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(思いたったが吉日ぜよ/仁王)
4月1日、まだまだ春休み期間中である今日。
七里ヶ浜駅から歩いてすぐの場所にあるカフェ、通称『DD』の店内で、3人の少年少女が真剣な面持ちで向き合っていた。ゆめことゆめみと柳だ。
普段ならばゆめことゆめみが隣に座り向かいに柳が座っているはずなのだが、今日は違う。ゆめみと柳が隣に座り、その向かいにゆめこが座っている。
なぜか。
それは二人にゆめこが呼び出されたからだった。
『大事な話がある』なんて言われて行ってみたら二人とも表情をかちこちに強ばらせて店内の一番奥の席に並んで座っていた。最初こそへらへらとした顔で「お待たせ〜」なんて近付いたゆめこだったが、その異様な空気にはすぐに気が付いた。何事だろう、とゆめこも席に着いたところでしんと3人の間に静寂が流れる。
「話というのは」
その沈黙を破るかのよう、柳がゆっくりと口を開くと隣のゆめみがごくりと唾を飲み込んだ。ただならぬ緊張感である。
「えっと〜、なんだろな?結婚でもするの?」
ゆめこはたまらずそう聞いた。
ブッとゆめみが噴き出す。しかし柳だけは冷静に「日本の法律上、婚姻関係を結ぶには男女ともに18歳にならなければ」などと話し出し、ゆめこは慌てて「マジのやつ止めて?冗談だから」と止めに入った。
そんな二人のやり取りを見て少しだけ緊張が解れてきたのか、ゆめみはくすりと笑った。
「蓮二、私から言ってもいい?」
「あぁ」
ゆめみは柳に許可を取ると、ゆめこに向き直って「あのね」と口を開いた。
「実は私テニス部のマネージャーをすることになりました!」
ゆめみは一息でそう言い切った。彼女は膝の上に握り拳を置いたまま、じっと上目遣いでゆめこの反応を窺っている。
見つめられたゆめこは突然のことにぱちくりと瞬きをしたものの、すぐに笑顔になって「へぇ〜!」と相槌を打った。どうやら彼女にとっては大して驚くことでなかったようだ。むしろ、わざわざ呼び出しておいてしかも2人がかりで伝えるにしては大袈裟な前振りだったな、くらいに思っていた。
昨日も会ったのだからその時に言ってくれても良かったのに、なんて思っていると「でね!」とゆめみが続けてゆめこは顔を上げた。
ここからが本題ですと言わんばかりの真剣な表情に、ゆめこはココアのカップに伸ばしかけていた手を咄嗟に引っ込めた。
「ゆめこも一緒にやらない?」
「なにを?」
「マネージャー」
「・・・・・」
ぴしりと固まってしまったゆめこに、ゆめみと柳はそっと顔を見合わせる。『やっぱり思った通りの反応だ』二人はアイコンタクトでそう会話した。
「ゆめこ面倒なこと苦手でしょ?だから断られるかなぁとも思ったんだけど、私はやっぱりゆめこと一緒がよくて」
「そっかー」
なるほど、だから二人とも私の反応を気にしてたのね。とゆめこは腑に落ちた顔をする。
「マネージャーかぁ。そうだねぇ〜、うーん」
ゆめこは頬杖をつきながら視線を宙に泳がせる。煮え切らない態度で返事をしないゆめこに、ゆめみは
「私も不安だらけだけど、ゆめことならできる気がするんだよね。ゆめこの記憶力があると、蓮二もデータ収集が楽になるって言ってるし」
とすかさず追撃する。しかしゆめこは「あー」だの「うーん」だの相槌を打つだけで一向に首を縦に振ろうとしない。最終的にゆめみは「やっぱりだめ・・・かな?」と肩を落とししゅんと小さく縮こまってしまった。
見兼ねた柳が「ごほん」とわざとらしい咳払いをしてゆめみの肩にポンと手を置いた。W選手交代だW彼の顔にはそう書いてあった。
「マネージャーと言っても、以前合宿でお願いしたような業務を頼むつもりはない。雑務はこれまで通り1、2年が行うし、朝練は出なくてもいい。土日はプライベートを優先してもらって構わないし、平日も基礎練の日は」
「あっ、ちょっと。待って待って」
矢継ぎ早に条件を提示してくる柳に、ゆめこは慌てて待ったをかける。
「あの・・・ね。そういうことじゃなくて」
ゆめこは言いにくそうに口をまごつかせた。
「ん?」と頭に疑問符を浮かべて次の言葉を待つ柳とゆめみ。返事を渋っている本当の理由を話さなければ二人も納得してくれないだろう。ゆめこは観念した様にふぅと小さく息を吐いた。
