055
(この柳蓮二が全て引き受けよう/柳)
今日は12月31日、大晦日。
柳の自宅では、祖父、父親、そして柳蓮二が夕食後に軽い雑談をしながらゆったりとした時間を楽しんでいた。テレビからは紅白歌合戦が流れている。オープンキッチンでは祖母と母親が年越し蕎麦の準備をしており、トントントントンという手打ち蕎麦を切る音が、年の瀬を感じさせてくれる。
柳の家は3年前に建てられた築浅の一家建てであるが、いわゆる和モダンテイストの家だった。全室和室、居間から見える庭も日本庭園と徹底しているが、最新の技術が至る所に使われており、住みやすさを実現している。
まもなく除夜の鐘が聞こえて来たら、今年もいよいよ終わりだな、と柳がまったりしていると、居間の引戸が開けられた。柳の姉の一風だ。
「ゆめみちゃん帰っちゃったの?」
一風はショックと顔に書いたまま、すとんと柳の隣に座る。そこはさっきまでゆめみが座っていた場所だった。
「ああ、今年は父親が年明けまでには間に合うそうだ」
「今年もシャニーズカウントダウン一緒に見ようと思ってたのに」
柳の言葉にも、納得出来ないと唇を尖らせる一風。「帰って来るまでここにいればいいのに」と呟く一風に、柳の父親栄一は同意したように「気持ちは分かるぞ、一風」と言った上で「ゆめみちゃんだって本当のお父さんと過ごしたいんだろう」と言って慰める。
その『本当の』と付けた意味は自分が第二の父親であると主張するものだった。栄一はゆめみを本当の娘のように可愛がっており、それを思い出して柳は苦笑いを浮かべる。
ゆめみの両親は共に総合病院のドクターとして働いている。普段も何かと忙しいが、冬は特に多忙を極める。
その日に帰って来れないどころか、2日近く帰って来れない日もある。実際に昨年の年末も両親共に帰ってこれず、柳家で年を越したのだ。
『今年は帰って来れるんだって、まぁあんまり期待してないけどね』
はにかむように、嬉しさを隠しきれないといった表情で帰っていったゆめみ。
そんなゆめみを思い出して、ちゃんと父親が帰って来れればいいが。と柳は少し顔を曇らせた。
昨年もそうだった。『帰って来るよ』と期待させて『帰って来れない』ということがたまに起こるのだ。もともと帰って来れないと言われていたよりも、ゆめみを何倍も傷付ける。
そんなことを考えていた時だった。自宅の電話が鳴り、母親翠が電話に出る。
悪い予感と言うものは、どうして高確率で当たってしまうのだろう。
翠は受話器を置くと残念そうな表情を作って、ゆめみの父親が仕事で年明けまでに帰れなくなった旨を伝えた。「お医者様は大変ね」と口では言っているが、足元はスキップしている。翠も結局はゆめみが可愛いのだ。
素直に「やった」と言った一風に、栄一は「こらこら」と言いながらも「では年越し蕎麦はみんなで食べられるな」とにやけている。
「蓮二、ゆめみちゃんを迎えに行ってあげて」
「もう出て行ったよ」
「あら、あの子ったら」
翠がそう言った時には、柳は既に部屋を出て行った後だった。「本当蓮二はゆめみちゃん大好きよね」と翠と一風は顔を見合わせて笑った。
柳はその時、ゆめみの家の前にいた。何度インターフォンを鳴らしても何の反応もない。玄関の電気はついているので、中にいることは間違いが無いのだが。メッセージも既読にならず、柳は小さくため息を吐いた。柳の吐いた息は白く、儚く消える。
仕方がない、か。
柳は、静かに家に戻り、自室へと帰ってきた。窓の障子を開けると、カーテンと開けっ放しの無防備なゆめみの部屋が見えた。ゆめみはいなかったが、鍵が開けっ放しだ。
予想通りだと思いながら、柳は自室の窓を開けて、ゆめみの部屋の窓を開けて、ゆめみの部屋へと降りる。
ほっとするようないい香りに、柳の表情は緩んだ。窓からゆめみの部屋に入ったのは、中学に入ってからは初めてのことだった。出会ったばかりの幼い頃はよくここから出入りしていたものだったが。だんだんと恥ずかしくなり、気付けばここから出入りすることが出来なくなっていた。
ゆめみはいつまでもあの時のままだというのに。どうして自分だけが大人になってしまったのだろう。ずっと子供のまま無邪気でいられたのなら、幸せだったのにな。
柳は自虐的な笑みを浮かべて、ゆめみの部屋をそっと出た。
ゆめみの部屋も綺麗に片付いていたが、玄関に吹き抜けている廊下部分は、埃一つ落ちていない完璧な空間だった。ついでに物も何も無い。
