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(みんなトチ狂っちゃったの?/立海all)

金井総合病院。
この湘南で最大規模の病院の診察室に幸村はいた。
目の前には中年で小太りの先生が、目の前に広げられたデータを穴が空くのではないかと思うほどに見つめていた。
まるで白いカーテンの一点のシミさえも許さないといった様子だ。

幸村の隣では、幸村の母親百合子が、その主治医の先生を一心に見つめている。
こちらも主治医のわずかな表情の変化さえも見逃すまいと鬼気迫る様子だ。

「天野川くん、今朝の血液検査と筋力テストの結果を」

天野川木子(あまのがわきこ)がすぐに印刷物を先生に手渡した。
天野川木子は幸村の担当ナースで双子の姉の方だ。

先生はまたしてもその紙に顔を近付けてじっくりと確認した。
そして、ぱっと顔を上げたかと思えば、幸村の方を見てにかっと笑った。

「おめでとう幸村くん、薬が効いているようだね、いい数値がでている、退院の方向で問題無さそうだ」

一息でそう言い切った先生に、百合子はふぅと安堵のため息を吐いた。
そして先生に深々とお辞儀をする。

「ありがとうございました、本当に先生のおかげです」

「いやいや、お母さん、先日も説明しましたが、完治ではないですからね、退院後も3日に一回は血液浄化療法のため通院してもらわないといけないし、家でも点滴を続けてもらいますよ、今は薬が効いてくれてはいるがそれもいつまた変わるか分かりません、まだまだ解明されていない病気なので」

百合子に主治医は早口で説明した。
しかし百合子は「理解しています、ですがまた精市が家に帰って来てくれることが嬉しいんです」と涙ぐんだ瞳をハンカチで拭いながらそう言った。

「先生、学校にはいつから行かせていいものでしょうか?」
「そうですね、本来ならば家で安静にして頂きたいところではありますが・・・中学校は義務教育ですからね、体育は不参加等の条件は付きますが、退院後も数値が変わらなければ通学の許可を出しましょう」

主治医の回答に百合子はまた「ありがとうございます」とハンカチで涙を拭った。

「幸村くんも頑張ったね、リハビリも毎日続けてみんな感心していたよ、他に質問はありますか?」

「部活に参加可能ですか?」

そう聞いたのは、幸村だった。退院と聞いても嬉しそうな顔ひとつしなかった彼が無表情のままそう聞いた。

「部活?そうだな、無理すべきではないが、1日30分以内の文化系の部活であれば」

「テニス部です」

幸村は主治医の話を断ち切った。

「朝練1時間半、夕練2時間半、土日は1日、休みは月1回のみの強豪テニス部」

先ほどまで幸村を誉めていた主治医は今や顔を真っ赤にしていた。

「良い訳が無かろう!屋外ならば見学も許可できん!」

百合子は大慌てでお詫びをした後、幸村の手を引いて診察室の外に出た。
そして幸村に向いて「もう、精市は大人しくここにいなさい」と叱りつけ、百合子が1人で診察室へと戻って行く。

診察室の中からは母親が退院に関する詳細を聞く声が聞こえた。

1人残された幸村は、窓の外へと視線を移した。

2階の診察室であるために、すぐ外に木があった。ここでの入院生活が始まった12月は枯れ木だったのに、今見ればいつのまにか真緑の新しい葉や芽が出ている。

ゾッとした。
季節が変わるくらいの長い時間をここで過ごしたのだと再認識したのだ。

皆はこの12月も1月も2月も学校で学んで、部活で練習して、青春して、そんな時間を過ごしていたのに、俺の時間だけが止まっていた。

正直に言えば、幸村は退院が、そして復学が怖かった。

今この状態でもテニスがしたくて体が震えるのに、学校の窓からテニスコートが見える環境でそれを出来ないというのは、どんな地獄だろうか。

少し考えてみただけで、身が焼かれるような気分だ。

「幸村くん」

柔らかな声がして、幸村が顔を上げると、そこにはゆめみの母親が立っていた。
シンプルな白衣なのに、宝石でも纏っているかのような華やかな雰囲気があるなと幸村は思う。
実はいつも会うと心が浮かれると感じていた。そのゆめみを思わせる綺麗な顔が、数十年後の彼女の想像をかき立ててしまう。

