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(海外研修ツアーに参加しよう/幸村)

期末考査も終わり、夏休みまであと残すところ1週間。ここ美術室ではM組の水彩画の授業が行われていた。おっとりとした雰囲気の先生が絵の具やパレットなどの使い方の説明をしている。

「学校の好きな場所で描いていいですよ、ただし2限目終了までは一度戻ってきてくださいね」

先生の掛け声と同時に生徒達は一斉に立ち上がって移動を開始した。立海は校舎が広いので、お気に入りの場所を見つけるだけでも一苦労なのである。
ゆめみは事前に柳からこの授業の話を聞いていたので、スムーズに歩き出すことが出来た。
美術室は一番廊下の突き当たりにあるため、ほとんどの生徒は教室を出ると右側に曲がる。しかしゆめみは迷わず左側に曲がった。そして同時に左に曲がった生徒がもう1人いることに気がついた。
確認する前に誰だかわかった気がした。目が合って、お互いに微笑む。

「やっぱりゆめださんだ」

いつかのセリフを取られた気がして、ゆめみはくすくすと笑った。隣の席でルノワール友達の幸村だった。
「どこに行くか当ててあげようか?」と幸村が無邪気に笑えば、ゆめみも負けじと「私も当てられるよ」と笑う。2人は一拍置いて、同時に口を開いた。

「「屋上庭園」」

見事に声が重なると、お互いに少し驚いた顔をして、その後また可笑しそうに笑うのだった。2人は屋上への階段を登りはじめた。

屋上へのドアを開けて、屋上庭園へと足を踏み入れる。
7月に入っていたが、まだ朝の9時半ということもあり、過ごしやすい気温だった。
降り注ぐ太陽の光に、花が生き生きと輝いて見えた。
インパチェンスにガザニア、センニチコウ、マリーゴールド、トレニア、エボルブルス、アガパンサス、ペチュニア、ペンタス、トルコキキョウといった小ぶりの花々がセンス良く寄せて植えられている。
夏らしい濃いピンクや黄色、オレンジ、ブルーといったトロピカルな色が誇らしげに咲いていた。
入学したての頃に来た時にはまだチューリップやスミレ、パンジーといった春の植物が並んでいたのに。もう夏がここまで来たんだなと実感させてくれる。
ゆめみの瞳がうるうると潤むのを幸村は隣で見ていて、共感した。

「いつ来ても素敵」
「花も笑っているね」

幸村の言葉に、ゆめみはふふと笑う。笑われた幸村はわざとゆめみの顔を「何かな?」と覗き込んだ。ゆめみはその動作もなんか可笑しくて笑いながら首を振る。

「うんん、私もそう思ってただけ、でも他の人の前で言ったら変な人だと思われちゃうかも」
「ゆめださんには言われたくないなぁ」

そんな軽口を叩きながら、2人は並んで座ってデッサンの準備を始める。紙を画板にセットし、Bの鉛筆を取り出す。
意外と真面目な2人は準備が終わると、すぐに絵を描く作業に取り掛かった。描き始めて集中してくると、自然と無言になる。
屋上庭園にはチュンチュンという鳥のさえずりと風の音、そして下書きを描くシャッシャッという鉛筆の擦れる音だけが響いていた。すごく贅沢な時間だな、と幸村は思った。
大好きな植物に囲まれて、大好きな水彩画を描いている。そして、隣には。
そっとゆめみを見ると、ゆめみは出来た下書きを満足そうに眺めていた。
その絵を見て、幸村は前のめりになる。

「ゆめださん、その絵見せて」

不思議そうな顔で振り返ったゆめみだったが、幸村の絵を見て、「私も見たい」と目を輝かせた。2人はお互いの絵を並べて見比べる。

「意外だね」
「うん、全然違う場所みたい」

同じ方向から同じ場所を描いていたので、同じような作品が出来上がるのでは、と思っていた2人だったが、出来上がりは全く違うものになっていた。
幸村の作品は画面いっぱいに庭園が描かれており、いろんな種類の花が仲良さげに並んでいる。
対してゆめみの作品は、真ん中に咲いた濃いピンクのトルコキキョウが主役のように大きく咲き誇り、背景には空も入っていた。

