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(あの山は登ったことあるの?/手塚)
「ゆめこ、今日はありがとう、また明日ね!」
10月初めての土曜日。ゆめみはゆめこと別れて、るんるんと自宅の門をくぐった。
今日はゆめことショッピングに行っていたのだ。来週末から始まるフランス研修に着ていく服や小物を選んでもらい、いい買い物が出来たとゆめみは嬉しく思う。
ゆめみはファッションに関しては、いつもゆめこのアドバイスを頼りにしていた。ゆめこのアドバイスは的確で、ゆめみに似合う服をよく分かっていた。さすがはあのカリスマモデルゆめの拓哉の妹!と言いたくなるが、それを言うと怒らせてしまうため、心の中でだけそう思っている。
「また来てるわよ、星の王子さまから」
リビングに入ると、母親がうふふと笑ってゆめみに一枚の封筒を渡す。星の王子さまのイラストが描かれたその封筒を受け取った。開けるまでも無く、ゆめみは送り主の顔を想像できた。
封筒の端を丁寧にハサミで開けると、真っ先に写真が落ちた。ハガキサイズより少し大きめの2Lサイズの大きさで、真っ青な空の写真だった。連なっている真っ白い雲が可愛らしい。特別な紙が使われているようで、写真の表面は少しざらついている。写真の裏には『秋浮雲』というタイトルと、撮影日時(先週)、撮影場所(自宅)、そしてサインが書かれている。筆記体で書かれたサインは『Shusuke Fuji』、青学の不二くんだ。
「まぁ、また素晴らしい写真ね、ママ不二くんのセンス大好きだわ」
後ろから覗き込む母親に、ゆめみは少し恥ずかしくなって、その写真を渡した。
母親は慣れた手つきでそれを受け取り、当たり前のようにリビングに飾ってあった写真立てに入れる。代わりに出された写真はたくさんのコスモス畑の写真で、それも不二くんが2週間前に送ってくれた写真だった。
ゆめみは二つ折りにされた手紙を開く。丁寧な字で『ゆめだゆめみ様』と書かれている。季節の挨拶、そして体調を気遣う言葉、彼の周りに訪れた小さな変化が少しだけ書かれている。その内容はいつもとても爽やかで、読み終わると温かい気持ちになるから不思議だ。
そして、いつも『大切なことは、目に見えない』という星の王子さまの名言で締められている。
不二周助。関東大会で知り合った青学の手塚のチームメイト。第一印象は最悪だった。「友達になろう」と言われ、やけになって書いた連絡先は住所だったため、もう連絡を取り合うことも無いだろうと思っていた。
しかしそれから1週間ほどして、手紙が届いたのだ。それが会った時の印象とはまるで別人のように丁寧で爽やかなものだったため、今では2週間に1回くらいのペースで文通をするようになった。今ではちょっとだけ届く写真を楽しみにしていた。
「ゆめみはどんな写真を送ったの?」
飾られた空の写真をしげしげと眺めながら母親が聞く。ゆめみは小さな声で「海原祭で食べたたこ焼きの写真」と言った。母親は残念そうな顔になる。ゆめみは「ゆめこが作ってくれたたこ焼きだよ、一番美味しそうに撮れたの」と付け加えた。
「せめて風景の写真にしたら?」
「うーん、不二くんに風景の写真を送るのハードル高いよ」
不二くんの写真はいつも素晴らしい風景の写真だった。素敵過ぎて、同じ路線で勝負するのは恥ずかしい気がしたのだ。別に勝負しているわけではないが。
フランスに行く前に返事を書きたいと思い、ゆめみはスマホの先週撮った写真の中から、良さそうなものを探し始めた。一番良いと思ったのは、今日ゆめこと食べたパフェの写真だった。本当に美味しかった。これにしようと別のフォルダに移すと、母親がエプロンを外して、通勤服に着替えていることに気が付いた。
「えっ、ママ今日仕事?」
「あ、そうなの急に夜勤が入っちゃって、ごめんね土曜日なのに」
