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(明後日は何の日かわかるかい?/幸村)

5月中旬のお昼休み、ゆめみと幸村は新設された花壇の見回りをしていた。
4月に申請した花壇は、あっという間に承認が下り、ゴールデンウィーク中に工事が入った。すでに植物が植えられている。
見回りは美化委員の仕事の一環ではあるが、ほぼ趣味の域である。
幸村もゆめみも2人でプロデュースして植えてもらった花達が可愛くて仕方がないのだ。

海風館の入り口に新設された花壇の前に2人はいた。
その青と白、そしてピンクの色がグラデーションのように植えられた綺麗な花を見て、幸村が嬉しそうに微笑む。

「矢車草、綺麗だね」

同じようにうっとりと花を見ていたゆめみがそう声をかけると、幸村はその優しい瞳のままでゆめみを見た。

「ああ、綺麗だ」
「精市の一番好きな花でしょう?」

ゆめみの言葉に幸村は「好きな花ではあるけど、一番では無いかな」と言い、「どうしてそう思ったんだい?」と聞く。
ゆめみはあれ?と首を傾げる。

「どうしてそう思ったんだろう?」

なんとなくそう思い込んでいた。しかしすぐに思い出す。

「精市のアイコンが矢車草だったから」
「フフ、矢車草は俺の誕生花なんだ」

幸村の回答にゆめみは納得する。そして「とってもロマンティックね」と笑った。

「じゃあ一番好きな花は何?」

ゆめみが興味深々と言った様子で聞いてくる。その問いに、幸村は「うーん」と考え込んだ。
やっぱり手のかかる子だろうか、その観点で言えば、ダリア、シクラメン、バラ、セントポーリアとかになるだろう。
だけど、手をかけなくても、愛想良く咲き誇るゼラニウムやマーガレットも愛らしい。
結局は1つになんて決められなくて、幸村は申し訳無さそうに「もう少し考える時間が必要かな」と言った。

ゆめみはくすくすと笑って「そういう時は全部好きでいいのに」と言った。
穏やかに笑うゆめみが可愛いくて、『一番好きな花はキミだよ』なんてキザな言葉が浮かんだ。

2人は海風館から教室へ戻るために、中庭へと歩く。その途中で、幸村が切り出した。

「明後日5月16日は何の日かわかるかい?」

ゆめみはパチパチと瞬きをした後、ふふと笑った。「当てられる自信あるよ」と言った後、振り返ってその小さな顔いっぱいで笑う。

「至上の印象派展、ビュールレコレクションが始まる日!」

ゆめみのキラキラした瞳に反射して、真昼の光が弾けた。幸村は眩しそうに目を細める。

「楽しみだよね、私開催を知った時からずっとドキドキしてる、日本に来るのは27年ぶりなんだって」

ゆめみの嬉しそうな笑顔が影響を与えて、空気がキラキラ輝いているようだと幸村は思った。

つい見惚れてしまう。
幸村はその気持ちを抑えるように、胸に手を当てた。
好きという感情に上限は無いのだろうか、と幸村は不安に思っていた。
フランスに行った時より、誕生日に花畑に行った時より、日を重ねる毎にどんどんどんどん好きという気持ちが大きくなっている。

最近、本当に我慢出来なくなる時がある。
ゆめみがそんな風に笑うから、伝えたくて仕方がない。

『好きだ』と。言えたら楽になれるかも知れないのに。

何も言わない幸村に、ゆめみは不思議そうに首を傾げる。

「違った?後は何かあったかな?真田くんの誕生日は21日だし、テストも来週だよね」

幸村はごまかすようにフフと笑って「大正解だよ」と言った。そして、そっとポケットから2枚のチケットを出した。

「はい、これが賞品だよ」

手を取って、チケットの1枚を手に乗せる。ゆめみは「印象派のチケット」と嬉しそうに笑った。「いくらだった?」とお財布を出そうとするゆめみに、幸村はそっとその手を止めた。

「地区予選のお礼なんだ、だからいらないよ」
「えっ、でも私は何も」

そう言いかけたゆめみの口を幸村はそっと押さえる。

「受け取ってくれるね?」

そうきっぱりと言われ、ゆめみは申し訳無さそうに頷いた。

「ありがとう、楽しみにしてるね」

チケットを受け取ってそれを愛おしそうに眺めるゆめみ。デートに誘うことに成功した幸村はぎゅっと見えない角度でガッツポーズをした。


そして、迎えた第3日曜日。
幸村とゆめみは駅で待ち合わせをして、国立新美術館へと向かう。日曜日の上り電車は混んでいた。2駅ほどで1つ席が空き、幸村はゆめみを座らせた。そして自分はゆめみの前に立つ。

穏やかに繰り広げられる話は、これから行く印象派展の話だ。「昨日は楽しみすぎて眠れなかった」と笑うゆめみ。自分とのデートの話ではないと分かりつつも、にやけずにはいられない。
楽しそうに話すゆめみは、普段とは違う膝が少し隠れるくらいの上品なワンピースに、薄い水色のカーディガンを羽織っている。
そして、ハーフアップで緩く纏められた髪には幸村が贈った金色の髪飾りが光っている。
基本外で会う時にはいつも着けてくれているので律儀だな、と思うもやはり嬉しい。

