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(寿三郎からなんも聞いてへん?/毛利)

何度学校を休もうとしたことか。そのくらい今週のゆめこのメンタルは酷いものだった。

毛利にフラレたバレンタインデーが先週の金曜日で、すぐに訪れた土日は丸2日かけてゆめみに慰めてもらったので何とか精神を保つことが出来たが、月曜日からの学校生活は悲惨なくらいボロボロであった。

授業は何も耳に入らず、友人達との会話もどこか上の空、少しでも気を抜くとじわりと涙が滲んでくる、そんな日々だった。
明らかに様子のおかしいゆめこを同じクラスの丸井と星梨は心配そうに見ていたが、ゆめこが何も話そうとしないので特に詮索することはなかった。
彼女自ら話し出すまでとりあえず様子を見てみよう。と二人は相談の末そんな結論に至っていた。
それは他の仲良しメンバーもそうであった。特に幼馴染の柳はおそらく毛利先輩絡みだろうと推測はしていたが、「無理はするな」と声を掛けるに留まっていた。
今は話すのも辛いだろう。という彼なりの配慮である。

そんな1週間もまもなく終わりを迎えようとしていた。今日は金曜日。このHRを終えたら再び土日が訪れるので、ゆめこはまたゆめみに慰めてもらおう。なんて頭の片隅で考えながら、教壇に立つ担任をぼけーっと眺めていた。

「俺部活行くけど、大丈夫か?」

どのくらいそうしていたのか。ぽん、と肩を叩かれゆめこは顔を上げた。そこには心配そうな面持ちの丸井が立っていて、ゆめこは慌ててきょろきょろと辺りを見回した。どうやらいつの間にかHRが終わっていたらしい。既に担任の姿はなく、教室内は帰り支度をする生徒達の声でざわざわと騒がしかった。

「あ、うん。大丈夫だよ。部活頑張ってね〜」

ゆめこはへにゃりと力無い笑顔を丸井に向けた。丸井はそんなゆめこの姿を、唇を真一文字に引き結んで見ていた。
こんなにも弱ったゆめこを一人にするのは心苦しい。
しかし、急がなければすぐに部活の時間が始まってしまうので、丸井は後ろ髪を引かれる思いで教室を後にした。

背中を向け去っていく丸井に手を振りその姿が見えなくなると、ゆめこは人知れず大きなため息を溢した。
丸井や星梨だけじゃない、ゆめみや柳、いつメンのみんな、それからママにも、周りのみんなに心配をかけてしまっていることに、ゆめこ自身も気が付いていた。もっとちゃんとしなきゃなぁ、なんて頭では分かっていても感情が追いつかず、下手な愛想笑いを浮かべるのが今の彼女に出来る精一杯の強がりだった。

それから鞄に教科書やペンケースをしまいもたもたと帰り支度をしていると、またしても誰かに肩を叩かれゆめこは顔を上げた。

「ゆめこちゃん、あの、先輩が呼んでるよ」
「えっ」

"先輩"というワードに反応して、ゆめこの顔に一気に生気が蘇る。教えてくれたクラスメイトの指先を辿り、ゆめこは期待に満ちた顔で廊下の方に目を向けた。

「あ・・・」

しかしそこに立っていたのは毛利ではなかった。もしかしたら仲直りに来てくれたのかもしれない。ヨリを戻せるかも。なんて一瞬の内に考えてしまった自分が滑稽に思えた。

ゆめこは鞄を持って廊下に出ると、わざわざ訪ねてきた先輩―もとい毛利の友人である須藤にぺこりと会釈をした。

「良かったー、間に合った!もう帰っちゃってたらどうしようかと思ったよ」

ゆめこの顔を見るなりなぜか安心したような面持ちになる須藤にゆめこは「はい?」と戸惑いながら首を傾げる。

「これ、毛利に渡して欲しいんだけど」
「・・・」

毛利という名前にゆめこは思わず沈黙する。差し出された封筒には"テニス部OB会参加費"と書かれていた。須藤の話によると、来月に現3年生の元テニス部メンバーを対象に開かれるOB会があるらしいのだが、集金の都合上その会費の期限が週明けの月曜日だと言うのだ。
事情は理解できたが、なぜそれを私に頼むのだろう?とゆめこは困惑する。

