056
(一つ心は筆に現る!/真田•幸村•柳)
年が明けて、お正月真っ只中のある日。
幸村は真田の家に向かう途中で柳とゆめみに会った。
「あけましておめでとう」
「今年もよろしく頼む」
ゆめみと柳が幸村を見て晴れやかに挨拶をする。幸村は「あけましておめでとう、こちらこそよろしく」と返事を返したものの、その姿に意外そうな顔をした。柳もゆめみも完璧な着物姿だったのだ。
「着物とはさすがだな、2人とも似合っているよ」
柳は言うまでも無く似合っているし、ゆめみの振袖姿は麗しく、少し大人びて見えた。
幸村の言葉に柳は嬉しそうに頷いて、ゆめみは「蓮二ママに着せてもらったの」と少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。
新年早々良いものを見させてもらったなとは思うけど、若干気合いが入りすぎではないだろうか、と幸村は思った。
3人が真田の家に向かっている理由、それは書き初めをするためだ。クリスマスマスパーティーの話が出た時に、真田に誘われたのを全員律儀に覚えていた。
「あけましておめでとう!3人ともさすがだな!時間通りだ!」
真田の家に着くと、待ち構えていたかのように木造りの門が開いた。真田の家は典型的な日本家屋だ。和風であるのは柳の家と同じだが、柳の家が近代的な和モダンに対して、真田の家は伝統であるため、ある意味では対照的とも言える。
機嫌よく家を出てきた真田の姿を見て、幸村は自分の考えが少数派だったことを知る。真田は袴姿だったのだ。
何も考えていなかったな、と今更ながら、シャツとチノパンで来てしまった自分を恥じた。
「ドレスコードがあったとは知らなかった、出直そうか?」
確か小学校の卒業式で着た袴があったはず、と思いながら幸村がそう言うと、柳が「その必要は無いだろう」と言った。すぐに真田が口を開く。
「うむ!無論、幸村の袴も用意がある!」
あ、やっぱり袴は必須なのか、と幸村はちょっと引いた。かっちりとした格好が苦手な幸村は、出来れば遠慮したいなとは思ったが、断わることも出来ずに、数十分後には袴姿で道場に正座をしていた。
「一つ、心は筆に現る!」
「「「一つ、心は筆に現る」」」
「一つ、清き心はその心構えから!」
「「「一つ、清き心はその心構えから」」」
墨をすりながら、真田の教えを復唱する幸村、柳、ゆめみ。正月早々自分は何をしているんだと思わなくも無いが、柳はとても興味深そうにしているし、隣のゆめみも楽しんでいるように見える。幸村もせっかくなので楽しむことにするか、と思った。
書道の心構えや向かう姿勢には厳しい真田であったが、内容自体はとても自由だった。好きな文字を書いていいと言い、柳とゆめみが書いた書を見て「うむ!たまらん出来栄えだ!」と言うのだった。
「真田くん、これどうかな?」
ゆめみはにこにこしながら自分の書いた書を持って、真田に教えを請う。
真田はゆめみの書いた『君に感謝』をじっと見て、「うむ!ゆめみの心の清らかさが字に現れているようだな!」とベタ褒めした。「直して良いだろうか?」と確認すると、赤字でトメやハネの甘さを指摘する。
「ありがとう、真田くん」
ゆめみはそれをとても嬉しそうに見て、指摘された部分だけを何度か練習した後、もう一度同じ字を書く。
それを眺める真田の眼差しはとても優しいものだった。幸村がそんな真田の様子を意外そうに見ていると、柳と視線が合った。
「精市、筆が止まっているようだが考えごとか?」
幸村は肩をすくめて「何を書こうか定まらなくてね」と答えた。柳の前に置かれた半紙に視線を移せば、完璧な自体で『友人と おさなおぼえの 筆始』と俳句が書かれていた。
今この瞬間を詠ったものだろう。器用な男だなと思いながらも、幸村はやはり何も思い付かなくて、何度も同じ字を練習するゆめみを見続けた。綺麗な振袖にたすき掛けをして、エプロンを着けている。その瞳は真剣そのものだ。
その向上心はどこからくるのだろう、と不思議に思う。ゆめみも俺と同じように、日本文化や書道にそこまでのめり込むタイプでは無いと思っていたけれど。
ゆめみは幸村に見つめられていることに気がついて、ぱっと顔を上げた。そして、にこっと笑う。
