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(キミはボクの心の代弁者だ/不二・手塚)
『手塚くん、ボクと勝負してくれるかい?』
部活がオフの日の、夕日が射す学校のテニスコート。
手塚とボクの2人きり。
レギュラージャージでは無く、体操服姿の手塚が、懸命にボールを追いかけている。
その顔はまだあどけなさを残している。
何かがおかしいと思いながらも、試合を続行するボク。
自分達でカウントしてきたスコアボードは6−0とボクの圧勝を示していた。
そしてついに、手塚はラケットを落とした。
その綺麗な顔が僅かに歪む。
「すまない、不二くん」
左腕を抑えながら発せられた言葉に、ボクはようやく気が付いた。
怪我をしていたんだ。
自分の中の感情がカッと高まるのを感じた。
「こんな風に約束を守ってもらってもボクは少しも嬉しくない!!」
そう叫んでいた。
はっと不二は夢から覚めた。
飛び起きて、胸を押さえる。ドクンドクンと心臓が波打っている。
「久しぶりに見たな・・・」
それは1年前の5月のことだった。
入部した直後から、手塚と勝負しようと約束していた。手塚はその約束を守ってくれた。
先輩に負傷させられた直後の腕のまま。
その日のことは、ボクの中でトラウマになってしまったのだろう。
その後何度か夢に出てきた。
ここのところは悪夢なんて見ていなかったのに。
「よりによって今日なんだね、手塚」
時計を見ると、朝4時だった。
スマホに目を移すと昨晩受信したゆめみからのメッセージが表示された。
『明日早起きだから、今日は早く寝るね、不二くんも夜更かし厳禁だよ』
ずっとボクの誘いを断ってきたクセに。
不二はいつも可愛いと思ってきたゆめみが、急に忌々しく思えた。
この子も結局はその他大勢と同じだ。
手塚との恋に夢中になっているだけ。
不二はのろのろと起き上がって、日課であるサボテンの様子を確認しながらも、最悪な気分だと思った。
1月の最終土曜日である今日。
不二とゆめみは会う約束をしていた。
不二の誘いにゆめみが応じた形で実現した訳だが、確かに2人で会うのは実に3ヶ月ぶりだった。その間、不二は何度かゆめみをデートに誘っていたのだが、実現しなかった。
その理由は幸村の病気が主な要因で、一度弱っているゆめみに会っている不二は、何かがあったのだろうと心配していたし、配慮してきたつもりだった。
そうしているうちに、クリスマスを境に手塚の雰囲気が変わり、もしかしたら付き合ったのかなと思っていた。
付き合ってたのなら、諦めよう、祝福しようとも不二は思っていた。
だからこそ、先日手塚と会っているゆめみを見て、一度は納得しようとした。しかし、付き合って無いと聞いて逆にショックを受けたのだった。
ボクからの誘いはいつも断るのに、付き合ってるわけではなくても手塚とのデートには行くのだと。
だから、意地悪をしてしまった。
『ゆめみ、キミは勘違いをしているよ』
恋では無い、勘違いをしていると。
そんなことは無いことは分かっている。
ゆめみが手塚を見る目は恋する乙女で、その感情に疑いは無いだろう。
あの日の後、すぐに誘いに乗ってきたキミ。
キミは言うのだろうね。
『私、やっぱり国光くんが好き、付き合いたいと思ってるから協力してくれるかな?』
結局は自分の欲の為に、約束に応じたゆめみに、自分の気持ちは冷めればいいと思った。
それでも、まだキミを求めてしまうから。
信じる心が残っているから。
今日、全て明らかにして終わりにしたいと思う。
キミからきちんと利己的な言葉を聞けば、ボクもちゃんと嫌いになれると思うよ。
そしたら。
「・・・もうテニスをする意味もないか」
不二はひどく冷めた目をしていた。
朝6時半。
自由が丘駅の正面口にはゆめみの姿があった。
ブラウンの大きめ千鳥柄コートに、ファーのバレー帽を乗せているその装いは、お洒落なこの街の住人のように馴染んでいる。
朝の自由が丘なので、ナンパをするような無粋な者はいないが、その容姿の良さに通り過ぎるサラリーマン達の視線を受けながら、当の本人は全く気が付かず、眠そうに目をこすっていた。
ゆめみに会ったら嫌いだと思えたらいいのに、と思っていた不二だったが、やっぱり可愛いと感じてしまう。
