039
(なんや、サボリかいや/毛利)

「やっちゃった・・・!」

最寄りの駅を降りるや否や、ゆめこは学校までの道のりを全力疾走していた。
10月に入り、ゆめこが立海大付属中学校に入学してから半年程が経つが、これが彼女にとって初めての遅刻であった。なんてことはない、寝坊である。

普段は彼女の母親が起こしてくれるのだが、祖母が体調を崩してしまい、看病のため1日だけ家を空けているのだ。「一人で大丈夫?ちゃんと起きて学校行くのよ」なんて心配する母に「いくつだと思ってるの。大丈夫に決まってるじゃん」とゆめこは豪語したが、結果がこれである。目を覚ました時には既に朝のHRが始まる時間になっていて、ゆめこは時計を見て思わず仏顔になった。1限目は捨てよう、と。

それから朝食も摂らずに家を飛び出し、電車を待っている間に学校に電話をした。
その場で思いついた「貧血気味で駅で立ち眩みがしてしまい・・・」という言い訳を話すと、弱った演技をした甲斐もあってすぐに許してもらえた。むしろ「大丈夫か?無理するなよ」などと心配までしてもらい少々良心が痛んだ。
大量の着歴を残してくれていたゆめみにも、電車の中で謝罪のメッセージを送っておいた。

そうしてようやく学校に到着したゆめこだったが、少々遅かったようで、既に2限目が始まってしまっていた。そろりと足音を立てないようにしてB組の教室を覗き込むと、先生が教科書を開いて何か説明しているところだった。あの人恐いんだよなぁ、と教壇に立つ先生を見てげんなりすると、ゆめこは「よし」と言ってくるりと踵を返した。3限目から出ることにしよう、と彼女が決断した瞬間である。

それまでどこかで時間を潰さなければならない。一年生の教室がある二号館から離れすぎてしまうと、戻ってくるのが面倒なのでゆめこは二号館の屋上に行くことにした。本当は一号館の屋上の方が屋上庭園やベンチもあって良いのだが、それ故美術や植物観察の授業で使われていることも多く、だったら殺風景で何もないがその分人気も無い二号館の屋上の方が、サボるにはうってつけだと判断したのだ。

そうは言っても授業をサボるのも、二号館の屋上へ行くのも初めてだったゆめこは少しドキドキしながら屋上の扉を開けた。噂通り二号館の屋上は何もなく、ただのコンクリートの空間が広がっている。せめてベンチの一つくらい置けばいいのに、と一号館の屋上との差に不満を抱きつつも、ゆめこは扉の近くの壁に背をつけて腰を下ろした。
天気が良いのがせめてもの救いだな、なんて思いながらゆめこは隣に置いた鞄の中をガサゴソと漁り、感想を求められていた父の小説を取り出す。

そうして数分の間その場で読書に没頭していると、ゴンッという音がしてゆめこはびくりと体を揺らした。誰かが扉を開けたのだが、ゆめこの鞄が邪魔になっていてぶつかってしまったらしい。この人もサボりか?と思いながら、ゆめこは鞄を自分の体に引き寄せると「すみません」と入ってきた男子生徒に謝罪した。しかし、その人物の顔を見てゆめこは「あっ」と思わず声を漏らした。見覚えがあったのだ。入ってきた人物もそんなゆめこの様子に気付いたのか、

「どっかで会うたことある?」

と気になって話しかけた。一瞬神奈川では珍しいその方言に気を取られるのも、「えっと、テニスの試合で」と言いながら、ゆめこは立ち上がる。おそらく先輩なので座ったまま話すのは失礼かと思ったのだ。しかし、立ち上がったことで身長の差が歴然となり、ゆめこはその大きさに驚いた。自分の周りにも、幼馴染の柳や真田など高身長の男子はいるが、この頭の位置ということはおそらく彼らよりも大きいだろう。ゆめこも決して女子の中では身長が低い方ではないのだが、それでも首が疲れるほどだった。
まじまじ自分を見つめる少女を不思議に思ったのか、男子生徒は「ん?」と屈んでゆめこの顔を覗き込んだ。そのことでハッと我に返ったゆめこは、

「県大会と、それから全国大会も観に行きました。試合、出てましたよね?」

と尋ねた。
元は柳達を応援するために試合を観に行っていたゆめこだったが、そこにはもちろん先輩達も出ている。全国優勝を決めた時も目の前にいる彼はシングルスの試合に出ていたので、結果として彼の試合も最後まで見ていたのだ。名前までは覚えていないが、相手を寄せ付けないプレーは実に華麗で、ゆめこは彼の試合の様子だけは鮮明に覚えていた。

「おー、出とったけど・・・なんや君テニス興味あるんけ?」
「あ、えっと。幼馴染が試合に出てて、その応援で」
「幼馴染?君一年やんな?」

ゆめこの上履きの色を見て不思議そうな顔をする彼に「そうです。一年の柳蓮二の幼馴染で」と言うと、「あー、あの生意気トリオの」と彼は少し苦い顔をした。別に蓮二達生意気って感じじゃないと思うけど、とゆめこが不服そうな顔をするとそれを察知した男子生徒は「ところでこんなとこで何しよるんけ?」と話を逸らした。

「ちょっと、その、寝坊をしてしまいまして」
「なんや、サボりかいや」
「一コマだけです。そういう先輩はどうしてここに?」
「今日は天気もええし、絶好の昼寝日和やろ」