「私なんかがマネージャーしていいのかなぁ」
ゆめこがそう言うと、柳は珍しく「は?」と口を開けた。そんな油断した表情をする彼は珍しく、ゆめこは自分の発言がいかにWらしくないWかを思い知らされた。少し恥ずかしい気もするが、話し出してしまったからには仕方がない。ゆめこは柳のリアクションには触れぬまま話を続けた。
「私この2年間みんなのこと見てたから知ってるよ。どれだけ真剣にテニスに向き合ってるか。知ってるからこそ、中途半端な気持ちで関われないというか。みんなみたいに、私はテニスに全てを懸けれないよ」
真っ直ぐな瞳が柳を射抜く。冗談でもなんでもなく、彼女は真面目にそう思っているのだと柳は理解した。
「だからごめんね」と続けるゆめこに、柳は思わずフフッと笑ってしまう。
「え、今笑うとこ?」
「いや、すまない。つい」
つい、なんだ?とゆめこは首を傾げる。柳としては「マネージャーかぁ、めんどーい」なんて返事が来ることを予想していたので、ゆめこが思ったより真剣に自分達のことを考えてくれていると分かり嬉しくなったのだ。
「すべてを懸ける必要は無い」
「えっ?」
「今まで通りのお前でいい」
そう言った柳の表情は穏やかだった。ゆめこは目をぱちぱちと瞬かせて柳の顔を見ている。
「以前の合宿でデータ整理をゆめこに任せただろう?他の部員に好評だった」
「そうなの?」
「ああ、俺がまとめたものより見やすかったらしい」
「あはは、それは言い過ぎじゃない?」
さすがに煽てられている気がして、ゆめこは苦笑を浮かべる。しかし柳は小さく首を横に振った。
「それに選手情報やレギュラー陣の練習メニューを一瞬で把握してもらえるのも助かる」
「・・・」
「俺達に力を貸してくれないか?」
「ずるい」
「何がだ?」
「そういう言い方されたら断れないじゃん」
ゆめこがそう言うと、柳とゆめみは顔を見合わせくすりと笑った。
「返事は今でなくていい。新学期までの一週間、じっくり考えておいてくれ」
「うん、分かった」
とりあえず考えてはくれるらしい。ゆめこの返事を聞いて少しだけホッとしたゆめみは「なんかお腹空いたね!せっかくだし夕飯食べて行こっか」と明るい声を出した。
柳の部活終わりに待ち合わせをしたので、すっかり外は暗く夜になっていた。
「いいねー、食べよ食べよ」
と賛成したゆめこがメニューを開き、3人の間にはいつも通りの空気が流れ始める。
それからゆめこ達は他愛も無い話をしながらカフェでの食事を楽しんで、20時前には店を出た。
途中まで一緒に歩いて別れ道に差し掛かると、ゆめこは「じゃあねー!」柳とゆめみに手を振った。そうして一人になって歩き出したゆめこは、ぼんやりと先程の会話を思い出す。
「マネージャー、かぁ」
ぽつり、と吐き出された言葉が夜の闇に消えていく。蓮二とゆめみはああ言ってくれたけど、実際どうなんだろ?私にできるのかな?ゆめこは悶々と考えていた。
幸村のこともあるし、ゆめみがマネージャーをやると決意した経緯は詳しく聞かなくともなんとなく分かった。昨日恋バナをした時、ゆめみはついに幸村への恋心を自覚したと話していた。そのため彼を支えたいと思ったのだろう。でもゆめこにはそこまでの感情は無かった。
もちろん仲の良いみんなが全国三連覇してくれたら嬉しいし、これまで通り応援もするけど。
『すべてを懸ける必要は無い』
柳はそう言っていたが、ゆめこは正直「いやいや、そう言う訳にもいかないでしょ」と思っていた。
「どうしよっかなぁ」
小さく呟いて、ゆめこは自宅の門をくぐる。
その時彼女はちらりと視線を上へ向けた。
隣の家の2階。角にある部屋の電気が点いていることを確認してゆめこはスマホを取り出した。トーク画面を開きそこに何か打ち込んで送信ボタンを押すと、ゆめこが見つめていた角部屋のカーテンが開いた。
「・・・何じゃ?」
仁王が顔を覗かせたことを確認して、ゆめこは笑顔でふりふりと大きく手を振る。
「いーまーひーまー?」
と2階にいる彼にも聞こえる声でゆめこはそう尋ねた。しかし次の瞬間、シャッと勢いよくカーテンを閉められ彼女はむすっとした顔をした。
「なによー、けち」
なんて頬を膨らませていると、ヴーとスマホが音を立てた。仁王からのメッセージだった。『いまいく』の4文字に、なんだ来てくれるんじゃん。とゆめこは途端に嬉しくなる。
