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(熱があるようだ/柳•幸村•真田

2月14日。
朝、少し早めに学校に来たゆめみは、SHRが始まるまでの時間に、図書室を訪れていた。
ゆめみは図書室で借りていたショコラの本を返しながら、あまりにも静かなことを不思議に思う。きょろきょろと見渡すと、自分以外他に誰もいないことに気が付いた。図書委員の係の人さえいない。
ふと窓の外に目を移すと、中庭で女の子が可愛くラッピングされた箱を渡しているのを見て、今日はバレンタインデーだからか、と納得した。
ゆめみも昨日ゆめことチョコレートを作り、みんなに持って来ていたが、なんとなく放課後にでもまとめて渡そうとのんびり思っていただけに、すぐには思い至らなかったのだ。
受け取る男の子は嬉しそうで、ゆめみは小さく「良かったね」と呟いた。
なんだかあったかい。それにふわふわする。ゆめみはバレンタインデーのせいかな、と思った。

「ゆめみ、おはよう」

ぼーっと窓の外を見ていると、聞き慣れた低い声が聞こえて、ゆめみは振り返る。
柳がいつも通りの表情でそこに立っていた。2人が会ったのは偶然ではなかった。柳は毎日この時間に図書室に来るのが習慣で、たまにゆめみも柳に合わせて図書室に来ていた。
よくゆめみが図書室の本を持っているのは柳の影響だった。

「蓮二、今日はいつもより早いね」
「ああ」

チョコを渡そうとする女の子達の勢いが凄くて練習にならなかったというのが正しいのだが、柳はそこまでは言及しなかった。

「蓮二今日も本を選んでとお前は言う」
「うん、ありがとう」

柳は少し考えた後、本を取りに行った。ゆめみが席を決めて座る間に、柳は4冊の本を取って来た。ゆめみの前に2冊、自分の前にも2冊本を置く。

「上がゆめみ好みのファンタジー小説、下が俺のおすすめだ」

ゆめみが『ラミラの冒険』というタイトルの本を手に取ると、夏目漱石の本が顔を出した。

「蓮二セレクトから読もうかな」

ゆめみはそう言って夏目漱石を手に取る。柳は自分の好きな本を読み出すゆめみを愛おしそうに見ていたが、すぐに自分も本を読み始めた。
ゆめみは面白いらしく、くすくすと笑う。そんな笑うシーンが序盤にあったか、と思い柳が覗き込むと、息がかかったのか、ゆめみはふふっと笑って「くすぐったいよ蓮二」と言った。
そうして、柳の顔をまっすぐに見ると、ゆめみは「あ」と思い出したかのように、下に置いていたカバンを膝の上に置いた。
柳の期待が高まる。
ゆめみはえへへと少しもったいつけた後、カバンの中から白地に金色のリボンが巻かれた箱を取り出して、柳の前に出す。

「はい、感謝の気持ち」

もらえるだろうことはわかっても、実際にもらえると嬉しいものだな。柳はチョコを受け取ると「ありがとう」とはにかんだ笑みを見せた。その頬は少し赤みがかっている。
鞄にしまおうとする柳に、ゆめみは「食べないの?」と聞いてきた。その頬は赤く染まっており、いつもよりもふわふわとして見える。

出来れば家に帰り、ゆっくり楽しみたいと思ったが、ゆめみ本人が食べて欲しいと言うのならば仕方がない。
図書室に自分達しかいないことを確認して、柳はその包みを開けてみた。チョコレートのいい香りが漂う。

「では1つだけ」

そう言って、バー状のブラウニーを手に取った。
柳が一口食べて「美味しい」というと、ゆめみは「でしょ」と嬉しそうに笑った。
もう一口、と3分の2程残ったブラウニーを柳が食べようとした時、それは起こった。

