094
(アイスがいい/手塚•不二•三強)
梅雨が明け、カラッとした空気に日差しが強まってきた7月下旬。
学生の最大の休暇である夏休みがやってきた。そして今日は夏休み最初の週末、ここ東京のとある総合運動公園では、関東大会が幕を開けた。
ゆめみとゆめこは友人の応援のために、この会場を訪れていた。
我らが立海は初戦5−0と早くも完勝し、次の試合までの待ち時間に突入していた。
そんな中、ゆめみはほくほくと楽しそうにフェンス横を立海ベンチに向けて歩いていた。ゆめみはご機嫌で軽くスキップしている。
「ゆめださん、何かいいことでもありましたか?」
通り過ぎようとしたゆめみを呼び止めたのは柳生だった。柳生は応援席の後ろに立っていて、ゆめみはにこっと「初戦の勝利おめでとう」と言い、柳生は「応援ありがとうございます」と返した。
ゆめみは仁王と丸井が近くにいないことを確認すると、うふふと笑って遠くのフェンスを指差す。そこにはゆめこと毛利が親しげに話しているのが見えた。
「お似合いだよね」
とキラキラした瞳で言ったゆめみに、柳生はなるほどと納得した。
ゆめみは親友の恋路を応援しているのだった。
楽しそうに足を止めて柳生と立ち話をしているゆめみに気が付いた幸村と柳が、軽く手を上げて挨拶をする。2人は前の方で真田と先輩達と打ち合わせをしていた。
ゆめみも頑張ってと言う意味を込めて、手を振り返した。
「次の試合って何時からか聞いてる?」
ゆめみが柳生にそう問えば、柳生は時計を見て「対戦相手の1回戦の試合次第でしょうが」と前置きした後、「あと1時間半はかかるでしょうね」と言った。
1時間半か。飲み物でも買って来ようかな、アイスにしちゃおうかなと思っていると、視界の端に青いジャージが見えた。
明らかにこっち向かって走って来ている。
とっさにゆめみは「わ私ちょっと」と言い残して、走り始めていた。
その走り方が「ちょっと」では無い。腕を振り、足を上げた全力疾走と呼べる格好で、柳生は首を傾げた。しかしその後すぐに同じように全力疾走する生徒が柳生の横を通り過ぎ、状況を理解する。
どうやらゆめみはあの生徒に追われているようだった。
ダダダダという音を残しながら走る男は、青いジャージに、長めの茶色い髪をなびかせながら、その表情は至極楽しそうだ。
全力で走るゆめみよりも数倍速いので、追いつかれるのも時間の問題である。
「ゆめみが転ぶ確率100%」
淡々とした声が聞こえて、柳生がふと隣を見ると、柳が目を僅かに開いてそこにいた。その隣では幸村と真田もゆめみの後ろ姿を驚いた表情で眺めている。
全力疾走で逃げる中、ゆめみは後ろを確認するように振り返った。
するとすぐ後に追走者不二周助が迫っているのを見た。
焦った瞬間。ゆめみは足を縺れさせた。
「きゃっ」
転ぶ、とゆめみが目を瞑った瞬間。
不二の隣を更にスピードを上げて通り過ぎた男がゆめみの腕を掴んだ。
ゆめみは腕を掴まれ宙吊りになる。力強くて優しい感覚にゆめみが恐る恐る目を開けると。
「国光くん」
青学の手塚国光が立っていた。手塚はいつもと何も変わらない表情で、ゆめみの驚いた顔を見ると、丁寧に地面に降ろした。
「怪我は無さそうだな」
安心したようにそう言った手塚に、ゆめみは俯いた。その頬は赤く染まっている。
自ら走り出した果てに、転びそうになり、挙句手塚に助けてもらった。
先ほどのゆめみを見ていた通りすがりの他校生たちは、くすくすと笑っており、ゆめみは恥ずかしくて穴があったら入りたいとはこのことだと思った。
ゆめみは手塚に「ありがとう」とお礼を言った後、手塚の後ろで笑いを噛み殺している人物を軽く睨みつける。
「冗談のつもりだったのに」
青学2年、不二周助だ。
不二はゆめみを見つけるなり全力で駆け寄ってきた。このままだと抱きつかれる勢いだったため、それを見たゆめみは思わず逃げてしまったのだった。
「ゆめみちゃんがあまりにも一生懸命に逃げるものだから、つい追いかけちゃった」
「ごめんね」と付け加えた不二だったが、その顔には申し訳なさは全く見えない。
楽しそうに微笑んでいる。しかし走り出したのはゆめみの勝手なので、ゆめみは一方的に非難することも出来ず、でもなんか納得出来なくてムスッとした表情で手塚の後ろに隠れていた。
「何かごちそうするよ、だからそんな顔しないで」
「ジュースがいい?それともアイスかな?」と優しく言った不二に、ゆめみは少しだけ機嫌を直して「アイスがいい」と言った。