「せっかくだからゆめこにプレゼントしようと思ってるの」
「ゆめのさんに?」
「うん、いつも助けてもらってるから」
それで『君に感謝』か、と納得する。誰かのためと思っているから、頑張れるんだな、とゆめみのモチベーションの在りかを理解して、そんな一生懸命な姿は可愛いな、と幸村は思う。
「精市も誰かに書いてみるのはどうかな?菜苗ちゃんとか」
ゆめみはいつまでも書かないでいる幸村を気遣ってそう言った。「きっと喜ぶよ」とふわふわ笑うゆめみを見て、幸村は少しやる気が出てきた。
半紙に書きたい文字をイメージして、筆を握る。思い切り良く、筆を滑らせる幸村。
しかし、出来上がったものは、なんだか貧相に見えた。
「うーん」
幸村の口からは納得出来ないような声が漏れる。決して幸村が下手なわけでは無いのだが、真田や柳に比べると、どうしても達筆さに欠ける。お上品な感じになってしまうのだった。
「才能ないみたいだな」
何度目かのトライの後、幸村はそう言った。「勘違いをしているようだが」と真田は口を開く。
「書道は芸術の一種だ、上辺だけの上手い下手で推し量れるものではない」
「なるほど」
と言ったものの、何となく負けた気がして、幸村は不服そうな顔をしていた。
反対にゆめみは満足のいくものが出来たようで、自分の書き上げた書を見て、にっこりと微笑む。そして、幸村の方へ目線を移す。
「幸村くん、上手だね、お手本みたい」
気にしていたことをゆめみに指摘されて、幸村はさらに微妙な顔をした。もっと個性的で豪快な作品に仕上げたいのに、なぜか面白味が無い感じになってしまうのだ。
しかし、そんな幸村に気づいたのかゆめみは「私は好きだよ、精市の字」と続けて、幸村は「そうかな」と少し機嫌を直すのだった。
「書道は芸術だとは言ったが、やはり日頃の鍛錬が書の満足度に繋がる!」
真田は第2日曜の午後に書道の先生に来てもらっているそうで、「皆もどうだ?」と誘った。柳は興味があるようだったが、幸村とゆめみは曖昧に笑って「それはいいかな」と答えた。
2人とも貴重な休みを潰してまで傾ける情熱は無かったのである。
ゆめみが断ると、「そうか」と少しいやかなり残念そうな顔をした真田。
「心を静めるために、学校の和室でも練習をしている!」
「また声をかけてもいいだろうか?」と真田が聞くと、3人は「もちろん」と笑った。
書初めをした後は、道場と同じ敷地にある真田の家にお邪魔した。畳の部屋に通され、縁側の先には手入れが行き届いた日本庭園が綺麗に見える。ちょうどおやつの時間だったので、ゆめみが持ってきた和菓子を出すと、書道を教えてもらった礼にと、柳が抹茶を点て始めた。
「蓮二の点てたお抹茶は本当に美味しいよ」
流れるような慣れた手つきで抹茶を点てる柳に、ゆめみが嬉しそうにそう言った。茶具と抹茶はもちろん柳の自前である。
「二回まわして飲むんだよね?」
目の前に置かれた抹茶に幸村が自信なさげにそういうと、ゆめみはにこにこと笑って「正面を避けて飲むんだけど、蓮二は気にしないと思うよ」と言い、柳も「自由で構わない」と言った。
ゆめみの持ってきた和菓子は正月らしい富士山の形をした上生菓子で、抹茶との相性も良く、自然と話も盛り上がる。
「蓮二ママが茶道の先生の資格を持っててね、教えてくれるんだよ」
「ほう!それでこの腕前なのだな!」
ゆめみの口から出る柳の話を幸村は少し複雑な気持ちで聞いていた。こうしてプライベートで会うと、ゆめみと柳の絆の深さをまざまざと感じさせられる。2人は小さい頃から一緒で、たくさんの同じ時間を共有してきたのだ。幼馴染と言う高すぎる壁に心が折れそうになる。
和やかに雑談をしていると、いきなりダン!と襖が力一杯に開けられた。
全員驚いて開かれた襖へと視線を移す。ひょっこりと顔を出した男の子はおかっぱ頭だった。ゆめみと幸村はその子を見て、次に柳を見て、またその子を見た。全く同じ髪型だった。
しかし、男の子は柳には目にもくれず、まっすぐに真田のところへと走って来た。
「おじさん!」
その小さな口から発せられた言葉に、ゆめみと幸村はきょとんとする。真田は怒りからだろうか、眉をヒクヒクと引きつらせながら、「甥の佐助、4歳だ」と言った。
