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(ここでバイバイッ/手塚・柳)

2月の第2日曜日。
ゆめだ家の大きなダイニングテーブルの上には、色とりどりのラッピング用の可愛い袋とリボン、お菓子作り用のチョコレートやトッピング用の砂糖菓子、アーモンド、星形やハート形のクッキーの型などが並べられていた。

その中に埋まるように、ゆめみとゆめこが2人で1つのお菓子作りの本を眺めながらキャッキャウフフと楽しそうにおしゃべりに花を咲かせている。
ちなみに両親共に仕事のため、今家にはゆめみとゆめこの2人きりだ。

「みてみて、このマシュマロチョコタルト可愛すぎでしょー」
「可愛い!でもラッピング難しそうね」
「じゃあ作って2人で食べちゃうのはどーお?」

ゆめみの提案に、ゆめこはにやりと笑って「いいね!」とハイタッチする。
ゆめみの家では今週の金曜日に控えたバレンタインの作戦会議が開かれていた。

小学校低学年の頃からずっと続いている毎年恒例のこの行事である。最初は純粋に父親やゆめこの兄のためにチョコレートを作る目的として始まった訳だが、今やどちらかと言えば、チョコレートを作って2人で食べるチョコレートパーティー的な楽しみの方が勝っていた。

「あとトリュフ作ろう」
「いいね!チョコカップケーキも作りたい」
「チョコチップはあるから、買い足さないといけないのは生クリーム、ブランデー、マシュマロ・・・タルト生地は買っちゃおっか」

ゆめこの言葉を聞きながらメモをするゆめみ。今日はあくまで作成会議で、買い出しは火曜日の祝日に行う予定だ。

「あとチョコレートは圧倒的に足りないよね」
「13日にチョコ作りながらチョコフォンデュしない?」
「さいっこー!じゃあいちごとかのフルーツ買お!」

ゆめみの提案にゆめこはノリノリだ。

「「あー、たのし」」

ゆめみとゆめこは、ふぅと幸せのため息を吐く。女の子の子として生まれて良かったと思うイベントである。

「ねね、ところでさー、結局手塚くんに作ったんだね、チョコ」

ゆめこはニヤリと笑って言った。指の先には、綺麗にラッピングされた包みがあった。テーブルの端に置かれたそれは、ブルーの包装紙に金のリボンがかかっており、渡す相手のイメージカラーのように見えた。

今日は午後から手塚に会う予定が入っていた。毎月恒例の手塚の腕のマッサージとドイツ語を教えてもらう会である。先月は東京だったので、今月は手塚が湘南にくる予定であった。
ゆめこと一緒にバレンタインチョコを作る日は13日であるため、今日会う手塚には、既製品を渡そうかなとゆめみから聞いていたのだ。

「うん・・・」

ゆめみは同意をしたものの、その表情は浮かない。恋真っ最中であるゆめみから『恥ずかしいけど、作っちゃった!きゃぴ!』みたいな反応が来ると予想していたゆめこは、どうしたんだろうと首を傾げた。

「もしかして焦がしちゃった?大丈夫だって、きっと炭みたいなチョコでもビターだなって喜んでくれるよ!
話しか聞いてないけど、手塚くんって少しおっちょこちょいな女子がタイプだって!」

ゆめこが全力で励ますので、ゆめみはたまらずくすくすと笑った。

「違うよー、チョコは美味しくできたもん」
「じゃあどうしたの?」

「・・・国光くんの腕、完治してると思うんだ」

「もちろん、そのこと自体は嬉しいことなんだけど」と言いつつ寂しそうな顔のゆめみに、ゆめこは思い出した。確か手塚国光と毎月会う口実に、腕のマッサージを使っていたことを。
ゆめみは今回が手塚と会える最後の機会になるのではと危惧しているのだった。

「ははーん、なるほどね」

ゆめこは腕を組んで考える。

「でもそんなの、今日会った時にこれからも毎月会いましょうって言えば解決だよ」
「え、でも、理由が無いよ」
「じゃあドイツ語は?こっちが完治まで見届けたんだから、ゆめみがドイツ語マスターするまで付き合ってって言うのは?」

