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(俺の側から離れんとって/白石・リョーガ)

「吸い込んだ空気を全身に送るイメージで〜、リラックスしていきましょう」

ヨガのインストラクターに言われるがまま、ゆめこは瞳を閉じて深呼吸を繰り返す。
ハワイ2日目。ホテルのプライベートビーチでは早朝からヨガ教室が行われており、数名の参加者の中にはゆめこと白石の姿があった。彼らはみなビーチにヨガマットを引き、スカーサナという胡座のようなポーズで全身に朝陽を浴びていた。

こうしてゆっくり呼吸しているだけで頭がスッキリしてくる。白石の影響ですっかりヨガにハマっていたゆめこは、自分の息の音、波の音に耳を済ませていた。

「はい、では目を開けて〜」

穏やかなインストラクターの声にゆめこはゆっくりと目を開ける。そしてちらり、と隣の白石に目を向けた。ぴんと姿勢よく佇む姿が驚くほど絵になっている。
心なしか他の参加者の女性達もちらちらと白石を見ているような気がして、ゆめこはやっぱりなと思った。女子大生や主婦が多い中、メンズの参加者は白石だけで、しかもこれがまた超がつく美少年だったため彼はずば抜けて目立っていた。

「では、次はプランクをやっていきましょう」

インストラクターの声に、ゆめこはまた正面を向く。無料で貸してもらったヨガマットに腕を預け、ゆめこはプランクのポーズをとる。これが見た目以上になかなか厳しい。全身の筋肉を鍛えるにはもってこいだが、逆を言えばある程度の体幹と筋力が無ければ姿勢を保つこと自体が難しいのだ。
ゆめこも最初の内は30秒ももたなかった。しかし毎日の積み重ねの成果か、今ではすっかり安定した姿勢を保てるようになっていた。

「ゆめこちゃんやるなぁ。全然余裕そうやん」
「そうかな?でもさすがにもうプルプルしてきたよ」

そう言ったゆめこの二の腕は僅かに震えていた。「はい、楽にしてくださ〜い」と言われた瞬間、ゆめこは「はぁ」と大きく息を吐いてヨガマットに倒れ込んだ。

「じゃあ次は二人一組になってやってみましょう」

そんな声が聞こえてきて、ゆめこは「え?」と顔だけ上げた。特にヨガ教室に通うことはせず、いつも動画サイトを観ながら一人で黙々とヨガをしてきたゆめこは二人で出来るヨガがあることを知らなかったのだ。

ふと視界に手が飛び込んできて、ゆめこはその腕を目で辿る。すると、白石がにこりと笑って手を差し伸べてくれていた。

「立てるか?」
「あ、うん。ありがとう」

ぐい、と力を入れて引っ張ってくれたおかげで、力が抜けていたゆめこもすぐに立つことが出来た。

「前屈のポーズをしていきますよ〜」

「前屈だって」とゆめこは白石を見上げる。白石は既にこのポーズを知っていたのか、

「俺の方が重いし、ゆめこちゃん上でええよ」

と言った。「上?」とゆめこは首を傾げる。一人が前屈のポーズをして、もう一人はその背中に両手両足を伸ばした状態で仰向けになるらしい。そのことで下にいる人は深く前屈ができ、上にいる人は背骨を伸ばすことができるのだ。
白石の説明を聞いたゆめこは、早速前屈している白石の背中に横になった。しかし彼女には気になることがあった。

「重いよね、ごめん」

背中に乗りながら申し訳なさそうな声で言うゆめこに、白石はぷっと噴き出す。

「全然重ないで」

むしろ好きな女の子との思わぬ密着に、白石は役得だなくらい思っていた。白石が気を遣って言ってくれていると思ったゆめこは「優しいね、さすがです」と絶賛するのだった。

「次は逆になってやってみましょう」とインストラクターに言われ、ゆめこはいそいそと白石の上から降りる。

「逆だって」
「あー、せやけど俺上乗ったら苦しいんちゃう?」
「大丈夫だよ。私体柔らかいし」

「見て、ほら」と得意気に屈伸してみせるゆめこに、白石は苦笑を浮かべる。躊躇う白石にはお構いなしに、ゆめこはヨガマットに座ると「はい」と言って自分の背中を差し出した。