「えと、寿三郎さんもう帰っちゃったんですか?須藤先輩から直接お渡しになった方が・・・」

とゆめこが言うと、須藤は「あれ?聞いてない?」と少し驚いた顔をした。

「今日あいつ風邪で休んでんだよ」
「え」
「ゆめこちゃんに連絡してねーとか、珍しいな。かっこつけてんのか?あいつ」

口元に手を当てぶつぶつと独り言のように話す須藤を尻目に、ゆめこは「寿三郎さんが風邪・・・」と目を丸くした。彼が体調を崩すなんて珍しい。

「まぁ、なんでもいいや!俺この後予定あるしさ、とりあえず家まで届けてやってよ」
「へっ?わ、私がですが?」
「おう、毛利んちの場所分かるよな?」
「えっと、まぁ・・・分かりますけど」
「おー、さすが彼女!頼んだぜ」

にやにやと笑いながらゆめこに封筒を託す須藤。
その後ろ姿を見送りながら「もう彼女じゃないって言いそびれちゃった」とゆめこはその場に立ち尽くした。




学校の最寄駅である辻堂駅まで歩き、そこから電車に揺られること約10分。

毛利宅の最寄駅に着いたゆめこは、記憶力を頼りに足を進めていた。年明けの毛利の誕生日に一度来たことがあるだけだったが、ゆめこはその道のりをはっきりと覚えていたのだ。

そうして辿り着いた毛利宅の前で顔を上げたゆめこはまるで合戦に向かう兵士のような表情をしていた。さっきは流されるがまま引き受けてしまったが、冷静に考えると気まずいことこの上ない。
いざ出陣!なんて心の中で気合いを入れながら、ゆめこはインターホンのボタンに手を伸ばす。

ちなみに訪問する前に毛利に連絡を入れようかとも思ったが、悩んだ末にそれはしなかった。『来ないで欲しい』なんて本人に言われた日にはメンタルがドン底に突き落とされてしまう。トーク画面のやり取りも1週間前で止まってしまっていて、それもなんだか現実を突きつけられている気がして虚しかった。

震える手でインターホンを押せば、ピンポーンと音が鳴り、ゆめこは姿勢を正して返事を待った。

「はーい」

返ってきたのは若い女性の声だった。
毛利本人でないことに安心しつつ、ゆめこは

「あの、私寿三郎さんの後輩のゆめのと申します。えっと、学校からお届け物を預かってきました」

と説明した。するとインターホン越しに「えっ、えっ!?」と動揺する声が聞こえてきた。何ですかその反応は?なんて思いつつ突っ立ていると、家の中から一人の女性が出てきた。赤茶色の髪の毛と、大きな二重瞼を見て、ゆめこは「あ、寿三郎さんそっくり」という感想を抱いた。

「もしかしてゆめこちゃん?!」
「は、はい。あのもしかして・・・」
「あ、私寿三郎の姉の寿奈です」
「わわ、お姉さん」

やっぱりそうだ。とゆめこは目を丸くして寿奈を見つめる。
以前毛利から4歳上の大学生のお姉さんがいると聞いたことがあった。立海大学に通っているらしいが、大学キャンパスは中・高等部校舎から少し離れたところにあるので、ゆめこはいまだ会ったことが無かった。それなのにどうして私のこと知ってるんだろう?とゆめこが思っていると、その疑問に答えるように寿奈はにっこりと笑って口を開いた。

「ゆめこちゃんのことは寿三郎から聞いて知っとるよ〜」
「えっ。そ、そうでしたか・・・」
「俺の彼女が可愛すぎるって耳にタコが出来るほど聞かされてたんやけど・・・、どうやらほんまやったみたいやね」

寿三郎さん、そんな風に話してたんだ。初めて知る事実に、ゆめこの全身がぶわっと沸騰したように熱くなる。
恥ずかしさから真っ赤な顔で「そんなこと、ないです」と否定すれば、寿奈は「あはは」と大きく口を開けて笑った。
その顔がやっぱり兄妹そっくりで、ゆめこはぎゅっと胸が締め付けられた。途端に、『会いたい』『寿三郎さんの笑顔が見たい』そんな欲が湧き出てきて、ゆめこはそれを振り払うように、「あの、これ。寿三郎さんに渡していただけますか?」と持っていた封筒を手渡した。
そんなゆめこに、寿奈はきょとんとして目をぱちくりさせたが、すぐににやりと口角を上げた。