「ゆめだ先生、おはようございます」

幸村が丁寧な挨拶をすると、ゆめみの母親は両手を振って「やめてやめて、娘のお友達に先生だなんて、ゆめみママでいいのよ」と慌てた。
ママと呼ぶのには少し抵抗があるが、柳もゆめみママと呼んでいたのを思い出して「ゆめみママ」と言い直せば、彼女はにっこりと微笑んだ。

「今日お誕生日なんですってね、おめでとう、これをプレゼントするわ」

ゆめみに聞いたのだろうか、ゆめみの母親が差し出したのは、カットされたパウンドケーキだつた。綺麗な透明な袋に入り、リボンもついていた。

「ゆめみが幸村くんの誕生日に向けて作っていたんだけど、失敗したと言って持っていかなかったものなのよ」

ゆめみの手作りお菓子。素直に「ありがとうございます」と受け取った幸村。

「見た目はとても美味しそうですが」
「ふふ、いちじくを入れすぎたと言っていたわ酸味が強いけど美味しいわよ」

「ゆめみは幸村くんにはいつも一番良いところだけをあげようとするのよ」と続けて思い出したように言った。

週明けに母親と作ったと手作りお菓子をもらうことがあったが、それは全部自信作だけだったのかと思うと、嬉しいような、もったいないようなそんな気がした。

「俺は例え焦げていても、ゆめみが作ったものなら嬉しいです」

ゆめみの母親はその言葉にグッと親指を立てた。また持って来てくれるという素振りに見えて嬉しいと思う。

ゆめみの母親が立ち去った後、幸村はそのバウンドケーキを見つめていた。

「ゆめみからの誕生日プレゼント、と考えてもいいかな」

幸村はすっかり落ち込んでいた気分が少しだけ上向いたのを感じた。
3月5日。14歳の誕生日。
本当ならば、ゆめみにも祝ってもらいたいと幸村は思っていた。

でもそれは叶わない。
幸村はそのバウンドケーキを額に当てた。

ようやく診察室のドアが開いて、母親がニコニコしながら中から出てくる。
しかし幸村と目が合うと、先程の態度を咎めるように少し怒った顔をした。

「外出許可は出たのかい?」

幸村の問いに百合子は「就寝時間までに戻ってくれば問題ないそうよ」と返した。
「良かった」と口ではそう返した幸村であるが、心は沈んだ。

ゆめみに会えない理由、それは誕生日当日に両親が幸村の外出許可を申請して、自宅でお祝いすると言い出したためであった。
誕生日当日まで病院で過ごすことに対する母親なりの気遣いであるだろうが、幸村は正直余計なお世話だと思った。
もしこのまま病院で過ごしていれば、ゆめみや仲のいい友人達がお祝いに来てくれただろう。
もう中学生2年生だ、思春期なのだから少しは考えてくれてもいいのに。
しかし今回の入院で母親に心配と迷惑をかけてしまっていることは理解しているので、幸村はワガママは言わなかった。

「精市の気持ちは分かるけど、先生を困らせるようなことを言ってはダメよ、こうして立って歩けるだけでも感謝しないと」

母親は歩きながら幸村に小言を言う。
一時は一生ベッドの上から出られないか、生死に関わる可能性だってあったのだ、運動が出来ないくらいなんでもないわと母親は本気でそう思っていた。

「そのようだね」

幸村のまるで他人事のような返事に、母親は小さくため息を吐いた後、振り返ってにこりと微笑んだ。

「退院は来週の3月13日、学校には新学期から通学していいそうよ・・・全て経過次第とは言われたけど、良かったわね」








その後幸村は母親と自宅に帰り、父親と供に食事をした。早い時間に帰って来た妹と久しぶりの家族団欒を過ごした幸村は、また母親の運転する車に揺られて病院へと帰っていた。
車のカーナビ上に映る時刻は18時半だった。日はすでに沈み、暗闇が訪れている。

憂鬱だと思っていたのに、実際に自宅に帰ってみると、やっぱり家が最高だと思わざるを得ない。
自分好みに整えられた部屋や、好きな植物ばかりを植えた庭、食べ慣れた料理、何をしても誰にも監視されず、他者を気にする必要の無い空間に、心からほっとした。