「ゆめださんの絵、いいね、この子が主役なんだね」
「うん、この子を取り巻く素敵な世界を描いてみたの」

幸村はもう一度まじまじとゆめみの絵を見た。そういう考え方もあったんだなと気付かされた。ゆめださんと俺は感性が似ていると思っていたけど、それでも感じ方、世界の見え方はこんなにも違うんだ。そんな当たり前のことになぜだかすごくハッとさせられた。

「幸村くんの作品も素敵だね、モネの『睡蓮』みたい」

ゆめみの口から出た『モネ』という印象派の巨匠の名前に、幸村は大きく目を見開いた。つい半月ほど前まではルノワールの名前くらいしか知らなかったはずなのに。いつのまに作品名まで知るようになったのか。それともたまたまルノワールに疎かっただけなのだろうか。
ゆめみは幸村が驚いている理由に気付いたのか、鞄から一冊の本を取り出した。本のタイトルは『印象派の画家たち』。

「図書館で借りて来たの」

ゆめみは照れたように「幸村くんからもらった画集がとても素敵だったから」と付け加える。純粋に嬉しいと思った。幸村は「気に入ってもらえてよかったよ」と言った。

「知ってる?モネとルノワールは同じ画塾で学んだ友達同士なんだよ」

幸村の言葉に、ゆめみは「本で読んだよ」と頷く。そして、少し考えた後、にっこりと笑った。

「こうして隣で絵を描くのは、まるでモネとルノワールみたいね」

まるでモネとルノワールみたい??その言葉を幸村はもう一度胸の中で繰り返した。
ふと、こんな風に趣味について語れる友人が他にいただろうか、と考えた。いない、とすぐに答えが出る。だからこそ、ルノワール展で共感してもらった時に嬉しかったのだから。
失い難い、そう思った。
もっとこの子とこんな時間を過ごしたい。

「一緒に10月の海外研修ツアーに参加しよう」

幸村は気づいたらそんなことを口走っていた。立海では毎年秋に海外研修ツアーがある。希望者のみの参加ではあるが、人気が高いため、毎年面接とテストで参加が決まる。そして今年はフランスだった。

「モネもルノワールもフランスの出身だろ?絶対に楽しいよ、それに」

幸村はゆめみにいかにフランス海外研修が自分たちにとって魅力的かを説明し始めた。
その時、ゆめみは幸村の瞳から目が離せなくなっていた。その瞳がキラキラと輝いていたからだった。嬉しそうに、楽しそうに、話す姿に惹かれていく。瞳の中に星が瞬いているみたい、とゆめみは思った。
もし、情熱やパッションが波のようなものだとしたら、私はあっという間に溺れてしまうだろう。幸村くんの海に沈んでしまいそう、とまで考えた。

「どうだろう?」
「うん、行きたい」

幸村の表情がパアッと明るくなった。ゆめみもつられて笑っていたが、内心ではとても戸惑っていた。自分が即答したことに驚いたのだ。
ゆめみの今までの人生は、良くも悪くもゆめこと柳という2人の親友によって、彩られて、影響されてきた。2人と過ごす時間が心地よく幸せだったため、それ以外のものはいらないとまで考えるほどだった。だからこそ、2人に相談しないで決めること自体がゆめみには経験したことがない異常事態だったのだ。
どうして私はすぐに行くと言えたのか、ここで考えても分からなかった。ただ。

「幸村くんと出会ってから世界がどんどん広がってくよ」

これだけは確実だ。幸村はきょとんとする。

「それはどんな気持ちだい?」
「えっと、少し戸惑ってるけど」

ゆめみは素直に言葉にした。幸村は続く言葉を待ちわびた。

「わくわくしてる、かな」

上目遣いで、ポツリとそうゆめみが言うと、幸村の顔は真っ赤になった。
幸村は自分でもなぜこんなに気持ちが高揚するのか分からなかった。



(180401/小牧)→21

キミの海に溺れてみたい




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