ゆめみはうーん、と考えた。

「・・・言えるかな?」

少しだけ前向きになったゆめみに、ゆめこは背中を優しく叩いて「言えるよ!」と言った。
ゆめこの自信たっぷりな笑顔を見ていたら、ゆめみも軽い気持ちになれた。








手塚国光は電車に乗っていた。
日曜昼過ぎの湘南新宿ラインは、まばらに人が座っているだけで、混んではいなかった。
席が空いているにも関わらず、手塚は立って、ドアの広い窓から移りゆく景色をただただ眺めていた。
湘南と名前が付いたこの電車であるが、海が見えたのは横浜周辺くらいで、後はのどかな町が続く。むしろ山に向かっているような、そんな気さえしていた。

ゆめみも東京に来る時はこの景色を眺めているのだろうか。

見慣れない景色の向こう側に思い浮かべるのは、湘南に住む線の細い女の子だ。
これから会う予定があるので、当然だと自分に言い訳をしてみるが、そうでなくても毎日のように彼女を思い出しているので、関係ないなと思い直す。

晴れていれば、笑顔のゆめみを思い出し、雨の日は泣いている彼女を思い出した。
心配したり、喜んだり、恥ずかしがったり、コロコロと表情の変わる彼女を思い出し、手塚はフッと笑った。

これはもう病気だな、と。
平常心が保てないという理由で、ゆめみへの告白を見送っているのに、結局彼女に囚われている。
そして、それも悪くないと思っている自分にも気づいていた。

手塚は鎌倉駅で下車した。
江ノ電の看板に沿って、駅構内を進んでいくと、かなりアットホームな雰囲気のホームへとたどり着いた。
緑の小ぶりの電車が止まっている。

乗り慣れているJRの電車の半分くらいの大きさだろうか。車両は4両しかない。
これが有名な江ノ電だな、と手塚は思った。

江ノ電に乗るのは初めてのことで、興味深く近づいていくと、中央に飾られた花時計を1人の女の子が覗き込んでいた。
白いとろみブラウスに、ベージュとピンクのチェックキャミワンピ、ふわふわのコートを羽織っているその姿は、手塚の心拍数を僅かに上げた。

会いたかった。

「ゆめみ」

ゆめみが花時計を覗き込みすぎて倒れるのではと心配になった手塚は、そっと近付いてゆめみの肩を後ろから優しく掴んだ。
急に肩を掴まれたゆめみは、驚いて振り返ったが、振り返った先に手塚の顔が近くになったので、大慌てだ。
体勢を崩しそうになるゆめみを更に手塚が固定する。

「落ち着け、俺だ」

ほぼ抱きしめられている状況と、急な手塚のカッコイイ顔面テロに、ゆめみの顔は真っ赤になった。
小さく「ありがとう」と言った後、少し離れて深呼吸をした。
そして、にっこりと笑って最初に言おうと決めていた言葉を言う。

「いらっしゃい国光くん、湘南へ!」

眩しいと思った。
少しだけ目を細めて、手塚は「ああ」と言った。

「何を熱心に見ていた?」

ゆめみの向こう側にある花時計を見ながら手塚が聞くと、ゆめみは嬉しそうに説明を始める。

「花時計!藤沢の駅にはいつもあるんだけど、鎌倉で見たのは初めてだったから、気になっちゃったの」

「パンジーは寒くてもちゃんと咲いててえらいよね」と微笑むゆめみを見て、確か登山の時も花の名前ばかり聞かれていたことを手塚は思い出した。
花が好きなんだなと知る。
もう少し早く気がついていれば、毎回会うたびに花束を持参しただろうと思った。
いつも何かをあげたくて仕方がないのだから。

「国光くんもお花が好き?」

黙ってゆめみを見ていた手塚の顔を覗きこんだ。どうだろうな、と手塚は素直に思った。そこまで深く考えたことは無かった。
花は花だ。
それでもキラキラした瞳を向けられたら否定するのは難しい。
手塚が「そうだな、嫌いではない」と返事を返すと、ゆめみは嬉しそうに「そうだと思った!」と言った。