「ゆめこちゃんから受け取った方が喜ぶやろし、直接渡したって」
「え」
「私これからバイトやし、寿三郎のことお願いね」

ぽんと背中を叩かれ、ゆめこは「で、でも・・・」と目に見えて狼狽する。しかし、「ささっ、上がって上がって」なんて手を引かれてしまい、ゆめこは気付いたら毛利家の玄関をくぐっていた。

「寿三郎は2階の突き当たりの部屋におるんやけど・・・、その前にお茶でも飲んでってなぁ」

と、寿奈はゆめこを居間へと通す。
ゆめこは咄嗟に「おかまいなく!」と声を掛けたがそれは無視された。カウンター式のキッチンの中でカチャカチャと飲み物とカップを用意する寿奈を見て、ゆめこは諦めたようにソファに腰を下ろした。

1ヶ月半ぶりに足を踏み入れた居間をぐるりと見回していると、年明けにここで寿三郎さんと喧嘩したんだよなぁ。なんて記憶が蘇った。せっかくあの後仲直り出来たのに、結局フラれちゃった。
思い出すとやっぱり辛くて、ゆめこはその瞳をうるとさせた。しかし今はすぐそばに寿奈がいる。急に泣き出したら寿奈を驚かせてしまうと、ゆめこは涙がこぼれないように顔を上げた。

そのままなんなく部屋の中を眺めていると、ふと隣の部屋へ続く襖が開いていることに気が付いた。

以前来た時は締め切られていたため気付かなかったが、どうやらすぐ隣に和室が続いていたらしい。
こっちにもお部屋があったんだ、なんて思いながら興味本位で身を乗り出し和室を覗くと、突き当たりに小さな仏壇のような物が見えてゆめこはゆっくりと立ち上がった。

真ん中にある遺影の中で、一人の女性が穏やかな笑みを浮かべている。誰だろう?どくん、とゆめこの心臓が大きく波打つ。

その時コト、とテーブルの上にカップが置かれる音がしてゆめこは勢いよく振り返った。

「あ、あの方って・・・」
「ああ、お母さん?2年半前に病気で死んでもーて」
「えっ」
「あれ?寿三郎からなんも聞いてへん?」

こくんと頷けば、寿奈は「そっか」と少し困ったように眉尻を下げて笑った。ゆめこはいまだに状況が理解できていなかった。

お母さん?病気?亡くなった?

初めて聞く話に、ドクドクドクとゆめこの心臓が勢いよく早鐘を打つ。

聞いてないよ、寿三郎さん。

ゆめこは知らず知らずの内に何か無神経な発言をしてしまっていたのではないかと、出会ってから今までのやり取りを振り返り顔を青くした。
寿奈は目を見開いたまま遺影を見つめ動かなくなってしまったゆめこをちらりと一瞥すると、ボスっとソファに腰を下ろした。

「私ね、ゆめこちゃんにはほんま感謝しよるんよ」

突然話し出した寿奈に、ゆめこはハッとして振り返る。

「お母さん死んた時、寿三郎はまだ中1やったから。私や兄ちゃんはある程度覚悟出来とったんやけど・・・、寿三郎はやっぱりショックだったみたいで一番凹んでたんよ。
お父さんの実家が近いって理由でこっちに引っ越してきたんやけど・・・、しばらく心閉ざしよって、いつも無気力で、死人みたいな顔して過ごしとった」

当時のことを思い出しながら、寿奈はどこか遠い目をする。

「でも一年くらい経った頃やろか、寿三郎がだんだん元気になってきよって、最初は時の流れがそうさせたんやと思っちょったんやけど、どうやら違ったみたいで。
確信に変わったんはバレンタインの時やね!ゆめこちゃんにチョコ貰えたって嬉しそうに自慢しとったわ」
「・・・」
「せやから、付き合うことになったって聞いた時はほんまに嬉しくて。寿三郎がみるみる元気になっていったのはゆめこちゃんのおかげやねん」

寿奈はよいしょと立ち上がると、今だ立ち尽くしているゆめこの手を取りぎゅっと両手で握りしめた。
「ほんまにありがとう」そう告げた彼女の瞳は穏やかで優しいものだった。

違う。私は何もしてないんです。今は彼女でもなんでもないんです。

色んな否定の言葉が頭を駆け巡っていたが、何一つとして口に出すことはできなかった。
「じゃあ、私バイト行ってくるわ。ごゆっくり」と言って去っていく寿奈に、ゆめこは「ありがとうございました」とお礼を告げるのが精一杯だった。
玄関のドアが閉まる音がして寿奈が出て行ったことを確認すると、ゆめこはするすると力が抜けたようにソファに座り込んだ。