掃除をする時間の無いゆめみの両親は、家政婦を雇っており、家は常に綺麗な状態が保たれている。いつもは気持ちよく感じる空間も、今この状況では寂しげに感じられる。年の瀬にこの生活感の無い広い家に、ゆめみはたった1人でいるのだ。
柳の足が心なしか早まる。輝く小さめのシャンデリアを横手に見ながら、玄関に続く階段を降りて、リビングへと続くドアを開けた。
「失礼する」
リビングの電気は消えていた。代わりにテレビがついており、その前でゆめみがソファーにちょこんと体育座りをしていた。耳にはヘッドホン。そして。
「ゆめみ!」
ゆめみは泣いていた。柳がゆめみの肩を掴んだ瞬間に、ゆめみのヘッドホンが落ちて、その大きな瞳は驚きを映して柳を見上げる。パチパチと瞬きすると、涙が頬を流れた。
「なんだ蓮二か、びっくりしたー」
ゆめみは柳の顔を確認すると、へらっと笑う。意外と普通の反応に、柳の開きかけた腕は行き場を無くした。てっきり『蓮二、寂しかった』と泣きついて来るものかと予測していたのだ。昨年はそうであった。
「テレビ見て、感動して泣いちゃった」
えへへと笑うゆめみはいつも通りに見えた。柳は開いた腕を左右に振ってごまかした。そして、ゆめみの隣に座って音の無いテレビ画面を見た。寂しくは無かったようだな。ゆめみも大人になったということか。
「何を見ていたんだ?」
「コードスカイブルーの最終回だよ」
その回答に、柳の表情は硬直した。コードスカイブルーとは、言わずと知れた医療モノの人気ドラマだ。
「この主任の医師、忙しくてもう10日も家に帰れて無いんだよ、久しぶりに家に帰ったら、娘に『いらっしゃい、今度はいつ遊びに来るの?』って言われちゃったんだって」
「面白いよね」と乾いた笑みを見せるゆめみ。
柳の表情に影が深まる。テレビ画面は淡々と場面を変えていく。
「ゆめみ」
柳は画面から目を離してゆめみを見た。ゆめみは柳を見なかった。テレビ画面を眺めたまま「だから2日に1回は会える私は幸せだなぁって思うことにしたの」と震える声で続けた。
柳は左腕をゆめみの頭へと回して、自分の肩へと引き寄せた。とん、とゆめみの頭が柳の肩に当たる。ゆめみは抵抗しなかった。泣き出しそうな顔で柳を見上げている。
「何も言わなくていい」
柳は静かにそう言った。
「この柳蓮二が全て引き受けよう」
そんな言葉は優しくて、胸に染み入るようだとゆめみは思った。言葉は無く、ゆめみは柳の肩に顔を埋めていた。
肩を震わせて無くゆめみの頭を撫でながら、大人になるとはこういうことなのか、と柳は思った。
寂しいと素直に言えなくなる、否、寂しさを自分で乗り越える方法を見つけられるようになる。
しかし、それは寂しくないということでは無いのだな。
ふと、自分自身もそうだったのかも知れないと柳は考えた。
寂しくなっても、ゆめみに頼らずに乗り越えることが当たり前になったから、ゆめみの窓を超えることが出来なくなったのかも知れない。
しかし。
『寂しくないということでは無いのだな』
自分の感情に疎くなっていたことに気がついた。しかし、今更子供のようにゆめみに頼ることも出来まい。
柳は泣くゆめみをよしよしと撫でながら、『ゆめみだけは』と思った。
いつまでも俺を頼る子供でいて欲しい。
いつかゆめみも俺の窓を超えなくなる日が来るかも知れないが。
「思い出した」
ひとしきり泣いた後、ゆめみはそう呟いた。
柳はゆめみの顔を覗き込む。
「去年もこうだったよね」
一呼吸置いてから、ゆめみは「去年もママもパパも帰って来れなくて、泣いてたところに蓮二が来てくれた」と言った。そして、「私って成長してないな」とがっかりした表情で呟く。
「覚えていない」
「嘘だよ、蓮二が忘れるなんて」
「共に除夜の鐘を聞いて、共にカウントダウンをして、共に年越し蕎麦を食べたことなら覚えているが」
柳の言葉を聞くと、みるみるうちにゆめみの表情に生気が戻っていった。
「うん、そして朝日を見たよね」
「今年も見るか?」と柳が聞けば、ゆめみは「見たい」と前のめりでそう言った。
「では見るとしようか」
柳は優しく笑ってゆめみの頭を撫でる。
「蓮二」
ゆめみは嬉しそうに柳の名前を呼んだ。柳はん?と顔を覗き込む。
「大好きだよ」
柳は大きく目を見開いて、その後くしゃっとした笑顔を見せた。
その好きは柳の欲しい好きでは無かったが、十分すぎるくらいに嬉しいものだった。
「そして明日は初詣に行こう」
「うん!」とゆめみは笑顔で頷いた。蓮二のおかげで今年も良い年になりそうだな、と思うのだった。
(180426/小牧)→56
いつも寄り添ってくれるキミだから。