017
(柳蓮二の勝率100%だよ/柳・幸村)
柳は糸車と城成湘南の準決勝の試合を見ていた。シングルス3の内容は糸車の剣崎という選手の一方的な展開になっている。超攻撃型テニス。地区予選で真田と好試合をした浅黒の選手の体にボールがめり込み、後ろに倒れた。
柳のその表情は読み取れないが、眉が僅かに動き、眉間に皺がよる。
「他に選択肢は無い、か」
その瞳には諦めにも似た決意が見え隠れしていた。柳は最後に糸車の選手を睨むと、立海ベンチへと歩き出した。
県大会も順調に勝ち進み、準決勝で相原第一を3-0で下した立海は、県大会優勝に王手をかけていた。まだ同じ準決勝の糸車と城成湘南の決着がついていないため、立海メンバーは決勝戦が行われる予定の応援席で待機していた。応援に来ていたゆめみとゆめこもそのメンバーの中にいた。
「あれ?蓮二は?」
ゆめみがきょろきょろと辺りを見渡しながらそう聞くと、右隣に座っていた幸村が「偵察に行ったはずだよ」と答えた。「いつ行っちゃったんだろ?全然気付かなかった」と言うゆめみ。
「寂しくなっちゃったのー?よしよし」
「ゆめださんカルガモの親子って知ってるかい?」
左隣に座っていたゆめこが冗談めかしてゆめみの肩に軽く手を添えた。それに便乗して幸村もからかってくる。
ゆめみは「そんなんじゃないもん」と言い返したが、ゆめみの感じた違和感はある程度仕方ないと言える。
幸村と友達宣言した後、こうして幸村と話す機会も増えたが、やっぱりゆめみにとっての一番は柳で、柳の一番もゆめみだった。大会中ゆめみに黙って1人で偵察に行ったのは初めてのことだったのだ。
「うちの庭の池によくカルガモがいるんだけど、いつもゆめださんを思い出すよ」
「幸村くんちょっとふざけてるでしょ?」
「フフ、あ、噂をすれば」
幸村が見上げると、いつのまにか柳がすぐ近くまで来ていた。ゆめみが「蓮二、どこに行ってたの?」と微笑みかけると、柳は優しく笑って、手を伸ばしてゆめみを立ちあがらせた。そして、ゆめみの手に千円札を握らせる。
「ゆめみの好きなアイスの自動販売機を見つけたぞ」
「ありがとう、ご馳走してくれるの?」
「ああ、応援のお礼だ」
柳の表情はとても穏やかだったが、ゆめみはなぜか強烈な違和感を覚えた。ゆめみは柳の額に手を当てる。驚いて目を見開く柳。ゆめみの細い指をそっと上から握る。
「急にどうした?」
「蓮二熱があるのかと思って」
「そんなに俺が奢るのが珍しいか?」
まいったな、と眉尻を下げて笑う柳。それでもゆめみはじっと柳を見つめていた。違和感の正体に気づいたのだ。いつもの蓮二なら買ってきてくれるはずだ。どのフレーバーが好きかなんて蓮二なら聞かなくてもわかるはず。それなのにわざわざ買いに行かせる理由はなんだろう。
「ゆめこ、一緒に行ってあげてくれ」と柳はゆめこに声をかけるも、ゆめこはその時ジャッカルと丸井と別の話題で盛り上がっていたため、「えー、蓮二1人で行ってきてよ、私チョコね」とめんどくさそうに返した。柳は小さくため息をついた。
「私自分で選びたいから行ってこよーっと」
柳が困ってることを察知したゆめみは、わざとそう言って歩き出そうとした。「じゃあ私もいこうかな」ゆめみにつられてゆめこが立ち上がるのを見ると「俺も付き合うぜ」と丸井も立ち上がった。
「ついでに散歩でもしてくるか、なぁ?ジャッカル」
「俺もかよ」
空気を読んで時間稼ぎを提案した丸井に、柳は「ありがとう丸井」と声をかけた。丸井はニッと笑って「いーって、その代わり俺たちの分も奢れよ」と言った。4人はおしゃべりをしながら、立海応援席から離れていった。
「それで、柳、ゆめださんを遠ざけてまでしたかった話はなんだい?」
幸村の言葉に柳はふと笑みをこぼした。お見通しか。そして少し寂しそうな顔をする。
「精市、弦一郎、決勝のオーダーの件で話がある」
ゆめみはその時、テニスコートを出て、広場に向けて歩いていた。チラリと立海応援席を見ると、柳、幸村、真田と部長の先輩が難しい顔をして話し込んでいる。蓮二ったら、難しい顔しちゃって。私はこの時まだ何も分かっていなかった。
「柳が犠牲になると言うのかい?」
「納得できん!」
幸村と真田は声を揃えてそういった。彼らの目の前にはオーダー表と過去の対戦表が置いてある。