「だってすごく優しい顔をしているから」

『それはお前のことを考えていたからだ』と思ったが口にはしなかった。

「そろそろ行こうか」

手塚は楽しそうなゆめみを江ノ電へと促した。
始発なので、乗り込んでもすぐに走り出すわけではない。

「木床か」

木材が貼られた床に、バスのような窓。全体的に小ぶりでレトロな作りがほっとするな、と手塚は思った。

「国光くん、江ノ電は初めて?」
「ああ」
「じゃあこっちに来て」

ゆめみは手塚の手を握って、先頭車両へと移った。そして、車掌が乗る運転席の真後ろのポジションを取った。

「ここから見る景色が男の子には人気なの!」

手塚はそこに立ちながら、ゲームセンターにある電車でGO!を思い出していた。
あれは車掌になるゲームであったな。
たしかに小学校低学年であったのなら、大興奮だろう。
実際に手塚とゆめみが立つ右側には3歳の男の子が父親に抱っこされて、熱心に前だけを見つめていた。
その瞳とゆめみの瞳が同じようにキラキラしているように感じて、手塚は笑いそうになる。

電車が走り出すと、思ったよりも揺れるので、手塚は自然とゆめみの後ろから横の壁へと手を回した。
手塚と電車の間に囲われているような状況だ。
ゆめみは前を見て「左に見えるのが源氏山だよ」と初めてだという手塚に一生懸命説明していたので、気がつかなかった。

しかし一たび大きく電車が揺れ、体勢を崩しそうになると、手塚の手がすぐにゆめみを支えたために、その状況に気がついた。

壁ドン状態である。後ろから見れば抱きしめられているように見えるだろう。

「あ、ありがとう」

ゆめみは顔が赤くなってしまっているのを自覚しながらも、必死に前に移ろう景色だけを見ることに集中した。
心臓がドキドキして、口から飛び出しそう。
いつも眺めているはずの江ノ電からの景色が、まるで違う国にいるかのようにキラキラして見えた。

これが恋じゃないなんて、本当に?

電車はトンネルへと突入した。
真っ暗な窓には、自分の惚けた顔が映っていて、その後ろには柔らかな表情の手塚が映っている。その表情はカッコよくて、そして一心にゆめみだけを見つめていた。窓に映ったゆめみでは無く、本物の自分を。
だめだ、恥ずかしすぎる。

ゆめみはたまらず両頬に手を当てた。
顔が赤くなっていることを知られたくない。

しかし、やはりと言うべきか手すりから手を離した瞬間に電車が揺れて、また手塚がゆめみを支える結果となった。

「ゆめみ、つかまっていろ」

耳元で聞こえる手塚の声もかっこよくて、ゆめみは死んでしまいそうだと思った。
そうして、七里ヶ浜に着いた時、ゆめみは人知れず安堵のため息を吐いたのだった。





「ここがゆめみの家の最寄駅か?」


ゆめみに誘導されるがまま、江ノ電の江ノ島駅手前の駅で降りた手塚は、そのアットホームな駅を興味深く見渡した。
JRの鎌倉駅から江ノ電鎌倉駅からに移動した時も思ったが、この全体的に小ぶりな造りに心惹かれる。
この駅には、ホームがほんの少ししか無く、改札もない。一応Suicaをタッチするパネルが立っており、そこにタッチする仕様になっているようだった。

「そうだよー、田舎でしょう?」

ゆめみは照れたように笑ってそう言った。口では田舎と言ったが、その表情は嬉しそうで、手塚はここが好きなんだろうなと思った。
「良いところだな」と返すと、ゆめみは「何にも無いけど、海があるの!今日は私が案内するね」と張り切って言った。

駅から海まで、2人で並んで歩いた。

手塚もゆめみも何も言わず、2人の規則的な足音だけが聞こえていた。
ゆめみは家の近くに手塚がここにいるのが不思議でふわふわした気持ちで、手塚は久しぶりに会ったゆめみと並んで歩くだけで満足だった。

沈黙が心地よい。
これって心が通じ合ってるとも言えるのでは?
ゆめみはちらりと手塚の顔を見ると、手塚もゆめみを見ていた。
穏やかな雰囲気に幸せな気持ちになる。
その表情は微笑んでいるようにも見えた。

勘違いなんかじゃない、国光くんもこの時間を大切に思ってくれている。
もしかしたら、これからも会ってくれるかも。
ゆめみは期待に胸がドキドキした。

すぐに海が見えて来た。
いつもの高台から海を見下ろすと、砂浜の向こうにずっと続く海が見える。
小さい頃からずっと変わらない景色。
変わらないはずなのに、今日は打ちつける波の音がいつもより大きく速く感じた。
チラリと横を見ると、手塚も同じタイミングでゆめみを見た。