ガチャリと音を立て玄関から仁王が出てくる様子を、ゆめこは口元をニヤつかせながら見ていた。
「なに笑っとん?」
「だって、来てくれると思わなかったから」
「ゆめこちゃんに呼ばれたら無視する訳にもいかんからのう」
仁王はそう言ってゆめこに近付くと、目の前まで来て「で?」と首を傾げた。
「雅治くんに相談したいことがあって」
「相談?珍しいのう」
「時間ある?外じゃ寒いから私の部屋行こ」
4月に入ったとはいえ夜風はまだまだ冷たい。ひゅうと吹いた風に身震いしながら、ゆめこは仁王の服の裾をぐいと引っ張った。
玄関に入ると、ゆめこは「先部屋行ってて。飲み物持ってくるから」と言い残しリビングの方に消えてしまった。一人残された仁王は靴を脱ぎながらそんな彼女の後ろ姿を無言で見送る。
ゆめみと柳を除いたら、きっと自分が一番彼女に近い距離にいるんだろう。今の自分達のやり取りを客観的に俯瞰して仁王はそんなことを考えた。しかしなぜだかさっぱり嬉しくない。当たり前のように部屋に誘われたことも、挙げ句先に入っててと言われたことも。
「信用され過ぎじゃろ」
2階へと続く階段を登りながら、仁王は不貞腐れたような顔でボヤいた。
ゆめこの部屋に着き、仁王は慣れた手つきで電気を点ける。パッと明るくなり、もう何度も見たことのあるゆめこの部屋が視界いっぱいに広がる。
なんとなく辺りをぐるりと見回したところで、仁王は視界の端にガラスのローズドームを見つけた。それは彼がホワイトデーの日にゆめこに送ったものだった。
何事もなくハワイから帰ってきてくれますように。そんな願いを込めて送ったローズドーム。一昨日帰国したというその足でお土産を渡しに来てくれた時はいつも通りの様子だったが、実際のところどうだったのだろう。
白石と過ごしたハワイはどんな日々だったのか。もやもやと嫌な考えばかりが広がり、生きた心地がしない5日間だった。
仁王はそっとローズドームを手に取る。
当たり前だが花びら一つ落ちていない。仁王の不安など知ったことかと、ローズドームは買ったばかりの時と同じ美しさを保っていた。なんだが自分の気持ちだけ置いてけぼりにされたような気になって、仁王は無性に虚しさを感じた。
「ごめんお待たせ〜」
開けっぱなしにしていたドアから、両手でお盆を持ったゆめこが顔を覗かせる。お盆の上には二人分のジュースとお菓子が乗っていた。
仁王はローズドームを机の上に戻すと、ゆめこが持っていたお盆を受け取った。そこに言葉は無かったが、当たり前のように代わってくれる仁王の優しさにゆめこはくすりと笑って「ありがとう」と言った。
「でね、相談って言うのは」
ローテーブルに向かい合って座るや否や、ゆめこはすぐに口を開いた。この時、仁王の脳内では一瞬の内に様々な憶測が飛び交っていた。
終わったと思っていた毛利との間で何かあったのか。それともやはりハワイで白石と進展があったのか。
聞きたいようで聞きたくない。耳を塞いでしまいそうになるのをぐっと我慢して、仁王はゆっくりと顔を上げてゆめこを見た。
「私がテニス部のマネージャーやるって言ったら、雅治くんどう思う?」
想定外の質問に、仁王は「・・・は?」と目を見開く。そのリアクションを否定的に捉えたのか、ゆめこは「やっぱりナイよねー、そうだよねぇ」と頬杖をついた。仁王はすぐにハッとして
「待ちんしゃい」
と声をかけた。
「ん?」
「マネージャーやる気になったんか?」
「今日蓮二とゆめみに誘われたの。あっ、ゆめみが新学期からマネージャーやるの知ってた?」
「知らん」
「そっか。じゃあまだみんなには言ってないのかもね」
「お前さんは柳達になんて返事したんじゃ?」
「まだ保留〜。始業式の日までに返事くれって言われてるよ」
「なるほど」
ゆめこの話を聞いて、仁王はそっと口元に手を当てる。これはもしかして、今自分が何とコメントするかでゆめこの意志が左右されるのではないか。仁王はそう思った。だとしたら責任重大だ。
『おい仁王、ミスんなよい!』と頭の中にいる小さな丸井がプレッシャーをかけてくる。やかましい。言われなくても必ずゆめこをマネージャーにしてみせる、と仁王は静かに心の火を灯す。
「ゆめこは正直どう思っとるん?」
