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(壁ドンしてしまったよ/幸村)
7月中旬のある日の放課後。
屋上庭園に幸村の姿があった。
定例の美化委員会活動日である。
「バラの葉には3枚葉、5枚葉、7枚葉がある、5枚葉のすぐ上に花芽があるから、そこから5ミリ上を切ること、短すぎても長すぎてもいけないよ」
バラの花がら摘みを指導している。幸村の丁寧な説明に、周りを囲む後輩達は熱心に耳を傾けていた。
「では始めようか、分からなくなったら自己判断せずにすぐに聞くように」
幸村の掛け声に、生徒達は一斉にバラ園に散っていった。
幸村はバラ園をまわって一通り確認した後、自分も作業に取り掛かろうと、一本のバラの前で足を止める。
「ゆめみ」
それは幸村がホワイトデーに贈ったゆめみと同じ名前のバラだった。
大輪の花が満開を迎え、穏やかに終わりの時を待っている。完全に枯れる前に切ってしまうのは心苦しいが、秋咲きに備えるためだ、こらからは新しい芽を育てなければ。
パチン、と音がして、茎から切り落とされる。なんとも寂しい気持ちになって、幸村はその花を拾いあげた。まだまだ綺麗だと思う。
幸村の顔が辛そうに歪んだ。
ふとした瞬間に思い出す、都大会でのゆめみの表情。手塚を見るその瞳は潤んでいて、その表情、声色、全てが初めて見るものだった。
あんなゆめみは知りたく無かった。
知らなければ、淡い期待の中、何気ない幸せを感じていられたのに。
幸村は手に取った一輪のバラを捨てられずに、そっと胸ポケットに挿し入れる。
「幸村先輩」
ぼんやりと考え事をしていた幸村は、後輩のわかばの呼びかけにすぐには反応が出来なかった。
「幸村先輩!」
更に大きな声を出したわかばに、幸村はやっと顔をあげる。後輩だと確認すると真面目な表情で「どうしたんだい?」と声をかけた。
わかばは泣きそうな表情を浮かべて指をさした。
「幸村先輩、いいんですか?アレ!」
わかばが示す方、バラ園の隣の花壇では球根の植え付け作業をしており、サブリーダーであるゆめみが後輩の指導にあたっていた。
ほとんどの生徒が黙々と作業している中、1年生の男子生徒がゆめみに執拗に質問をし、ゆめみはその対応に追われていた。
その男子生徒花崎は最初からゆめみを気に入っており、何かにつけてゆめみの側にいたがる問題児くんなのだ。ゆめみと幸村の仲を応援しているわかばはそれが面白くなく、花崎とは何度も衝突している。
もちろん、幸村も内心は面白くない。しかしそれを表には出さず、微笑んだ。
「問題は無いように思えるけど」
「大アリです!このままだとあの花崎のヤローにゆめみ先輩取られちゃいますよ!?」
ゆめみがその後輩を好きになる可能性は限りなく低い気がしたが、気に入らないことは確かだ。
真剣な表情のわかばの後ろに更に2人の女子生徒が同じように必死な表情をしていることに気がついた。
「幸村先輩、ゆめみ先輩を助けてあげてください」
「ゆめみ先輩のこと守れるのは幸村先輩だけです」
いつのまにかゆめみと幸村の仲を応援する奇特な後輩達はその規模を拡大していた。
3人の女子生徒に言い寄られた幸村は、苦笑をして、仕方がないなと立ち上がった。
「真面目に作業を続けるように」
幸村が厳しい表情を作ってそう指示すると、わかば達はキラキラした瞳で「はいっ」と返事をした。
「ゆめみ先輩、これってこうですか?」
「うーん、花崎くん、さっきの話聞いてた?」
「わかりませんっした!お手本見せてくださいよぉ」
ゆめみは一向に進まない作業に内心でため息を吐いた。この花崎という後輩は、やる気があるように見えて、何度も同じようなミスを繰り返すのだ。
今も球根の向きを間違えている。
ゆめみは仕方なく向きを直して再度土をかけ直した。花を労わるような優しい表情と手つきに、花崎は見惚れてしまう。
「ゆめみ先輩、こうっすか?」
ゆめみの作業が何度も見たくて、また同じ過ちを繰り返す花崎。ゆめみは困惑する。
「ゆめみ」
なんと指導して良いものか頭を悩ませていると、幸村が穏やかな顔をしてやってきた。
「球根の数が思っていたより早く足りなくなりそうだ、種類の確認に付き合ってくれるね?」
幸村の言葉に、ゆめみは散らばっている球根をチラリと見る。作業が遅れているせいで、まだ足りなくなる気配は無い。
しかしゆめみはすぐににっこり笑うと立ち上がった。
「もちろん」
ゆめみの笑顔の後ろに花崎の悔しそうな顔を見て、幸村は小さな優越感を感じた。
整然と前を歩く幸村に付き添うように後ろを歩くゆめみ。
2人は屋上庭園の端にある管理用倉庫に入ると、電気をつけてドアを閉めた。
ゆめみは上目遣いで幸村を見上げる。
「精市、嘘ついたでしょ」
幸村はクールな表情で「どうかな」と答えた。ゆめみは「困ってたの気付いてくれたんだよね」と笑う。
「私、後輩指導向いてないのかな」
少しシュンとして呟いたゆめみ。花崎のことを言っているのだろう。花崎がわざとやっていることに気付いていた幸村は複雑な表情をする。
