052
(ホワイトクリスマス/幸村•柳•真田)
時は冬休み2日前の早朝に遡る。
よく晴れた、気持ちのいい朝だった。幸村は日課の庭の花々に水をあげた後、いつものようにダイニングのドアを開けた。ワッと強烈な良い香りが幸村を包み込んで、目を見開いた。
この懐かしい香りは。ダイニングから見える1番良い場所に、巨大なもみの木が置いてあった。まだ根が付いた状態で、飾りは付いていない。
「おはよう、精市」
「おはよう母さん、今年のはまたすごいね」
幸村はダイニングを通り越して、もみの木の前まで歩く。そこから出ている香りの爆弾とでも表現したくなるような香りに、幸村は軽く目を閉じて、深呼吸をした。この季節が来たなと感じさせてくれる。
「うふふ、すごいでしょう、先週パパとカナダに行って買って来たのよ」
幸村の母親百合子は、幸村のために紅茶をティーカップに入れながらそう言った。
幸村は席に着いてイングリッシュブレックファーストの紅茶を飲みながら、まだもみの木を見ていた。根が付いた状態でこの香りだ、切ったらどんなに良い香りがするだろう。
「いつ切る予定だい?」
「クリスマスイブの午前中にお願いしているわ、やっぱり直前にした方が良い香りがするものね」
幸村がそう聞くと、百合子は微笑んでそう答える。クリスマスか。この素晴らしいツリーを見たら、あの子はどんな顔をするだろう。その花咲く笑顔が目に浮かんだ。百合子は、出来立てのワッフルにとろっとした生クリームを添えて、幸村の前に置いた。
「お友達を招待したらどうかしら」
にこにこと微笑みながら、百合子は「例えばあの子とか」と壁に飾ってある水彩画を指差した。額縁に入った水彩画。絵の真ん中には、セーヌ川をバックに微笑む1人の女の子が描かれている。幸村がフランスでデッサンをして、日本で色を付けた作品だった。
今まさに考えていたことを言い当てられて、幸村は意外そうな顔をするが、すぐにまた考え込む。
「招待したいけれど」
幸村にだって、クリスマスに好きな子と過ごしたいという気持ちはある。でもきっとゆめみはゆめのさんや柳との予定が入っているだろうな、と思った。百合子は「お誘いしてみてよ、私も会ってみたいわ」と笑った。
その日のお昼休み。ゆめみ、幸村、柳、真田は1年L組の窓際の席でいつものようにお弁当を食べていた。母親が言うように、ダメ元で言ってみてもいいだろうと思い、幸村は経緯を説明した。
「というわけで、クリスマスの予定は決まっているかい?良かったらうちでパーティーをするのはどうだろう?」
「無論、行かせてもらおう」
「あぁ、楽しみにしている」
「招待ありがとう、大きなツリー楽しみ」
少し勇気を出して言っただけに、意外とあっさり承諾されて幸村は肩透かしを食らった。「ゆめのさんとパーティはしないのかい?」と聞くと、「イヴにするよー」というご機嫌な返事が返ってくる。
更にゆめみは「クリスマスも皆は部活があるよね、良かったら早く行ってパーティの準備手伝いたいな」と微笑んだ。幸村は嬉しい気持ちで自然と笑みがこぼれた。
「ところで『くりすますぱーてぃー』とはどういうことをするのだ?」
真田が真面目な顔でそう言った。話を聞くと、真田の家ではクリスマスパーティをしないらしい。
「弦一郎の家は道場をしているからな、そういう習慣は無いのだろう」
「そうなんだ、かっこいいね」
ゆめみにそう言われて、気を良くしたのか真田は「正月には毎年道場で書初めをしている!共にどうだ?気が引き締まるぞ!」と言った。そこで正月には今度は真田の家に行く約束をした。
そうして、クリスマス当日。冬休みに入ってすぐ、雪山で嫌な想いをしたゆめみだったが、イヴにゆめこと楽しい時間を過ごし、すっかり元気になっていた。
事前に聞いていた幸村の住所を地図アプリに表示させて、たどり着いた先は海の近くの豪邸と呼ぶに相応しいお屋敷だった。
ゆめみはドキドキしながら、インターフォンを押す。挨拶をして名前を名乗ると、返事が聞こえてくる前に、門が開いた。
「待っていたわ!」
そこには、フランス人形のような愛くるしい美少女が立っていた。
その頃、立海のテニスコートでは練習試合をしていた。いつもは「動きが悪すぎるよ」等と激を飛ばしている幸村が、憂鬱な顔ではぁとため息を吐いた。幸村を囲むように、左隣に真田、右隣に柳と立っていた2人は同時に幸村を見て意外そうな顔をする。
