014
(ルノワールが好きでね/幸村)

「では3時間後に正面入り口集合とする」

今日もブランドモノのスーツでバッチリ決めているM組の担任はそう言って手を叩いた。

夏に近づいてきた6月中旬。この日の午後は芸術鑑賞会だった。
年間スケジュールに書いてあるのを見た時は一体どんなことをするのだろうとワクワクしたゆめみだったが、なんのことは無い。ただの美術館見学だ。
正確には一年毎に観劇鑑賞と美術館見学を繰り返す行事で、今年は美術館見学の年だった。
マンモス校である立海は一学年約900人もいるため全員が同じ場所に行ける訳もなく、この課外活動もクラス単位での活動だった。
ゆめこのクラスは東京都立博物館でアラビアの秘宝展、柳のクラスはサントリー美術館で江戸の宮廷文化(蓮二と真田くんは楽しみにしていた)、そして、ゆめみのクラスは国立新美術館でルノワール展だった。

もともと美術館は好きな場所の1つだったし、何より教室での退屈な授業から解放できると言うことで、ゆめみはこの日を密かに楽しみにしていた。

『ピエール・オーギュスト・ルノワールはフランス中南部のリモージュで貧しい仕立屋の息子として生まれ』

ゆめみは絵画を眺めながら、音声ガイドに耳を傾けていた。ルノワールが生きた時代の音楽と共に、ルノワール自身、家族、友人の言葉を交えながら解説してくれる。
全く知識がなくても、この音声ガイドのおかげでなんでもわかった気になれるから不思議だ。

「この3つの絵が同時に見れるのってすごいらしいよ」

春巻がダンスをしている絵画が3枚並んでいる場所でそう言った。
同じ小学校出身の春巻・真冬カップルと鑑賞していたゆめみは、その情報に3枚の絵を見比べる。絵画の内2枚には『都会のダンス』と『田舎のダンス』の名前が付いており、対照的な作品に見えた。しかし女性の顔つきが似ており、きっとこれは同一人物を描いたものに違いないと思った。恋人だろうか?
答えが知りたくて、音声ガイドを聞いてみようと耳に当てた。『ザザザザザザ』明らかに不具合を示す音がゆめみの耳に届く。違う番号も押してみるが、どの番号を押しても雑音しか聞こえなくなっていた。
仕方ない。音声ガイドなんてなくても、芸術は肌で感じるものだよね、と思い直すも、隣で春巻と真冬が音声ガイドを聞きながらふんふんと大げさに頷いているのを見て、ゆめみはなんだか大切な何かを聞き逃しているような、残念な気持ちになるのだった。

「音声ガイド交換してもらってくるー、先に進んでてね」

ゆめみが2人に声をかけると、2人はガイドを聞きながら、OKというジェスチャーをした。
美術館なので、基本はどこから見ても良いのだが、音声ガイドは初期から晩年にかけての順路が決まっているため、あまり時間がかかると途中を聞き逃すことになる。
ルノワールのことは今まで名前しか知らなかったのに、ここまで音声ガイドで彼の人生を辿って来たために、なんだか古くからの知り合いのような気までしてきていた。

「早く音声ガイドを交換して彼の人生を追いかけたい」そんな想いから、急ぎ足で会場を横切ろうとしたゆめみは、ある絵画の前で自然に足が止まった。

とても大きな絵で、特別な存在感があった。
強烈に惹きつけられる。

絵画の前には侵入防止のロープがかけてあり、その一列目にはひっきりなしに人が押しかけていたが、ゆめみは5歩くらい下がった少し後ろからその絵を眺めていた。

屋外のダンスホールでの舞踏会が描かれていた。たくさんの人たちが楽しそうにダンスを踊っていた。とてもカジュアルな雰囲気で、笑い合って。優しいタッチで光と陰が描かれており、木漏れ日となった幸福感のような暖かいものがその空間全体に降り注いでいるかのようだった。

(なんて素敵な絵なんだろう・・・)

ゆめみは息をするのも忘れて、ただただその絵に見入っていた。
たくさんの人が立ち止まって絵を見て、そして通り過ぎていく。どんどん人が入れ替わった。その人の流れから、時間が経過していることに気付いていたが、離れ難くて。
ゆめみはぽーっとその絵を見つめていた。
少しすると、ゆめみは自分と同じように長い時間この絵を見つめている人が隣にいることに気がついた。
ロープ近くの人たちはどんどん入れ替わっているのに、この隣の人は微動だにしない。

ぱっと隣を見ると、隣の人もこっちを見た。
この感覚は。

「やっぱり幸村くんだ」

その姿を確認して、ゆめみはにっこりと微笑む。幸村は意外そうな顔をした。「ゆめださん、俺に気付いていなかったよね?」聞けば幸村が先にここで絵を見ていたところに、ゆめみが隣で絵を見始めたらしい。そんなことには全く気付いていなかったゆめみは、キョトンとして。「でも、ちゃんと気づいたよ」と弁解する。