まだ9時半を過ぎたばかりなので昼寝という時間でもないはずなのだが、ゆめこは「要はサボりですか」と結論付けた。そのまま話が続く雰囲気もなかったので、ゆめこは「ごゆっくり」と声をかけるとその場に体育座りをし、再び小説を読み始めた。すると男子生徒は肘を立てて頬杖をつきながら横たわると、ゆめこの方に体を向けた。しばらくそのまま沈黙が続いていたが、彼がずっと自分を見ているので、

「あの、何かご用でしょーか?」

と、ゆめこはたまらず声をかけた。怪訝な表情のゆめこを気にも留めず、彼はにこにこ笑いながら「名前教えてぇや」と言った。なんだか胡散臭い人だな、と内心失礼なことを思ったゆめこは「ゆめのです」と短く答えたが、「それ名字やろ。名前や名前」と追究されゆめこは渋々「ゆめのゆめこです」と答えた。
「ゆめこちゃん、ね」と自分の名前を復唱する彼に、聞かれっぱなしは気持ちが悪かったのか「先輩の名前も教えてくださいよ」とゆめこが言うと、彼はわずかに目を丸くした。

「俺のこと知ってたんとちゃうの?」
「試合観ただけなので」
「掲示板に名前出るやん」
「それは・・・見てません」

とゆめこが少し気まずそうに話すと、彼はフッと小さく笑って「毛利寿三郎や」と名乗った。

「じゅざ、ぶ・・・」
「寿三郎、な」

聞き馴染みのない名前に戸惑うゆめこに、"寿三郎"と名乗った先輩は念を押すように言ったが「分かりました。毛利先輩ですね」と返され、彼はズコっと肘を滑らせた。しかしゆめこは自己紹介も済んだことだし、もういいだろうと思ったのか、再び手元の小説に目線を落とした。しかし毛利はあいかわらずにこにこ笑ってゆめこを見ている。
そんな毛利に「もう、何なんですか一体」とゆめこが痺れを切らして問い質すと、彼は「あー」だの「えっと」だの歯切れの悪い言葉を繰り返した後、観念したように

「ええ眺めやなぁ思って」

と口にした。ゆめこは意味が分からず首を傾げる。しかし彼の視線の先を辿っていくにつれその意味を理解したのか、「あっ!」と慌てた様に声を上げると、ゆめこは顔を真っ赤にして体育座りをやめた。しかし今更隠しても遅い。

「・・・ずっと見てたんですか?」
「ちょびっとしか見てへん」

じっとりと軽蔑の視線を向けられた毛利はそう答えたが、はっきり言ってなんの言い訳にもなっていない。
自分の前に横たわった時からずっと見ていたのか、むしろ見るために横たわったのか、どんどん膨れ上がる疑心にゆめこの目つきも鋭くなっていく。もちろん気付かなかった自分も悪いし、そもそもスカートが短すぎるのが問題なのだが、そこは今は置いておこう。まるで変質者でも見るようなゆめこの視線に、毛利は苦笑を浮かべると、

「そない怒らんといてぇな。かわええ顔が台無しやんね?」

と体を起こしながら言った。何の効力もないフォローにゆめこは「もういいです」と諦めた様に返事をする。
いつだったか白石にも「かわいい」と褒めてもらえたことがあったが、言う人によってこんなにも重みが違うんだな、とゆめこは思った。

「テニスしてる時はあんなにかっこよく見えたのに」
「えっ、ほんまに?」

非難するつもりでそう言うと、なぜか毛利は嬉しそうに聞き返してきた。ずいっと前のめりになる彼に、ゆめこは「えっと、はい」と返事をして顔を引きつらせる。
かっこいいと思ったのは嘘ではない。全国大会という大勢の人が注目する場で堂々とプレーする姿は圧巻だったし、彼が優勝のための一勝をもぎ取ったのは紛れもない事実だ。

しかし強豪立海テニス部の中で、レギュラーとして活躍しているような人間だ。"かっこいい"だなんて聞き慣れているだろうに、と思ったゆめこは、彼のリアクションが少し意外だった。

「どこら辺が?」と無邪気にぐいぐい聞いてくる毛利に、良い意味で先輩っぽくないなと思ってしまったゆめこは「ふふふ」と思わず笑ってしまう。すると、きょとんとした毛利と目が合って、ゆめこはハッとして口元を押さえた。先輩相手に笑ってしまって失礼だったか?と思ったのだ。しかしそれはゆめこの勘違いであった。

先程までゆめこはむすっとした顔をしていたので、彼女がふと見せた自然な笑顔が毛利には特別可愛らしく見えたのだ。元はと言えばゆめこにそんな顔をさせたのは誰でもない毛利自身なのだが。
今の自分ではどんな褒め言葉を言っても怪しまれてしまいそうだと思った彼は、へらりと笑ってその場を誤魔化した。

それから二人は、ゆめこがいつも持ち歩いている駄菓子をつまみながら2限目が終わるまでずっとたわいもない話をして時間を過ごした。
最初こそ毛利に対して"乙女のパンツを覗くチャラそうな人"なんてとんでもないレッテルを貼っていたゆめこだったが、話してみると案外良い人ということが分かって次第に打ち解けていった。元はゆめこもおしゃべりな方なので、二人の間で会話が途切れることはなかった。
チャイムを聞いたゆめこが3限目に出るために屋上を出ていこうとすると、

「またいつでも試合観に来んせーね」

と毛利に後ろから声を掛けられたので、ゆめこは「はい」とだけ返事をすると笑顔で手を振り屋上を後にした。




(180410/由氣)→42

あーあ、出会っちゃった。そして播州弁(毛利弁)が迷子。




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