オーダー表のシングルス3には柳蓮二の名前があった。ダブルスの達人と呼ばれる柳には珍しい。そして、過去の対戦表には糸車の今大会のシングルス3剣崎はいずれも棄権勝ちであるというデータが示されている。
「犠牲では無いさ、俺ならば回避出来ると言っている」
「だが、相手は直接攻撃を得意とするプレイヤーなのだろう?!まだ県大会だ、蓮二に何かあったらこの先関東全国と続く戦いを乗り越えるのは困難になるだろう!」
自らが犠牲になると言う柳に、真田が説得にかかる。
「ならば逃げるというのか?」
柳の刺さりそうな程に鋭い視線に真田はたじろいだ。
「俺たちは王者だ、ここまで負け無しで来ている。1試合だって落としたくはない」
柳の熱い想いに、真田は完全に言葉を失った。幸村が少し考えた後、口を開いた。
「俺たちの目標は立海全国優勝、そして三連覇にある。真田の言う通り、無理をする場面では無いと言うのが俺の正直な意見だ」
幸村はまっすぐに柳を見据えた。
「しかし、やるからには負けは許されない」
「幸村!」
「約束しよう、俺は負けない」
真田の制止にも関わらず、柳は淡々と勝利宣言をした。幸村は真田の肩を叩いた。
「真田、柳は勝てると言っているんだ、今までの試合で柳のデータが間違っていたことがあったかい?」
「しかし・・・くっ」
真田は何かを言いかけたが、最終的には「わかった」と返事をした。「ありがとう、精市、弦一郎、心配をかけてすまないな」柳は淡く笑った。
『シングルス3の試合を始めます』
そして迎えた決勝戦、シングルス3。
立海はダブルス2つを6−3と6−1で勝利した。つまりこの試合で立海が勝てば県大会優勝となる。
ゆめみとゆめこはテニス部の1年生に混じって最前列に立っていた。決勝戦ということもあり、後ろの方の応援席では応援団やチアリーダーが大会を盛り上げてくれている。
柳はコートに立って、そっと目を閉じた。無数の音が聞こえてくる。応援歌、期待の声、相手選手の息づかい、風の音、そして。『蓮二、頑張って』ゆめみのかすかな声が耳に届いた。
柳は目を開いて、ゆめみを見た。ゆめみはまっすぐに柳を見返して、にこと笑う。
この瞬間だけは、お前を独り占めできる。
柳は力強くサーブを打った。計算され尽くしたサーブコースに、相手選手剣崎は触れる事すら出来ない。
『15−0』
データは完璧だ。
『30−0』
見ていてくれゆめみ。
『40−0』
お前に心配はかけない。
『ゲーム柳、1−0』
柳はノータッチエース4本でサービスゲームをキープした。歓声が巻き起こる。
柳がチラリとゆめみを見ると、キラキラした瞳でパチパチと手を叩いていた。それを見た瞬間、全てが満たされる。
この柳蓮二のデータ、寸分の狂いもない。
その後も、ほとんど相手に反撃の隙を与える事無く、柳は5ゲームを連取した。
歓声が会場を包んだ。あと1つ、あと1つ、という立海コールが鳴り響く。
ブレイクタイムが設けられ、選手はベンチに戻った。
「おい、1年坊主相手にこれで終わるつもりじゃねーだろーな?」
糸車のシングルス2の選手が応援席から声をかけた。「一球でいいんだぞ、試合不能にしちまえよ」と小声で囁かれる。剣崎は「ち」と舌打ちをした。そんなことは最初からわかっている。ずっと隙を狙っているのに、出来ないのだ。誘ってもネットに出てこない上に、ロブも上がらないため、強い打球を打つことが出来ない。しかも何を考えてるか分からず全く隙が無いと来たものだ。
剣崎は反対側コートの柳へと目を向ける。その時、剣崎の顔に不気味に笑いが広がった。
「まかせとけ、絶対次に回してやるよ」
ネットの向こう側で、柳はゆめみからドリンクを受け取っていた。とろけるような笑みを浮かべて。
『剣崎、サービスプレイ』
次のゲームは剣崎のサーブゲームだった。「どりゃあ」と掛け声をかけて剣崎は力いっぱいサーブを打つ。ボールが直線に飛んできた。柳は驚きつつ目を見開いた。最初からミスだろうか。こんなサーブミスは俺のデータにはない。しかしこのままだと確実にフォルトだ。
フォルトだと判断したため、経験上打つのをやめるために体が硬直した。と、その瞬間、柳は目の端で剣崎が満面の笑みを浮かべているのが見えた。
何かがおかしい。ボールの軌道のカラクリに気付いたのは、その時だった。
目的は俺じゃない。そのパワーボールの先にいるのは。くそっ。
「ゆめみ!!!」
ボールはまっすぐゆめみの顔面目掛けて飛んでいく。突然のことできょとんとしてるゆめみ。
届け!頼む!