幸村はチラリとスマホを見た。
いつも忙しなく通知がくる『いつメン』というグループチャット、テニス部2年生レギュラー7名とゆめみとゆめこが入っているチャットには、昨日柳生がおすすめの推理小説を投稿してから止まっていた。

誰かが気付いてここにお祝いのメッセージを投稿してくれてもいいのに。
ゆめみからも今日は珍しくなんの連絡も無かった。俺の誕生日を知っているはずなのに。

忙しいのだろう、でもやはり寂しいものだな。

車が止まって、幸村は不思議に思う。
窓の外に視線をずらせば、そこは病院とは違う場所だった。
スマホを見ていて気付かなかったが、真田の家だ。

「真田くんから道場に立ち寄ってほしいと言われたのよ」
「道場の方かい?」

なんでわざわざ道場の方なのだろう?と疑問に思うも、テニス部の部誌の受け渡しか何かだろうと思い幸村は外に出た。
塀沿いに歩いて行けば、道場の入り口がある。街頭はついているものの、誰もいないかのように道場は真っ暗だった。

幸村はガラッと道場のドアを横に開けた。
その瞬間だった。

パッと明かりがついて、パァンとクラッカーが鳴った。
そして、弾けるような笑顔が飛び込んで来た。

「部長!」
「「「幸村!」」」
「「「幸村くん!」」」
「「精市」」

切原、真田、ジャッカル、仁王、ゆめこ、丸井、柳生、柳、そしてゆめみ。

「お誕生日おめでとう!」

幸村は驚きのあまり、目を見開いて硬直した。
9人が一斉にならしたクラッカーの紙テープが幸村の髪についている。

ゆめみはくすくすと笑いながら、その紙テープをゆっくりと取り除いた。

「精市、14歳のお誕生日おめでとう」

幸村は体が震えるのを感じた。
感情の渦がどっと押し寄せて、息が出来ない。固まったままの幸村の手をゆめみは弾ける笑顔で引いた。

「さぁ、パーティの時間ですよ!」

慌てて靴とコートを脱いで道場の中へ入れば、ちゃぶ台がいくつか並べられており、そこにはパーティメニューらしい、ピザやサンドイッチ、唐揚げ、フライドポテトなどが可愛い盛り付けと供においてあった。

奥の壁は風船を使ったデコレーションで飾られており、『幸村お誕生日おめでとう』と書かれた真田の書がそこだけ和風で飾ってある。

みんなわいわい言いながら、そのちゃぶ台を囲うように座る。
全員が笑っていて、楽しそうだ。

それをぼんやりと眺めながら、幸村はようやくみんなが自分の誕生日のために集まって、準備してくれたのだと理解した。

「みんな、す」

『すまない』と言おうとして口を開いた幸村だったが、ゆめみが「精市はお誕生日席だよ」と言ってまた手を引いて幸村を座らせた。
そして「はい、ジンジャエール」と飲み物を渡されたので、思わず受け取った。

全員がにこにこ、にやにや笑いながら、幸村の様子を伺っていた。幸村が驚いている姿に、サプライズが大成功したことに気がついていた。
幸村は皆のそんな楽しげな様子を見ることで、少しだけ冷静になった。
深呼吸を1つして、にこりと笑おうとしたが、上手くいかず涙目になる。
思わず俯いたが、すぐに持ち直して顔を上げた。

「考えてた以上に嬉しくて・・・ありがとう」

幸村の声が少しだけ震えているのに、みんなは気がついていたが、気がつかないふりをした。切原だけが「幸村部長、泣いてるんスか?」と言ったので、隣の柳から軽く小突かれる。
それが幸村のツボに入ったようで、今度こそ満面の笑みをした。

「うむ!では主役も揃ったところで、幸村の誕生日パーティーを盛大に取り行う!乾杯の挨拶は柳生に頼む!」

真田が仕切って柳生に乾杯の挨拶を頼むと、彼は立ち上がって一礼をした。

「幸村くん、お誕生日誠におめでとうございます!幸村くんが生まれた3月5日は二十四節気の啓蟄ですね、春到来を感じ虫たちが土から」
「ピロシ長いだろい」
「俺のコーラが蒸発するっスよー」
「仁王、気持ちは分かるが乾杯前に飲むのはマナー違反じゃねぇか?」
「プリッ」

