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(俺はキミに甘えているね/幸村•柳•真田)

地区予選当日。昨年優勝を飾った我らが立海は、第1シードで、2回戦が初戦となる。
ゆめみは会場である神奈川第2市民公園の中を1人で走っていた。手に持つスマホには、柳からの『2回戦開始、2番コートだ』のメッセージ。発信時間から既に45分が経過している。

ゆめみが遅刻した訳では無い。2回戦の開始が聞いていた時間よりも1時間早まったのだ。

ゆめみは息を切らして2番コートへと到着した。

わぁあっと大きな歓声が反対のベンチから聞こえる。向こう側のベンチに見慣れた芥子色ジャージを見て、ゆめみは対戦相手側の応援席に出てしまったことを知った。

一瞬回り込もうかと迷ったが、先にストアボードへと視線を移す。D2からS2までの4試合、全て6−0と記載されている。
立海は1ゲームも落としていない。ゆめみはその結果に「よかった」とほっと胸を撫で下ろした。

ゆめみの声に、数人の他校の生徒が振り返る。ゆめみは立海の制服を着ており、アウェーな居心地の悪さを感じて、やっぱり立海側の応援席に行かなきゃと思った。その瞬間、コートを包んでいた歓声がピタリと止んだ。

「神の子、幸村精市」

誰かのポツリと呟いた。
突然コートに緊張が走った理由。ゆめみはすぐに、その理由を知る。

幸村がコートに入って来たのだ。

昨年のあどけなさは全く無く、その鋭い視線からは2年生部長としての貫禄すら感じる。

普段の穏やかな彼からは想像もつかない、とゆめみは思った。コートに立つと、彼は別人みたいになる。
でもそれが幸村の魅力の1つだとゆめみは思っていた。
たくさんの努力の上に、今の彼がある。

『頑張って』

心の中でエールを送った。
2ゲームを終えない内に、相手選手は戦意を喪失し、幸村の勝利が決まった。
幸村の肩に掛けられたジャージは試合開始の時のままだ。

「まじかよ、試合開始から10分も経ってねーぞ」
「今年の立海強すぎる」

偵察で立ち見をしていた他の学校の生徒達が恐れおののき、そう口にした。
ゆめみはその言葉にテニス部のみんなを誇らしく思う。

全ての試合が終わり、選手達が整列して挨拶をするのを見届けると、応援席の生徒たちはパラパラと移動していく。

ゆめみは、近くの応援席の一番端に座った。今から立海のベンチに行こうかとも思ったが、足が向かなかった。
なんとなく、部外者の自分が休憩中に合流するのは気が引ける気がしたのだ。
1年生の時はそんなこと考えず、部員たちに混じることが出来たが、2年になり後輩がたくさん入ってきて、幸村は部長、真田は副部長、そして蓮二も参謀とますます部の中心人物になった。部員に囲まれている彼らに馴れ馴れしく近づく勇気は無い。

次の試合は何時からだろう?

ゆめみはそれまでどこかで時間を潰そうかな、とぼんやり考えていた。

「うわーっ、間に合わなかったか!」
「嘘だろ、3試合しかしてない俺たちより早いのかよ」

ドタバタと2人の男子生徒が走ってきて、ゆめみはふと顔を上げた。ジャージには『藤沢』と書かれている。

「何か手がかりはないか」と呟いた2人の内の1人とゆめみは目が合ってしまった。
今風のツンツンした髪型が特徴的な彼は、笑顔を貼り付けてゆめみの方へと歩いてくる。

「ねぇねぇ、そこの君!それって立海の制服だよね?」

彼らは藤沢の2年生で、次の立海の対戦相手である。対戦前に立海の弱点を探ろうとここまでやって来たのだ。

「立海レギュラーの誰かのお友達?可愛いねー」
「おい、二瓶」

やたらと馴れ馴れしい二瓶に、もう1人の常識的な生徒は、それを止めようとした。しかし二瓶は「ちょっと聞くぐらいいいだろ、五木田部長のためだ」と言い、もう1人の生徒も言いくるめられてしまう。

「彼らのこと教えてよ」

ゆめみは断ろうと立ち上がった。
と、その時後ろから、ふわ、と肩を優しく掴まれた。

「うちの生徒に何の用だい?」

ゆめみが首を動かすと、見慣れた横顔が見えた。
試合直後だというのに、息一つ乱れていない。その佇まいは王者の風格を備えている。
幸村がそこにはいた。厳しい表情で睨んでおり、後ろには真田と柳も控えている。