「苦しかったら言うてな」

ゆっくりと遠慮がちに白石が背中に乗ってくる。

「全然大丈夫だよ。もっと来て」
「ほんまに?」

言われるがまま、白石はゆめこの背中に体重を預けていく。ゆめこの体は前屈でほぼ半分に折り畳まれているような状態だが、それでも彼女は平気そうだった。

「ゆめこちゃん、毎日ヨガやってくれとるってほんまやったんやなぁ」

白石はしみじみとそう言った。

先程のプランクといい今の前屈といい、一朝一夕で出来るようになるものではない。日々のメッセージのやり取りで何度かヨガの話題になり、ゆめこが毎日ヨガをやっていると聞いてはいたが、それがその場しのぎの調子合わせではないと分かり、白石は嬉しくなった。

「ヨガに出会えたのは白石くんのおかげだよ」

背中を合わせているので顔は見えないが、ゆめこは明るい口調でそう答えた。

彼女はいつもそうだ。自分が勧めたものを否定することなく、全て受け入れてくれる。

ヨガや健康体操のことを話すと、「え?男がヨガ?」「健康に気遣うの早すぎやろ」なんて返されることもあった。毒草もそうだ。「毒〜?こわっ」なんてリアクションをされることもある。

でもゆめこはいつも「それでそれで?」「もっと教えて」なんて言ってくれるのだ。
自分に対して下心がある子が自分に理解のあるフリをして聞いてくることはあったが、そんな上辺だけの興味はすぐに見抜くことができる。

ゆめこのように邪な気持ちが無く寄り添ってくれる子は他にはいなかった。彼氏がいる時もいない時もゆめこの態度は変わらなかったので、白石にとってゆめこは信頼をおける人物であった。彼女のことを知る度に"好き"という気持ちがどんどん加速していく。
白石は背中にゆめこの体温を感じながら、その恋心をさらに大きくさせるのだった。




それから基本的なポーズをいくつかして、最後に再びスカーサナのポーズで精神統一をすると、その日の早朝ヨガは終わりとなった。

時刻はまだ8時にもなっていない。
昨日の疲れを癒すためにも、朝食はゆっくり9時からとみんなとは約束しているのでまだ1時間以上空きがある。

他の参加者達が次々とビーチを出てホテルに戻っていく中、ゆめこは「んーっ」と両手を空へ突き出しながら水平線を見ていた。すっかり太陽が顔を出し、ダイヤモンドヘッドを照らしている。神々しくもあるその景色をもう少しだけ見ていたい気がした。

「綺麗やなぁ」

そんな彼女の気持ちを汲んだのか、白石はすっとゆめこの隣にやって来た。好きな子とこんなにも美しい景色を観れるなんて、と白石は少し雰囲気に酔っていたが、

「ねぇねぇ、白石くん。白石くんのそれって水着だよね?」

とゆめこが聞いてきて、白石は一気に現実に引き戻された。
まさかハワイでヨガをやることになるとは思っていなかったので、ヨガウェアを持ってきていなかった白石の格好はTシャツに海パンだった。
「そうやけど」と返事をすると、ゆめこの顔にみるみる花が咲いた。

「ちょっと泳いでいかない?」

ワクワクが溢れた、子供ような笑顔でゆめこは言った。

「ええけど、ゆめこちゃん服濡れてまうやん」

ゆめこはTシャツに膝上丈のショートパンツを履いていた。しかしゆめこは「うふふ」と口元に手を当て得意気な顔をすると、

「こんなこともあろうかと、実は中に水着着てきたの」

とそのTシャツに手をかけた。今にも脱ぎだしそうな彼女に、白石は「ちょ、待っ・・・!」と慌てて止めに入る。

「どしたの?」
「あ・・・いや」

ゆめこは水着になるだけ。分かっていても目の前で堂々とTシャツを脱ごうとしている彼女を直視することができなかった。しかし変に意識してしまっていることを申告する勇気も無く白石は「なんでもあらへん」と答えた。