「何か気がかりか?」
「調子が悪いのか!?」
連日のクリスマスムードで少し浮かれ気味の2人が声をかけると、幸村は「すまない」と歯切れの悪い返事を返した。その後、また一つため息を吐いた後、「妹の様子がおかしくてね」と小さな声で言う。
「幸村の妹、菜苗(ななえ)ちゃんがどうした!?」
「俺が言うのもなんだけど、妹はちょっとブラコンを拗らせていてね」
その言葉に、柳は「意外だな、逆だと考えていた」と薄く笑う。幸村は苦笑して「まぁ、否定はしないけど」と答えた。
「奈苗ちゃんか、今年のバレンタインデーの際には、幸村に集まったチョコを全て持ち主に送り返して『お兄ちゃんに近づかないで』と泣き喚いたそうだな」
幸村小6、妹小1の時の話だ。柳が呆れ顔で「なぜ弦一郎が知っている?」と聞くと、真田は「本人が武勇伝のように話してくれた」と答えたものだから、本当ならば相当なブラコンぶりだ。
「だからゆめみを家に呼ぶにあたって、ある程度のハレーションを覚悟していたのだけど、すんなり受け入れてね」
「何か企んでいる気がしてならない」と物騒なことを言い出す幸村。真田も「うむ!ゆめみが心配だな!」と言い出す始末。受け入れたのならいいではないか、と柳は思うが、大会の時に姿しか見ていないため判断がつかなかった。
ゆめみと幸村の妹菜苗は、母百合子の指示でクリスマスの飾りやお菓子を作っていた。
さすがは実の兄と言うべきか、幸村の悪い予感は概ね当たっていた。菜苗はゆめみに恥をかかせて追い出そうと奮闘していたのだ。
「ゆめみお姉ちゃん、ツリー型にしてみてよ」
菜苗はクッキーのネタを渡しながら、難しい条件を突きつける。
「うんっ、可愛くなるね」
しかし、誤算が一つ。手先が器用なゆめみは菜苗のリクエストを難なくクリアしてしまうのだ。
「今のどうやったの?」
その度にゆめみの手際の良さに、菜苗は意地悪していることを忘れて、魅入ってしまう。ゆめみがとびきり優れていると言うわけでは無いのだが、5つ年下の菜苗にとっては、自分が出来ないことを出来ると言うだけで、輝いて見えるのだった。
「こうやってね、最初に楕円形を作ると上手くいくんだよ」
「こうかな?」
「うんうん、上手だね」
ゆめみが丁寧に教えると、前のめりで聞いてくる菜苗。ゆめみはそんな菜苗を可愛く思う。
素直にやってみる姿も可愛いし、何より幸村にそっくりの容姿だ。
そんな2人を眺めながら、百合子は姉妹だったらこんな感じだろうかとクスクスと笑う。
「ゆめみちゃん、ななちゃん、ちょっと休憩にしましょう」
百合子はお皿に少しのお菓子とハーブティーを用意した。お皿に乗ったお菓子を一口食べて、菜苗は顔を綻ばせる。
「美味しい!このお菓子は何て言うの?」
「シュトーレン、ドイツのお菓子よ、ゆめみちゃんから頂いたの」
「え!?これお姉ちゃん作ったの!?」
菜苗は衝撃を受ける。ドライフルーツとナッツがふんだんに使われた完璧な仕上がりのシュトーレンだった。ゆめみは「毎年母と作っているんです」と言い、百合子は「私もお菓子作りが好きなの、今度ぜひゆめみちゃんのお母さまにお会いしたいわ」と微笑んだ。
「ふーん」
ゆめみと百合子が穏やかに会話をする中、菜苗は思った。こんな美味しいものを作れるお姉ちゃんには、勝てないかもしれないと。でも大好きなお兄ちゃんに彼女が出来たなんて素直に認めたくない。
「さて、精市が帰ってくる前に、クリスマスケーキを完成させちゃいましょう」
百合子がそう言って、スポンジケーキを取りにダイニングから出て行った。ゆめみはクリームを作ろうと、ボウルに生クリームを入れて、ハンドミキサーを準備していた。その時、菜苗は閃いた。ケーキを台無しにしちゃおう、そうすれば責任を感じて出て行くに違いない。菜苗は、青いラベルのガラス瓶に入った塩をとって、ボウルに入れようとした。
「なな、何をしているんだい?」
突然聞こえてきた声に、菜苗はビクっとして手に持っていた塩を瓶ごとボウルの中に落としてしまう。「お兄ちゃん」と呟いた菜苗は泣きそうな表情を浮かべていた。ジャージ姿の幸村が怒った表情でそこに立っていた。
「それは塩だね?どうして」