「綺麗だ」

海では無く、ゆめみを見て言われた言葉にときめいてしまう。
その言葉は、この景色への言葉なのに。

そっと手塚の手が伸びて来て、ゆめみの頬に触れた。
どうやら顔にかかった髪を耳にかけてくれたようだ。

「風が強いな、中に入ろう」

ぱっと離れた手に寂しさを覚えながらゆめみは思った。
やっぱりこのカッコいい人の時間を奪ってしまうのは申し訳ないかも、と。

でも、でも。


その後2人は海辺のイタリアンレストランに入った。ここは家の近くで、よくゆめこや柳と一緒に行く行きつけのレストランだ。
お昼時は過ぎていたので、海に一番近い窓際のお気に入りの席に座ることが出来た。海の方に向かって隣同士に並んで座る。

先にドイツ語を教えてもらうことになり、2人で並んで1つのテキストを眺めながら、手塚がゆめみの質問に解説する。
耳元で囁かれる、日本語とは違う固い発音が素敵で、ゆめみは心からこの時間がずっとずっと続けばいいのに、と思った。

そして、やってきたマッサージの時間。
手塚が腕を捲った瞬間。

押し寄せる安堵と喜び・・・それから少しの寂しさ。

手塚の腕は完治していた。

「・・・どうだ?」

一緒いろんな感情が過り、固まってしまったゆめみに手塚は違和感を覚える。

ゆめみはぱっと手塚を見た。
そして、にっこりと笑う。
その笑顔は、9割本当で1割だけ嘘だった。

「おめでとう!国光くん、完治しているよ」

ゆめみの精一杯の笑顔に、手塚はふぅと息を吐いた。

「そうか」

その手塚のほっとしたような、心からの微笑みを見て、ゆめみはやっぱり100%良かったと思い直す。

「頑張ったね」

いつかの酷い状態だった時のことを思い出す。手塚がどんなに努力して、辛い想いをしてここまできたのかを考えると、それだけで胸がいっぱいだと思った。

「本当に、おめでとう、頑張ったね、これからは力いっぱいテニスが出来るね」

嬉しくて、顔いっぱいで笑ったつもりだった。
それなのに、なぜか視界がぼやけて。
ゆめみがパチパチと瞬きすると、その重たい水は、大きな目から溢れた。

綺麗な涙だと手塚は見とれていた。

ゆめみが泣くのはいつも他人のことばかりだったな、と手塚は思い出していた。
自分自身のことで泣かないゆめみが、もどかしく思う時もあったが、誰かのためにこうして涙を流す彼女は美しくて、愛おしい。

「ありがとう」

手塚はそっとゆめみの涙に手を伸ばして、自分の手へと涙を移す。
この涙をビンに詰めて永遠にとっておけたらとさえ思う。

「良くなったのはゆめみのおかげだ」

手塚はまっすぐそう言ったが、ゆめみはすぐに否定の意味で首を振ろうとした。
しかし手塚に頬を優しく掴まれたので、動きが止まる。

「事実だ、受け入れてくれ」

手塚のまっすぐな顔からは全く目をそらさずに、それでもゆめみは「ただ国光くんの努力の賜物だよ」と小さな声で言った。
手塚は不満そうに眉をひそめる。

「そう言わないでくれ」
「でも」
「俺は一生ゆめみに感謝し続けるつもりだ」

少しの沈黙の後、「ゆめみがそれを受け入れないのは困る」と言った手塚に、それが『自分だけがそう思っているのは寂しい』というニュアンスに聞こえて、ゆめみはついにくすくすと笑った。

「はい、わかりました、そこまで言うのなら、私も少しは国光くんの役に立てたということで嬉しく思うことにするね」

ふんわりと微笑んだゆめみに、手塚は満足することにした。

お店を出るともう夕方だった。
辺りがオレンジ色に染まるのを見て、ゆめみは「そうだ、このへんはサンセットが有名なの」ともう一度海を見に行こうと提案する。

また最初に来た高台に戻ってきた。
先ほどもガラス越しに海を見ていたが、店内では感じられなかった潮の香りや海風が感じられる。
海面に反射する夕日が光の道のようにも感じられて、絶景だなと手塚は思った。