「そっか」とゆめこは特に気にする素振りもなくTシャツを脱ぎ始める。白石は咄嗟に目を瞑った。

「白石くん?」

服を脱ぎ終わり白石の異変に気付いたのか、ゆめこは不思議そうに彼の名前を呼んだ。
そろーっと目を開けると、そこにはピンクのギンガムチェックの水着を着たゆめこがいた。ワンピースタイプでほんの少しだけ安心したがそれも束の間。なぜか妙にいやらしく見える。なぜだろう。白石は一瞬の内に考えた。

しかし答えが出る前に「去年の水着まだギリギリ着れたんだ〜」とゆめこが言ったことで白石はハッとした。
そうだ、サイズだ。サイズがピチピチだった。
ここ一年の成長期でゆめこの体はすっかり丸みを帯びていて、僅かにサイズアウトした水着が体の曲線を強調してしまっている。

「あかん」

白石は目元を手で覆いながら空を仰いだ。
まだ朝早く、しかもプライベートビーチなので自分達以外誰もいないのがせめてもの救いだった。
こんな姿は他の誰にも見せたくない。
しかしそんな彼の葛藤をゆめこは知る由もない。

「私泳げないから一緒に行こ?」

Tシャツの裾を掴まれ白石はゆっくりと顔を下げる。上目遣いでこちらを見ているゆめこ。その下には胸の谷間。白石はくらりと目眩を覚えた。
なんとか理性を保ち「泳げないってほんまなん?」と聞き返すとゆめこは少しだけ恥ずかしそうに「ほんま」と言った。

「だから押さえててね」
「ええよ」

白石は自分の腕を差し出した。
ゆめこは白石の腕にしがみついたまま、一歩、また一歩と海に足を沈めていく。
朝ということもあり「まだちょっと冷たいね」とゆめこは言った。お腹の辺りまで海に入ったところで二人は足を止める。

「白石くん、私たちハワイの海に入ってるよ!すごくない?」
「ほんまやなぁ!」

ハワイの海に入っているという事実を客観的に俯瞰して、ゆめこはきらきらと瞳を輝かせる。飛行機の中からも、着陸する寸前にハワイの海を見ていたゆめこはその美しさに感動していた。絶対滞在中に海に行く!と心に決めていたゆめこはこうして一つやりたいことが叶って嬉しくなった。

少しだけパシャパシャと水遊びをして、二人は10分もしないうちに砂浜に戻ってきた。プライベートビーチの入り口にはカゴに入ったホテルのバスタオルが常設してあり、ゆめこ達はそれで体を拭きながら近くにあった白いサマーベッドに腰を下ろした。

「気持ち良かったなぁ」
「うん!ハワイの海って最高!」

きらめく海面、輝かしい太陽、荘厳たるダイヤモンドヘッド。完成されたら景色を眺めながら二人はそんな会話をしていた。

「こうしてるとさぁ、嫌なことも忘れちゃうよね」

ぽつり、とゆめこはそう言った。
決して暗い声ではなかったが、まるで自分に言い聞かせるように吐き出された台詞に白石は思わずゆめこに目を向けた。
視線は海に向けたまま、遠くを見つめている彼女の横顔がどこか寂しそうにも見える。彼女の口から直接聞いた訳では無いが"嫌なこと"には大体の検討がついていた。

「ゆめこちゃん、毛利先輩と別れたんやって?」

気付けばそう問いかけていた。
バッと振り向いたゆめこは驚きで目を丸くさせていたが、次第に状況を理解したのだろう。「大ちゃんでしょ?」と眉尻を下げて笑った。こくりと頷く白石に「もう、おしゃべりなんだから」とゆめこはボヤく。