「精市くん、お帰りなさい」
菜苗を問い詰めようと駆け寄った幸村だったが、ゆめみの姿を見て動きを止めた。ゆめみがエプロン姿で微笑んでいたのだ。好きな子が自宅にいることだけでも嬉しいのに、さらにエプロンを着けて、家族の前だからだろう「精市くん」と呼んだゆめみに、幸村はときめきが抑えられない。少し顔を赤くした後「うん、ただいま」と返事をした。
「疲れてるでしょ、ケーキが出来るまで座っていてね」と優しく声をかけるゆめみに、思わず従いそうになるが、ケーキというワードに、幸村ははっとしたように菜苗を見る。
菜苗はその場を立ち去ろうとしていた。幸村はすかさず菜苗を捕まえた。
「なな、どういうことか説明しなさい」
「えーん」
怒った顔の幸村を見て、泣いている菜苗を見て、塩が入ったボウルを見て、ゆめみはそこで初めて状況を理解した。
「どういうことって間違っちゃったんだよね?」
菜苗が悪いことをする時の顔で塩を入れるところを目撃した幸村は、わざとやったに違いないと確信していたが、そんなことを知らないゆめみはそう言った。思いがけず非難の目を向けられた幸村は、菜苗を掴んでいた手を緩めた。菜苗は「ふぇーん、ゆめみお姉ちゃん」と一目散にゆめみ目掛けて走り、ゆめみは「大丈夫だよ」と優しく菜苗を受け止めた。
なぜか悪役になってしまった幸村は、腑に落ちないといった表情をしていた。そこに百合子がスポンジケーキを持って帰ってくる。
「あら、精市おかえりなさい、早かったわね」
幸村を見てそう言った後、泣いている菜苗を見てすぐに状況を把握した百合子は「仕方がないわ」と言ったものの、「生クリーム買ってこないとね」と困った顔をする。
「百合子さん、バターはありますか?」
「ええ、あると思うけど」
ゆめみの提案に、百合子は「その手があったわね」とポンと手を叩く。生クリームの代わりにバタークリームを作ることになった。
「フランスのクリスマスケーキはバタークリームなんだよ、きっと美味しいケーキになるから大丈夫」
そう優しく言うゆめみに、菜苗はぎゅっとしがみついた。そして小さな声で「ありがとう」と言う。
その言葉に、幸村、百合子、ゆめみの表情が和らいだ。幸村は着替えに、百合子はバターを取りにダイニングを出て行った。菜苗はそっとゆめみから離れる。そして、ニッと笑って、
「お兄ちゃんと付き合ってること許してあげる!」
と言った。危機を助けてもらったことで、菜苗はゆめみを認めることにしたのだ。しかしゆめみは首を傾げる。
「私精市くんと付き合ってないよ?」
菜苗はショックを受けた。
着替え終えた幸村は、庭で少し拗ねていた。ゆめみを心配して走って帰ってきたのに、なぜかあんなことになってしまった。『妹に厳しすぎる兄』だと勘違いされてしまっただろうか。
「精市」
とその時、ゆめみが手を振りながら歩いて来るのが見えた。幸村に声をかけたものの、庭が気になるようで、きょろきょろしながら歩いてくる。その姿はとても可愛らしいと幸村は思った。
幸村の庭は完璧に整えられていて、ゆめみはうっとりとしてしまう。冬なので、種類は限られるが、パンジー、ビオラ、シクラメンが元気に咲いている。奥には大きな池もあり、本当にカルガモが出てきそうな雰囲気だ。
植物のアーチをくぐり抜けると、幸村が木造りのブランコ型の椅子から立ち上がった。
「ようこそ俺の庭へ」
ゆめみはキラキラと目を輝かせて「素敵だね」と言った。幸村は嬉しそうに笑う。
「そのブランコに座って見てもいい?」
「もちろん」
2人は並んで座って、庭を眺める。大きな瞳で嬉しそうに笑うゆめみに、幸村は距離が近い気がしてドキドキする。
先ほどはエプロンに隠れていたが、ゆめみはクリスマスらしいボルドーのワンピースを着ていた。髪は結い上げられ、そのアクセントには幸村がフランスで送った金のパレッタが輝いている。幸村はゆめみを見つめていることに気付いて、無理やり視線を外した。
「どうしてここに?」
「菜苗ちゃんが、精市がここにいるから行ってあげてって」
「ななが?」
意外そうな顔をした幸村に、ゆめみはくすくすと笑う。ゆめみと幸村が付き合っていた訳ではないことを知った菜苗は、兄の恋を応援する選択をしたのだ。そうとは知らない幸村は、何が起こったのか理解出来なかった。でもゆめみを見ていると、まぁそんなこともあるかな、と思った。