不二はまた怒られるなと思いながらも、その手を止めることが出来なかった。
カシャ
意外にも大きく響いたシャッター音に、ゆめみが眠そうな瞳を不二に向けた。
不二を視界に入れると、大きく見開く。
その驚いたような瞳がたまらないね。
カシャ、カシャ
すぐにその驚き顔は膨れたような表情に変わった。
「不二くん、また無断撮影ですか?」
「ごめん、あまりに可愛くてついね」
「おはよう、不二くん」
「ちゃんと来てくれたね」
不二はにっこり笑った。
しかし、その表情には影が見える。
ゆめみはまたかと思った。
この不二周助という男は、感情の波があるのだ。寄せては返す、哀愁と恍惚で揺れ動く感情の波のような。
全て隠して笑うので、ゆめみも最初はすぐには気づけなかったが、付き合いも長くなるにつれてわかるようになってきた。
ゆめみは少し心配になりつつも、不二と同じようににこっと笑った。2人は寄り添って、自由が丘のロータリーを歩き始める。
向かう先は美容室だ。中学生フォトコンテストに応募する写真のモデルになって欲しいというもので、顔出しNGの条件で引き受けたのだった。
しかし、フォトコンテストへの応募は建前で、本当はただゆめみの写真を撮りたいだけだった。
不二は、今ゆめみの弱みを掴んでいて、どんな無茶振りも聞いてくれると思い込んでいた。
「わぁ、ここ本当に日本?まるでヨーロッパみたいね」
約1時間後、ゆめみはヨーロッパの街並みのような場所に立っていた。
建物はもちろん、真ん中にかかる橋も流れる川も完璧だ。
身に纏ったドレスも中性ヨーロッパ風の白いドレスで、ゆめみの顔出しNGに配慮してか、総レースの帽子を被っている。顎の下をリボンで結ぶタイプの耳まで覆うタイプの帽子だ。
あの後、美容室でメイクから髪からドレスから全てセットしてもらったゆめみは、まるでお姫様になったみたい、と恥ずかしながらも少しだけウキウキしていた。
一方不二は、ドレスアップしたゆめみに、不本意ながらも感動していた。
そのあどけない甘い雰囲気がこの風景と衣装に全てマッチしている。
本当は、嫌がらせのつもりだった。
恥ずかしい格好をさせて、恥ずかしいポーズをさせて、手塚のためにそこまでするなんて惨めだね、と言ってやりたいと思っていた。
しかし、ゆめみの姿を見たら、笑い者にするなど出来ない。存在が芸術そのものだと思った。
ただ1人のカメラマンとして、最高の写真にしたい。そんな風に思わせてくる。
「ゆめみ、キミはすごいね」
こんな高揚感、めったに味わえないよ。
どんな写真に仕上がるのか、ゾクゾクした。
不二の指示に従って、写真を撮った。
1時間も経たないうちにゆめみはヘトヘトになったが、不二はどんどん生き生きしていく。
ついにはゆめみが「不二くん、休憩にして」とお願いをして、休憩することになった。
空間の真ん中にかかる橋の階段部分に座って、写真をチェックする不二。
そのカメラはいつも持ち歩いている小型のものではなく、とても大きい。
「わ、すごい、印象派みたい」
ゆめみも気になって不二のカメラ画面を覗き込むと、そこにはルノワールはマネの作品に似た雰囲気の写真に仕上がっていた。
心の中で精市と気が合いそうだな、と思うが、不二が真剣な表情で写真を見つめているので、静かにしていることにした。
「悩むよ」
苦悩の表情でそう呟いた不二。上手く撮れなかったのかな?と少し申し訳無く思うが、不二の次の言葉が「この素晴らしい写真を大多数の目に晒して良いものか」と続いたので、ゆめみは大げさだなぁと苦笑いした。
自分の写真とは言え、顔は写っていないので気は楽だ。
その後は「せっかくだから可愛い写真を撮ってあげるよ」と言われたので、普通の写真も撮ってもらい、撮影は終了した。
着替えを済ませて、美容室を出た時まだ8時半だった。誰もいない中で撮影を終えられたのは良かったが、ゆめみはこのために朝5時起きだったため、ふわぁぁと小さくあくびをする。
そんなあどけない表情のゆめみに、不二はクスリと笑った。
「朝食はまだだったよね?」
不二の言葉に、ゆめみは頷いた。レストランはどこも空いていなかったが、コーヒースタンドがあったので、そこでパニーニとコーヒーを買った。