柳はスライディングして、何とかボールにラケットを当てた。
ポーン、とボールがロブを描く。
しまった、と柳は思った。思った時にはもう剣崎はスマッシュの体勢に入っていた。勝ち誇ったような剣崎と目が合う。やられた。
剣崎は力いっぱい柳の顔面目掛けてスマッシュを打った。ドシュ、嫌な音がして、とっさにかばった右手首にボールが当たる。
「蓮二!」
ゆめみの口から悲痛な声が漏れた。
ボールの威力が強く、当たった蓮二の体が一瞬波打った。辺りは騒然とする。
応急処置のため、一時試合は中断となった。
勝利ムードだった立海サイドではざわざわと微妙な雰囲気が流れる。
ベンチに座っていた3年部長によって、柳の手首は冷やされるも、ボールが当たった部分が赤々と腫れ上がり、誰が見ても痛そうだった。
「大丈夫か?柳」
部長の先輩が柳に声をかけると、柳は頷いた。その表情はいつもと変わらず涼しげであったが、ラケットを掴んだ瞬間、握力が足りなかったのかラケットがカラカラと下に落ちた。
それを反対の手で無言で拾い上げる柳。
「無理だよ」
その声がやけにその場に響いた。ゆめみだった。大きな瞳に涙を溜めて、泣きそうな顔でじっと柳を見つめている。
「今すぐ病院でちゃんと手当てしないと」
「ゆめださん、それは柳が決めることだよ」
幸村はそっとゆめみの肩に手を置いてゆめみを悟す。ゆめみは信じられない、という顔で幸村を見た。その顔は青ざめていた。
「ゆめみ」
柳がゆめみを呼んだ。ゆめみも柳を見る。柳は眉尻を下げて、困ったように笑う。
「俺の誇りを奪わせないでくれ」
その言葉がゆめみの胸に染みて、息が出来ないくらいの感情が渦を巻いた。なぜか出逢った小3から今までの柳のテニスの練習をしているシーンが思い出された。ずっと努力してきた蓮二を私は隣で見てきた。
ここは決勝の舞台。そして、蓮二の勝敗で優勝が決まる、最高の場面だ。
勝って欲しい、勝たせてあげたい、そんな想いが溢れる。
「蓮二、こっちに来て」
ゆめみはやっとの想いで言葉を発した。幸村が驚いて制止しようとするが、それよりも早く柳が応援席に戻って来た。
「ジャッカルくん、救急セットをお願い」
「お、おう」
ゆめみと柳のやりとりを見届けたゆめこは、その日救急箱当番だったジャッカルに声をかけた。ゆめこはゆめみに救急箱を渡す。ゆめみはゆめこを見て頷いた。
ゆめみは慣れた手つきで柳の腕全体を触ると、氷のうを両手に持って、二の腕部分から円を描くように冷やしていく。どんなマジックを使ったのか分からないが、みるみるうちに腫れが引いていき、赤みが無くなっていく。その後湿布を貼ると、鮮やかな手付きで綺麗に包帯を巻いた。
柳は腕を上下に動かして、何度かグーとパーを繰り返した。あんなに痛くて仕方がなかった手首がまるで何事も無かったのように動く。痛みが抑えられたのでは無く、消えて無くなっていた。
「相変わらずすごいな、ありがとう」
柳はそう言ってゆめみの顔を覗き込む。ゆめみは「本当に続けるの?」と不満げに柳を見上げた。そんなゆめみが可愛いくて、柳はふと笑った。包帯を巻いてもらった右手でゆめみの頭をそっと撫でる。そして、コートへと戻っていった。
「柳蓮二の勝率100%だよ」
ゆめみの声に、柳は力強く頷いてコートに立つ。5分もしない内に続けて3ポイントを全てリターンエースで獲得した。