頭の整理が追いついていなかった。
初めて知った毛利の過去。まさか彼がそんな辛い思いをして神奈川にやってきていたとは、何も知らずにのうのうと生きていた自分が恨めしい。
私がママの話をするの、寿三郎さんは一体どんな気持ちで聞いてたんだろう。思い返せば返すほど、ゆめこの後悔の念は膨れ上がっていった。

どんな顔して会えばいいのか。元より別れたばかりで気まずいと感じていたが、お母さんの話を聞いてしまった今、余計にその気持ちは大きくなってしまった。
しかし須藤からの頼まれ事を放棄してこのまま帰る訳にも行かず、ゆめこはふかく深呼吸をして気持ちを整えると、すくっと立ち上がって2階へ続く階段へと足をかけた。

突き当たりの部屋と言ってたけどちゃんと分かるかなぁ。なんて不安になりながら階段を上っていったゆめこだったが、ご丁寧にドアの前に"寿三郎"と書かれた手作り感満載のプレートが目に入り、ゆめこはほっと安堵の息を漏らした。
コンコンと控えめにノックをすると、「はぁい」と間伸びしたやる気のない返事が聞こえてきて、ゆめこはひょっこりと顔だけ出して中を覗き込んだ。
ゆめこの顔を見るなり目を見開き固まってしまった毛利に、ゆめこは「こ、こんにちは。風邪大丈夫ですか?」とぎこちない笑顔を向ける。

「ゆめこ・・・!な、して・・・」

スウェット姿でベッドに横になっていた毛利は、がばりと上体を起こして口を開いた。1週間ぶりに見る彼女の姿に、毛利は一瞬夢か?と思う。熱で頭がおかしくなってしまったのかもしれない、なんて考えていると、いそいそと部屋の中に入ってきたゆめこが目の前までやって来た。

「寿三郎さん、これ」

毛利は目の前に差し出された茶封筒とゆめこを交互に見た。
「須藤さんに頼まれて、えっと期限が週明けらしくて・・・」と説明するゆめこに、毛利は納得したような顔付きになる。
ゆめこと別れたことはまだ須藤には、というより誰にも話していなかったので、きっと彼は何も知らずにゆめこを頼ったのだろうと毛利は思った。

気まずそうに視線を泳がせるゆめこを毛利はじっと見つめる。この時彼は心の中で「ああ、やっぱりかわええ。ほんま好き」などと思っていたが、そんな彼の本音をゆめこは知る由もない。

一週間前に別れを告げたのは他の誰でもない自分自身なのに、毛利はいまだにゆめこのことが好きだった。好きで好きでたまらないのに、自ら手離してしまったのだ。

後悔が無いと言えば嘘になる。むしろ後悔だらけだったが、それ以上にゆめこの気持ちを勘繰ったまま一緒にいるのが辛くなってしまったのだ。

ゆめこは自分の気持ちに気付いていないだけで、本当は仁王のことを好きなのではないか。ふわっと抱いていた小さな疑念が、先日のバレンタインデーで確信に変わってしまい、毛利はゆめこと別れる道を選んだ。
ゆめこの心に自分以外の誰かがいるのはどうにも耐えられそうになかったからだ。

「寿三郎さん・・・?」

いつになっても封筒を受け取ろうとしない毛利に、ゆめこはこてんと首を傾げる。その声にハッとした毛利は「ん、すまんかったね。わざわざ届けてもろて」と笑顔を貼り付けて封筒を手にした。

これで用が済んだゆめこはすぐにでも帰ってしまうだろう。そう思った毛利は少し名残惜しさを感じた。しかし、ゆめこはもじもじとしたままその場から動こうとしなかった。
何か言いたそうに口をまごつかせているので「どないしてん?」と毛利が尋ねると、ゆめこは「えっと」と言い淀んだ後、意を決したように口を開いた。