丸井と赤也からブーイングを受け、仁王が待ちきれず飲んだとジャッカルが指摘する。
すでに飲み物を持った状態であったため、ゆめみとゆめこも「「おもーい」」と文句を言った。

「では一番大切なことのみ、この料理はゆめださんとゆめのさんが作りました」

実際は真田の兄のお嫁さんつまり佐助のお母さんと一緒に準備したものであるが、ジャッカルと丸井に「うちの天才シェフ!」「よっ、料理上手」と持ち上げられたので、ゆめみとゆめこはドヤ顔をした。
料理を改めてみると、ミートボールには刺さった爪楊枝には花のシールが貼ってあったり、サンドイッチはラップでキャンディのようにデコレーションされていたりと可愛い。
好きな子の手作りというのはもちろん、ゆめこが失恋したばかりで落ち込んでいることを知っているので幸村は嬉しかった。

「ゆめみ、ゆめのさん、ありがとう」

幸村の感謝の言葉がくすぐったくて、ゆめみはにこにこした。

「では幸村くんのお誕生日をお祝いして乾杯!」

柳生の声が聞こえて、全員思わず乾杯しようとしたが、柳生が固まっているので一瞬止まる。「仁王雅治の確率100%」と柳が言ったことで、それは仁王が言ったことだと認識して、大笑いした。
大爆笑しながらも、痺れを切らしたゆめみとゆめこが笑顔で飲み物を掲げた。

「「かんぱーい!」」

「「「かんぱーい!」」」

楽しいパーティの始まりだ。
付き合いの長い10人での時間は、幸村にとって自然体でいられる時間だった。






「そろそろケーキを出す時間ではないか」

食事の後、道場らしくカルタをして遊んでいると、柳が声をかけて来た。

「おっついに俺の出番だな!」

丸井が意気揚々と部屋を出て行き、すぐにケーキを持って帰って来た。
どうやら隣の部屋に置かせてもらっていたようだ。

「わーい!」
「ブン太くんのケーキ美味しいよねー!」
「俺おかわりするッス!」
「ほう!この仕上がりはまさに芸術と言える!」
「相変わらず良い仕事っぷりじゃのぅ」

その大きな、そして美味しそうなケーキに、ゆめみ、ゆめこ、赤也、真田、仁王から歓声が上がる。

「だろぃだろぃ、天才的だろぃ」

丸井は得意げにケーキにろうそくをさしていった。
ちゃんと14本ささったところで、はたと動きが止まる。

「やべ、マッチ忘れた」

「え」と全員がとりあえず柳を見た。
視線を感じた柳は「丸井がマッチを忘れる確率は52.9%だった」と言い、ポケットに手を入れた。
が出てきたのは、和紙だった。

「フッ俺は皆のドラえもんにはなれなかったようだな」

ゆめみは柳の渾身のギャグに笑ったが、他のメンバーには概ね不評であった。切原にいたっては「そういうのはいらないんスよ」と小声で言い、柳に睨まれていた。

「仁王くんのバッグに入ってはいないのですか?」
「ないのぅ」
「真田の家には無いのか?」
「確認したが無いようだ!」

柳生とジャッカルの確認に、仁王と真田が答えて、いよいよこの家のどこにもマッチが無いと分かった。

「みんなありがとう、火がついていなくても俺は構わないよ」

ついに幸村がそう言って場を収めようとしたが、ゆめみはやっぱり誕生日にはろうそくの火が必要だと思った。

「私買ってくるよ」

ゆめみは立ち上がって言った。

「俺がお供しよう!」
「ならば俺も行こう」
「一緒に行こうか?」

真田、柳、幸村がほぼ同時に同じようなことを言って立ち上がった。
ゆめみは首を傾げて「1人で大丈夫だよ?」と言った。

1番近くのコンビニはここから5分もかからない場所にある。夜とはいえまだ20時前だ。

「何を言っておる!人攫いにでも会ったらどうするつもりだ!」
「夜の独り歩きは危険だ」
「遠慮は無用だよ」

諦めない真田、柳、幸村に、ゆめみは困って他のメンバーの顔を見た。
ゆめこ、丸井、仁王、柳生、ジャッカルはこれは面白いものを見たと言わんばかりににんまり笑っており、1人状況が分からない赤也が口を挟みそうな場面であるが、彼は唯一の1年生でここで口を挟めば自分がパシられることを知っているのでだんまりを決め込んでいた。

