043
(はよ寝んしゃい/仁王)

11月に入り、肌寒さを感じることが多くなってきた今日この頃。そんな季節とは裏腹に、ここ立海大付属中学校は熱気と興奮に包まれていた。体育祭である。
生徒はみな赤、白、青、黄の四色のうちいずれかのハチマキを身に付け、朝からリレーに障害物競走、玉ころがしに棒倒し、と大忙しだった。三学年合わせて生徒数は優に二千人を超えているので、一般的に見る紅白対抗戦ではなく、赤、白、青、黄の四チームに別れて競い合っている。競技に出ていない間も、みんなそれぞれのチームの旗や横断幕を掲げ応援に精を出しており、体育祭は大いに盛り上がっていた。
そんな中、

「ゆめこちゃん、次綱引きだよ」

とクラスメイトのももに声を掛けられ、ゆめこはハッとして顔を上げた。みなが持ち場に向かって歩いていく中、ゆめこは一人だけその場から動いていなかったのだ。顔を上げてからもボーッとしているゆめこに、ももは首を傾げながら「ゆめこちゃん?」と再度声を掛ける。ゆめこはきょろきょろと首を左右に動かした後、

「えっと、ごめん。何だっけ?」

と聞き返した。寝ぼけているのだろうか。と思ったももは「綱引きだよー!今言ったのに」とけらけら笑っていたが、なんのリアクションも見せず黙ったままのゆめこにももは次第に首を傾げた。
明らかにいつもの彼女ではない。そう思ったももは、虚ろな表情をしているゆめこの顔を覗き込むと「ゆめこちゃん?」と言って、彼女の目の前でふりふりと手を左右に動かした。焦点も合っていないし、心なしか顔も赤い気がする。
もしや・・・!と思ったももは、バッとゆめこのおでこに自分の手のひらを当てた。その瞬間、ももは「えっ」と目を見開く。ゆめこの額が異様に熱かったのだ。

「ゆめこちゃん、もしかして熱ある?」

と聞くと、ゆめこは「熱・・・?」と呟いて、自分の額にゆっくりと手を当てた。そして、ああ、そうか。と納得したような表情になると、「私、熱あるのか」とぽつりと言った。
どうりでさっきから頭がボーッとして、みんなの声も遠くに感じられるわけだ。と、ももの指摘で初めて気付いたゆめこは、何を思ったのか「そうだ、綱引き行かなきゃ・・・」と立ち上がるとふらふらと歩き出した。

「えええ!ちょ、ゆめこちゃん!待って、ストップ!」

と、ももはがしりとゆめこの体操服を掴む。「綱引きなんていいから保健室行かなきゃ!」と鬼気迫る表情で言うももに、ゆめこは「保健室?そうか、そうだね」と返事をした。どうやら意識が朦朧としていて思考力も失われているようだ。

「一緒に行こ!私付き添うから」
「えー、大丈夫だよ。一人で行ける」
「でも、心配だし」
「綱引き、負けちゃうのやだ」

と言うゆめこは、自分も抜けてももも抜けたとなると二人分の戦力が失われることになるので、それを懸念しているようだった。こんな時に何言ってんのこの子!とももは内心呆れたが、ここで言い合いをしていては埒が明かない。
「ほんとに大丈夫?」と聞くとゆめこはこくこくと頷いたので、「絶対だよ!絶対保健室行ってよ」と念を押すと、ももは綱引きの持ち場に走っていった。



それからゆめこはふらふらと足取りは覚束ないものの、ももに言われるがまま保健室へとやって来た。
中に入ると保健医の先生がいたので、ゆめこは「熱、あるみたいです」とだけ言った。詳しい説明は一切しなかったが、その頬の色としんどそうな息遣いに、先生はすぐにゆめこに体温計を渡した。

「名前とクラスは?」
「1年B組のゆめのゆめこです」
「ゆめのさん、ね」

本来は学生が自分で利用名簿に名前やクラス、症状などを書き込むのだが、それも辛そうだと思ったのか先生はゆめこの代わりに彼女の名前を書き込んだ。その時ちょうど、ピピピッっと体温計が計測終了の音を立てたので、ゆめこは自分で確認しないまま先生に体温計を返した。

「ひゃ〜、38度7分!これは帰った方がいいわね」

先生は「この状態で体育祭に出てたなんて」と驚きながら、名簿の横に"熱:38度7分"と、書き足す。

「ご両親は?家にいる?」
「母は家にいるはずです」
「そう。じゃあ迎えに来てもらうよう電話するから、ゆめのさんはそれまでベッドで寝てて」

先生はそう言い残すと、慌てた様子で保健室を出ていった。
一人になったゆめこは、のそのそと重い足取りでベッドまで行くと、上履きをポイッと脱ぎ捨てて倒れ込むようにベッドに横になった。するとその時、

「ゆめの?」

隣のベットのカーテンが開いて、仁王がひょっこり顔を出した。体育祭のような暑苦しいイベントが苦手な彼は、朝から仮病を使ってベッドに横になっていたようで、どうやら先程のゆめこと先生の会話も全部聞いていたらしい。ゆめこは仁王の姿を見るとへらりと笑って「仁王くんだー、サボりでしょ?」なんて口にしたが、声の調子に全く覇気がない。顔は笑っているのに苦しそうに呼吸をしているゆめこを見て、仁王は「はよ、寝んしゃい」と声を掛けた。

