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(この子は俺が貰っていくぜ/白石・リョーガ)
天候に恵まれたハワイ3日目。
太陽の光が差し込むテラス席で、ゆめこは両手を膝の上に乗せたまま小さく縮こまっていた。目の前にはほかほかと蒸気を放つ焼きたてのフレンチトースト。芳醇なバターと甘く爽やかなオレンジピューレの香りが鼻腔をくすぐる。
「ん?どした?食えよ」
「あ、はい」
向かいに座る青年に促されゆめこはハッと顔を上げた。
あれ?なんでこんなことになっちゃったんだっけ。
両手でナイフとフォークを構えながら、ゆめこは自分の置かれた状況を振り返った。
遡ること2時間前。
「やっと観光が楽しめるよ」
トロリーに乗りながら上機嫌でそう言ったのは、ゆめこの父である賢造だった。昨夜大仕事を終えた大人4人は、子供達に負けず劣らずテンション高くハワイの街並みに目を向けていた。2日かけてアラモアナやビーチなどを堪能したゆめこ達とは違い、これが彼らにとって初観光となるのだから無理も無い。
帰国は明日の早朝なので、観光できるのは実質今日一日しかない。ホノルル美術館やイオラニ宮殿など、彼らには行きたいところがたくさんあった。嬉々として分刻みのスケジュールを立てる大人達を尻目に、
「美術館かぁ、俺興味無いねんけど」
と大介はボヤいた。
そんな息子に、母である美智子は「別に無理して来なくていいわよ」と言い返した。どうやら彼女の耳にはしっかりと大介の不満の声が届いていたらしい。独り言のつもりだった大介は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに「ほな別行動せぇへん?」とゆめこ、白石、謙也の3人に問いかけた。
「俺アロハタワー行きたいねん」
8人が乗っているトロリーはワイキキを出発し、アラモアナを通り過ぎ、ダウンタウンへと向かっていた。ちょうどその一角にアロハタワーがあるのだ。
「別にいいけど」
「俺もかまへんよ、なぁ?白石」
ゆめこと謙也は揃って白石に目を向ける。しかし彼は手元にある観光用パンプレットを見たまま俯いていた。
「おーい、白石?」と謙也がもう一度名前を呼ぶと、彼はそこでようやく自分に話が振られていることに気が付いた。
「すまん、何やったっけ?」
彼にしては珍しく話を聞いていなかったようで、ゆめこは「どしたの?」と彼が持っているパンプレットを覗き込んだ。"ダウンタウンの歩き方"と書かれているそれには、両親達が行きたがっているホノルル美術館や大介の言うアロハタワーも紹介されている。そこに並ぶ"フォスター植物園"の文字にゆめこはすぐにピンときた。
「もしかして白石くん、フォスター植物園に行きたいの?」
フォスター植物園とは、ホノルル市内で最も広大な面積を誇る歴史ある植物園だ。ゆめこがそう尋ねると白石は「えっ」と目に見えて動揺した。
「別にええねん、今日はホノルル美術館に行くんやろ」
団体行動で、しかも連れて来てもらっている立場だということを理解している白石はにこりと作り笑いを浮かべた。そんな彼に、ゆめこ達は揃ってきょとんとした顔になる。
「もしかして全然話聞いてなかった?」
「へっ?」
「別行動する言うたやん」
「そうなん?」
ゆめこと大介の言葉に白石は目をぱちくりとさせた。
「じゃあアロハタワー行って、その後フォスター植物園に行くっていうのはどう?」
アロハタワーとフォスター植物園は歩いて10分もかからない距離にある。ゆめこがそう提案すると、白石は目に見えて明るい表情になった。
ダウンタウンの入り口で大人4人は下車し、ゆめこ達はトロリーに乗ったまま彼らに手を振る。そこから移動すること数分、ゆめこ達を乗せたトロリーはアロハタワーの目の前にある停留所で止まった。
ぞろぞろと下車した4人は信号を渡り、意気揚々とアロハタワーの敷地に足を踏み入れる。
先程までのビルに囲まれた都会的な街並みとは一変、目の前にはホノルル港もあり実に開放的な景色が広がっていた。タイミングが良ければ豪華客船を見れたりもするようだ。