「確かにレディーお1人で行かせるのは少し良心が痛みますねぇ、しかし4人で行く必要は無いでしょう」

柳生が至極真っ当なことを言った。
一瞬にして真田、柳、幸村の3人は顔を見合わせる。そして誰よりも先に幸村が口を開いた。

「今日は俺の誕生日だったよね?」

その一言に、誰も異議を申し立てることは出来ない。
幸村がコートを羽織り出すのを見ながら、ゆめみはさらに首を傾げた。
みんなが幸村が行くことになったことになんの疑問も抱かないことが理解出来ない。

「みんなトチ狂っちゃったの?」

普通に考えて、主役を買い出しに行かせるなんて、変である。
しかし幸村の気持ちを知っている皆は、にやにや笑って「いってらっしゃーい」と手を振るだけであった。




ゆめみと幸村は、コンビニまでの道を2人で歩いて行く。
サプライズパーティへのお礼を幸村が改めて伝えると、ゆめみはふわふわ笑って「精市の人徳だよ」と言った。

ゆめみはまだ2日に1回は幸村のお見舞いを続けており、久しぶりという感じではなかったが、病院の外で2人きりでいるのは、1月の中旬以来だ。
暗がりのせいか、ゆめみは少し大人っぽく見えた。

「ゆめのさん、まだ辛そうだね」
「そうなの・・・でも精市の誕生日の準備も手伝ってくれたんだよ」

毛利先輩と別れたことでゆめこが元気がないという話をゆめみから聞くたびに幸村も心配をしていた。
ゆめみがゆめこのことを心配しているから早く元気になってほしいと言う気持ちももちろんあるが、やはりいつめんの仲良し9人グループの仲間である彼女には純粋に幸せでいて欲しいと思っていた。

「俺に何か力になれることがあったらいつでも言っていいよ」

ゆめみは幸村の気持ちが嬉しく「ありがとう」と返事をした。
コンビニに到着してマッチを入手すると、また真田の家へと引き返した。
信号が赤だったので、先に道を渡ると、歩いて来た道とは反対側の道を歩くことになった。

パコーン!とテニスボールがラケットに当たる音がして、幸村は足を止めた。
振り向くと、そこはテニススクールだった。
真田と幸村が幼少期に通っていたテニススクールだ。
フェンス越しにライトに照らされたテニスコートが見える。

「・・・懐かしいな」

幸村の言葉に、ゆめみもテニスコートの方を向いた。この道は駅に向かう途中でも通るため、ゆめみは真田から幸村とここで出会ったという話を聞いて知っていた。

「俺、4月からまた学校に通うことになりそうだ」

幸村はぽつりとそう言った。
その言い方はゆめみに話すというより、独り言のようだった。しかしゆめみはその違和感にすぐに気がつけず、言葉通りに受け取った。

「すごい!嬉しい!また一緒に学校で過ごしたりできるね!」

明るい声で、笑顔になってしまったゆめみは、幸村の表情が冴えないことに、言葉を言い終えてから気がついた。

しまった、と思った。
幸村にとって学校に戻ることが必ずしも嬉しいことでは無かったかもしれないのに。
自分の一方的な感情で、幸村を傷付けてしまったかも、とゆめみは慌てた。

一方幸村は、ゆめみの明るい声に救われていた。
学校に行くことへの不安は、先程皆に誕生日を祝ってもらったことで少し解消されたところだった。
このメンバーでの学校生活がまた送れるのは純粋に嬉しいと思い直したのだ。