「いつ気付いたの?」
「今だよ、振り向くタイミングが一緒だったから」
「今、ね」

自分は最初から気付いていたのに。悪びれもなくそう笑うゆめみが少し憎らしいと幸村は思った。ゆめみは幸村から目を離し、もう一度絵を見つめて「すごく素敵な絵だね」と呟いた。「フフ、15分くらい見つめていたね」と答える幸村。
その言葉に「ほんと?」とゆめみは驚いて再び幸村の顔を覗き込んだ。今までの人生で一枚の絵をそんなに長く見ていたことがあっただろうか、と思ったのだ。

「幸村くんはいつからこの絵を見ていたの?」
「ここに来た時からだから、1時間くらいかな」
「えっ?」

何気なしに聞いたことだったのに、驚きの回答が来て、ゆめみはまたまた幸村の顔を見つめることになった。
どういうことなのかな?幸村くんは順路通りに進まなかったってこと?音声ガイドは1から順に流れているのに、それを無視してここに来たってこと?ルノワールの生い立ちとか興味なかったってこと??

「この特別展来るの3回目なんだ、ルノワールが好きでね」

幸村は百面相をするゆめみを見て小さく笑った後、種明かしをした。

「今日は3時間しか無いからね、この作品だけを見ようと決めてきたんだよ」

楽しそうにそう話す幸村くんがなんだか眩しい、とゆめみは思った。同じ絵を3時間見続けるなんて、この絵を見るまでは信じられなかっただろう。幸村はチラリとゆめみを見て「驚かないんだね」と言った。ゆめみは頷く。

「だってとても素敵だもの、私もずっとここでこの絵を眺めていたいな」

ゆめみはうっとりと手を組み合わせて絵を眺める。幸村は楽しそうなゆめみを少しの間見つめた後、絵画へと視線を戻した。その口元は緩んでいた。

2人で1枚の絵画を眺め続けた。穏やかな時間が過ぎていった。

眺めているうちに、ゆめみは不思議な感覚に陥った。まるで自分が絵の中の舞踏会に参加しているような気持ちになるのだった。楽しい音楽が流れ始める。
親しい友人に囲まれて、暖かい木漏れ日に包まれて。そして、ダンスの相手は。
ゆめみが自然に隣を見ると、幸村もまたゆめみを見る。
目が合うと、2人はふふ、と笑った。

「幸村くんと踊ってるみたい」

幸村は目を見開いて驚いたそぶりをしたが、すぐに微笑んだ。

「奇遇だね、俺も同じことを考えていたよ」

この子と、自分の感性はとても似ている。そのことが幸村は嬉しかった。でも俺以外の人がそれを聞いたら変な子だと思うだろうね。

時間が経つにつれて、後半に設置させていたこの絵画の周りにはどんどん人が集まって混んできた。少し離れているとは言え、立ち止まっているのは迷惑になって来たため、幸村とゆめみは動かざるを得なくなった。

「あっ、そうだ」とゆめみは最後に絵のタイトルが知りたくて音声ガイドに手を伸ばすが、音声ガイドからはまた雑音が聞こえるだけだった。残念そうな表情に変わるゆめみ。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」

ゆめみの行動を見ていた幸村はそう言った。ゆめみはそれが絵のタイトルだと理解するのに時間がかかった。

「ルノワールの最高傑作と言われている」

幸村の顔は誇らしげで、ゆめみは本当にルノワールが好きなんだな、と思った。「私も知りたくなっちゃった」とゆめみは呟いた。
幸村くんがそんなに愛する作品を知りたい、と純粋に思う。幸村はゆめみの呟きを聞くと、「そういうことなら」とゆめみを手招きした。
幸村はずんずんと進んで行き、ついに展覧会を出てしまった。そして、幸村は売店で『ルノワール展』の画集を買った。

幸村は、美術館外のベンチにゆめみを座らせて、その画集を開く。「音声ガイドよりずっと詳しく書いてあるよ」ペラペラとページをめくりながら、「見たいページはある?」とゆめみに聞いた。

「さっきの舞踏会の絵が見たいな」

幸村は頷いて、丁寧に該当のページを開く。両開きのページに、さっきの素敵な絵画が描かれていた。「やっぱり素敵」ゆめみは嬉しくなって、そのページを眺める。幸村はその隣で、喜んでいるゆめみを見て顔をほころばせる。

「ゆめださんにあげるよ」

ゆめみはびっくりして、幸村を見上げた。幸村は少し照れたように「俺の分は初日に購入済だから」と言った。では最初からくれるつもりで買ったのだろうか?ゆめみは困惑した。

「遠慮しなくていいよ、その代わり」

幸村の言葉が不自然に途中で切れる。
ゆめみは首をかしげる。どんな要求が来るのか全く予想出来なかったからだ。

「友達になって欲しい」

幸村の瞳は真剣だった。ゆめみも負けじとまっすぐに幸村を見つめる。

「もう友達だよ」

幸村はパチパチと瞬きをして。「それは良かった」と呟いた。その笑顔は屈託の無いもので、ゆめみには今まで見た幸村のどの表情よりも幼く見えた。



(180329/小牧)

友達から始めよう。

15(夢主1&夢主2共通のおはなし)




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