「まずどうする〜?」
「そりゃもちろん、記念撮影やろ!」
スマホを取り出し、大介が一目散にアロハタワーに向かって駆け出していく。それをなぜか「走りなら負けへんで」と謙也が追いかけていき、ゆめこと白石はそんな二人の後ろ姿を見ながらのんびり歩いてタワーの側へとやって来た。
近付いてみるとアロハタワーは思ったよりこじんまりとしていた。旅行でありがちな"実物はちょっと残念"なあの感じである。
タワーの前で写真を撮った後は、せっかくだし近くのショップでも見て行こうということなり4人は敷地内をぶらつき始めた。そこまで多くないが、タワーを中心にお土産ショップやレストランなどが何店舗が並んでいた。
そうして時折気に入った物を買いながらうろうろしていると、大介が「便所」と言い出したので4人はトイレ休憩を挟むこととなった。
「あれ?女子トイレこっちじゃないの?」
当たり前のように3人の後ろをついて来たゆめこは、目の前に男性トイレのマークしか見当たらないことに気が付いてきょろきょろと辺りを見渡した。どうやら女性トイレはショップを挟んで反対側の通りにあるらしい。
「じゃあまた後でね〜」
3人に手を振り、ゆめこは女性トイレに向かって歩き出す。中では2、3人の列が出来ていたが、あっという間にゆめこに順番が回ってきた。用を済ませ、手を洗い、軽く身なりを整えるとゆめこはるんるんと弾むような足取りでお手洗いを出た。しかし、出てすぐにゆめこは立ち止まった。
「あれ?こっちだっけ?」
彼女は方向音痴だった。
今来た道が分からなくなり、ゆめこは勘で右へと曲がる。こんなところ通ったっけかなぁ?と思いつつも自分の記憶に無いだけかもしれないし、とゆめこはその足を進め続ける。
しかしいよいよ敷地の最端まで来てしまい、ゆめこは「やっぱり違ったか〜」と一人呟いた。大人しく今来た道を戻ろう、と彼女が踵を返した時。遠くの方でパコーンと音が聞こえた気がしてゆめこはぴたりと足を止めた。
こんなところにもテニスコート?
ゆめこは気になって振り返った。すると道路を挟んで向かい側にフェンスに囲まれたテニスコートのようなものが見えた。しかし距離があるし、フェンスの周りには木々があり見通しが悪く確証は無い。
ゆめこはうーんと悩む素振りをした後、再び歩き出した。彼女は敷地を出て道路を渡ろうとしていた。
昨日のこともあり、テニスコートを見つけたと言ったら白石や謙也も喜ぶんじゃないかと思ったのだ。
道路を挟んで向かい側には小さな駐車場があり、そこを通り抜けるとやはりテニスコートが2面並んでいた。
やった、やっぱりテニスコートだ!
ゆめこは嬉しくなりフェンスに手をかけて中の様子を窺った。2面あるテニスコートはどちらも使われており、中では数人の男達が話をしたりラリーをしたり自由に楽しんでいる雰囲気だった。
早速白石達に連絡をしようとゆめこがスマホを取り出そうとした時、
「そこで何やってんの?」
と英語で声をかけられゆめこは振り返った。
そこにはニヤニヤと笑いながらこちらを見下ろす3人組の男達がいて、ゆめこは本能的にぎくりと肩を揺らした。
「えっと、テニスを観てて」
「へ〜、テニス興味あるの?」
「じゃあ俺らと一緒にやる?」
どうやら彼らもコートの中でテニスをしている人達の仲間だったらしい。ハワイのダウンタウンはそんなに治安が良くない、と観光雑誌で見たが、もしかしてほんとに?とゆめこは次第に不安になってきた。
「今日のところは遠慮しておきます」と、顔をこわばらせながらも精一杯笑顔を作る。早いとこお暇させてもらおうとゆめこは男達の間をするりと通って立ち去ろうとした。が、がしりと手首を掴まれそれ以上進むことが出来なかった。
「は、離してもらってもいいでしょうか?」
出来るだけ穏便に。内心ビビりまくっていたが、ゆめこはへらへらと笑いながらそう言った。
「ちょっとくらいいいでしょ?」
「ほら、こっち来て」