しかしこうしてテニスを思い出すような場面に遭遇すると、どうしても考えずにはいられない。

『もうテニスは無理だろう』という主治医の言葉。

学校に行っても、部活には参加出来ず、見学さえも認められない惨めさ。
誰も口には出さないかもしれないが、心の中では『部長のくせに』と思われるだろう。

どこにもぶつけられない、テニスができないという悲しみに幸村の気持ちはどんどん沈んでいった。

そんな幸村を隣で見ながら、ゆめみは一生懸命に元気づける言葉を考えた。

「精市、あのね」

ゆめみが声をかけると、幸村はゆめみの方を見た。ゆめみと幸村の身長差は20センチくらいあり、少し見上げる形となる。

元気のない幸村を見つめながら、本気でなんと言っていいかわからなかった。
でも何か伝えたい、自分は幸村の味方であることを。
その幸村の今にも泣き出しそうな綺麗な瞳に吸い込まれそうだと思った。

その時幸村もゆめみだけを見ていた。
ゆめみが自分を元気付けようとしてくれているのは痛いほどわかっていたし、その気持ちがとても嬉しかった。

ゆめみの心配そうな瞳は潤んでおり、キラキラと綺麗だ。

その瞳に吸い込まれそうだと考えていると、ゆめみは急に目を閉じた。

一瞬のことだった。
唇に柔らかい感触を感じた。

ゆめみは少しだけ背伸びをして。
幸村の唇に少し触れるだけのキスをしていた。

唇が離れる。
今、何が起きたのだろう。
幸村は理解が追いつかずに、ぼーっとゆめみを見ていた。
背伸びをしたゆめみ自身も何が起こったのか分からなかったようで、大きな瞳でパチパチと瞬きをしていた。

最初は何も映っていなかった瞳が幸村を捕らえると、頬がピンク色に染まった。
ようやく何をしてしまったのか理解したようだ。

幸村は高揚しつつも、頭の一部は冷静にゆめみを観察していた。おそらく予定していたことでは無かったのだろうと思った。

「ゆめみ、どう考えたらいいのか教えてもらってもいいかい?」

控えめに聞いてみた幸村に、明らかに動揺するゆめみ。

「・・・誕生日プレゼント?」

なぜか語尾にクエスチョンマークをつけながらも、ゆめみはそう答えた。

誕生日プレゼントか、オッケー。

なんでもないフリをしたいのだろうと思ったが、出来ておらず、照れるゆめみが可愛くて仕方ない。

「ゆめみ」

幸村は俯いたゆめみを呼んだ。
ゆめみが顔を上げると同時に幸村は少し屈んで。そっと抱きしめた。
そしてもう一度キスをした。
今度は触れるだけではない、優しく甘いキスだ。

ゆめみは抱きしめられながら、ドクンドクンという幸村の心臓の音を聞いていた。
幸村を全部で感じていた。
その感覚はとても甘美で、自然で、なぜかずっとそうしたかったような気もした。
自分から離すことが出来ずに、ゆめみが硬直していると、幸村は長い時間を経て、ようやく唇を離した。

見つめ合う2人。
ゆめみは不思議そうだ。
幸村はにこ、と微笑んだ。

「このプレゼント今返すよ、俺には過ぎたものだと思うからね」

ゆめみはなぜかなーんだと思った。
返されただけか、と。
そこには深い意味が無いように思えた。
おそらくゆめみの恋愛経験上対処できないことが起こったので、脳が単純解釈をしたのかもしれない。

「そろそろ戻ろうか」

幸村はそう言って、ゆめみに手を伸ばした。
ゆめみは反射的にその手を掴んでいた。

2人はゆっくりと歩き出した。

「すでにゆめみからの誕生日プレゼントはもらったんだよ」
「え、どうして?」
「ゆめみママがくれたんだ」
「あ、もしかしてケーキ?すっぱくなかった?」
「フフ美味しかったよ」

そんな軽い会話をしながらも、2人の頬はバラ色に染まっていた。
しかしどんなに熱くても、道場に着くまでの間、手だけはぎゅっと繋いで離さなかった。

道場に戻った後、2人の様子が少し変なことに気付く者もいたが、幸村が『来週退院して、4月から学校に復帰することになった』と告げたので、その話で盛り上がり、直接何があったのか聞かれることは無かった。

ケーキのろうそくは14本灯り、みんなでお祝いすることが出来た。
幸村はその後みんなからたくさんのプレゼントをもらい、笑顔で病院に帰って行った。


Happy Birthday SEIICHI!!






(221007/小牧)→171

手塚くんもHBD!

湘南ボーイとしては、やられっぱなしではいられないな。




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