「フラれたって聞いたんやけど・・・」
「うん、バレンタインデーの日にね。・・・ごめんね、せっかく白石くんにも相談に乗ってもらったりしたのにさ。結局ダメになっちゃった」

ふにゃと笑うゆめこに白石の胸がどきりと鳴る。一つの恋を終えた彼女がなんだかとても大人っぽくて見えて、急に遠い存在に思えた。
ゆめこはまた海に視線を戻していた。同じ景色を見ているはずなのに、きっと彼女は自分とは全く違うものを見ているのだろう。白石はその横顔を見て察してしまった。

「もしかして毛利先輩のこと」

そこまで言いかけた時、再びゆめこがこちらを向いた。「まだ好きなん?」そう問いかける前に、

「まだ好きなんだよね〜」

ゆめこは困ったように笑ってそう言った。
ひどいフラれ方をしたと聞いていたのに。何が彼女をそこまで一途にさせるのだろうか。

「あっ、でもね。だいぶ吹っ切れてるんだよ。卒業式の日に最後に"さようなら"って言えたの」
「そう、なんや」
「うん。好きって言うのもこれで最後にします!って伝えたの。だから、もう・・・」

次第にゆめこの声が震えていく。

「忘れなきゃいけないのにね」最後にそう言った時には、彼女の頬を一筋の涙が伝っていた。

「ゆめこちゃん・・・」
「あ、ごめん。やだな、私。ハワイの海見たらセンチメンタルになっちゃったみたい」

笑って誤魔化しながら手の甲で涙を拭うゆめこ。
白石の胸がざわざわと揺さぶられ、気付いた時には彼女を抱きしめていた。お互い水着同士なので露出した素肌がぶつかり合っている。ゆめこは驚いて「えっ、と。白石くん?」と声をかけた。

「無理に笑わんでええよ」
「え?」
「こうしてたら泣き顔見えへんから」

そうしてより一層抱きしめる腕に力を込める白石に、彼が自分を気遣ってくれていることに気が付いた。ゆめこは「ありがとう」と言うとそっと白石の背中に腕を回した。温かい体温と優しい口調に、ゆめこも次第に落ち着きを取り戻していく。
そしていつメンといい白石くんといい、自分は本当に友達に恵まれているな、とゆめこは思った。自然と口をついて出た「優しいね」の一言。ゆめこが彼にそう言うのは、ハワイに来てもう3度目であった。

白石はゆっくりと体を離しゆめこの両肩に手を置くと、

「俺、優しいだけの男ちゃうよ」

と言った。
好きな子の不幸を喜んでしまうような狡い心も、その隙に付け入ろうとする打算的な考えも持ち合わせている。決してゆめこが想像するような聖者のような人間ではないのだ。白石はいつになく真剣な顔でゆめこの目を見つめていた。

ゆめこは一瞬意味が分からなかったのか「え?」と呆けた顔をした。しかしすぐに自分なりの解釈をしたのだろう、「そうだね。優しいだけじゃなく、面白いしかっこいいもんね」と返した。
褒めてもらえるのは純粋に嬉しいが、そのズレた解釈にはがくりと肩を落とさざるを得ない。『ゆめこちゃんのことが好きだから優しくするんやで』そう言ってしまえればどんなに楽か。しかし告白する勇気も持ち合わせていない白石は、「・・・おおきに」と礼を言うに留まった。







「今日はどこに行く?」

ホテルから大通りへと続く道を歩きながら、ゆめこは一緒に歩いていた大介、白石、謙也の3人に声をかけた。その手にはガイドブックについていたマップが握られている。

あれからホテルのレストランで朝食を済ませた一同は、一度部屋に戻り支度を済ませてから再集合していた。
ちなみにゆめこの両親と大介の両親は今日もイベントの準備があるので不在である。むしろ今日がイベント当日なので昨日よりも忙しいらしい。