しかし彼らがゆめこの頼みを聞き入れることは無かった。ぐいと手を引かれ『やばい、連れて行かれる!』とゆめこは両足に力を入れてその場に留まった。しかし少女一人が踏ん張ったところで大した抵抗にはならない。ゆめこの足はガリガリと地面を削るように引き摺られた。
笑顔を作る余裕も無くなり、ゆめこの口からは「やだ・・・っ!」と本音が漏れる。そうして恐怖で涙目になりながらも、ゆめこがイヤイヤと必死に抵抗していた時だった。
「おいおい、しつこい男はモテねーぞ」
とどこからともなく降ってきた声に、ゆめこと男達はぴたりと動きを止めた。しかし声の主は見当たらない。きょろきょろと辺りを見回していると、
「ははっ、こっちこっち」
と再び声が降ってきて、全員は揃って顔を上げた。オレンジをポーンポーンとラケットでバウンドさせながら、一人の青年が木の上に座ってこちらを見下ろしている。
「あっ!」
その見覚えのある姿に、ゆめこは驚きで声を上げた。
「よぉ、また会ったな」
「よっ、と」そう言って飛び降りて来たのは、昨日ゆめこにパーカーをくれた青年だった。
目を見開いたまま自分を見つめるゆめこの頭を青年はポンポンと撫で、そのまま流れるような手つきでゆめこを引っ張っていた男の手を掴み上げた。
「女の子を無理矢理連れてこうなんて、まだまだだぜ」
顔は笑っていたが、手にはギリギリと力が込められている。男は痛みに顔を歪めた後、「離せよ!」そう言ってバッと手を引いた。
「はは、じゃあな」
青年は呆けているゆめこの肩をがしりと抱くと踵を返して歩き出した。
どんどん遠ざかっていく二人に、手を掴まれた男は悔しそうに「くそ野郎・・・!」と呟く。そしてフェンスに立て掛けてあった自分のラケットを手に取ると、ポケットの中からボールを取り出し青年に向かって思い切り打ち込んだ。命中する、そう確信した男は「ざまーみろ!」と大声で嘲笑ったが、スッと出てきた青年のラケットにそのボールは見事にいなされた。
「はー、ったく。しょうがねぇなぁ」
にやり、と笑って青年が振り返る。
男達はやばいと内心そう思ったが、もう引くことは出来なかった。
「俺達と勝負しろよ。負けたらその子置いてけ」
ゆめこは何が何だか分からなかった。
迷ったと思ったらテニスコートを見つけて、男達に囲まれて、昨日の青年に助けてもらって、そうこうしてる内に勝負することになって。
そして今、コートにいた数人の男達は息を切らしながら手と膝をつき地面に倒れ込んでいる。その中心では先程の青年が涼しい顔で立っていた。
あまりにも実力差があり過ぎる。
ゆめこはあんぐりと口を開けたまま、フェンスにしがみつきその様子を見ていた。勝負の前に「テニス強いんですか?」なんて不安気に聞いてしまったことを詫びたい。強いなんてもんじゃない。ゆめこはそう思った。
フェンスの外から出てきた青年は、
「じゃあ、この子は俺が貰っていくぜ」
と再びゆめこの肩を抱くと、男達にそう言い捨てて歩き出した。
しばらく放心状態で彼に肩を抱かれたままポーッと歩いていたゆめこだったが、自分が今街中の喧騒のど真ん中にいることに気が付いてハッと顔を上げた。
「ここどこっ?」
途端に慌ててきょろきょろし出すゆめこに、青年は「カッカッカッ」と可笑しそうに笑う。
「そんなに離れてねぇよ。まだダウンタウンの中だ」
青年がそう言うと、ゆめこはホッと安心した顔つきになった。そう言われて見ればトロリーの中から見た景色に似てるかも?なんてゆめこは思う。
「ちょっと付き合えよ、時間あんだろ?」
「へっ?あ〜・・・それはちょっと」
白石くん達も心配してるだろうし、とゆめこは目に見えて困った顔をする。
「助けてやっただろ?」
「うっ」
それを言われてしまったら何も言い返せない。「ちょっとだけですよ」なんてもごもごしながら返事をするゆめこに青年はにやりと口角を上げた。
「どこ行くんですか?」
「カフェ」
「カフェ?」
「お前甘いもん好き?」
「好き・・・ですけど」
「ならちょうどいいな」
そんな会話をしていると僅か2分程歩いたところで、青年はとあるカフェの前で立ち止まった。