「さっき、寿奈さんにお会いしたんですけど」
「あー、姉貴に?」
「はい。その、それで・・・、お母さんのことお聞きしまして」

"お母さん"というワードに、毛利の眉がぴくりと動く。

「私今まで何も知らずに、無神経なこと言っちゃってたんじゃないかって。だから、その・・・ごめんなさい」

今にも泣きそうな顔で謝罪するゆめこに、毛利は小さく首を横に振る。

「ゆめこが謝ることちゃうやろ」
「で、でも」
「ごめんな。俺もいつか言おうと思ててんけど・・・結局言われへんかったわ」
「・・・」
「驚いたやろ?」

俯いたままこくんと頷くゆめこに、毛利は困ったようにがしがしと頭を掻く。たしかに母親を失ってしまったことはショックだったし、今でもあの日のことはよく思い出す。けれど、だからと言ってゆめこが気に病むようなことではない。
毛利ははぁと大きく息を吐くと、「あんなぁ」と口を開いた。

「ゆめこと出会うたおかげで大分吹っ切れとるし、ゆめこには感謝しよるよ」

先程の寿奈と同じようなことを言う毛利に、ゆめこの目頭がつんと熱くなる。ずっと我慢していたが限界だった。
突然ぽろぽろと泣き出したゆめこを見て、毛利はぎょっと目を大きくさせた。

「ちょ、ゆめこ・・・!泣くのはやめんせーね」
「うっ、ごめ、なさ・・・、でも」

これまでの毛利の心境を考えて、ゆめこの瞳からは自然と涙が溢れ落ちていた。
私が泣いたところで寿三郎さんを困らせるだけなのに。
分かってはいるが、どうにも泣き止むことが出来なかった。

そんなゆめこに毛利は何と声をかけるべきかおろおろしながら考えていた。しかし何も気の利いた言葉が出てこない。彼は言葉にするのを諦めると、そのまますくっと立ち上がってゆめこをぎゅっと抱きしめた。
そんな毛利の行動に、最初こそ驚いたようにびくりと体を揺らしたゆめこだったが、ぽんぽんと頭を撫でながら「大丈夫、大丈夫やから」と繰り返しあやしてくれる毛利の言葉に、次第にゆめこの嗚咽は落ち着いていった。
毛利の優しい声と体温に、胸の奥がじんりと熱くなる。

だめだ、やっぱり私・・・。

溢れ出す気持ちにゆめこはきゅっと毛利の服にしがみついた。言うなら今しかない。

「あの、私・・・寿三郎さんのことまだ好きです」

抑えきれず、ゆめこはそう言った。
もう寿三郎さんを裏切るようなことはしないから。だからどうか、神様・・・!
ゆめこは縋るような気持ちだった。毛利に別れを告げられ、自分がいかに毛利のことが好きだったか、改めて思い知らされたのだ。彼の優しさに甘えて自分勝手な価値観を押し付けてしまっていたことも、今ならよく理解出来ている。

ゆめこの告白に毛利は無言のまま、抱き締める腕に力を込めた。より密着したその距離は、まるで「俺も」と返事をしてくれたようでゆめこが嬉しくなったのも束の間。

「・・・ごめん」

パッと腕を離され、真顔の毛利と目が合った。
呆然するゆめこに、毛利は床に置いていた彼女の鞄を拾い上げると「・・・もう来たらあかんえ」と言いながら手渡した。
早く帰れと言わんばかりのその態度に、目の前が真っ暗になる。再び溢れ出してしまいそうな涙をこらえ、ゆめこは毛利から鞄を受け取った。突き放すような毛利の視線。
もう一度「好き」と伝える勇気はゆめこには無かった。

「わ、かりました」

ぽつりと呟くように返事をして、ゆめこはそのまま逃げるようにその場を去った。パタンと扉が閉まり、階段を駆け降りていく足音が聞こえる。
一人になった毛利は、すとんとベッドに腰を下ろすと

「はあぁぁ〜・・・」

と盛大な溜め息を吐き出し、自身の頭を抱えた。
思いがけない彼女の告白に、うっかり「俺も」と答えそうになった自分を責めたい。

ちゃうやろ、ゆめこ。
ゆめこが本当に好きなんは・・・、俺やないんよ。

本人に言ったら全力で否定されそうだけど。なんて思いながら、毛利はいまだゆめこの温もりが残る両手をぐっと握りしめた。
いっそのことゆめこへの気持ちも全部消えてしまえばラクになれるのに。どうやら当分は無理そうだ。

「はー、ほんまに苦しい・・・」

引き裂かれそうな胸の痛みに悶えながら、毛利は一人呟いた。





(20220924/由氣)→167

家族設定は捏造




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