「やっぱりメイン通りは歩いとかな、なぁ?」
「カラカウア通りのこと?」

大介の提案にゆめこは地図に目線を落とした。カラカウア通りとは、ホノルル市内の観光地として有名な大通りだ。旅番組などでハワイの特集が組まれる場合、必ずと言っていい程この通りが紹介される。
デューク・カハナモク像や巨大なバニヤンツリー、ロイヤルハワイアンセンターもこの通り沿いにある。
そのどれもがホテルから繋がる通りを右折した方角にあるということで、カラカウア通りに出ると4人は当然のように右に曲がって歩き出した。

春休み期間中ということもあり、通りは多くの観光客で賑わっている。途中でシェイブアイスを食べたりと寄り道をしながら歩みを進めていると、あっという間に有名な像が見えてきて、大介は「おっ」と弾んだ声を出した。

「これが有名なカメハメハ大王か!」
「違うよ、デューク・カハナモク像だって」
「なんやそれ」
「さぁ、詳しくは分からないけど。親戚?」

従兄妹同士でアホな会話を繰り広げていると、「いやサーフィンの金メダリストやろ、この人」と見兼ねた謙也が割って入った。

「へー、だからサーフボード背負ってるんだ〜」
「さすが医者の息子!博識やな!恐れ入ります」
「イジんなや」

それから4人はせっかくだからとデューク・カハナモク像の前で写真を撮った。有名な観光名所で写真が撮れたと4人は満足気に再び歩き出す。
しかしすぐに大介と謙也の二人が足を止めた。二人の目線はクヒオビーチに向けられていた。クヒオビーチはワイキキの海沿いにあり、その立地と美しさから常に観光客でいっぱいな賑やかなビーチだ。
そんな二人の視線に気付いたゆめこは「海行きたいの?」と尋ねた。

「俺らまだ海入ってないねん」
「蔵ノ介とゆめこは今朝入ったんやろ?」

大介の問いかけに、ゆめこと白石は揃ってこくりと首を縦に振る。

「俺ら海寄ってくから、二人はゆっくりデートもしてきてな!」

清々しい笑顔で大介はぐっと親指を立てた。白石は『またか』と頭を抱える。
"デート"という表現には特に触れず、ゆめこは「私たちも付き合うよ」と言った。しかし大介と謙也はそれを全力で拒否すると、逃げるようにクヒオビーチへと駆け込んで行くのだった。
「変なの」ゆめこはぽつりと呟いたが『まぁいつものことか』とすぐに思い直し、

「じゃあ私達はもう少し観光する?」

と同じく残された白石に声をかけた。
「せやな」白石が返事をして、二人はまたカラカウア通りを歩き始めた。クヒオビーチを過ぎると一気に人が減り、ホテルやショップの代わりに緑々しい景色が増えてきた。まるで森の中にあるようなホノルル動物園と、広大な面積を誇るカピオラニ公園が近付いてきたためだった。

「さすがにここまで来るとなんも無さそやなぁ」
「そうだね。でもこんな自然の中を散歩出来るなんて素敵!」

カピオラニ公園にはいかにもハワイ!と言ったヤシの木やモンキーポッドという巨大な木がたくさん植えてある。せっかくだし公園の中を散歩してみようか、と話をしていた時。耳馴染みのある音が聞こえてきて、二人は顔を見合わせた。パコーンパコーンという小気味の良いラリーの音。

「近くにテニスコートでもあるのかなぁ?」

二人はその音に誘われるかのように歩みを進めていく。すると、公園の中にフェンスで囲まれたテニスコートが見えてきた。しかも4面もある。

「すごーい、こんな観光地のすぐそばにテニスコートがある」
「ほんまやなぁ」

テニスコートは4面とも使われていた。
その内の一面で打っているのはアメリカ人男性の二人で、素人のゆめこから見ても彼らはテニスが上手かった。どちらも際どいショットを打っているのになかなか決まらず白熱したラリーが続いている。ゆめこはしばらくそのラリーに見入ってしまっていたが、一緒に来ていた白石の存在を思い出してハッとした。
ついつい熱中して白石くんの存在忘れてた、とゆめこは慌てて隣の彼を見たが、その横顔を見てゆめこはごくりと息を呑んだ。
彼はゆめこよりも集中してそのラリーを見ていた。
真剣な眼差しでボールを追いかける白石に、ゆめこはくすりと笑みを溢す。