中に入ると、ピンクのアロハシャツにデニムのショートパンツという可愛い格好をした店員がゆめこ達を出迎えた。他の従業員達も同じ格好をしているので、このカフェではこれが制服のようだ。店内には女性客しか居らず、内装はファンシーな家具で統一されており、至る所にユニコーンのぬいぐるみが飾ってある。
室内は満席だったのか、二人は店内を通り過ぎたところにあるテラス席に案内された。
「ここ、オレンジソースのフレンチトーストが有名なんだけど・・・」
席に座るや否や、目の前に座った青年が口を開いた。気まずそうに辺りをきょろきょろと窺った後「俺一人で来る勇気無くてよ」と言い出した青年に、ゆめこはきょとんと目を丸くする。しかし次の瞬間、ゆめこは「プッ」と盛大に噴き出した。
「あははっ、かわいいこと言いますね」
「おいおいからかうなよ」
ゆめこの率直な感想に、青年は恥ずかしそうに頬を掻く。先程テニスをしていた時の雰囲気とは全然違うな、とゆめこは思った。
それから注文を聞きに来た店員さんにオレンジソースのフレンチトーストを2つ注文すると、ゆめこは徐にバッグからスマホを取り出した。
いい加減連絡を取らないと3人が心配すると思ったのだ。しかしスマホを開いたゆめこは「えっ!」と大きな声を上げた。
「どうした?」
「メッセージと着信がえぐいことになってます」
ゆめこは顔を真っ青にしながらそう答えた。
「ど、どうしよう」
自分が思っている以上に心配をかけてしまっている。そのことに気付いたゆめこは、震える手で一番新しい着信履歴のリダイヤルボタンを押した。相手は白石だった。
プルルッと呼び出し音が聞こえてきたのも束の間、すぐに「もしもし?!」と焦燥したような声が返ってきてゆめこは内心『まずい・・』と思った。
「あのー、白石くん?」
「今どこにおるん?」
「それがですね、実は道に迷ってしまいまして」
「はぁ?!」
「そこからいろいろありまして、今はダウンタウンのど真ん中におります」
「嘘やろ」
信じられない、と言わんばかりの盛大な溜め息が電話越しに聞こえてくる。
「詳しい話は後で聞く。迎え行くわ。近くに目印とかある?」
淡々と話す白石に、ゆめこの手のひらからじわっと汗が滲み出る。昨日叱られたばかりなのに、これは説教コースは免れないな、とゆめこは思った。
しかもまた見ず知らずの青年と一緒にいることを知られたらさらに怒られかねない。
「わ、私がそっちに行くよ!」
苦し紛れに言えば「何言うとるん、また迷子になるやろ」と強い口調で言い返されゆめこはうっと肩を竦めた。青年と白石の鉢合わせは是が非でも避けたい、そう思って頭を悩ませていたゆめこだったが、
「ちょっと貸せよ」
ひょい、と目の前の青年にスマホを奪われゆめこは「ちょっ!」と慌てて手を伸ばした。
「あー、もしもし?彼氏さん?」
「・・・どちら様ですか?」
「もう少ししたら"ゆめこちゃん"返すから、今だけ少し貸してくれ。じゃあな」
青年はそれだけ言うとピッと電話を切ってしまった。ぴゅーと冷たい風が吹いた気がして、ゆめこはそのまま石のように固まる。
これはもしかして、いやもしかしなくても最悪のパターンなのでは?とゆめこは顔面蒼白になる。
「よしこれでもう安心だな」
全く悪気の無い青年はニカッと笑ってそう言った。
「いやいや、全然良くないんですけど。むしろ状況悪化してるんですけど」
ゆめこが恨めしそうにそう言うと、青年は「ん?」ととぼけた顔でスマホを返してきた。それが天然なのか演技なのかまでは分からなかったが、とにかくゆめこは焦っていた。
まずい。まず過ぎる。
脳裏に目尻を吊り上げこちらを見下ろす白石の顔が映し出され、ゆめこの心臓がバクバクと早鐘を打つ。
もう一度電話をして弁解すべきか。いやそれも恐いな。数秒の間フルスロットルで思考を働かせたゆめこは、白石とのトーク画面を開いた。メッセージでならうまく伝えられそうな気がする、彼女はそう思ったのだ。
「1時間後、フォスター植物園の前集合でお願いします」
そう打ち込んだ後、ダメ元で土下座のスタンプを押しておいた。すぐに既読が付いたが反応を見るのが恐ろしく、ゆめこは返事をする前にそっとアプリを閉じた。