この子が噂の甥っ子か。以前紅葉狩りの時に真田が甥と遊ぶ約束をしていたと断ったことを思い出し、3人は妙に納得する。
「おーじーさーん、おーじーさーん」
そうしているうちに、佐助は真田の周りをぐるぐると回りながら、「おじさん」を連呼する。その姿は微笑ましいが、本人にとっては我慢出来ないことのようでウンザリとした表情で「おじさんと言うのをやめんか」と言った。
「叔父さんでしょ」
真実を述べる佐助に、柳、幸村、ゆめみの3人はくすくすと笑ってしまう。「もっと違う言い方があるだろう」と真田が言えば、佐助は少し考えた後、ニヤリと生意気に笑う。
「ゲンイチロー」
その怖いもの知らずな言葉に、3人は笑いを通り越して気の毒そうに真田を見た。真田は顔を真っ赤にして、「な、ななな」と怒鳴りつけたいのを必死に堪えていた。もしもこの場にゆめみ達がいなかったなら、確実に「目上の者を呼び捨てにするとは何事かー!!」と怒鳴っていただろう。
「佐助くん、それ羽子板だよね?」
真田があまりに可哀想だと、ゆめみは立ち上がって佐助に話しかけた。持っていた羽子板を指差して「かっこいいね」と言うゆめみに、佐助はゆめみに初めて気が付いたかのように、まっすぐにゆめみを見た。
そして、素直に「うん」と言って、2枚の内1枚をゆめみに渡した。
「羽子板、やりたい」
ゆめみはそれを受け取って「うん、やろっか」と微笑んだ。佐助は嬉しそうに笑うと、ゆめみの手を引いて、庭の方へとリードする。
「ゆめみ、無理をしなくていい」
「うんん、私も久しぶりにやりたいと思っただけ、真田くんはいつも遊んであげているんでしょ?」
申し訳なさそうにする真田に、ゆめみは笑って「今くらいはゆっくりしてて」と言うと、佐助と一緒に庭に通じるガラス戸を開けて、庭へと出て行った。
部屋と庭との間はガラス戸で仕切られているため、声は聞こえにくいが、姿はよく見えた。ゆめみと佐助は楽しそうに羽子板で遊んでいる。
それを男3人でただただ眺めていた。
「可愛らしいな」
その言葉は真田のモノだった。その表情は頬に赤みがさしており、視線の先にはゆめみがいた。柳は表情を変えずに微動だにしなかったが、幸村は多少なりとも動揺した。
幸村が言葉を発するより先に、真田が口元に手を置き「俺は今何を」とベタな反応をする。
「真田、もしかして」
幸村が我慢出来ずにそう言えば、真田は深刻な表情を浮かべて「気付かれてしまったようだな」と言った。
『ゆめみのことが好きなのかい?』
幸村の問いの続きはこうであり、その回答が来ると思っていた。
しかし真田はど真面目な顔で「親友に嘘を吐くなど性に合わん!」と前置きをした後、口を開いた。
「どうやら心臓病を患っているようなのだ!」
斜め予想上の回答に、幸村の口からは思わず「は?」と言う言葉が漏れた。真田は深刻な表情を崩すことなく、春から昼に動悸がすることがあること、胸がチクチクシクシクと痛むことがあること等をとうとうと説明する。
「まだ幸いにもプレイへの影響は無いのだが、来週にも総合病院で精密検査を受ける予定だ!」
迷惑な話だな、営業妨害も大概にした方が良いと幸村は思ったが、あくまで真田のことだ、おそらくどこまでも本気なのだろう。
「弦一郎、お前はゆめみに恋をしている」
幸村がどう説明して良いものかと本気で悩んでいると、柳が静かにそう言った。
幸村が驚いて柳を見ると、柳はいつもの淡々とした表情を崩していなかった。まるで「今日の天気は晴れだな」とでも言うテンションで告げられた言葉に、真田は一瞬硬直して、その後顔を真っ赤にした。目線が左、右、左、右と泳いだ後、畳に顔を突っ伏した。
「恋、だと?」
真田の言葉とは思えないくらいのか細い声で真田はそう言った。
「ああ、確率は」
「言わないでくれ」
おそらく真田も可能性の一つとして考えていたのだろう。そうで無ければ説明がつかないくらいに、真田は落胆していた。
「時間をくれまいか」
やっと起き上がった真田は、まだ耳を赤くしたまま、そう呻いた。
パンク寸前の真田に、これ以上は無理だと判断した柳と幸村は、お互いを少し見て苦笑いをする。
窓の外の庭へと視線を移せば、ゆめみと佐助がまだ楽しそうに羽子板で打ち合っていた。
その姿が3人には少し眩しく見えた。
(180430/小牧)→59
ゲンイチローの春