「んー、そうだねぇ。別にやりたくないって訳じゃないんだけど・・・」
「だけど?」
「中途半端な覚悟で首突っ込んだらみんなの邪魔になっちゃうんじゃないかって、そう思ってるよ」
ゆめこがそう言うと仁王はぽかんと口を開けた。「蓮二にも同じリアクションされた」とゆめこが唇を尖らせると、仁王は条件反射のようにすぐに「すまん」と口にした。
「まさかお前さんがそこまで考えてたとは、驚きぜよ」
「そりゃ考えるよ。どうでもいい人達じゃないもん、みんな。え、てかさ、私ってそんなに考え無しの人間に見える?」
「見えないと言えば嘘になる」
「はい、傷ついたー」
ゆめこはゴンっとテーブルに額を打ち付ける。仁王はそんなゆめこの頭をよしよしと撫でながら「冗談じゃき」とフォローする。しかしゆめこは「もういいもん」なんて不貞腐れたまま顔を上げようとしない。仁王はゆめこの頭に置いた手はそのままにすっと目を細めた。
「ゆめこが友達想いなことは誰よりも知っとる」
いつもより少しだけ低い声。それがいつになく本気に聞こえて、ゆめこはそろりと窺うように顔を上げた。二人の視線が交わる。先にふいと視線を逸らしたのは仁王だった。
「まぁ、俺はお前さんがマネージャーやってくれたら嬉しいぜよ」
「そうなの?」
ゆめこの問いに仁王はこくりと頷く。「そっかぁ」と考え込むゆめこを見て、仁王はもう一押しか?なんて思っていた。
「でもさ、なんで急にマネージャー入れる気になったんだろうね?」
「さぁのう。幸村が心変わりでもしたんじゃなか?」
「ふーん」
「本気で三連覇を目指すならマネージャーのサポートが必要だとでも思ったんじゃろ。ゆめだとゆめこなら信用できるしのう」
「雅治くんもそう思う?」
「まぁ、その方が練習にも集中できるし」
実際夏の合宿もゆめこが全員分の練習メニューを把握してくれていたおかげで大分助かっていた。選手によって苦手分野も異なるため人によって練習メニューが違うのだが、「あと5分したらサーブ練だよ」「次はスマッシュ&ロブ!」などと都度声掛けしてもらえるのでうっかり時間をオーバーしてしまうことも無かった。まるで有能な秘書がついたような、そんな気分だったのだ。
それに、好きな女の子が側でサポートしてくれるのは純粋に嬉しい。先程はいろいろ理由をつけたが、もしかしたら幸村もそうなのでは、と仁王は口にこそ出さなかったがそう思った。
「ゆめこは俺達に三連覇して欲しいと思っとるか?」
「そりゃもちろん、思ってるよ」
「なら難しく考える必要はなか。その気持ちがあれば十分じゃき」
目を細め柔和な表情を見せる仁王に、ゆめこの胸がどきりと高鳴る。あれ程悩んでいたことなのにたった一言がストンと胸に落ちてくる。
「マネージャー、やってみようかな」
ぽつりと呟かれた言葉を仁王は聞き逃さなかった。
「そうと決まれば連絡じゃ」
「え?」
仁王はテーブルの上に置いてあったゆめこのスマホを本人に渡した。
「なに?」
「柳に返事しんしゃい」
「もう?!でも返事は新学期まででいいって・・・」
「そうこうしてる内にお前さんが心変わりしてしまうかもしれんきに」
「しないよ」
「いや、分からん」
もし『やっぱりやめとく』などど言われてしまったら悔やんでも悔やみきれない。仁王は今日中に確信を得たかった。
「思いたったが吉日ぜよ」
「ん〜、そう?」
ゆめこは腑に落ちない顔をしながらスマホを開く。そんなに焦らなくとも、とマイペースの彼女は心の中で思っていたが、仁王がこうもぐいぐい来るのも珍しいのでゆめこは大人しく彼の意見に従った。幼馴染3人のグループチャットで『マネージャーやる』とだけ送ると、すぐに二人から返事が来た。
「なんて言うとる?」
「WありがとうWって。なんかすごく喜んでくれてる」
スマホに目を向けたまま嬉しそうににこにこと笑うゆめこに、仁王も穏やかな表情を浮かべる。
「やる!って決めたらなんか急にやる気出てきた」
ぐっと両手の拳を握り意気込むゆめこ。仁王はぱちぱちと手を打ちながら「おーおー、その調子じゃ」と囃し立てた。
その後、ゆめことゆめみが新学期からマネージャーをやることはその日の内にいつメンの間で共有され、この日彼らのグループチャットは大いに盛り上がった。
(221118/由氣)→186
Chapter3開幕。