2人はその美しい景色を無言で眺めていた。

手塚はただただ景色を楽しんでいたが、ゆめみは違った。いつこれからも会いたいと切り出そうかずっとずっと考えていたのだ。

さっきもサラリと言えれば良かったのに、言えなかった。そして時間稼ぎのためにここに来たものの、結局なんて切り出したらいいのかわからなかった。

『今は勝つことしか考えていない』

切り出そうとするたびに、昨年の夏に聞いた言葉を思い出してしまう。
自分の怪我さえも後回しにして、全国制覇のために日々努力していた国光くん。
そのことを思えば、これからも理由が無いのに自分のために時間を使って欲しいと言うのは厚かましすぎる。

わかってる、それでも。

国光くんとの築いてきたこの時間や関係がここで終わってしまうのは悲しいと思うのは、そんなに悪いことだろうか。

「夕暮れだな、家まで送ろう」

ゆめみが切り出す前に、手塚にそう言われてしまった。
とてもがっかりしながらも、「遠くまで来てくれたから、私が鎌倉駅までお見送りするよ」と言った。

そうすることで、また少しだけ時間を得て、ゆめみは手塚と駅まで歩き出した。


鎌倉駅までは、江ノ電でたったの14分。
もう本当に時間が無い。

ここで言えなかったら、もう二度と会うことができないかも知れない、とまで自分を追い詰めて、ゆめみは電車に乗ってすぐに切り出した。
席は空いていたが、座る余裕もない。

「国光くん、あのね」

なにも知らない自然体の手塚は「どうした?」と優しく目線を合わせてくれた。
怖気付きそうになるが、握りしめた拳をぎゅっと押さえてゆめみは続ける。

「私のドイツ語、酷いでしょう」
「いや、もう日常会話には問題がないだろう」

『だからまた教えて』というつもりが、手塚にすぐ否定されてしまった。
でも負けるわけにはいかない。

「そんなことないの、だからね、これからの月一の定例会なんだけど」
「ああ、そうだな」

ゆめみの言葉の続きは『このまま続けたい』だった。最後まで言えなかったが、手塚が同意したので、ゆめみは期待を込めて手塚の顔を覗き込んだ。
しかし、手塚の続いた言葉は「もう俺たちにはそぐわないだろう」だった。

手塚のその意味は、『もう仲良くなったのだから、定例会という形にこだわる必要は無い、いつでも連絡して会おう』というものであったが、ゆめみは拒絶されたと受け取った。

ゆめみは大きなショックを受けた。完全に振られたと思った。
もう自分は用済みなんだな、なんて寂しく思う。

「そうだよね」

ゆめみはやっとの思いでそう言った。

当たり前だよ、国光くんは忙しいんだから、と自分ですぐに慰めた。
これ以上手塚の隣にいたら、嫌だ、また会いたいと言ってしまいそうで、ゆめみは急いで鞄からチョコレートが入った箱を出して、手塚に押し付けた。

「これ、感謝の気持ちだよ、本当にいろいろありがとう」

手塚は不思議に思ったが、そのまま受け取った。
電車が止まると、ゆめみはスッと電車を降りた。まだ鎌倉駅には着いていない、途中の駅だ。
手塚が驚いていると、ゆめみはホームからにっこり笑って手を振っていた。

「今まで本当にありがとう、ここでバイバイッ」

プシューとドアが閉まる音がして、江ノ電のドアが閉まった。
本当に一瞬のことだった。

そして、ゆめみの唇が動いた。

『大好きだったよ』

手塚はドアのガラス部分に手を当てたが、電車はそのまま動き出した。

「だいすき・・・?」

気のせいで無ければそう言われた。手塚はふらついた足取りで空いている席に座った。顔がブワッと熱くなる。

告白だろうか、しかし、それならば、なぜ『大好きだった』と過去形なのだろう。
考えこみながらも、思いついたように、受け取った箱を開けて見た。
それが手作りのチョコレートだと分かると、また手塚の顔はさらに赤くなった。
この時期のチョコレートはバレンタインと受け取っていいのだろうか。

もしかしたら、相思相愛なのだろうか。

クリスマスで一緒にドイツに行きたいと言われた時から、考えないようにしていたことを、どうしても考えてしまう。

ゆめみとの未来、それは全国制覇するまで蓋をしておくはずだった。
あんなに優しくて可愛い彼女が出来てしまったら、今まで通りの自分ではいられないと分かっていた。

もし夏が終わったら、ゆめみと恋人になれる可能性があるのだろうか、そんなことを考えていたら、ふわふわと空を飛んでいるかのような錯覚に陥る。
これが浮かれているということなのだろう。生まれて初めての感覚だな、と頭の一部は冷静さを保ちながら、手塚はワンテンポ遅れて江ノ電を降りた。

