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(乗れ頂上まで連れていこう/手塚)

早いもので夏休みも2週間が過ぎ、8月に入った初めての木曜日。朝食後にゆめみはアップルマンゴーを食べながらマンゴージュースを飲んでいた。ちなみにこのマンゴーは蓮二ママおすすめのふるさと納税のお礼でこの時期、蓮二宅、ゆめみ宅、ゆめこ宅には宮崎からマンゴーが届くのだ。
ぼーっとしながら、今日は何をしようかと考える。夏休みに入ってからというもの、関東大会、林間学校と毎週のようにイベントがあり、空いた日にゆめこと遊んでいたため、久しぶりに1日何も予定が入っていない日だった。
窓の外は猛烈な日差しが降り注いでおり、今日は絶対外出したくないなー、と思った。
学校の課題は柳とほとんど終わらせてしまっていたので、今ハマってるフランスの映画を観るか、ヴァンプリを読み直すか、刺繍をするか、などと思考を巡らせていると、母親がめったに使わないゆめみの登山服を広げていることに気が付いた。

「登山ってね、情操教育にいいらしいのよね」

ゆめみの視線に気がついた母親は、そう言ってにっこりと笑う。あ、これは登山に行かせられるフラグだな、とゆめみは思い「ふーん」と気の無い返事をした。
ゆめみの母親は、教育熱心な一面があり、小さい頃から様々な教育本を参考に、モンテッソーリ教育だのシュタイナー教育だのを取り入れた働きかけを実行して来た。0歳から送迎付きの英語リトミックやら幼児教室に通わされていたほどだ。
ゆめみは今のところ感受性豊かないい子に育っているので、効果があったとも考えられるが、ゆめみは自身は懐疑的だった。

「忍耐力や計画性が身につくし、達成感も味わえる、それに大自然の中でリラックス効果もあるらしいわ、うふふ、全部彩菜さんの受け売りなんだけどね」

とりあえずふんふんと説明を聞いていたゆめみだったが、最後に出てきた名前に、ぱっと顔を上げる。彩菜さんとは手塚の母親である。関東大会の後、両親揃って関東大会のお礼を言いに行ってから、交流が出来たようだ。
ゆめみは残ったマンゴージュースを飲みながら考えた。
国光くんが登山、ねぇ。
ゆめみは手塚のいつもの無表情な顔を思い出して、確かに彼には登山が必要かもしれないと思った。リラックス効果とか、彼に一番必要だ。

「ゆめみまだ食べてるの?早く着替えないと、そろそろ手塚さんが迎えに来る時間よ」

ゆめみは思わず吹き出しそうになった。それを見た母親が「そんなに照れちゃって、やっぱり国光くんのことが好きなのね」と言い出した。「ママ、それは誤解なの!」ゆめみは思わず立ち上がる。

「そう?良かった、ママは蓮二くん派だから」

にっこりと微笑む母親に、ゆめみは不可解な顔をする。なにそれ?派閥とか出来てるの?怖い。


そのあと。
言われるがままに登山服に着替え終わったところに、手塚の父親と息子が迎えに来た。
母親は家族のスケジュール共有アプリに予定を入力していたらしく、ゆめみが把握していなかっただけらしい。
そして、あれよあれよと言う間に気付けばゆめみは登山口に立っていた。

「嬉しいな、ゆめみちゃんは山が大好きなんだってね、僕も山登りが趣味でね、こうして国光に付き合ってもらっているんだけど、人数が多い方が楽しいからね」
「こちらこそありがとうございます」

いつの間にやら山大好き設定にされていたゆめみは戸惑いながらも、手塚の父親手塚国晴の言葉に返事をする。
ゆめみの両親はアウトドア派では無いために、登山なんて、学校行事以来だ。

「あの、登山の経験はあんまり無くて、ご迷惑をおかけするかもしれないです」

このまま経験者ぶっても仕方がない、とゆめみはおずおずと切り出した。話ながら、山好きなのに山登りの経験ないとか一体自分はどういう意味での山好きなのだろうか?と疑問に思ったが、国晴はそんなことは気にならなかったようで、「大丈夫!僕たちがサポートするから!」と爽やかな笑顔で言ってくれた。