四天宝寺中は現在大規模修繕工事中で、1週間ほど学校のコートが使えないと言っていた。だからこそこうして一緒にハワイに来ることが出来たのだが、やはりテニスが恋しくなってしまったのだろう。白石の気持ちを察したゆめこは、黙ってまたコートに視線を戻した。気の済むまで見ていこうと思ったのだ。

強烈なスマッシュが決まり、ラリーが途切れる。するとそのタイミングで二人は何かこそこそと話し始め、次の瞬間にはこちらに向かって歩いてきていた。
フェンス越しに「hey」と声をかけられ、ゆめこと白石はびくりと肩を揺らす。

「見てないで、一緒にやるか?」

流暢な英語でそう話しかけられた。白石もある程度リスニングが出来るのか「俺?」と自身に指を向けた。

「さっきからずっと見てただろ?テニスできるのか?ラケット貸すぜ」
「まぁ、できますけど。ええんですか?」
「もちろん!そこの彼女もやるかい?」
「いえ、私は・・・ホームラン打っちゃいそうだし」

ゆめこが恥ずかしそうに言うと、アメリカ人の二人はどっと大きな声で笑い飛ばした。とてもフレンドリーで良い人そうな人達だ。白石は申し訳なさそうな顔で「ゆめこちゃん」と名前を呼んだ。彼の言いたいことが分かったゆめこはにこりと満面の笑みを白石に向ける。

「せっかくの機会だし打ってきていいよ。私白石くんがテニスしてるとこ見たいし、ねっ?」

そう言うと、白石はぱぁっと顔を明るくさせた。「おおきに!」と言い、白石はフェンスの中へと入っていった。
いくつかあるラケットの中から一番しっくりくる物を貸してもらい、白石はコートに立つ。アメリカ人の一人がコートの外に立ち主審をしていたが、白石のサーブを見て「ひゅう」と口笛を鳴らした。
どうやら彼らから見ても白石のテニスは上手いらしい。

生き生きとテニスコートの中を走り回る白石を、ゆめこはフェンスの外で見守っていた。

「白石くん、楽しそう」

良かったねぇ、と親心が疼きゆめこはなぜか瞳をうるうるさせる。そうしてしばらく菩薩のような顔で見ていたゆめこだったが、3人が汗だくになってきていることに気が付いた。そういえば白石くん飲み物持ってないじゃん、とゆめこはハッとする。

確か公園の向かいにカフェがあったはず。3人がテニスに夢中になっていることを確認して、ゆめこはいそいそとコートから離れていく。
そうして公園を出ると、ゆめこの記憶通り向かいにはカフェがあり、そこで生搾りのパイナップルジュースとオレンジジュースをテイクアウトした。

紙袋に入ったジュースを持ちながらふんふんと鼻唄混じりに上機嫌で歩くゆめこ。今来た道を戻り公園に入ると、彼女は再びテニスコートを目指して歩き出した。が、ぽつと水滴が鼻に落ちてきて、ゆめこは「ん?」と空を見上げた。
先程まであんなに青空が広がっていたのに。自分の上空が曇り空に覆われており、ゆめこはすぐにその水滴が雨だと気が付いた。しかし急ごうと足を踏み出した瞬間、その雨はザーッと勢いを増した。

「嘘でしょ?!」

まるでバケツをひっくり返したような土砂降りに、ゆめこはあたふたと辺りを見渡す。どこか雨宿りできる場所・・・!と思うも近くに建物は無い。ゆめこは仕方なく近くにあった巨大なモンキーポッドの木の下に駆け込んだ。するとまるでそこだけが切り取られた空間のように雨が当たらなくなり、ゆめこは驚いた。