木のベンチがあったので、そこで2人で並んで座る。とても静かだった。
いつも賑わっているショッピング街は、誰も通らない。
まるで、ボクとキミの2人だけだね。
不二はそんなセリフが浮かんできて、笑えてしまった。キミを嫌いになろうとしている人のセリフではないな、と。
「不思議ね、まるで私たち2人だけみたい」
しかし、ゆめみが当たり前のように、そのハードルを軽々と超えてくる。ドキッとさせられる。
それも、終わりにしようと不二は思った。
「ボクに、聞きたいことがあるんだよね?」
覚悟を決めたはずなのに、弱気になって、語尾には疑問符がついた。
ゆめみは言葉を選ぶように迷いながら、不二を見た。
「不二くん、また嫌なことがあったんでしょう?」
予想と全く違う回答に、不二は驚いた。
『私、やっぱり国光くんが好き、付き合いたいと思ってるから協力してくれるかな?』
何度も想像したゆめみの言葉が、上書きされそうになる。でもすぐには信じられない。
「本心を話してもいいよ、手塚のために今日ここに来たんだよね?」
「国光くんのため?」
ゆめみは不思議そうな顔をする。探るように無言でいる不二に、ゆめみは少し考えて「国光くんもフォトコンテストと何か関係があるの?」と言った。
これは完全に分かっていないようだ。
黙り込んだ不二に、ゆめみはさらに考えた。
「もしかして国光くんがフォトコンテストの優勝に賭けてるの?だから私の協力が国光くんのためになるの?」
よくわからない方向に進んでいくゆめみの思考に、不二はお手上げだった。
「不二くんの夢を応援しようと思ったことが、国光くんのためにもなってたんだ」と納得し出したゆめみ。ここに来た理由を聞くと、不二くんのカメラマンになる夢を応援しようと思ったの、という回答が返ってきて、不二は嫌になった。
「キミは、どこまでも綺麗で嫌になるよ」
小さな声で呟いて、不二は両手で顔を隠した。
恥ずかしいと思ったのだ。
完全な逆恨みをしてしまっていた。
ボクのためだけに遠くから早起きしてわざわざ来てくれた。そのことが夢みたいだと思ってしまう。
キミは嫌いになることも許してはくれないんだね。
どう足掻いても、やっぱりゆめみが好きだと再確認させられた気分だった。
「・・・やっぱりボクと付き合わない?」
ゆめみはようやく食べ始めたパニーニを吹き出しそうになる。
不二の方を見ると、口を両手で隠したまま、目だけでゆめみを見ていた。
「ゆめみと付き合えるのなら、ボクは毎日藤沢に通ってもいい」
純粋に「部活は?」と尋ねたゆめみに不二は当たり前のように「テニスはやめるよ」と返した。
ゆめみは冷や汗が出た気がした。
不二の変なスイッチを押してしまった気がしたのだ。このまま自分との会話のせいで、不二がテニスをやめるという選択をしたらどうしようと思った。
その理由が別のことがやりたいと言うポジティブなものであったのなら、応援するという選択肢もあるが、そういう訳では無さそうだ。
昔から思っていた、不二はゆめみのよく知る立海のレギュラーとは全く異質の存在だと。
不二にはテニスへの執着がまるで無いのだ。
それでもこの間までは、『勝ちに執着出来ない』という、今考えると可愛いものだったのに、今度はテニスをやめると言う。
「ボクにはテニスをやる事に何のビジョンも意味もないんだ」
不二はぼんやりとそう言った。
「裕太と一緒に部活をするのを楽しみにしていたのに、それも叶わなかったからね」
その言葉は悲しそうだった。
裕太くんの退部、そして転校が与えた不二へのインパクトの大きさは理解していた。
ゆめみはまだ何も言えなかった。
自分の発するひと言が、不二の人生を変える予感さえしていた。
ゆめみは何て言っていいのか、ついに分からず、コーヒーに手を伸ばした。
ひと口飲んで、う、となる。
「苦い」
不二はゆめみの反応を見て、自分も同じようにコーヒーを飲んだ。少し眉間に皺を寄せる。
「これはエスプレッソだね」
2人ともエスプレッソを飲んだのは生まれて初めてのことだった。
確かに濃くて苦い。
しかし、ゆめみも不二ももうひと口飲んだ。
「フルーティーな感じがする」
「クスッ、クセになりそうだね」
意外とこの苦味が今のこの状況にあっている気がした。ゆめみはこの苦味に、ある人物を思い出す。