完璧に浮かれている自分をどう引き締めたらいいか分からず、幸村は緩んだ表情のまま、電車を降りた。


ビュールレコレクションとは。
エミール・ゲオルク・ビュールレが心の拠りどころとして集めた美術作品のことだ。特にゆめみと幸村が愛してやまない印象派の作品は傑作揃いである。

幸村とゆめみは国立新美術館に到着した。『至上の印象派展』と書かれた看板を見て、2人は気持ち早足になる。そして、入り口の前で頷き合って、中に入る。

それからは、2人とも無言だった。視線とその表情だけでお互いの感動を伝え合い、お気に入りの作品の前では心ゆくまで鑑賞した。

ゆめみの大好きなクロード・モネの『ジヴェルニーのモネの庭』を1時間かけて鑑賞し、幸村もルノワールの『可愛いイレーヌ』の前で1時間半以上動けなくなった。

そして、最後にクロード・モネの『睡蓮』の前に出た。
『睡蓮』は高さ2m、横4mの巨大作品で、ゆめみと幸村はそれを見上げる。

「こんなにすごい作品だったなんて」

写真で見るのとはまるで違う。ゆめみはここで初めて言葉を発した。

「スイス国外に出たのは初めてらしいよ」

幸村の言葉にゆめみは嬉しそうに目を潤ませて「はじめまして」と言った。
その感覚、分かるなぁと幸村は思う。

「モネは晩年をこの素晴らしい庭を眺めながら過ごしてたんだよ、色んな角度からこの睡蓮の池を眺めて、光の屈折や反射を一日中観察していたの」

そう解説するのは幸村では無くてゆめみだ。
幸村はすっかり印象派に詳しくなったゆめみに「フフ、そうだな」と言った。

「ほら、精市、聴こえるでしょう?」

ゆめみは耳に手を当てて目を瞑る。そんなことを言い出すゆめみに「またゆめみワールドかい?」と小さく笑った幸村だったが、その真剣に耳をすましている美しい姿を見て、同じように目を瞑る。

聴こえてくる。

睡蓮の池に流れる水の音、花が揺れる風の音、そして庭に集まる鳥の声。
朝日と共にここに来て、陽が沈むと共にここを去る。
そうして時間が流れ行く。季節が巡る。
隣には。

ゆめみも同じことを思ったのだろうか、唐突に優しく手を握って来た。幸村はそれを受け入れる。

睡蓮の池のほとりに、何年も2人で座っているような、そんな気持ちになる。

なんだか唐突に泣きたくなった。
今の俺には幸せな夢過ぎる。

幸村はそっと目を開けた。ゆめみも目を開けて、幸村の瞳を覗き込んでうふふと笑う。

「行こうか」

幸村はそう言った。
ゆめみは名残惜しそうにもう一度睡蓮を見たが、うんと頷いた。

ショップで幸村とゆめみは印象派展の画集を買った。

外に出ると、すでにお昼の時間はとっくに過ぎていた。しかし、2人は素晴らしい体験をしたばかりで気持ちが高揚しており、全くお腹が空いていなかった。屋外のテラス席でカフェをすることにした。

新しく購入した画集を見ながらゆめみは「素敵だったな」と幸せなため息を吐く。
幸村も「そうだね」とゆめみの画集を覗き込んだ。

開かれたページには、亜麻色の髪の美少女が上目遣いで空を見上げている。
絵画史上、最も有名な少女像ともいわれるルノワールのイレーヌ嬢の肖像画だ。『可愛いイレーヌ』
真っ白い肌の透明感、繊細な髪とドレスのタッチの絶妙なコラボレーションが、1人の絵描きとして、嫉妬にも似た強い憧れの感情を覚える。
いつか、こんな絵を描いてみたい。

「今日は本当にありがとう」

ゆめみの声が聞こえて、幸村は顔を上げた。
にこにこと笑って「精市のおかげでとっても楽しかった」と続けたゆめみに、幸村は軽く目を見開く。
そして、もう一度画集を見る。

幸村は目をこすった。
あんなに恋い焦がれ、いつかは会ってみたいと夢見たイレーヌよりも、目の前のゆめみが魅力的に映ったのだ。

「イレーヌ」

幸村がそう言うと、ゆめみは恥ずかしそうにえへへと笑い「気付いちゃった?」と言った。ゆめみは「楽しみすぎてイレーヌ意識した服装をして来たの」と笑いながら話す。
確かにハーフアップの髪型や、薄い水色のカーディガンが雰囲気を似せているのかも知れないが、幸村が伝えたかったことはそうではない。
いつもは心の中に留めておくのに、憧れの美術作品に触れて気持ちが昂ぶっているせいだろうか。
幸村は口を開いた。

「ゆめみの方が綺麗だよ」

ゆめみの時間が一瞬止まった。パチクリと瞬きして、その後顔が真っ赤に染まる。顔の前で手を振って「そんな恐れ多いこと」と言った。
美術史的美少女と比べられて、恥ずかしくなったゆめみだったが、幸村にはその反応が新鮮だった。

真っ赤な顔のまま「もう精市ったらからかって」とカフェオレを飲むゆめみが可愛くて、幸村はフフと笑みをこぼした。





(180518/小牧)→83

いつかキミの肖像画を描かせてほしい
イレーヌ嬢はまだ日本にいるようです。





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