父親も今日は仕事で遅くなるはずだった。また蓮二かゆめこの家にお世話になるのかな?と思っていると、母親は「そうだ」と食器棚の一番上から新品のメガネ拭きを出してきた。
薄緑色の無地のメガネ拭きだ。
「ママもね、何がいいか迷ったんだけど、メガネ拭きなら実用的かなって思って、刺繍したらプレゼント感出るわよね」
母親の説明不足は比較的良くあることだが、今日は一層意味がわからない。クエスチョンマークを浮かべていると、「5時半には家を出るから、それまでに完成させるのよ?」と追い討ちをかけられた。ちなみに今は4時半だ。嫌な予感がして、ゆめみは母親に聞いた。
「どこに行くの?」
「どこって国光くんの誕生日会に決まってるでしょう?」
初耳だった。
「ママ、次は絶対もっと早く言ってね」
「朝言ったつもりでいたの、ごめんね」
ゆめみはほぼ泣きそうになりながら、車の中で刺繍し終わったメガネ拭きを伸ばして、最後の仕上げをしていた。そして、整ったところで玉結びをして、糸を切る。
濃い緑色で『K』というイニシャルが入っていた。
刺繍は嫌いではないが、何時までと決められてやるものでは無いとゆめみは悟った。気持ちが焦ってしまい、全く楽しめなかった。そもそも1時間でやるのには限度があり、時間があれば苗字のTやマークなどを入れたかったのに、と恨めしく思う。ちなみに入れたかったマークは山のマークだ。
「終わったら、髪の毛結い上げてね、ドレスアップさせて行くわって彩菜さんに約束しちゃったの」
運転席の母親はそんな勝手なことを言う。
素直なゆめみはため息をつきながらも、言われた通りに髪をお団子にした。
ゆめみの母親と手塚の母親彩菜は頻繁に連絡を取り合っていたようで、前々から「次に夜ご飯に困った時にはぜひうちに」と言われていたそうだ。そこで今日の会が決まったらしい。
車の後部座席の窓に映った自分を見て、国光くんと会うのは2ヶ月ぶりだなと前回会った時のことを思い出す。夏休み中で8月の初めだった。頂上までおんぶしてくれたんだよね。他人同然の私にいつも親切にしてくれて、本当に良い人。
「ねぇママ、よく考えたら、全然仲良く無い私が誕生日会に参加とか図々しくない?」
誕プレまで用意して、ドレス着ちゃって、もう東京入っちゃった後に言うのも、今更なのだけど。やっぱり変じゃない?痛すぎない??
「ママもそう思うわ」
えー!!ちょっとママ!?とゆめみは心の中で突っ込んだ。「友達とか大勢来るのかなぁ?」と自信なくゆめみは呟いた。もしそうなのだとしたら、紛れるのかも知れないけど。
「いや、家族だけって話よ?」
「え、なおさら困る」
「国光くんがゆめみに会いたいって言ってくれてるんだって」
嘘だな、とゆめみは確信した。彼との付き合いはそう長くは無いが、少なくとも誕生日に女子に会いたいなんて言うキャラじゃない。
大方なぜかゆめみを気に入ってくれている彩菜さんに丸め込まれたのだろう。ゆめみは行く前からなんとなく申し訳ない気持ちになった。
「ゆめみちゃん、いらっしゃい!」
到着するなり、彩菜がゆめみ達を迎え出た。ゆめみを見るなりキラキラした顔で「可愛い」「可愛い」と何度も言い、最後に「やっぱり女の子はいいわね」と感動したようにふぅとため息を吐いた。
ゆめみはなんとなく「ドレスアップさせて行く」って約束しちゃった母親の気持ちが理解出来る気がした。こんな風に全力で喜ばれると、なぜか期待に応えたくなるものだ。
母親は彩菜さんと楽しそうにお喋りをした後、手作りの焼き菓子を手土産として渡して、「帰りは父親が迎えに参りますので」と言って仕事へ出かけて行った。
リビングに通されると、すでに全員席に着いていた。祖父の国一、父の国晴、そして手塚国光本人だ。ゆめみは「お招きいただきありがとうございます」と丁寧に挨拶した。登山で一緒させてもらった国晴はにこにことしていた。国一は立ち上がって「ゆめだ先生の娘だな、国一だ」と名乗った。そして、主役の手塚はいつもと全く同じ変わらない表情でそこにいた。
