030
(ケルトンドゥシャン/幸村・柳)
「今日も美味しそうなものばっかり」
「これで今年最後かと思うと欲張っちゃうよね」
新鮮な卵を使ったオムレツ、エッグベネディクト、ふわふわのパンケーキ、ワッフル、スフレ、チーズに生ハム、珍しい野菜を使ったサラダ、色とりどりのフルーツ、ゆめみとゆめこは目を輝かせながら、次々と料理をトレイに乗せていく。見る見るうちにトレイに乗り切らなくなった。
ここはペンションと同じ敷地内にあるホテルのバイキング形式で朝食を提供しているレストラン。立地を活かしたワンランク上の食材を使った料理が自慢で、毎年ここで朝食を食べるのが彼女たちの楽しみであった。
2泊3日の日程で来ていたペンションだったが、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、最終日の朝を迎えていた。
「先に席に行ってるね」
「おっけー、私もうちょっと吟味する」
ゆめみはトレイに乗り切らなくなったので、とりあえず席に戻ることにした。他のメンバーはまだ時間がかかっているようで、席はガラガラだった。幸村だけが1人で座っていた。ゆめみは当たり前のように幸村の隣に座り、幸村の朝食を覗き込んだ。
「幸村くん、今日は和食なんだね」
「うん、昨日から今日は魚にしようと決めていてね」
「焼き魚が好きなんだよね」と微笑む幸村に、ゆめみは意外だな、と思った。幸村はどちらかと言うと洋風なイメージだ。あ、でも焼き魚って和食とは限らないな、とゆめみは思い直す。フランス料理にも魚のポワレというメニューがあるし。
「ポワレは好き?」と聞こうとして、ゆめみは口を開いた。しかし幸村がスマホに集中していたために、ゆめみは聞くのをやめた。
少しがっかりして、ゆめみは顔を上げる。このレストランは全面ガラス張りになっており、外の素晴らしい自然の景色が見えた。
「わぁ、素敵」
小さい感嘆の声が口から漏れる。1番手前にひまわりが植えてあり、それが並んで植えられていて可愛かった。その奥の木に咲いた白い小さい花がとても可憐で素敵だと思った。
「あの白い花はなんて名前?」と聞こうとして、口を開いたが、幸村はまだ画面を見ており、ゆめみはまた口を閉じた。
「ヤマボウシだ、秋になると赤い実を付ける」
幸村がスマホから目を離すのをじっと待っていると、柳が答えてゆめみの隣にトレイを置いた。ゆめみが柳の方を見ると、視界いっぱいに搾りたてのオレンジジュースが映る。それを見て、取り忘れていたことを思い出した。柳は当然のようにそのオレンジジュースをゆめみの前に置いた。
「ありがとう、蓮二」
ゆめみは少し恥ずかしそうにそういうと、柳は「いつものことだろ」と涼やかな笑みで返した。そうしているうちに次々とメンバーが席に戻って来た。それぞれのトレイの上は個性で溢れており、それを見るだけでも楽しいとゆめみは思った。
「真田は今日もなめこの味噌汁にローストビーフ丼かい?」
気付けば幸村は顔を上げて、幸村の隣に座った真田に「よく朝からそんなに食べられるね」と声をかけていた。それを見て、ゆめみはまた話す機会失っちゃったな、と思う。また?自分で思っておいてその言葉に引っかかった。
ふと、昨日は幸村とフランスや植物の話をしていないことに気が付いた。夏休み中とは言え、幸村とゆめみは毎日のようにオンラインフランス語講座で会ったり、そのための連絡を取り合ったりしていた。そのせいか、なんだかぽっかり穴が空いたような、そんな気持ちになるのだった。
1日目も2日目もテニスをしたのに、結局最終日も多数決の結果テニスをすることになった。「お前らどんだけテニスが好きなんだよ」とボヤく丸井を筆頭に、男子メンバーたちはゾロゾロとテニスコートへ向かって歩いていた。丸井は本当はグルメツアーに行きたがっていたのだ。
「そう言うなよ、せっかくの機会じゃねーか」
「そうですよ、丸井くん、それに今日はゆめのさんとゆめださんも応援に来てくれるそうじゃないですか」
「まあな、嫌だなんて誰も言ってないだろぃ?俺の天才的妙技、見せてやるぜぃ」
ジャッカルと柳生の励ましに、丸井は目に見えて機嫌が良くなった。「単純なヤツ」とジャッカルは苦笑いをする。