「幸村精市!?」
「王者立海のビッグ3だと!?」

2人は非常に分かりやすい反応をした後、大慌てで逃げていった。

幸村はそっとゆめみの肩から手を離す。ゆめみはくるりと彼らに向き直った。

「今シーズン、初勝利おめでとう」

花咲くように笑うゆめみに、3人の表情も緩む。口々に「ありがとう」と言った。

「実は精市の試合しか見れなかったんだ」

残念そうにそう言うゆめみに、3人は「見ていた」と返した。ゆめみが考えていたよりも、ゆめみは目立っていたらしく、3人とも最初から気が付いていたらしい。

「1人で敵陣にいるようなものだぞ、ゆめのは一緒じゃないのか?」

真田の問いに、ゆめみは「この時期はちょっと」と曖昧に答えた。ゆめこは毎年この時期は花粉症に悩まされており、外出は難しいのだ。

「みんなは立海ベンチにいなくて大丈夫なの?」
「偵察にな」

本当はゆめみが絡まれているのを見て飛んできた3人であったが、柳が機転を利かせてそう言うと、幸村と真田も頷いた。
昨年準優勝の城成湘南がまだ試合中で、本当に偵察に行こうと考えていたために、全くの嘘というわけでもない。

「ゆめみも一緒にどうだ?」
「解説付きだよ」

真田と幸村に誘われて、ゆめみは嬉しそうに頷いた。


城成湘南の試合は、反対側の5番コートだった。S2の試合が繰り広げられている。

「城成湘南は2年の神城、得意技は同じフォームから様々な球威球種を放つミラージュ、監督兼顧問華村の最高傑作になるだろうと言われている選手だ、血液型はA、身長は」

柳は流暢な説明を不自然に止めた。そして、目を少し開き、後方をチラリと見る。

「盗み聞きですか?五木田さん」

柳の言葉に、幸村、真田、ゆめみが振り返ると、藤沢3年部長の五木田が人の良さそうな笑顔を浮かべていた。

「いやいやさすがは柳くんと思ってね、関心していたところだよ」

同じ地区の学校と言うことで、藤沢とは練習試合をしたことがあり、互いに顔見知りだ。

「ところで先ほどはうちの後輩が失礼したそうだね」

よく見ると、五木田の後ろには先ほどゆめみに声をかけてきた2人組がバツの悪そうな顔をして立っていた。
愛想良く笑う五木田とは対照的に、幸村、真田、柳はニコリともしない。無言のまま、ゆめみを先に促すと、その場を離れようと歩き始めた。

「おい、お前ら五木田さんが挨拶してんだぞ、失礼な態度取ってんじゃねーよ」

先ほどは恐怖で縮こまっていたが、尊敬する先輩を無視されたと感じた二瓶は、そう叫んだ。

「話すことは何もありません」

幸村は冷たくそう言い放つ。五木田は「ああ、全てはテニスで」と頷いて「これが俺の中学最後の試合になる、いい試合をしよう!」と言った。
そのまるで負けることを覚悟しているかのような言葉に、ゆめみは違和感を覚えたが、柳に促されて離れた場所まで歩いた。

「先ほどは途中になってしまったが、同じフォームから違う打球が打てるというのはなかなかに厄介だ」
「うちからは誰を出そうか」
「適任は仁王、経験を積ませるという意味で赤也」
「ほう」
「それは面白そうだな」

先ほどのことが無かったかのように、いつものように話す3人。それが彼らのスタンダードなのだ。これから対戦する相手に、必要以上に心を許さない。

ゆめみはちょっと味気なくも感じたが、自分が口を挟むことでは無いなと思い、コートに視線を移す。コートではS1の試合が始まった。真田はそのプレイヤーと過去に対戦したことがあるらしく、ゆめみにその時の話を熱く語り出す。

「さっきの、気がついたかい?」
「無論だ」

幸村が柳に耳打ちする。

「オーダーを変更しよう、ダブルス1に出てもらえるね、柳」

幸村の迷いない指示に、柳は頷いた。


そうして、藤沢との準決勝が始まった。
D2は快勝、そして、コートではD1仁王と柳ペアの試合が始まっていた。対戦相手の藤沢は、部長の五木田と二瓶のペアである。

試合展開は一言で言うと悲惨。
五木田が序盤に足を縺れてさせ、倒れたかと思ったら、後はもう試合にはならなかった。
おそらく元々足を痛めていたのだろう、五木田の足は赤く腫れあがった。かろうじて立ててはいるが、あれでは動くのも痛いだろうとゆめみは思った。
五木田が思うように動けない分を二瓶が1人で奮闘するも、相手は柳と仁王だ。相手になるはずもない。
更に、柳も仁王も当然のように動けない五木田の方ばかりを狙う。