「国光くん、お誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう」
ニコリともしない手塚だったが、ゆめみはそのいつも通りの対応にホッとした。
席を勧められて着席すると、目の前には手の込んだ手料理がテーブルいっぱいに並んでいる。松茸の土瓶蒸しにうなぎのちらし寿司、山菜の天ぷら、さんまの焼きびたし等、高価な特殊な形の和食器に並べられた料理は芸術作品のようで、ゆめみは目を輝かせる。
いわゆるパーティ料理のピザやパエリアとかでは無かったが、その和風な雰囲気が手塚家らしいと思うのだった。
「この料理、彩菜ママがお一人で作られたんですか?」
「ええ、そうよ」
「あの、プロの料理人の方ですか?」
ゆめみの問いに、国一と国晴は笑い出し、彩菜は顔を赤くして照れる。国晴が「彩菜はね、料亭で働いていたことがあるよ」と言えば、彩菜が「それは学生時代の話でしょう」と突っ込んだ。
話の流れから自己流でこの腕前なのか、と理解したゆめみは、キラキラした顔で「今度ぜひお料理教えてください」と言った。ゆめみの母親も料理は得意な方だとは思うが、どちらかと言うと洋食の方が多いので、家でこんなレベルの高い和食は見たことが無かったのだ。
彩菜はさっと立ち上がると、反対側に座っていたゆめみのところまで歩き、ぽんと肩に手を置いた。「よろこんで!」とうっとりとした笑顔で言う彩菜。彩菜のゆめみ好きはこうして加速していく。
手塚家の誕生日会は和やかなムードで進んでいく。主に祖父の国一が話し出し、そこから話が広がっていくことが多かった。家族に紛れた形になったゆめみだったが、みんな温かく受け入れてくれ、特に疎外感を感じる事も無く、楽しい時間を過ごした。
食事が終わった後も、ゆめみは話好きの国一と国晴と楽しくお話ししていた。手塚は先にお風呂に入ってしまったので、その場にはいなかった。
「ゆめみちゃん、ゆめだ先生迎えに来るの9時半くらいになるそうなの」
どうやらゆめみの父親から遅くなるという連絡があったらしく、彩菜は心配そうな顔でリビングに入って来た。迷惑をかけてしまうと思い、「遅くまで申し訳ありません」とゆめみが言うと、彩菜はぶんぶんと大げさに首を振った。
「うちは全然大丈夫なんだけど、9時半にここを出ると、神奈川のおうちに着いてからお風呂に入ったら夜更かししちゃうことになると思って」
彩菜はゆめみにタオルと着替えを押し付けて、「だから、お風呂に入ってて」と言った。今日は土曜日なので、正直寝るのは何時でも良いと思っていたゆめみは申し訳ないと断ろうとしたが、「夜更かしはお肌の大敵よ」と押し切られてしまい、ゆめみはお風呂を借りることにした。
「ゆめみちゃん、似合ってる、そのパジャマ、良かったらもらってね」
用意されたパジャマはコットンレースの可愛いワンピース形のもので、それを着たゆめみを見た彩菜はまた目を輝かせた。一度は断ったが、「ゆめみちゃんにもらって欲しいの」とまた押し切られてしまった。
そしてにこにこして「お布団引いたから、迎えが来るまで部屋で休んでてね」と言われ、突き当たりの部屋を指差される。
「本当に良くしてもらってごめんなさい」
「いいのよ、国光はね、奥手だけどゆめみちゃんみたいな子がタイプだと思うの」
「だから頑張って、応援しているわ」と続けた彩菜に、ゆめみは会話が噛み合ってないな、と思う。
そして言われた通りに突き当たりの部屋へと進んで、ガチャと開けると、そこには手塚が立っていた。ゆめみは少し驚いて目を見開く。
「間違えちゃった?」
「間違えではない」