先頭から国晴、ゆめみ、手塚、という順番で山を登って行く。
真夏の登山なんて、暑そうだなぁ、と思っていたゆめみだったが、山は比較的気温が低い上に、木に囲まれているため、長袖の登山服でもそこまで暑いとは感じなかった。
緑の葉っぱが覆い茂り、時折花も咲いている。耳から聴こえて来る音は鳥の鳴き声と、葉っぱが揺れる音、たまに水の音、そして、自分達の足音だけ。
そんなに乗り気じゃなかった登山だったが、30分くらいすると、ゆめみは自然に笑顔になっていた。

国晴は、自分で山登りが趣味と言うだけあって、終始とてもいい笑顔で時折注意点を丁寧に教えてくれた。
ゆめみはチラリ、と自分の後ろを歩く手塚を見た。
手塚は国晴とは対照的に、笑ってもいなかったし、ほとんど話さなかった。しかしどこか柔らかな雰囲気を醸し出しており、ゆめみは国光くんも登山が好きなんだろうな、と思った。

「綺麗な花」

ゆめみは紫の小さい花を見つけて、微笑んだ。国晴が「レンゲショウマって言うんだよ」と立ち止まって教えてくれた。「なんだか気品があって好きだな」とゆめみが言うと、国晴は手塚に目配せして、楽しそうに笑う。

「驚いたなぁ、国光と同じことを言うんだね」
「え?」

ゆめみは手塚を見て、「国光くんもこの花が好きなの?」と聞く。手塚は「ああ、そうだな」と返事をした。手塚くんが『俺はこの花が気品があるから好きだな!』なんて言うところを想像しようとしたが出来なかった。ゆめみは国晴がどうやってその情報を聞き出したのか気になった。

「国光はね、昔はお喋りだったんだよ」

国晴はゆめみの疑問に気付いたようで、楽しそうにそう言った。まじか。
「そう、なんだ」手塚を真っ直ぐに見た。少し不機嫌そうに眉が動いた気がして。ゆめみはぷ、と噴き出してしまった。「ごめんなさい」すぐに口を押さえて謝る。

「はは、想像できないよね、でもね、ほんとだよ、今のゆめみちゃんみたいに、瞳を輝かせて花の名前とか聞いてくれたりしてね」

国晴から出た追加情報に、ゆめみはまた想像してみる。瞳を輝かせて『これは何てお花なの?パパ』とか聞いてくる手塚。やっぱり上手に想像出来なかった。

「だからゆめみちゃんを見ていると、昔の国光を見ているようで楽しいよ」

そう言って笑う国晴。ゆめみはなんだか嬉しくなった。手塚はついに「父さん、そろそろ進みましょう」と先を促した。ゆめみ達はまた山道を歩き始める。

「ねぇねぇ、国光くん、あのユリの花は好き?」
「ああ」
「じゃああっちの黄色い花は好き?」
「ああ、タマガワホトトギスだ」
「そうなんだ、岩の間に生えててすごいね、可愛い」

ゆめみは新しい花が咲いているのを見つけると、必ず手塚に好きかどうか聞いた。最初はぶっきらぼうに答えていた手塚であったが、慣れてきたのか次第に名前まで教えてくれるようになった。
そんなゆめみ達の様子を国晴はにこにこしながら見守っていた。


「素敵な花ばかりだけど、私はやっぱりレンゲショウマが1番好きかなぁ」

休憩中に、ゆめみはそう言った。うつむき加減の繊細な感じがとても素敵な花だった。国晴は嬉しそうに笑って「山頂に行けばもっとたくさん生えているよ」と言った。

「それは楽しみですー」
「実はね、この山の山頂で彩菜にプロポーズをしたんだ」
「え」
「彩菜が僕の趣味に付き合ってくれたのは、それっきりなんだけど、ちょうど今頃だったのかな、風が吹いてね、レンゲショウマがたくさん揺れていたのを思い出すよ」

ゆめみはロマンティックな話に「素敵ですね」と目を輝かせる。国晴は「はは、久しぶりにあの景色をみたくなったな」と呟いた。

「あと少しです、行きましょう」

手塚の掛け声で、国晴とゆめみは立ち上がった。その時、ゆめみはかかとに違和感を感じた。
それから歩き始めて5分もしないうちに違和感は痛みに変わっていった。靴擦れだと気付く。小学生の頃に買ってもらった登山靴は少しだけ小さくて、歩いているうちに擦れていたらしい。
でも、あと少しだから、とゆめみは気付かないフリをし続けて歩き続けた。そのうちに足にズキズキと激痛が走るようになった。
その変化に真っ先に気付いたのは、後ろを歩いていた手塚だった。ゆめみの足の動きから、靴擦れであることを察知した。