『ゲームカウント5−0!チェンジコート!』

柳と仁王が水分補給のために、立海ベンチへと戻って来ようとする。
五木田に肩を貸す二瓶達とすれ違った。

「・・・お願いだ」

その時、二瓶の弱々しい声がコートに響いた。柳と仁王は立ち止まる。
二瓶は、すがるような目で2人を見た。コートの外で、生意気を言っていた人物とは思えないほどの真剣さだ。

「頼むから俺を狙ってくれよ」

このまま五木田を狙われたら試合にならない、せめて最後まで五木田にテニスをやらせてあげたいと二瓶は言った。

「五木田さんはこれが最後の試合なんだよ、頼むよ」

泣きだしそうな二瓶に、会場の同情を誘う。


「だそうだ、部長、どうする?」

仁王が面白そうに幸村に指示を仰ぐ。幸村はチラリと二瓶を見た。その瞳には温かみが存在しない、と二瓶は思った。

「俺たちは最短での勝利を目指す、例外は無い」

はっきりと言い切る幸村。二瓶は悔しさに肩を震わせた。

「おめでたいのぅ、最初から決まってたことじゃき、それこそ最初の一球からな」

仁王の言葉にバッと顔を上げた二瓶。その表情は驚きに満ちている。
最初の一球。それは柳蓮二のレシーブだった。絶妙な位置にボールが落ち、それを返そうとした五木田が足をもつれさせたのだった。

「まさか」と二瓶の喉から乾いた声が漏れる。

「五木田さんの足をやったのもお前らか!」

興奮する二瓶に、柳は何も返さなかった。代わりに変わらない表情で「話過ぎだ、仁王」とだけ言った。

それを肯定と捉えた二瓶は泣き崩れた。五木田も悔しそうに下唇を噛むと「もういいんだ」と言った。
試合続行は不可能となり、D1は棄権勝ちとなった。そして、勢い付いてS1も勝利した立海は3−0で決勝へと進出した。

しかし、問題はここから起こった。
幸村が部員の前に立ち、決勝の時間を確認した後、藤沢とのD1はあまりに非道な振る舞いだったと2人の3年生からクレームが来たのだ。

「後にお前も真田も控えていたのに、そこまでする必要があったか?」
「真っ向勝負を挑んだとしても仁王と柳なら勝てただろう」

レギュラーから落ちた先輩達だった。幸村は一通り話を聞いた後、顔を上げた。

「俺たちの目標は全国大会2連覇です」

その瞳には強い光が宿っており、強い意志を感じる。

「我が立海大に受け継がれた無敗の掟を忘れたのですか?俺たちは王者だからと言って、無敵ではありません」

幸村は全体を見渡して「より勝率の高い戦略を選ぶことに迷いは無い」と言い切った。

「でも」
「あの場面では」

それでも先輩達は止まらない。レギュラーに入れなかった鬱憤もあるのだろうが、ここぞとばかりに幸村を非難する。
幸村はついに「では」と強い口調で言った。

「部長は俺です、納得出来ないと言うのなら部から出て行って頂きたい」

幸村の切り捨てるような言葉に、一瞬シーンと沈黙が訪れる。その後、2人の先輩は怒ったように立ち去って行った。その後を数人の3年生が追いかけていき、後輩達はそれを不安そうに見守っている。
ゆめみは吹奏楽部の更に後ろにいて、その状況を遠くから見ていた。

「決勝は1時間後だ、レギュラーは休息と対策をしっかり取るように」

何事も無かったかのように、そう指示を出した幸村。その表情には僅かな変化も無い。しかし瞳が揺れていることにゆめみは気がついていた。場はそこで一度お開きになった。


幸村は早々にどこかに立ち去り、柳と真田がそれを追いかけて行った。ゆめみはぼーっとそれを眺めていた。

完全勝利をしたにも関わらず、イマイチ祝勝ムードになれない立海ベンチの端っこで、ゆめみは考えていた。
幸村の部長としての顏を思い出す。平気そうにしていたけど、精市のことだから傷付いているだろう。でも。

私が行っても何も出来ないだろうな。

ゆめみはそう思った。テニスのことは何もわからない。それが分かる柳と真田が支えてくれるだろう。

そう思ってのに、ゆめみは立ち上がっていた。そして、気がつくと走り出していた。

側にいてあげたい。そう思ってしまう。私には何も出来無いとわかっているのに。

少し走ると、柳と真田を見つけた。幸村は居らず、2人は自販機の横で困惑した表情を浮かべている。
「蓮二、真田くん」とゆめみが声をかけると、2人は少しほっとしたようにゆめみを迎えた。