JRに乗り換えるために、JRの改札を越えると一気に現実に引き戻された気がした。

何かを見落としている気がしたのだ。
最後に見たゆめみの表情は、決して幸せそうでは無かった。

なぜあんな表情をしていたのだろう、
なぜ『大好きだった』と過去形だったのだろう。

悶々と考えていて、横須賀線が到着したことにも気が付かなかった。まもなく出発しますのアナウンスと同時に電車に飛び乗った。
乗り遅れることは無かったが、手塚はしまった扉の窓から、自分が今の今まで座っていた席を見つめていた。

水色の包装紙に金のリボンの箱が置いてある。ゆめみからもらったチョコレートをホームのベンチに置き忘れていたのだ。
またドアの窓に手をかけたが、開く訳は無く、無情にも電車は出発してしまった。

手塚国光、生まれて初めての忘れ物だった。

次の駅で折り返し、なんとか回収することが出来たが、手塚の行き場のないモヤモヤは1か月ほど続くこととなる。

 




手塚が忘れ物をしたその時、ゆめみはまだ駅のホームに突っ立っていた。

心にポッカリ穴が空いたようだと思った。

不二くんには彼女になりたいなんて思ってない、少しの時間を共有出来ればそれでいいと言っていたのに、結局、自分も国光くんの特別になりたかったのかもしれない、と思った。

そう自覚した瞬間、胸がズキズキと痛んだ。

次の電車が到着して、人が降りてきたので、押し出されるように、ゆめみもホームから外に出た。
意識して降りた訳では無かったが、真田の家の最寄駅だと気付く。
今日は第2日曜日、立海大付属のテニス部は午前のみの部活で、午後からは書道の先生が来ているはずだ。そう言えば蓮二も一緒だったかも、と思い出して、ゆめみはふらふらと真田の家に向かった。

「ゆめみ!来てくれたのか!いつでも大歓迎だ!」

真田のいつも通りのテンションに癒された。
すでに書道の先生は帰ってしまった後ではあったが、真田と柳はまだ書道の練習を続けており、ゆめみも2人の上達した書を眺めたり、少しだけ簡単な字を練習したりして過ごした。

「今晩の夕食はすき焼きとのことだ、ゆめみが一緒にご馳走になる確率100%」

柳の淡々としたいつもの感じもありがたいと思った。
ゆめみは2人のおかげでいつも通りに過ごせてると思っていた。
普通に受け答えも出来たし、笑っていたつもりだった。

しかしそう思っていたのはゆめみだけで、何かあったのだろうなと柳だけで無く、鈍感な真田さえもわかっていた。
それでも2人は何も言わないゆめみのために、いつも通りに接していたのだった。

「あー、楽しかった」

真田の家ですき焼きをご馳走になったゆめみは、柳と2人で家に帰る途中何度も繰り返しそう言った。
空ばかり見て、柳の前を歩いていた。
本当のことのつもりだった。真田家のすき焼きは甥っ子の佐助くんも一緒で大騒ぎだったし、その後みんなでやった花札も盛り上がった。

「俺は楽しかった」

今までただ聞いていた柳が、そう一言返して、ゆめみはようやく柳を見た。
その眉はハの字を描いていて、自分は慰められているのかもと思った。

「この柳蓮二は、ゆめみと共に過ごす時間をいつも楽しいと感じている」

柳の慰めの言葉に、ゆめみはストンと理解した。

『私、失恋したんだ』

心が辛くて、苦しい。
好きな人に選んでもらえないってこんなに辛くて苦しいことなんだ。

こんなに辛いことなら、もう恋なんかしたくないな。

それがゆめみの率直な感想だった。

「歌でも歌おうかな」
「とゆめみは言う」

ゆめみはにこっと笑って歌いだす。
本当は失恋ソングを熱唱したい気持ちだったが、柳に何も話すつもりが無かったので、感謝の歌を歌った。






(220914/小牧)→164

でもそれは結局恋の歌に聞こえた。
Location シチリアーナ、七里ヶ浜





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hangloose