柳がブラウニーを半分咥えた状態の時にゆめみが「私も食べたい」と言って、そのまま残りの半分をパクっと食べてしまったのだ。

ほんの一瞬ではあったが、その桜色の柔らかな唇が、自分の唇に触れたことを柳は感じた。柳は驚いて口に手を当てたが、ゆめみ本人は全く気付いていないようで「美味しいね」とふわふわと笑った。

柳にとっても、ゆめみにとってもファーストキスだった。
柳は耳まで真っ赤になったが、同時に疑問を抱く。いくらゆめみと言えど、少し不注意が過ぎはしないか。

さっとゆめみの額に手を置くと、予想通り少し熱いと感じた。柳は小さくため息をついた。

「熱があるようだ」

その後は「気のせいだよー」とにこにこするゆめみを半ば引きずるように保健室へと連れて行くと、体温計は『37.5度』を示した。ゆめみはそのまま帰宅することになった。


お昼休み。
3年L組の教室でいつも通りお弁当を食べていた柳と真田の元に、幸村が1人でやって来た。半ば疲れている様子に、柳は悪いと思いつつも少し笑ってしまう。

「ゆめみは一緒じゃないのか?」

そう聞いたのは真田だ。彼も無意識かもしれないが、ゆめみからチョコがもらえることを期待していた者の内の1人だろう。幸村は力なく首を振ると「今日は風邪で欠席だそうだよ」と言った。

「そうか」

短く、しかし残念そうに真田はそう言った。「ところで」幸村はお弁当を机の上に置きながら、柳をまっすぐに見る。

「顔色が悪いようだけど、大丈夫かい?」

その質問には、柳だけでなく真田も少し意外に思ったようで、柳の顔を見る。そう言われると、柳の顔が少し赤みがかっているように感じ、真田も心配そうに「熱があるのではないか?」と言った。
熱ではない他の心当たりがある柳は、「体調はいい、気にするな」と言ったが、内心では少し焦っていた。
誤魔化すために、柳はカバンからチョコレートの箱を2つ出して、幸村と真田に渡す。

「ゆめみからか?」
「ゆめみからかい?」

同時に同じようなことを言う幸村と真田。これには柳も少し申し訳無さそうな顔をした。

「ゆめこからだ」

がっかりする真田と幸村に柳は「ゆめみと一緒に作っていた」とフォローを入れる。真田はその言葉に少し機嫌を直した。ゆめみが家に帰る前に、ゆめこから頼まれたと預かっていたものだった。よく考えればその時にゆめみからの分も預かれば良かったのだが、そこまでは気が回らなかった。

「そうか、これはありがたく受け取っておくよ」

そう言う幸村は落胆しており、来た時よりももっと疲れて見えた。幸村がお弁当を食べ始めてすぐに、「幸村くんちょっといいかな?」とL組のクラスメイトに話しかけられ、廊下の方へ視線を向けると、幸村にチョコを渡そうと集まった女子達で交通渋滞が起きていた。
話しかけて来たクラスメイトは、迷惑そうな顔をして「なんとかしてくれる?」と言って自分の席に戻って行った。
幸村は「はぁ」と1つ大きなため息を吐くと、おかずを1つだけ食べて立ち上がる。

「好きな子からのチョコ、たった1つでいいのにね」

と小さく呟いて、その集団の中へと飲み込まれていった。モテすぎるのも大変だなと真田と柳は幸村を心底気の毒に思うのだった。


部活が終わり、柳はまっすぐに家に帰って来た。珍しく姉の一風が玄関まで出迎える。期待した表情で「チョコもらった?」と言う姉に、柳は紙袋いっぱいに入ったチョコをその紙袋ごと渡した。

そして、階段を上って自室へと戻る。寝ているだろうと予測していたが、気になってゆめみの部屋が見える障子を開けた。しかしゆめみの部屋は珍しくカーテンがしっかり閉められており、中を見ることは出来なかった。