本当のことを言ってあげたいが、それは花崎の気持ちを伝えることになる。ゆめみの反応を見るのが怖くて言えないでいた。
「ごめんね、とりあえず球根持って戻ろっか」
ゆめみはその重くなった空気を敏感に感じ取って、明るく笑った。しかしその瞳には憂いが見えて、幸村は胸が締め付けられる。
俺はいつもキミに救われているのに。
こんな時、何もしてあげることが出来ないのか。
ゆめみは背伸びをして、戸棚の上の球根を取ろうと、球根が入った麻袋の紐を引っ張る。しかしゆめみは体勢を崩してその紐を力いっぱい引っ張ってしまった。
「危ない」
幸村がとっさに右手で戸棚の上の袋を抑えた。狭い倉庫の中だったため、幸村は壁の方を向くゆめみに覆い被さる形で、左手を壁についていた。
「精市、ありがとう」
ゆめみはその体勢のままそう言った。
幸村はそっと袋を棚の上に戻して右手を外す。そして、自分達の体勢を客観的に見て、くすりと笑った。
「すまない、壁ドンしてしまったよ」
それにはゆめみもふふっと笑って「壁ドンだったらこっちの向きでしょ」と言いながら、幸村の方を見た。
芳醇なバラの香りがした。幸村の胸ポケットに入った一輪のバラが目に入る。
ゆめみは幸村を見上げて、はっと息を飲んだ。
その瞳は揺れていた。
ゆめみと幸村の視線が絡み合う。
その距離、数センチ。
かっこいい。
その美しさに目が離せなくなる。
幸村とゆめみは仲のいい友人ではあるが、いつも隣を歩いていた。
1年のクラスの時も、委員会も、美術館でも。幸村の横顔は見慣れていたが、こうして至近距離で向かい合うのは新鮮だったのだ。
幸村は幸村で、何が起こったのか理解出来ないでいた。
少し押されればキスしてしまいそうな距離にゆめみがいる。きめ細やかな白い肌や柔らかな桜色の唇、長い睫毛の根元まで見える。大きな瞳に宿る澄んだ光。
2人は驚きの中で見つめあっていた。
時間が止まる。
ただただ呆然と見つめ合う。
中途半端に棚の上に戻した麻袋が、重力に負けて落ちてくる。ドサッと大きな音した。
その瞬間、急速に2人の時間が戻って来た。
パチパチっと同時に瞬きすると、どちらともなく顔を背けた。その頬は赤みを帯びている。
幸村は照れたように人差し指で顔をかき、ゆめみは両手で両頬を隠す。
そして同時にチラリとお互いを見た。相手が赤くなっていることを確認すると、さらに顔を赤くした。
「わ、私先に作業に戻るね」
ゆめみは顔を赤くしたまま、落ちた球根入りの麻袋を手に持つと、パタパタと倉庫を出て行った。
ドアが閉まると、幸村は脱力したようにストンとその場に座り込んだ。そして思い出すように体育座りの体勢のまま、自分の体をぎゅっと抱きしめる。
無言で顔を伏せていたが、見える耳は真っ赤だった。
「はぁ」
切ないため息が口から漏れる。
「完全に脈無しという訳ではなさそうだ」
小さい声でそう言ったものの、その表情は晴れない。
もくもくと大きくなる期待を、かき消すように、幸村はもう一度ぎゅっと体を抱きしめた。
ゆめみは1人黙々と球根を地面に植える作業をしていた。その頬はまだ赤みを帯びている。
精市がかっこよく見えた。
それはまるで。
「ゆめみ先輩、幸村先輩と何かあったんですか?」
わかばを筆頭に後輩の3人がゆめみに話しかけた。その瞳は期待感で輝いている。
「何かって、球根の袋を取ってもらっただけよ?」
「きゃあっ、個室で上からですか?」
「素敵ですー、手は触れましたか?触れましたよね?」
「なんて声をかけてもらったんですか?」
ゆめみの何気ない言葉にきゃあきゃあと大喜びの後輩達。
どんな小さいことでも彼女らには嬉しいことなのだ。ゆめみは本当のことは絶対言えないな、と苦笑いをする。
「おしゃべりは作業が終わってからね」
ゆめみが優しく言うと、後輩達は「はい!」と気合い十分で作業に取り掛かる。ゆめみはそれを見届けようと立ち上がった。
風が吹いて、バラの香りがゆめみへと届く。
その香りにゆめみは思い出した。さっきの場面を。
そして、胸に引っかかっていたことを理解した。
「ジョシュア様に似てるんだ」
ゆめみは確認するように呟いた。
『ジョシュア様』とは人気のファンタジー小説ヴァンパイア・プリンスの主人公だ。
ゆめみの大好きなキャラクターでもある。
なぜ今更気がついたのだろう?
そこまで考えて、ゆめみはまた顔が熱くなるのを感じた。
かっこよかった。
精市がジョシュア様に似てるってこと、誰かに言いたくて仕方がない。
でも、恥ずかしくて簡単には言えないなと思った。
だってそれって、精市のことが好きって言うようなものだ。
この日、ゆめみと幸村はお互いに気恥ずかしくて、珍しく別々に屋上庭園を出た。
その初々しい姿は次の日には無くなっていたが、ゆめみと幸村の関係はここから少しずつ変わり始める。
(180525/小牧)→94
バラの香りにいつもキミを思い出す
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