ちょうどそのタイミングでフレンチトーストが2つ、目の前に運ばれてきて彼女は顔を上げた。湯気越しに青年の笑顔が見える。
先程まで『オレンジソースのフレンチトーストかぁ、楽しみだな』なんて能天気に笑っていたゆめこは何処へやら。すっかり不安で食欲が減退してしまったのか、ゆめこは運ばれてきたフレンチトーストをじっと見つめたまま固まっていた。
「ん?どした?食えよ」
そして話は冒頭に戻る。青年に言われるがまま、ゆめこはナイフとフォークを構えた。
もういいや、食べよう。目の前でうまいうまいと繰り返す青年を見ていたら何だかどうでもよくなってきて、ゆめこは半ばやけくそでフレンチトーストを口に放り込んだ。
「んっ!」
しかしフレンチトーストはゆめこが思っているより何倍も美味しかった。目を大きく開き驚いた顔をした後、ゆめこはとろけるような笑顔になる。「おいし〜」頬に手を当てもぐもぐと咀嚼するゆめこ。見た目はボリューミーだが、ふわとろの食感はいくら食べても飽きが来ない。ぱくぱくと順調に食べ進めていくゆめこを見て、青年はくくっと喉の奥で笑った。
笑われたゆめこは「なんですか?」ときょとんとして彼を見た。
「美味そうに食うな」
「あはは、食いしん坊でごめんなさい」
「いいや。かわいいなってこと」
にこりと笑ってそんなことを言う青年に、ゆめこは思わずフレンチトーストを噴き出しそうになる。慌ててカフェオレで押し込んで「お世辞はいいですよ」と返すと、青年は「そんなんじゃないぜ」と答えた。
「あーあ、彼氏が羨ましいぜ」と頭の後ろで手を組む青年に、ゆめこはハッと気付く。
「そういえば否定し忘れてたんですけど」
「ん?」
「白石くんは彼氏じゃないです」
「えっ、そうなのか?」
「はい。お友達です」
「ふーん。"お友達"と二人でハワイ?」
「まさか。家族も親戚もみんな一緒です。昨日はたまたま別行動してて」
ゆめこの説明に青年は「なーんだ」とそのまま仰反るように宙を見上げた。しかしすぐに何か思いついたのか、彼は悪戯っ子のような笑みでゆめこの顔を覗き込んだ。
「じゃあ俺口説いてもいいってこと?」
「あっ、遠慮しておきまーす」
「んだよ、つれねぇなぁ」
ぴしゃりとゆめこに拒否され、青年はむっと唇を突き出す。そんな彼を見て、ゆめこは「そもそも私、お兄さんのこと何も知らないし」とぼやいた。
「あれ?もしかして俺のこと知りたい感じ?気になっちゃった?」
「違いますよ。でもせめてお名前くらい教えて下さい」
「いいぜ。越前リョーガ、俺の名前な」
「越前さん」
「おいおい堅苦しいのは勘弁してくれよ。リョーガでいいぜ」
「そう言われましても」
相手は明らかに自分より年上だ。ゆめこはんー、と人差し指で顎を押さえ考え込むと「じゃあ、リョーガくん」と言った。
"リョーガさん"と悩んたが、さん付けだとまた堅苦しいと返されてしまうような気がしたのだ。ゆめこの答えに満足したリョーガは「ん」と言って笑顔になった。
それからフレンチトーストを食べ終えると、ゆめこ達は揃って店を出た。
「じゃあ私はここで。ありがとうございました。それと、ご馳走様でした」
ちゃっかり奢ってもらったゆめこは、店先でぺこりと頭を下げた。今にも去って行きそうに半身を傾けるゆめこに、リョーガは「おいおい」とその手を掴む。
「なんですか?」
「さっきも迷ったんだろ?送るぜ。どこまで行けばいい?」
当然と言ったようにリョーガはそう尋ねた。ゆめこは『悪いですよ』と口走りそうになったが、一人では二の舞を踏みかねないと思ったのだろう。「フォスター植物園です」と彼女は素直に答えた。
「了解」リョーガがそう返事をして歩き出した時だった。
「ゆめこちゃん!」
大声で名前を呼ばれ、ゆめこは振り返った。
「し、白石くん?!」
道路を挟んで向かい側に彼はいた。一番近くの信号を渡り、白石は全速力でゆめこの元へと駆け寄る。
「どうしてここに・・・?」
「まだ近くにおる、言うてた、から」
