した。
「譲ってくれない?」
聞こえてきたのは間違いなく璃々果の声だった。
あいつ勝手なこと言いよって。毛利はムッとして出ていこうとしたが、「あの」とゆめこが口を開き、彼はぴたりとその場に踏みとどまった。
「物みたいに言わないでください」
そう言った彼女の声はいつもより凛々しかった。
「は・・・?」
「寿三郎さんにも意思がありますから、私たち二人で勝手に決めれることじゃないと思います」
「・・・」
もっともなゆめこの意見に、みるみる璃々果の眉間の皺が増えていく。ゆめこが意見してくることは、彼女の中では想定外だった。
ゆめこはこれまで、自分と毛利が話をしていると身を引いて遠慮するような態度を見せたり、キス現場を目撃した時も真っ先に逃げ去ったりしていたので、璃々果はゆめこのことを大人しく控えめな女の子だと思い込んでいたのだ。
たしかにゆめこは璃々果のようなタイプの人間ではないので、その推測はあながち間違ってはいないのだが。だからと言って自分の恋人をはいどうぞと渡すほどお人好しでもないし、何よりゆめこは毛利のことが好きなので別れたくないという気持ちが大きかった。
「私、まだ寿三郎のこと好きなの」
「はい、知ってます」
「だから、後から出てきておいて邪魔しないでくれる?」
「恋愛に前も後も無いと思いますけど」
「もう一度やり直したら私たちきっとうまくいくんだから」
「根拠はなんですか?」
「・・・」
ああ言えばこう言う。思ったより食い下がってくるゆめこに、璃々果は思わず沈黙した。
何この女。後輩なのに随分と生意気だ。
この可愛らしい見た目のどこからそんな憎たらしい言葉が出てくるのか、苛立った璃々果は苦虫を噛み潰したような顔で「どうせ顔で選ばれたくせに」と言い放った。
その悔し紛れの一言にゆめこは一瞬、褒められてる?と思ったが、すぐに、いや、ディスられてるなこれは。と思い直した。元カノ、しかも先輩と対峙するなんて初めての経験だっし、それなりに恐怖も感じていたが、自分勝手な元カノの言葉の数々を聞き流すことも出来なかった。
「それって寿三郎さんが見た目だけで人を判断してるってことですか?寿三郎さんに失礼じゃないですか?」
ゆめこは気付いたらそんな風に言い返していた。
つらつらと反論にしてくるゆめこに「あんたねぇ、黙って聞いてれば!」と璃々果の言葉尻りが荒くなる。
いよいよやばいか。
やり取りを聞いていた毛利がそう思って飛び出そうとした瞬間。
「そこまでぜよ」
第三者の声が響いて、しんと場が静まり返った。
「雅治くん」
「こいつに話があるなら俺が聞くけぇ、これ以上はやめんしゃい」
「なによ・・・」
"部外者は入って来ないで"璃々果は突如現れた仁王にそう食ってかかろうとしたが、仁王の瞳がぞくりとする程冷たく自分を見下ろしていて、言いかけた言葉がひゅっと喉の奥に引っ込んでいった。
「・・・もういい」
璃々果はそう言い捨てると、仁王とゆめこに背を向けて足早に去って行った。自分のすぐ横を璃々果が通り過ぎ、毛利は慌ててスッと壁の陰に身を潜める。
「あの、雅治くん」
「大丈夫か?」
「え?あ、うん・・・」
「二人で教室出て行くのが見えたきに」
「そっか、ありがとう」
心配してわざわざ追いかけて来てくれたのだろうか。仁王の気遣いに、ゆめこは少しずつ顔の強張りが解れていくのを感じた。
「戻るか」
「うん」
「・・・どうした?」
同意した割についてこようとしないゆめこに、仁王は振り返って首を傾げる。ゆめこは困ったように笑ったまま、そこに立ち尽くしていた。
気を張っていたから気付かなかったが、毛利の元カノと対峙した緊張と衝撃と恐怖が今になって押し寄せて来たらしい。足が震えて動けそうになかった。
「ゆめこ?」と仁王が再び近寄るのと同時に、ゆめこは仁王のブレザーの裾をぎゅっと引っ張った。
「一人にしてほしくない・・・かも」
それは彼女の精一杯のSOSたった。ブレザーの裾から伝わるゆめこの手の震え、不安気に揺れる瞳。
ゆめこの心情を察した仁王は胸が締め付けられる思いだった。能天気そうに見えてちゃんと繊細な一面を持っている、強そうで弱い目の前の少女が、仁王はたまらなく愛おしかった。
感情に任せて強く抱き寄せると、ゆめこは「わっ」と小さく驚きの声を上げた。
「心配せんでもずっとそばにおるけえ」
「ま、雅治くん」
「もっと頼りんしゃい」
ああ、もう。どうしてこの人は、いつも私が欲しい言葉をくれるのだろう。
仁王の優しさに、熱風が駆け抜けたように胸の奥がじんと熱くなる。いつもふわりと感じていた彼の匂いがダイレクトに伝わり、なんだか落ち着くな、とゆめこは静かに瞳を閉じた。
「海原祭の時も助けてくれたよね。今考えると、あの時雅治くんが来てくれなかったら私もっと落ち込んでたかもしれない」
「お前さんを助かるためならいつだって駆け付けてやるぜよ」
「あはは、かっこいい」
仁王にしては珍しくキザな台詞に、ゆめこは可笑しそうに言った。「惚れたか?」なんてふざける仁王に、ゆめこは「はいはい、惚れた惚れた」と更にふざける。
「まぁ、キスは余計だったけどねー」
「・・・プリッ」
前科を持ち出され、仁王は気まずそうに視線を泳がす。抱きしめられているので表情は見えないが、仁王の動揺が伝わりゆめこはくすくすと笑い声を上げた。
「あれは、その・・・悪かったぜよ」
「うん、もういいよ。てか雅治くんが素直に謝るとか明日雪じゃない?」
ゆめこが茶化すようにそう言うと、仁王は無言で抱き締める腕に力を込めた。ゆめこはたまらず「ちょ、痛い痛いギブ!」とあっさりと白旗を上げ、そこでようやく解放されたゆめこは「もー」と文句を垂れた。
「さて、帰るかの」
「うん。そだね」
仁王にポンと頭を撫でられ、ゆめこはにこりと笑って返事をした。不思議と足の震えはもう無くなっていた。
「あー、またあの席に戻るのやだな」
「代わってやろうか?」
「いや、無理でしょ。先生に怒られちゃう」
仲良さそうに雑談をしながら二人が去っていく。
足音と二人の声が次第に遠のいていき辺りが静寂に包まれると、全てを見ていた毛利はするすると力が抜けたようにその場にしゃがみ込んだ。
(220722/由氣)→152
聞きたくなかった