「春に来たかったな」
「今も十分素敵だけど」と付け加えながらゆめみはそう言った。1年で1番花の咲く春にはどんなに素敵だろうと想像して、軽く目を瞑る。
「ぜひ来て欲しい」そう思ったが、言葉に出すことは出来ずに、代わりに「春はいいよね、俺も春が一番好きだな」と言った。ゆめみは幸村の顔を覗き込んで、「どんな花が咲くの?」と聞いてきた。
幸村は嬉々として指をさして、説明し始める。
「そこの花壇にはピオラにチューリップ、クリサンセマム、スミレ、そしてあっちの花壇にはプリムラアラカルト、チロリアンデージー」
夢中で話す幸村に、ゆめみは幸村は本当にガーデニングが好きなんだなと思った。説明し終わると、幸村はふぅと息を吐いて「春が待ち遠しいね」と言った。
「精市の話を聞いていたら、私も何か植えたくなっちゃった」
屋上庭園に通う内に、立海専属庭師の泰永さんの仕事ぶりを見て、ガーデニングのイロハを学んだゆめみだったが、そう言えば自分で植えてみたことは無かったなと気付く。自宅の庭はどうなっていただろうかと思い出す。両親共に多忙なため、手のかかる植物は植えられていないはずだ。
年に何回か庭師が手入れをしているが、それ以外は基本放置されている。
「今からでも間に合うかな?」
「俺は毎年秋に植えてしまうけど、品種によってはまだ間に合うよ、何を植えたい?」
ゆめみは少し考えた後、「チューリップ」と笑顔で答えた。そう言った時の口の形に反応して、幸村はドキドキと心臓が高鳴るのを感じた。ほぼ病気だな、と思う。
幸村はうつむきながらも「チューリップは種類がたくさんあるから大丈夫だと思うよ」と答えた。「じゃあ植えてみようかな」と言うゆめみ。
しばらく顔をあげる勇気が無く、俯いていた幸村だったが、ゆめみの「わぁ」という感歎の声に、ゆっくりと顔を上げた。
ふわっとした、みぞれのような粒の結晶が空から降って来ていた。
辺りはだいぶ暗くなって来ていたが、家からの光に当たってキラキラと輝く。
「「ホワイトクリスマス」」
声が重なって、幸村とゆめみは顔を見合わせて笑う。
「クリスマスってイエスキリストの誕生日じゃないって知ってた?」
ゆめみが幸村を見つめてそう言った。幸村はふふと笑って「知ってるよ、世界史で習ったよね」と言う。そして、幸村は少し考えてから「感謝する日らしいね」と付け加えた。ゆめみはうん、と頷いた。
「私は、この素敵な景色を見せてくれた精市に感謝します」
そう笑うゆめみは、可愛いくて、愛おしいと幸村は思った。それなら、俺は。
『ゆめみに出逢えたことに感謝してる』
言葉には出来なかったけど。代わりにブランコを蹴って揺らした。急に動き出したブランコに、ゆめみは楽しそうに「あはは、面白い」と喜ぶ。2人でそうしてはしゃいでいると、近付いてくる2つの人影に気が付いた。
「幸村、ゆめみ、ここにいたか」
「メリークリスマス」
真田と柳だ。真田の頭の上にはサンタクロースの赤い帽子、柳の頭の上にはトナカイの角が生えている。その浮かれた様子に、幸村とゆめみはあははと更に笑った。
「これがくりすますぱーてぃーの正装だと聞いてな!」
「お前達の分も用意している」
幸村とゆめみは「いらないかな」と初めは断ったが、真田と柳に無理やり被せられた。幸村はトナカイ、ゆめみはサンタ帽だ。
「じゃあ蓮二ブランコに乗って、私揺らしてあげるから」
テンションが上がった4人は、代わりばんこにブランコに乗って、あははと遊び倒した。ブランコは2人乗りにも関わらず、最終的には、真田、幸村、柳が並んで座り、ゆめみが柳の膝の上に座って、4人でブランコに乗りだした。
「きゃーっ、こわーいっ」
「大丈夫、体重制限は守られているよ」
「流石に狭いな」
「たまらん青春だな!」
普段優等生な彼らだけに、この場面を誰かに見られたら二度見されてしまうだろう。
しかしこの場には気を許している友人とその家族だけしかいないため、この後のクリスマスパーティも大いに盛り上がった。
ちなみにすっかりゆめみ大好きになった菜苗は、パーティ中もゆめみの隣に居たがり、柳は「杞憂だったようだな」と思ったのだった。
(180425/小牧)→55
あんなお兄ちゃんいたらブラコンになりますとも。