息を整えながら、彼は途切れ途切れに説明した。よくみたらたくさん汗も掻いている。もしかしてずっと探し回ってたの?とゆめこは動揺からその瞳を揺らした。
「な、なんでっ?私、フォスター植物園集合って言ったよね?」
恐る恐るそう問い掛ければ、白石がキッと目を鋭くして顔を上げた。怒られる!瞬時にそう思ったゆめこは身構えた。が、次の瞬間には白石にぎゅっと力強く抱きしめられており、ゆめこは「へ?」と目を白黒させた。
「あの、白石くん?」
「心配した、ほんまに。俺から離れんといてって言うたのに」
抱きしめられているので顔は見えないが、白石の声色は真剣そのものだった。自分が思っている以上に心配をかけ振り回してしまっていたことに気付き、ゆめこは「ごめんなさい」と彼の背中に腕を回した。この期に及んで言い訳なんて、とてもじゃないが言えなかった。
大人しく自分の腕の中に収まるゆめこに、白石は幾分か安心した顔つきになった。しかし彼女の温もりに浸る間もなく目の前に佇む男とばちりと目が合い、白石は一気に現実に引き戻された。
ニッと笑うその瞳はどこか挑戦的で、白石の眉がぴくりと吊り上がる。ゆっくりとゆめこを離し白石はリョーガに向き合った。
今にも口喧嘩が始まってしまいそうな不穏な空気に、ゆめこは慌てて二人の間に割って入る。
「白石くん。あのね、リョーガくんは私を助けてくれただけで別に何もっ・・・んん?!」
リョーガに背を向け白石に説明を始めると、急に口を手で塞がれてゆめこは驚いた。犯人はリョーガだった。
「ん、んー!」なんて籠った声で抗議するゆめこをグイと引き寄せ、リョーガはその耳元に唇を寄せる。
「口説くのはまた今度にしてやるよ」
「んっ?!」
「じゃあな、ゆめこ」
リョーガはパッと手を離してゆめこを解放すると、くるりと背中を向け立ち去って行ってしまった。
「は?あ、え?」こちらを見ることなく片手をふりふりと振りながらダウンタウンの人混みに消えていくリョーガを、ゆめこは唖然としながら見送る。
「ゆめこちゃん、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。だけど・・・、言いたいことだけ言っていなくなっちゃったね」
リョーガが消えていった方を見つめながらゆめこは苦笑を浮かべる。少しの間しか時間を共にしていないが、あまりにもあっさりとした別れがなんとなく"彼らしいな"とゆめこは思った。
「言いたいこと?何て言われたん?」
先程のリョーガの囁きは白石の耳には届いていなかったのか、彼は不思議そうな顔をした。ゆめこはぎくりとして「えっと」と口を開くと、
「元気でね!ってなんかそんな感じのこと言ってた」
と笑って誤魔化すのだった。
それから白石とゆめこでフォスター植物園に向かうと、エントランスの所で大介と謙也が待っていた。
二人の姿を見つけるなり謙也は「あ」と声を漏らし、その事で気付いた大介は意地悪な笑顔をゆめこに向ける。そして彼女が目の前までやって来ると「その歳で迷子とか勘弁してくださいよぉ」と白々しい標準語で話しかけた。
人をおちょくったような態度にむっとしたゆめこだったが、彼女には自分が悪いという自覚があった。それはもう肩身が狭くなるくらいに。
「ごめん!」
パンっと両手の平を勢いよく合わせ謝るゆめこ。大介と謙也はぱちぱちと瞬きをして顔を見合わせた。
「ええよ、別に。無事やったんやし」
「せやで!結果オーライやん」
ゆめこが思っている以上に反省していたのが意外だったのか、大介と謙也は明るい口調でそう言った。「あーん、二人ともありがと〜」とゆめこが泣き真似をすると、二人は「よしよし」とわざとらしく慰めるのだった。
そうしてゲートで入園料を支払い、4人は植物園の中へと入っていく。よし、気持ちを入れ替えて植物園楽しむぞ〜、なんて張り切るゆめこの背後に白石はぴたりと身を寄せた。
「俺はまだ許してへんよ〜」
「ひえっ」
振り返るとこれでもかと言う程輝かしい笑顔を放つ白石が居て、ゆめこの背中には水を流したような悪寒が走る。
「ごごごごめんなさいごめんなさい許してください」
「冗談やん。そんなお化け見たようなリアクションせんでも・・・」