一昨日はアウトレット、昨日はおしゃれなカフェと雑貨屋巡り、と一通りバカンスを満喫したゆめみとゆめこは、今日は練習している彼らのためにお弁当を作ると言いだしたのだった。今ごろ自分達のために一生懸命料理しているであろう可愛い2人の女の子を思い浮かべて、男子メンバーの足取りは軽かった。
しかし、幸村だけはどこか浮かない顔をして、最後尾を歩いていた。どんどん他のメンバーと距離が離れて行き、ついに幸村は足を止めた。
真っ先に気づいたのは前を歩いていた真田と柳だった。「幸村?」と声をかけると、幸村はハッと顔を上げる。その顔は普通だったのに、なぜか泣き出しそうだと真田は思った。
「すまない、忘れ物をしてしまったようだ、先に行っていてくれ」
何かがおかしい。真田も柳もそう感じてはいたが、引き止める理由も無い。真田は「ああ、わかった」と言って引き返していく幸村を見送った。
幸村はペンションでもテニスコートでも無いどこかを目指して歩いた。歩いて、歩いて、そして教会に着いた。リゾートウェディング用の雰囲気のある石造りの教会だった。幸村以外に人がいないことに安心して、その石垣に座り込む。
「はぁ」
大きなため息を1つ付くと、空を見上げる。空は雲ひとつない快晴で、それが逆に落ち着かない。
どうして自分がこんな気持ちになっているのか、どうしてあの場にいるのが耐えられなくなったのか、明確には理解できていなかった。
ただ、『柳がゆめださんを好きだと知った時から』自分の中の何かが変わってしまったことだけは確かだった。
ゆめださんと話すなと言われた訳では無いのに、ゆめださんと話すことに苦しいほどの罪悪感を感じる。
幸村はもう一度空を見上げて、大きなため息を吐いた。
「あれ?バターもうこれだけ?」
ゆめこは残りのバターを確認して、不思議そうな顔をする。
その時、ゆめみとゆめこは涼しいペンションでサンドイッチ作りに励んでいた。美味しいパンにバターを塗って、新鮮な食材を挟むだけの簡単な料理だが、食材が良いものが揃っているだけに、美味しくなることは間違いない。
ゆめみは「本当だ、もう全部使っちゃったみたい」と言うと、しゅるりとエプロンを外して、財布を手に取った。
「私ホテルのコンビニまで買いに行ってくるね」
「1人で大丈夫?」
「うん!ついでに生クリーム買って来ようと思って。フルーツ挟んだら美味しそうじゃない?」
「それいいね、じゃあ私フルーツカットしておくね」
ゆめみはゆめこに「ありがとう」と手を振って元気よくペンションを出る。外に出ると、どこまでも青い空が広がっていて、ゆめみはその美しい景色ににっこりと微笑んだ。
湖沿いの道をスキップしながら歩くゆめみ。とても良い天気だと思っていたために、ポツと水が落ちて来た時、それが何だか理解するのに時間がかかった。
ポツ、ポツ、と水の塊が落ちて来て、地面の色が変わる。ゆめみが空を見上げた時にはすでに遅かった。いつのまにか真っ黒な雲が空を覆っていて、激しい雨が次から次へと降って来た。
ザーッと大雨が降り続いている。幸村は教会の中から、その雨を眺めていた。バケツをひっくり返したような雨とはこういうことを言うんだろうな、などと考えながら、酷く安心している自分がいることに気付く。
これで戻れない口実が出来た。
柳はゆめださんが好き。
その事実が薔薇の棘のように胸に突き刺さっている。柳の恋を応援したいとは思う。努力家の友人に幸せになって欲しいとも思っている。
それなのに。自分はなぜこんなにも落ち込んでいるのだろうか。
とその時、真っ白い服を着た少女が教会の中に飛び込んで来た。走ってきたのだろう、うつむいてはぁはぁと肩で息をしている。
少女が顔を上げて、幸村は目を見開いた。
「幸村くん?」
ゆめみだった。大雨にあって全身びしょ濡れで、それでもゆめみは幸村を見ると、少し驚いた後、キラキラした顔で笑う。
「聞いて聞いて、私ここまで泳いできたんだよ」
そんなことを楽しそうに言い、「貴重な体験だったかも」と笑う。そんなのんきなゆめみに幸村はふふと笑いが込み上げてくる。
こんな酷い目にあったのに、それを喜んでいる彼女。理由もわからずに落ち込んでいた自分が何でもないことのように思えた。