残り一球。
剣崎の表情が歪む。
「これで終わりだと思うなよ!」
「とお前は言う」
「くっ・・・おらぁ!」
剣崎は渾身のサーブを打った。柳の姿勢が沈む。その低い姿勢から高速スライスを放つ。
『かまいたち』
剣崎は手元で急激に落ちるボールに触れる事すら出来なかった。
「くそぉ!」
「万が一ゆめみに何かあったらお前を許さなかった」
悔しがる剣崎だけに聞こえる声で柳は呟く。その声と見下す瞳に剣崎は恐怖でおののいた。
「自分の運の良さに感謝するんだな」
立海の県大会優勝が決まった。
会場が歓声に沸いた。
表彰式は試合の後30分後というアナウンスが流れた。
「柳おめでとう、手首の怪我の具合はどうだい?」
「ゆめみの処置のおかげで今は痛みは引いている」
「それは良かった、でも早めにきちんと治療した方が良い」
「蓮二!お前の勝利、しかと見届けた!表彰式は俺たちで対応しておくからお前は病院に行ってくれ」
「ありがとう、ではそうさせてもらう」
幸村と真田の心遣いに、柳は頷いて、足早に歩き出す。去り際に、観覧席にゆめみがいないことに気付き、ゆめこにアイコンタクトを送ると、ゆめこはジェスチャーで広場の方を指指し、頑張れ!と親指を立てた。頷く柳。
ゆめみは管理室の裏で体育座りをしていた。顔はうつむいていて見えない。
「ここにいたのか」
柳はゆっくりとゆめみに近づいて、隣に座った。ゆめみは顔を上げた。涙が頬に線になって流れていた。綺麗な涙だと思った。
「蓮二」
柳は優しくゆめみの涙を拭う。「蓮二」「蓮二」とゆめみは数回柳の名前を呼んだ。柳はその度にぽんぽんと頭を優しく撫でる。ゆめみはぎゅっと柳を抱きしめた。柳は目を見開く。常に距離が近い2人だったが、抱きしめられたのは初めてだった。
「ゆめみ?」
ドキドキ、と柳の心臓が高鳴る。ゆめみはふわりと柔らかくて、良い匂いがした。柳の胸に顔を埋めているゆめみ。その上から、柳はたまらずそっと優しく抱きしめた。
ゆめみはびっくりして、顔を上げる。「嫌か?」と柳が聞けば、ゆめみはふるふると首を振った。そしてもう一度ぎゅっと柳の胸に顔を押し付ける。
「お前が落ち着くまで傍にいよう」
柳の言葉に、ゆめみはやっと口を開いた。「私怒ってる」第一声はそれだった。柳は「知っている」と言う。
「蓮二が怪我するの見るの怖かった」
「知っている」
「怪我したまま戦って欲しくなかった」
「知っている」
「蓮二、知ってたんでしょ?相手がそういう選手だって、知った上で戦ったんでしょ?」
「そうだな」
「それも嫌だった」
「それも、知っていたさ」
「でも、勝って欲しかった」
ゆめみは首を上げて柳の顔を見る。
「だから、優勝おめでとう蓮二」
ゆめみの顔はすっきりとしていて、心の底から嬉しそうに笑った。その笑顔につられるように、柳の顔にも笑顔が広がる。
「ありがとうゆめみ」
2人は微笑み合っていた。
「幼馴染とは良いものだな」
少し離れたところで、幸村と真田がその光景を見守っていた。手には柳のテニスバッグ。柳の忘れ物を届けようとここまで来たのだった。
うんうん、と晴れやかな顔をしている真田とは対照的に、幸村はどこか悲しそうな、切ない表情をしていた。
「そうだね」
(170331/小牧)→20
笑顔の花に勝利捧げよう