柳はゆめみからもらったチョコを鞄から出して、眺めた後、自分の唇を触ってみる。
今日何度思い出したかわからない、ゆめみの柔らかな唇。何度そうしたいと思ったかわからないが、その願いがこのような形で叶ってしまった。
また自分の顔が赤くなっていることに気がついて、体は正直だなと思う。

ゆめみはどうしているだろう?熱は下がったのだろうか?辛い想いをしているのなら、隣で手を握ってやりたい。

ゆめみに会いたいが、口実が無かった。メッセージは既読にならないし、カーテンも閉まっている。窓を叩けばもしかしたら開けてもらえるかもしれないが、ゆめみの母親がいたらと思うと難しい。

「蓮二、ちょっといいかしら」

悶々と考えていると、母親翠が部屋のドアをノックした。開けるとお盆の上にあんみつが置かれていた。

「ゆめみちゃん、風邪引いちゃったそうなの、これ持って行ってあげて」
「え、ゆめみちゃんち?私も行きたい」
「一風、今日は蓮二に譲ってあげて」

通りかかった一風が翠にたしなめられる。一風はちょっと嫌そうな顔をしたが、すぐに「あ、そっか」と気が付いてにやにやする。
どうやら、バレンタインにゆめみからチョコをもらえなかったからふて寝していると思われているらしい。
しかし有り難いと思い、柳はそのあんみつを持って、ゆめみの家のチャイムを鳴らしたのだった。


「蓮二くん、もしかしてお見舞いに?ゆめみも喜ぶわ」

すぐにゆめみの母親が柳を家へと招き入れた。学校から帰って来た後、熱が8度まで上がってしまい、まだ寝込んでいるらしい。食欲はあまり無いらしいが、ぜひ持って行って欲しいと言われた。
ゆめみの母親はあんみつの乗ったお盆にレモンと蜂蜜を溶かした白湯を乗せた。

「蓮二くんのお菓子はリビングにあるから、食べて行ってね」

嬉しそうにそう言うゆめみの母親に会釈をして、柳は階段を上って行った。トントンと部屋をノックするが、返事はない。柳は「ゆめみ入るぞ」と言ってドアを開けた。

ゆめみはまるでお人形のように、ベッドの上ですやすやと眠っていた。頬は赤く、まだ熱がありそうだ。
柳はベッドの横に座った。無意識のうちに、その柔らかな小さい唇に目が行ってしまう。
いつもは桜色のその唇は、熱が高いからだろうか、口紅を塗ったように赤くなっている。
そっとその唇に手を触れた。
抵抗は無い。

気がおかしくなりそうだ。

今朝のは事故だった。ゆめみにキスする意図は無かったことは明白だ。でもゆめみのファーストキスをあのような形で奪ってしまったことに罪悪感がある。

柳は何度かゆめみの唇を触った後、意を決したように、ゆめみの顔に顔を近付ける。
そして、その唇に自分のを重ねた。
1秒ほどそうした後、そっと唇を離す。

「ゆめみのファーストキス、この柳蓮二が受け取った」

そう呟いた柳の顔は赤かったが、満足感に満ちていた。

それから数分後、ゆめみは寝苦しそうに首を振った後、パチっと目を開けた。そして、柳の姿を確認すると、満面の笑みを浮かべた。

「来てくれたんだ」
「ああ」

「さっきゆめこも忙しいって言ってたのに来てくれたんだよ」と嬉しそうに報告した後、「チーズケーキ美味しかった」と言った。
柳は食欲無いのではなかったか?と思ったが、あんみつをゆめみに見せる。

「蓮二ママのあんみつ、すきー」

ゆめみはぱあっと瞳を輝かせると、起き上がった。そして、にこにこと笑って「食べさせて」と言うのだった。
柳は「仕方がないな」と笑うと、スプーンにあんみつを乗せてゆめみに食べさせてあげるのだった。

ゆめみはなかなか熱が下がらず、3日続けて学校を休んで、週末を迎えた。





(180505/小牧)→63

蓮二の独り勝ちバレンタイン。




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