あまりにもゆめこが怯えているので、白石は目を点にしながらそう言った。
「冗談に聞こえないよ。白石くんブチ切れてる顔してた」
「ははっ、してへんて」
「えっ、自覚無し?」
あの圧を自覚無しで出せるのすごくない?とゆめこは口をぽかんと開けたまま白石を見た。
「まぁでも、そやなぁ」
「ん?」
「心配かけた罰として、俺の植物園巡りじっくり付き合ってもらおかな」
白石は2部持っていたパンフレットの1つをゆめこに押し付けた。「しかも俺の解説付きやで」なんて笑う白石に、「なにそれ、楽しいだけじゃん」とゆめこもつられるように笑った。
とは言え東京ドーム1.2個分の面積に1万種以上の植物を有する巨大植物園だ。とてもじゃないが半日で全てを見て回るのは難しいのでパンフレットの中から行きたいエリアを絞ることになった。よく分かっていない3人は白石の判断に全てを委ねた。
そうして園内を散策していると、所々に小さい木が生えていることに気付きゆめこは「わー」と興味深そうに左右に首を動かした。
「かわいー。ヤシの木の赤ちゃんみたい」
「あれはソテツや」
「ヤシの木の仲間じゃないの?」
「見た目は似とるけどちゃうよ」
「へー」
「ちなみに毒も持ってんで」
「えぇー、そうなんだ」
白石の話によると、ソテツは生きた化石とも言われており、恐竜達から食べられないよう自衛するために棘や毒を持つようになったらしい。
「すごいね〜、そうやって生き残ってきたんだぁ」
まるで植物園のガイドスタッフのような解説に、ゆめこはしみじみと感心する。
「パンフレットにも書いてあったやろ?毒持ってる植物が多いから触ったらあかんって」
「うん、すごいねぇ。見た目だけじゃ全然分からないや」
うーん、とソテツに顔を寄せ小難しい顔をするゆめこ。そんな彼女の横顔を盗み見て、白石はふふっと小さく笑うのだった。
それから4人は閉園時間である16時までじっくりと植物園を見て回った。
周りにはもうほとんど観光客は残っていない。そろそろ両親達と合流しようか、なんて会話をしながら植物園の出口ゲートをくぐった時だった。
「Hi」と声をかけられゆめこは足を止めた。
受付カウンターの中から、植物園の制服に身を包んだ女性がゆめこを手招きしている。
「私?」
なんだろな。何か落とし物でもしたのだろうか。
ゆめこは3人に「ちょっと待ってて」と一声かけると小走りでその女性に近付いた。
「なんですか?」
「あなたもしかしてゆめこって名前じゃない?」
ゆめこの全身を頭の上から足の先までじろりと見て、女性はそう言った。赤の他人に名前を知られている違和感から「え、あ・・・そうですけど」とゆめこはぎこちない返事をする。
「やっぱりね。これ、預かり物」
そう言ってゆめこに渡してきたのは一枚の紙切れだった。
「じゃあ確かに渡したわよ」
女性スタッフはそう言うと事務所の奥へふらりと消えて行ってしまった。
全く心当たりの無いゆめこは、不審に思いながらも小さく4つに折り畳まれた紙切れを開いていく。
『会いたくなったら連絡しろ』
一言だけ、そう書いてあった。メッセージの下には電話番号らしき数字が綴られている。
ゆめこは一瞬にして状況を理解して、やられたと言わんばかりに頭を抱えた。
「口説くのはまた今度にしてやるよ」
彼の残した言葉が何度も頭でこだまする。
連絡先も聞かれなかったし社交辞令だとばかり思い込んでいたのに。ゆめこはふふふと堪えきれず笑みを零すと、
「絶対連絡してやんない」
と呟いた。
口ではそう言ったが、彼女はちゃっかりそのメモをバッグの中へとしまった。無くさないように、内ポケットの中に。
3人の元に戻ると、すぐに白石に「スタッフの人何やって?」と聞かれたので、
「ん、なんかハンカチ落としちゃってたみたい」
とゆめこは嘘をついた。
「やっぱゆめこは抜けてんなぁ!」
わははと大声で大介が笑う。
ゆめこは「そんなんじゃないもーん」と言いながら一緒になってけらけらと笑うのだった。
(221027/由氣)→183
ハワイのお話はこれでおしまいです