「自然ってすごいわ〜」

なんてしみじみ呟きながら、ゆめこはぼんやりと雨が降る様を見つめていた。白石くん達は大丈夫だろうか?せめて飲み物買って来るって一声掛けてくれば良かったなぁ、なんて思っていると、ザッザッザッと土を踏みながらこちらに猛ダッシュしてくる人物が目に入った。

あー、あの人も傘持ってなかったのかな?
なんだか仲間を見つけた気分になりゆめこは同情を寄せる。
木の下に潜り込んで来たのは黒髪の青年だった。あれ?なんか日本人に見えるな、なんて思っているとふとその人物が顔を上げばちりと目が合ってしまった。
不自然に顔を背ける訳にも行かず、ゆめこはぎこちない笑顔で「こんにちは〜」と声を掛けた。

「あれ?日本人?」

ゆめこの口から咄嗟に出た挨拶が日本語だったので、青年はきょとんと目を丸くした。

「お兄さんも?」
「・・・あぁ」

少し間があったが、青年はそう答えた。
この土砂降りにやられた同志が同じ日本人だという事を知り、ゆめこはほんの少し安心したような顔つきになる。

「これじゃあ出られないですよね〜」
「心配すんな、ハワイの雨は結構すぐ止むんだぜ」
「そうなんですか?」
「ああ。まぁスコールってやつだな。しかも止んだ後は高確率で虹が見られる」
「へ〜」

自分が振った世間話に雑学付きで返事をしてくれた青年に、ゆめこはそっと好感を抱く。だからハワイって虹モチーフの雑貨やお土産が多いのかな?などと思っていると、ふいに刺さるような視線を感じてゆめこは顔を上げた。黙ってこちらを見ている青年に、ゆめこはたまらず「どうかしましたか?」と声をかけた。

「それって、サービスしてくれてんの?」

なんの話か分からずゆめこは「はい?」と首を傾げる。青年はじっとゆめこの胸元を見つめていた。不思議に思ったゆめこが彼の視線を辿ると、白地のシャツが濡れてブラが透けており、ゆめこは「ぎゃっ」と色気の無い声を漏らした。
そんなゆめこのリアクションを見て、青年は「カッカッカッ」と豪快に笑う。

そして徐にパーカーを脱ぐと、

「これ貸してやるよ」

と、ゆめこの肩にふわりとかけた。「ちょっと濡れちまってるが、無いよりマシだろ?」なんて言われ、ゆめこはあわわと狼狽えた。「わ、悪いですよ!」と遠慮するゆめこ。
今にも脱いで返してきそうだな、と思った青年は「ん〜」と顎に手を当て何か考える素振りをすると、

「んじゃ、それ。代わりに貰っていいか?」

とゆめこが持っている紙袋を指差した。
白石と一緒に飲もうと思って買ってきていたジュースだった。むしろこんな物でいいんですか?と思ったゆめこは「もちろんいいですよ!」と勢いよく答えた。

「パイナップルとオレンジどちらがいいですか?」
「オレンジもあんの?ラッキー」

機嫌良くゆめこの手からオレンジジュースを奪う青年。

「オレンジ好きなんですか?」
「一番好き」
「それは良かったです」

たまたま買ってきた物が好物だったなんて。目の前の青年は目に見えて喜んでおり、ゆめこはホッと安堵の息を漏らした。

「そういえばずっと気になってたんですけど」

ゆめこは青年の手元を見ていた。
こちらに駆け寄って来た時からずっと、青年の手にはラケットが握られていた。

「テニスするんですか?」
「ん?あぁ、これか。まぁな」

ゆめこの視線が手元に注がれていることに気付き、青年はラケットを肩に担いだ。身一つ、ラケット一つな彼の姿に、もしかしたら彼は現地の人なのかもしれない、とゆめこは予想した。ハワイ在住の日本人は決して珍しいものではない。「ハワイに住んでるんですか?」とゆめこが質問すると、彼はふるふると首を横に振った。