テニスをやることにビジョンも意味も無いと思っている人が、これまでテニスを続けてきた理由、それをゆめみは知っていた。
「不二くんと国光くんって、どっちが強いの?」
ゆめみの問いに、不二は真顔になった。
誰からも問われたことのない質問だったからだ。不二はずっと青学のNo2と言われてきた。圧倒的な実力者である手塚には勝てないだろうと誰もが予想した。
「どっちだと思う?」
不二は聞いていた。聴きながら純粋に自分でもどっちだろうと思えた。
「わかんないよ」
ゆめみはあっけらかんとそう言った。その反応が不二にはとても新鮮だった。
「去年の5月に勝負した時は、ボクの圧勝だったよ」
自分の口から出た言葉に不二はまた驚いた。また誰にも言ったことの無い話をゆめみにしてしまったからだ。
一方、ゆめみは5月という時期と不二の納得していない声を聞いて察した。
「それは悔しかったね」
ゆめみの優しい声に、不二はその言葉がストンと胸の中に落ちるのを感じた。
あぁ、そうか、ボクは悔しかったんだ、そう知った。
「キミはいつもボクの心の代弁者だ」
不二はやっと穏やかな表情で笑った。
と、その時、不二のスマホが鳴った。画面には『大石』の文字。ゆめみが出た方がいいよ、と言ったので、不二はしぶしぶスマホをタップした。
『不二、どこにいるんだ?部活始まってるぞ』
スマホから聞こえた大石の声に、ゆめみの心臓はドキリと跳ねる。時計を見ると9時を過ぎている。
今日はオフか午後からだと思っていたのだが、まさか部活があったなんて。
「今日は行かないつもり・・・」
不二の回答に、ゆめみは一生懸命『行かないとダメ』とジェスチャーを送る。不二はそんなゆめみの頭を優しく撫でた。
ふわふわで気持ちがいいと思った。
「だったけど、気が変わったよ、これから向かうから手塚にもそう伝えておいて」
電話の向こう側で、まだ大石が何か言っているのを無視して、不二は電話を切った。
「せっかくのデートだったのに」と文句を言う不二。
口ではテニスをやめる、今日も部活には行かない、と言っていても、カメラの入った大きなバッグの中に、ラケットとレギュラージャージが入っているのをゆめみは見ていた。
テニスを続けることにしたんだな、と心からホッとした。
「ゆめみが見に来てくれるんだよね?」
その言葉は来ないと部活に行かないと、言われているようで、ゆめみは頷いた。
不二くんは子供だなぁと可愛く思いながら。
「しっかり捕まっていて」
レンタル自転車に乗って、不二とゆめみは大通りを北上していた。
後ろで不二にぎゅっと捕まるゆめみが可愛くて幸せってこんな感じかなと不二は思った。
そして、やめようと思っていたテニスの部活に、あっさり向かっている自分を認識して不思議だと思う。
ゆめみに上手く誘導されてしまったようだね。
なぜだっけ?と考えて、手塚の話が出たことを思い出す。
そうだ、ボクは本気の手塚国光と戦う約束をしていたんだ。
ゆめみはそれを思い出させてくれた。
それでも不思議だと思った。
ゆめみはどうして、いつもボクの欲しい言葉をくれるんだろう。
「ねぇ、どうして手塚の話を?」
不二がポツリとそう聞いた。
不二に必死に捕まっていたゆめみは、少し考えて「私と一緒だと思ったの」と言った。
すぐ後ろから聞こえる声は、まるで耳元で囁かれているようでドキドキする。
一緒とはどう言う意味だろう。
「不二くんこの間言ってたでしょ、私の国光くんへの想いは恋じゃないって、それでこの気持ちの正体が分かったの」
ゆめみはハリのある声だった。顔は見えないが、きっと嬉しそうに微笑んでいるのだろう。
「これは憧れ!きっと不二くんが国光くんに持ってるものと同じなのかなって思ったの、だから不二くんは私の本当の気持ちに気づいたのでしょう?」
キミの手塚に対する憧れは即ち淡い恋心で、ボクの手塚に対する興味とはかけ離れている。
そんな簡単なことが、ゆめみには分からないみたいだ。
きっと、ゆめみはまだ恋愛に関しては子供なのだろう。でも勘違いしてくれているのなら、それはそれでいい。
まだゆめみに関する恋愛ゲームは始まっていないと言うことだから。
はやる気持ちはあるけど、今はゆめみのペースに合わせてお友達ごっこを続けてもいいかな、そう思った。