「うん、そうする」

と返事をすると、ゆめこはすぐに目を瞑って動かなくなった。まるで気絶しているかのようにピクリともしないゆめこに仁王は一瞬焦ったが、すぐにすぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきて彼は人知れずホッと胸を撫で下ろした。
布団もかけないまま眠りについてしまったゆめこに、仕方のない奴じゃ。と溜め息を吐くと、仁王はベッドを降りてゆめこに近寄った。横を向いたままのゆめこの体を天井と向き合うように仰向けにし、上から布団をかける。

「辛そうやの」

近くで見たらよりゆめこの頬が蒸気しているのが分かって、仁王は自分の手の平を彼女の額に乗せてみた。その温度差に仁王は「あっつ」と声を漏らす。これは確かに、先生の言う通りすぐにでも帰った方がいい。これ程の高熱であれば普通もっと早くに気付くだろ、と仁王は思ったが、普段のゆめこの性格や立ち振る舞いを思い返すと、あのゆめのなら仕方ないか。という結論に達した。

それと同時に、いつも能天気にへらへら笑っているゆめこがこうも元気が無いと、なんだか調子が狂うな、と仁王は思った。目の前にあるゆめこの無防備な寝顔。出会ってからもう半年以上が経つが、こんなにまじまじと彼女の顔を見るのは初めてだった。

常日頃柔らかそうだな、と思っていた真っ白な頬は赤みがかっていて、目を閉じているからか長い睫毛もいつもより際立っている。呼吸が苦しいのか、ぽってりとした唇が少しだけ開いていて、どうしてもそこに目が行ってしまった。
綺麗な桜色の唇。仁王はそっと手を伸ばすと、人差し指でゆめこの唇をなぞった。たったそれだけのことなのに、体中に電流が走ったような衝撃があり、仁王はたまらず手を引っ込めた。

寝ている間に友人の唇に触れるなんて、自分は一体何をしているんだろう。
しかも相手はあのゆめのだ。と、仁王は自分の手とゆめこの顔を交互に見比べる。

いつものんきでマイペースで、色気も無くて、食い意地がはっていて、くだらないことにけらけら笑って。
でも一緒にいると心が安らいで、優しい気持ちになれて、日光浴してるみたいに心がぽかぽかして。それから・・・、

と、そこまで考えて仁王はハッとした。貶しているつもりが、だんだんと話の論点が違う方向にいっていることに気付いたのだ。俺は今、何を思った?と、自分でも信じられず、仁王は動揺から目を泳がせる。

いや、本当はもっと前から気付いていたのかもしれない。
いつからか、ゆめこを目で追うようになっていたことも。ゆめこが笑うと自分も嬉しい気持ちになっていたことも。全部全部、気付いていたのに。まさかな、それはない。といつも自分の気持ちを誤魔化してきたのだ。

だって、認めてしまったらその分面倒なことも増えるから。彼女から他の男の名前なんて聞きたくないし、自分以外の人間に笑いかけないで欲しい。出来る事ならその笑顔も一人占めしたい。そんな感情が常に付き纏うようになる。

「気付かん方が良かったかもしれんのう」

仁王はそう呟くと、寝ているゆめこの頭を撫でた。「ん」と少しだけゆめこが身じろぎした気がして、仁王はぴたりと手を止める。意識はほとんどないはずなのに、何か伝えたいことでもあるのか口を動かそうとしているゆめこ。そんなゆめこに仁王が「ゆめの?どうした?」と優しく声を掛けると、ゆめこはうわ言の様に「たまいれ・・・」と呟いた。

たまいれ?あぁ、玉入れか。と今が体育祭の途中だったことに気付かされる。そういえば先日彼女が「私玉入れめっちゃ得意!吸い込まれるようにカゴに入るからね」などとドヤ顔で言っていたことを仁王は思い出した。うわ言で口にしてしまうなんて、余程参加したかったんだろうな、と仁王は苦笑する。
そして、たしかゆめのは青組だったなと記憶を辿ると、仁王は体操服のポケットに無造作にしまっていたハチマキを取り出した。それは、朝から一度も使っていない新品同様の真っ青なハチマキだった。チーム分けはクラスの代表者によるくじで決まったのだが、B組とI組は同じ青組だった。

彼女が元気になった時、青組が負けたと知ればきっと悲しむだろう。そう思った仁王は、寝ているゆめこの頬っぺたをツンと指でつつくと、

「お前さんの分の玉も入れといてやるぜよ」

と言って、保健室を出て行った。途中、ゆめこの母親と連絡を取っていた保健医の先生とすれ違い「あれ?もういいの?」と聞かれたが、仁王はこくりと頷いて、そのまま校庭へと向かうのだった。





(180414/由氣)→46

仁王くん(12歳)恋をする、の巻。ゆめこの熱は次の日には下がりましたとさ。



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