「精市は?」

柳は少し先の屋根付きのベンチを指さした。反対側を向いていて顔は見えないが、幸村が1人で座っている。

「1人になりたいそうだ」

真田が悔しそうにそう言った。柳がゆめみの肩をそっと幸村がいる方へ押す。

「俺たちは精市の味方だ、ゆめみお前もだろう?」

柳の言いたいことが分かったゆめみは「もちろんだよ」と頷いた。そして、幸村がいる方へと歩き出した。


「1人にして欲しいと言わなかったかい?」

幸村は人の気配を感じると、後ろを向いたまま、そう冷たく言い放った。

「まだ言われてないよ」

ゆめみの言葉に、幸村は振り返る。ゆめみの顔を見ると、気を許したように顔を歪ませた。泣き出しそうだとゆめみは思った。
幸村はゆめみから視線を離すと、まっすぐ前を向いた。
その表情には先ほどの威圧感も冷酷さも感じられない。私の知ってるいつもの精市だ。

ゆめみは隣に座って同じように前を見た。幸村は何も言わなかった。
ゆめみも何も言わなかった。
時間だけが流れていく。目の前を流れる川が陽の光を受けてキラキラ輝いていて、その場には水の流れる音だけが聞こえていた。

ゆめみは、幸村の手が震えてることに気がついた。少し迷ったが、幸村の手にそっと自分のを重ねた。幸村は軽く目を瞑ってそれを受け入れる。

幸村は自分の中に恐怖があったことに気がついた。そして、それが消えて無くなったことも。
幸村は余裕が出来て、前にもこんなことがあったな、と思い出した。ショッピングモールで、俺がクラスの女子を泣かせてしまった時、ゆめみは俺を癒してくれた。

『俺は間違っていたかな?』

弱い自分はゆめみに間違って無いと言って欲しくてそんなことを口にしたくなる。
でも、こればかりは誰かに間違っていると言われても譲れない。
俺が先輩方から引き継いだ、一番大切なことだから。

『王者立海の無敗の掟』

それを守り続ける。何があってもブレない、全部1人で

「精市」

ゆめみは名前を呼んだ。幸村はパッとゆめみをゆめみを見る。

「私は精市を応援してる」

その笑顔はとても暖かいもので、幸村は1人じゃない、と感じた。

「ゆめみ、ありがとう」

素直に口からその言葉が出た。

「俺は間違って無いよね?」

先ほど胸の奥にしまった言葉が転がり出る。
ゆめみはうんと頷いた。

「精市は間違って無いよ」

ゆめみは続けて「テニスのことはよくわからないけど」といった後、「精市の努力や信念は知ってる、だから精市が下す判断をいつも信じてるよ」と言った。
救われる。気持ちが軽くなる。

幸村はふっと笑った。

「俺はキミに甘えているね」

両手で顔を押さえる。
ゆめみが好きだ。こんなにも。
キミが信じてくれると言うのなら、俺はもう迷いはない。

両手を外した幸村は清々しい顔をしていた。
立ち上がる。

「行こうか、優勝、そして2連覇へ」

すっかり元気になった幸村に、ゆめみは嬉しそうににっこりと笑って「うん!」と言った。そして幸村の後を付いて歩き出す。

進む先に立つ柳と真田もいつものクールな表情に戻っている。

「苦労をかけたね」

幸村が両手を上げると、真田は右手、柳は左手を出して、パンとハイタッチをする。

「なんのことだ?」
「何も心配などしていない!」

とぼける2人に幸村はフフと笑った。幸村が通り過ぎた後、ゆめみが幸村について柳と真田の真ん中を歩くと、同時にぽんぽんと頭を撫でられた。
それが「よくやった」と言われているようで、ゆめみは足を止める。

ゆめみの前を幸村を中心に柳と真田が続いて歩く。彼らは三強と呼ばれ、中学テニス界でも有名な存在だ。

勝ち続ける、それは負かし続けることと同義で、彼らの優勝の陰には、たくさんの悔し涙があるのだ。

ゆめみは唐突にそんなことを思った。
それでも。私は。

「ゆめみ?」

3人はゆめみが付いて来ていないことに気付き、振り返る。ゆめみは3人の元へ走り出した。

彼らの傍らで、立海の優勝を見届けたい。


立海は決勝戦で城成湘南を下し、優勝を果たした。反発していた先輩達も、優勝を決めた瞬間にはベンチに戻っており、全員で優勝を喜びあった。





(180516/小牧)→79

雨の日には傘をさしてあげたい。





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