不二は全てを飲み込んで言った。
「ゆめみは本当にボクの心の代弁者だね」と。
そうこうしている内にあっという間に青春学園の門が見えた。近くのレンタル自転車のステーションに自転車を返して、不二とゆめみは青学のテニスコートへと向かった。
「私、ここで見てるね」
ゆめみは練習の邪魔にならないように、部室の横で止まってそう言った。この位置なら、誰にも気づかれないだろう。
不二は「今日はありがとう」とお礼を言って、部室へと入って行った。
そして、出てきたかと思えば、テニスコートには手塚の声が響いた。
「遅刻をした罰だ、グラウンド10周!」
姿が見えるとバレる気がして、チラチラとしか見えなかったが、声が聞こえて嬉しいと思った。
本当はもう少し近くで手塚の練習を見たいと思ったが、他校の生徒、それも立海大付属の生徒である自分がいるのは、他の部員たちがいい気がしないだろうと思った。
なので、顔を出したり引っ込めたりを繰り返していると、誰かが部室に戻ってくる音がして、ゆめみは焦った。
本当は隠れる必要もないのに、部室の後ろ側に回り、その影に小さくなった。
ドキドキした。
部室の後ろを覗き込んだ人物は、小さくなってるゆめみを見て「体調不良か?」と聞いた。
第一声がそれだったので、ゆめみは可笑しくなってふふと笑う。
どうやら体調不良では無いようだとわかると、その人物は少し呆れたような表情をして、座り込むゆめみに手を差し出した。
「ありがとう、国光くん」
ゆめみは手を取った。その人物とは手塚国光だった。
「不二を連れてきてくれたこと、感謝する」
手塚はお礼を言った。そして、
「今後また不二が」
不自然に言葉を切った手塚。その言葉の続きは「テニスをやめたいと言ったら引き止めてくれないか」だった。
しかし、ゆめみに頼むのは筋違いだと思い直した手塚は「いや、気にしないでくれ」と言った。
ゆめみは手塚の言いたいことがわかる気がした。国光くんも副部長として、不二くんには手を焼いているのだろうなと。
「大丈夫」
ゆめみはにこっと笑った。手塚は相変わらず守りたくなる可愛い笑顔だと見惚れる。
「国光くんがここでテニスを続ける限り、大丈夫だよ」
国光くんは不二くんにとって『道標』だから。私も不二くんも国光くんに憧れているんだよ。
そんな気持ちを込めて言った。
手塚は「そうか」と視線を外した。照れてるのかなとゆめみは思う。
手塚はにこにこしているゆめみを改めて見た。
『不二とは何をしていたんだ?』
聞きたいと思ったが、聞けなかった。
聞いたところで、何でもない回答が来るだけだろう、代わりに言った。
「テニスを見に来たんだろう?」
「うん」
手塚はゆめみを誘導するように、テニスコートまで歩く。3年生は引退しているはずだから、今の青学テニス部のトップは、副部長である手塚だろう。その手塚がいいと言っているのだから、良いのかもしれない。
ゆめみは恐る恐る手塚の半歩後をついて行った。
手塚がフェンスのドアを開けて、コートに近づくと、部員達はみんな手を止めて手塚を見た。20人くらいだ。
そこにはランニングを終えて合流している不二の姿もあった。
「試合形式の練習に入る!レギュラーはコートに入れ!1年はたま拾いの準備!」
端の方ではあるものの、フェンスのすぐ外で見守るゆめみに対する何の説明も無く、厳しく指示を出す手塚。
2年生達はほとんどゆめみのことを知っていたので、問題無いのかもしれないが、1年生達は内心戸惑っていた。
その空気を読んで大石が「手塚、ゆめださんの説明はしなくていいのか?」と進言したが、手塚は「必要ない」とだけ言った。
「ボクと手塚の昔からの友人だよ」
不二はさらりとそう説明した。10周走った後であっても、その表情は涼しげだ。
1年生の中には他校の生徒であるゆめみへ厳しい視線を向ける者もいたが、その疑いはすぐに晴れた。
ゆめみは手塚のプレイを見て目を輝かせており、誰の目から見ても、スパイと言うよりただの手塚ファンであったためだだった。
(220729/小牧)→159
優しい気持ちになってあげるべきだった
キミと会うと星の王子様の言葉を思い出す
Location ラ・ヴィータ自由が丘、Sunset Coffee Jiyugaoka