手塚はドアを大きく開けると、ベットの脇に布団が敷いてあり、その上にゆめみの鞄が置いてあるのが見えた。この部屋で寝るのかな?彩菜さんの『応援しているわ』の言葉の意味がここでやっと理解出来た。彩菜はゆめみが手塚を好きだと勘違いしているのだった。
「入っていいのかな?」
「ああ、構わない」
「おじゃまします」
緊張しながら中に入る。男子の部屋に入るのは、幼馴染の柳を除けば初めてだった。
ドキドキした。中に入ると、手塚は「好きに過ごしていい」とぶっきらぼうに言い、机に座って何か書き物を始めた。チラリと見るとそれは日記のようだった。
彩菜からは休むように言われたけど、時刻は9時少し前で、全然眠くない。ゆめみはとりあえずベットに座って、部屋を見渡す。
左の壁には山の引き伸ばされた写真、後ろの壁にはルアーコレクション、右側には大きな本棚があった。山登りが好きなことは知っていたけど、釣りも好きなんだなと初めて知る。
「国光くん、釣りも好きなんだね」
「ああ」
暇なのだろう、足をパタパタされながらそうきいてくるゆめみ。手塚は何度かいつも通りにペンを動かそうと試みたが、ゆめみの行動が気になり過ぎて全く言葉が浮かんで来ない。
「国光くん、あの山は登ったことあるの?」
「ああ」
ついに、書くことを諦めた手塚は小さくため息を吐いてペンを置いた。そして、椅子を回転させてゆめみの方を見た。
「他に質問はないか?なんでも答えてやろう」
ゆめみはにっこりと嬉しそうに笑って、「あの山の名前を教えて」と言った。手塚とゆめみはこの時出逢って初めて雑談らしい会話をした。山の名前はマッターホルン、スイスにある山らしい。そこから派生して、ドイツやフランスの話になった。手塚はドイツ語を話せるといい、ゆめみもフランス語を話せると自慢した。2人ともそんな時間は思いの外楽しいと感じていた。
「あっ、そうだ国光くんにプレゼントがあるの」
ゆめみは用意していたプレゼントを渡しそびれていたことに気がついた。「気を遣わせてしまったな」と手塚が言って立ち上がった。ゆめみが鞄からラッピングされた袋を取り出して、手塚に隣に座るように促す。手塚は言われるままにゆめみの隣に座った。
「お誕生日おめでとう、国光くん」
「ありがとう」
今度はフッと目の奥で笑った気がした。なんだかそれがとても嬉しくて、ゆめみは気持ちが高ぶるのを感じた。
「開けてもいいか?」と手塚が言ったので、ゆめみはこくんと頷いた。開けると、メガネ拭きにKのイニシャル。
「私が刺繍したんだよ」
そう得意げに言えば手塚はその刺繍をしげしげと眺めて「上手だ」と褒めてくれた。
それが嬉しかったから。ゆめみは気が付いたら「眼鏡拭いてあげるね」と言っていた。
拒否されるかと思ったが、手塚は何も言わなかった。ただゆめみを見つめていた。
ゆめみはそっと手塚の眼鏡に手を伸ばして、眼鏡を外した。
その素顔は美しく、どこか色っぽく見えて。ゆめみは急に恥ずかしくなってしまった。
それまで全く気にならなかった手塚のパジャマ姿や、2人でベットに座っていること、こんな近くにいること、全てが大胆なことをしている気になり、ゆめみはドキドキと心臓が高鳴るのを感じた。
「どうした?具合が悪いのか?」
眼鏡を外されたままの手塚はよく見えないため、ゆめみの顔を覗き込むために、更にズイっと近付いた。キスしてしまいそうな距離だ。ゆめみは逃げるように、距離を取ると、「ごめん眠くなっちゃった」と眼鏡を手塚の手に握らせて、布団の中に逃げ込んだ。
布団を被っても、ドキドキが収まらなかった。ゆめみは目を瞑って、パパ早く迎えに来てと願った。
手塚は不思議そうに眼鏡を再度かけて、ゆめみを見る。布団の隙間から見えるゆめみの顔は赤かった。すると、伝染したように手塚の頬も少し赤くなる。
手塚はコホンと1つ咳払いすると、また机に向かって日記を書こうとペンを手に取った。しかしゆめみが帰るまで、そのペンが文字を書くことは無かった。
(180416/小牧)→41
眼鏡をはずす夜