「父さん」

国晴とゆめみが振り返る。と、その時ゆめみは手塚が何を言おうとしているのかわかった気がした。言われてしまうのが怖くて、ゆめみは「あ、あのっ」と切り出した。

「私、疲れてしまって、ちょっと休憩したいです」
「もちろん構わないよ、少しハイペース過ぎたかな」

国晴の返事にほっとしていると、ゆめみの気持ちを察知したのか、手塚は「彼女と川の方を見て来ます」と言って、ゆめみを連れて水の音がする方へと下って行った。
そして、川沿いの岩にゆめみを座らせると「靴を脱げ」と言った。ゆめみは恐る恐る靴を脱ぐ。擦れて顔が痛みで歪む。それを見て、手塚は丁寧にゆめみの靴下を脱がせた。
かかとの部分の皮がよれて、血が出ている。手塚の眉が非難するように寄った。

「なぜ言わなかった?」

ゆめみは肩をすくめて「だって帰るっていわれちゃうかと思って」と言った。

「当たり前だ、下山するぞ」
「お願い」

手塚はゆめみの顔をまっすぐに見る。ゆめみの顔は真剣だった。ゆめみは国晴パパに頂上の景色を見せてあげたいし、自分もその景色を見てみたいと主張した。手塚は小さくため息を吐く。

「痛いだろう?」
「痛くないよ」

『嘘だな』と言おうとして、手塚はデジャヴだなと思った。ゆめみも同じことを思ったらしく、クスクスと笑いだす。関東大会前に、手塚の腕の疲労が原因で試合に出て欲しくないとゆめみが言ったことを思い出した。

「立場が逆になっちゃったね、今度は私がワガママ聞いてもらう番でしょう?」

手塚はまたため息を吐いた。なぜかペースを崩される。手塚はひとまず荷物から救急セットを取り出し、手当をしようとゆめみの足を持ち上げるが、それをゆめみは制止した。

「自分で出来るよ」

ゆめみは素早く止血をして、ガーゼとテープで固定した。その手際の良さに手塚は目が離せなかった。手塚はふと関東大会の時のことを思い出していた。ゆめみは自分の腕を少し見ただけで、状態を正確に把握した。それは誰にでも出来ることではない。

「見事だな、ゆめだ先生直伝か?」
「ありがとう、直接教えてもらった訳じゃないけど」

ゆめみはちょっと思い出すように、目を伏せた。

「パパね、昔はおじいちゃんが経営するスポーツ選手専門の個人病院を手伝っていたの、小さい病院だったから、よく遊びに行ってたんだ」
「そうか」

そこで覚えちゃったのかな?と笑うゆめみ。

「こういうの『門前の小僧習わぬ経を読む』っていうんでしょ、蓮二が言ってたよ」

「お前は努力家なんだな」

ゆめみは手塚の予想外の言葉に目を見開いた。手塚は堅い表情のままだったけど、その瞳の色は優しかった。

「謙遜しなくていい、技術を身につけるには努力と時間が必要だ、胸を張るべきだ」

なんだか心がポッと暖かくなる。
すごく優しい人なんだな、と思った。
「ありがとう」とお礼を言いたかったのに、なんだか恥ずかしくて言えなかった。

「さて、いずれにせよ足を休める必要があるだろう」

手塚はゆめみの前で後ろを向いて屈んだ。

「え?」
「乗れ、頂上まで連れていこう」
「だ、大丈夫だよ」

手塚が振り向くと、ゆめみは耳まで真っ赤になっていた。それを見て少し優越感を覚える。

「では、こうしよう、俺のトレーニングに付き合ってくれないか」
「・・・うん」

手塚の優しさを感じて、ゆめみは手塚の背中に乗った。見た目以上にがっしりとした背中にドキッとする。立ち上がると、控えめに乗っていたゆめみは落ちそうになる。

「しっかり捕まれ」

ゆめみはぎゅっと手塚にしがみつく。手塚はちょっと目を見開いた。

「ありがとう」

ゆめみの口から囁かれたお礼は、あまりにも小さくて、風の音にかき消された。しかし手塚にはちゃんと伝わっていた。『甘えてくれて構わない』と伝えたかったが、どうすればいいのか分からず、手塚は無言で歩き始めた。



(180406/小牧)→25

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