「今はたまたまハワイってだけだな。ラケット一つで世界中旅してんだ」
「まじですか」

想像を絶する彼の答えに、ゆめこは驚きで目を大きくさせた。世の中にはすごい人がいたもんだ、なんて感心していると、「お、止んだみたいだぜ」と言われゆめこは視線を外に向けた。
太陽が顔を出し辺り一面を照らしている。急にカラッとした天気になったからか、じんわりと気温が上がり蒸しっぽい空気になってきた。じめじめとした土や緑の匂いが漂い始める。

「本当にすぐ止みましたね〜」

彼の言った通りだった。このまま虹も見れたら良いなぁ、なんて思っていると

「ゆめこちゃん!」

と名前を呼ばれ、ゆめこは声がした方に顔を向けた。白石がこちらに向かって走って来ている。「あ、白石くん」と手を振ろうとするも、彼の顔が険しいことに気付きゆめこはぎくりと背筋を伸ばした。

やばい、心配かけちゃった?
怒らせてしまったかもしれないとびくびくするゆめこをよそに、隣にいた青年は

「お?なんだ、彼氏持ちかよ。残念」

と喉の奥でくつくつと笑っている。

「お邪魔虫は退散するぜ。じゃあな、"ゆめこちゃん"」

と片手を挙げ背中を向ける青年。ゆめこは慌てて「あ、あの!パーカー・・・!」とその背中に向かって声をかけた。

「いっぱい持ってるから一つやるよ」
「えっ」

そう言ってふらりと去っていく青年にゆめこは呆気に取られる。「ほんとに行っちゃった」彼の後ろ姿を見送りながらゆめこはぽつりと呟く。しかし次の瞬間、がしりと手を掴まれゆめこは驚いて振り返った。白石がすぐそばまで来ていた。

「どこ行ってたん?心配したで」
「ご、ごめん。飲み物の差し入れを買いに行ってたんだけど途中で雨に降られちゃって」
「今の人は?」
「あの人も傘持ってなくて、一緒に雨宿りしてたの」

ゆめこの説明を聞き、白石は「はぁ」と大きな溜め息を吐いた。半分は安堵によるものだったが、もう半分は呆れだ。

「危ない人やったらどないするん」
「えっ?すごく良い人だったよ」
「それは結果論やろ。ハワイやからって安心したらあかん。俺の側から離れんとって」

真剣な顔で話す白石。
そんな彼の圧に負けたゆめこは、しょんぼりとしながら「ごめんなさい」と謝罪した。まるで叱られた幼子のよう、小さく縮こまってしまったゆめこに、白石は少々キツく言い過ぎたか?と思い直す。

「俺もテニスに夢中になってもうて、ごめんな」

バツが悪そうにそう言うと、ゆめこは「ううん、白石くんは悪くないよ」とぶんぶんと首を大きく横に振った。

「あ、これ差し入れです」

機嫌を伺うような視線でジュースを差し出すゆめこに、白石はフッと息を抜いて笑う。

「ほな、歩きながら一緒に飲もか」
「うん」

どうやらもう怒ってないらしい。その事に気付いたゆめこは嬉しそうに白石の隣に並んで歩き出した。そうして足並みを揃えながら公園の中を歩いていると、ゆめこは「そだ」と思い出したように口を開いた。

「テニスは楽しめた?」
「せやなぁ、楽しかったけど・・・」

そう言って口籠る白石に、ゆめこは「けど?」と続きを促す。白石は少し考える素振りをした後「余計にテニスしたなったわ」と困ったように笑った。

「あはは!じゃあ帰国したらテニス三昧だね」
「今年こそは全国優勝したるからな」
「ふふふ、それはどうでしょうね〜。立海三連覇に死角は無いよ」

真田がいつも口癖のように言っている台詞を真似しながらゆめこが言うと、「こりゃ強敵やな」と白石は笑った。






(221024/由氣)→179

この〜木なんの木気になる木〜



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