「キミは変わっているよね」
幸村が小さく笑ってそう言うと、ゆめみは「そうかな?」と首を傾げた。「そうだよ」と言おうとして、ゆめみをまっすぐに見たことで、幸村の顔は見る見るうちに赤くなっていった。すぐに視線を外して、テニスバックの中から長袖ジャージを取り出す。そして、ゆめみに視線を外したまま「着るといいよ」と渡した。
「きゃあっ」
そこで初めて、ゆめみは自分の着ていた白いシャツワンピが濡れて肌に張り付いていることに気がついた。下着のラインが透けて見えていた。ゆめみは「ありがとう」と幸村から上着を受け取ると、大人しくそれを着る。
幸村もゆめみも顔を赤くしたまま、しばらく隣に座って教会の外に降り続ける雨を眺めていた。下着を見てしまった恥ずかしさと見られた恥ずかしさでどうしていいのか分からず、時間だけが過ぎて行く。
ドン、と大きな音がして、ズザザザザと更に強い雨が降ってきた。
2人はその凄まじさに一瞬大きく目を見開いて。
「「Quel temps de chien」」
口から出たフランス語が同じだったことに更に驚いて、顔を見合わせた。
そして同時にくすくすと笑う。
ケルトンドゥシャン、『なんて酷い天気だ』と言う意味のフランス語で、2人とも同じレッスンを受けているのだから、被っても不思議では無いのだが、幸村はゆめみに運命的な何かを感じてしまう。
「直訳すると、犬の天気って意味だよね、ゆめださんはどう感じる?」
「そうね、犬も歩けないくらいすごい雨って感じかな?犬って泳げないイメージあるし」
ゆめみはうふふと笑って「さっきも言ったけど、すごい雨が降ってる中を歩くのって、水中を泳いでいるみたいなの」と付け加える。
幸村はまた「なるほど」と思った。ゆめみの解釈は正しくは無いかもしれないけれど、いつも自分の中にスッと入ってくる。
ゆめみとの時間を楽しいと思うと同時に、チラリと柳の顔が浮かぶ。
罪悪感。この痛みはどこから来るのだろうか。
「雨で良かった」
ゆめみが無邪気にそう笑う。幸村はきょとんとした。ゆめみは雨のせいで濡れて、恥ずかしい想いをしたばかりのはずでは、と思ったのだった。戸惑いながら「どうして?」と幸村は聞いた。
「幸村くんとお喋り出来たから」
その笑顔には一点の曇りも無かった。純粋にそう思ったのだろう。幸村の方が恥ずかしくなって、少し赤くなる。
「ゆめださん」
幸村は勇気を出してゆめみの名前を呼んだ。
幸村はこの罪悪感から解き放たれる方法に気が付いていた。
「俺と一生友達でいて欲しい」
罪悪感の理由は、ゆめみを好きになってしまいそうだからだと幸村は気付いた。その行為が友人への裏切りになるような気がしたから、だから苦しかったのだ。
でも、ずっと友達でいられるなら。
それは柳への裏切りにはならない。
幸村は無理矢理そう定義付けた。そうでもしないと、正義感の強い自分はゆめみの側にいられそうにない。
何も知らないゆめみは、その言葉に「うん、もちろんだよ」と嬉しそうに笑った。そして、そっと右手の小指を幸村の指に絡めてくる。
「ゆびきりげんまん、私たちずっと仲良しでいようね」
ゆめみの小指は細く繊細で、幸村はドキドキしたが、その気持ちに気づかないふりをして、ぎゅっと小指を絡める。
「うん、約束するよ」
俺はゆめみを好きにはならない。
ずっと友達でいるから。
だから、ずっと側に居させて欲しい。
気がつけば、教会の外から光がさしていた。
幻想的な淡い光が教会内にも降り注いで、ステンドグラスが輝いてとても綺麗だった。
2人で教会内を見た後、外に出た。
見渡す限りの青空が広がっていた。
「ピクニック日和だね」
ゆめみの笑顔が太陽の光を受けてキラキラと輝く。幸村は眩しいと思った。可愛いと思った。でもそれも心の奥底にしまうことにした。
「ゆめださんの手作り楽しみにしているよ」
「うん、私も幸村くんに食べて欲しいな」
2人は笑い合って、別々の方向へと進んで行った。ゆめみはコンビニへ、幸村はテニスコートへ。
幸村はもう浮かない顔では無かった。その表情は憑き物が取れたように、晴れ晴れとしていた。
(180410/小牧)→33
花は摘まないと約束するから