会場の端にある、体育館横の自動販売機の前に手塚、不二、ゆめみの3人はいた。
アイスの自販機の前でゆめみがウキウキとアイスを選んでいる。不二は自販機にお金を入れた。
どれにしようかな、キャラメルかモナカか、あっ苺も美味しそう、苺に決めたと思って、キラキラした瞳で不二を見ると、不二は迷わずチョコミントを押した。
ガコン、と音がして、チョコミント味のアイスが落ちてくる。不二がゆめみの顔を覗き込むと、その顔にはショックがありありと浮かんでおり、思わずぷっと吹き出してしまう。
「クス、僕のだよ」
「ゆめみは苺がいいんだね?」と確認すると、ゆめみは素直に「うん」と頷いた。
もちろん不二はゆめみが期待しているのを見て違う味を選んだらどんな顔をするだろう、とわざとやったことだった。
想像以上に可愛い反応をする。これはクセになりそうだ。また違う味を選んじゃおうかなと思ったが、その横で手塚が睨んでいることに気付き、不二は大人しく苺味を選択した。
ゆめみは「ありがとう」と嬉しそうにそれを受け取った。素直に喜ばれてなんだかムズムズする。
不二は照れ隠しに「手塚も食べるかい?」と手塚に声をかけたが、予想通り「結構だ」と断られた。
3人は横にあったベンチに並んで座ってアイスを食べることにした。
並び順は手塚、ゆめみ、不二である。
「青学も早く終わったんだね?勝ったよね?」
手塚にそう聞いたゆめみ。手塚が頷いたのを見て、ゆめみは嬉しそうに笑う。
「関東大会初勝利おめでとう」
手塚はゆめみの笑顔はいつも花が咲いたようだと思う。
「ありがとう」
素直にお礼を言った手塚が珍しくて、不二は「へぇ」と手塚の顔を見つめた。
「国光くんと不二くんって本当にお友達だったんだね」
ゆめみはそんなことを言い出した。
2人は少し意外な表情でゆめみを見る。
手塚とも不二とも1年くらいの付き合いになり、もう何回も会ってはいるが、こうして2人だけで一緒にいる姿を見たのは初めてだったのだ。
「それはどういう意味かな?」
「なんか嬉しい」
不二には手塚みたいな頼りになる友人がいて、手塚には不二みたいな愉快な友人がいて、それがなんだか嬉しいとゆめみは話した。
それはとても優しい言葉で、手塚も不二もゆめみを見つめる。
「キミはブレないね」
不二は呆れたように笑う。
純粋で真っ直ぐで。時々疎ましくも思うけど。
可愛い。
ふとゆめみ越しに見た手塚を見て、不二は手塚も同じことを考えていると感じた。
表情こそ変わらないものの、ゆめみを見つめる視線からは愛おしさが溢れている。
好き、なのかな。じゃあボクも?
「そうだ、今度青学に遊びに来なよ」
不二はそれ以上考えるのをやめてそう切り出した。
「青学に?」
ゆめみの表情がまた潜入するの?という不安げなものだったため、不二はクスッと笑う。
「もちろん、立海の生徒として青学テニス部に見学に来るって意味だけど」
「そうだなぁ」
「みんな仲が良いんだ、ゆめみのことを紹介するよ」
国光くんのチームメイト、どんな人達か会ってみたいとゆめみは思った。
でも他校生が行くのってどうなんだろう?ゆめみがチラリと手塚を見ると、手塚は意外にも肯定的だった。
「練習の妨げにならなければ構わないだろう」
手塚の許可ももらい、ゆめみは嬉しそうに「じゃあ機会があったら」と言った。
アイスを食べ終わった後、不二が青学メンバーの面白話をしてくれ、ゆめみはクスクスと笑っていた。
「王者立海のレギュラーじゃないか?」
「しかもビッグ3が揃ってるぜ」
周囲がざわつき始め、ゆめみはふと顔を上げる。
幸村を筆頭に真田と柳がこちらに歩いて来るのが見えた。
最初はみんなもアイス食べに来たのかな?と思ったゆめみだったが、近付くにつれて3人が厳しい表情を浮かべていることに気が付いた。
地区予選での試合前の藤沢部長との会話を思い出した。
顔見知りのようだった藤沢部長に、とことん冷たかった3人。青学はこれから対戦する可能性のある他校の選手だ。きっと仲良く話したりは出来ないだろうとゆめみは思った。
手塚と不二もその空気を感じ取ったのか、真剣な表情で前を見据えている。
ついに幸村達は目の前までやってきた。
手塚の前で足を止める。
ゆめみが空気に耐えられず立ち上がると、手塚と不二も立ち上がった。
「久しぶりだね、手塚」
幸村は手塚に声をかける。手塚は短く「ああ」と返事をした後、口を開いた。
「お前たちが挨拶に来るとは珍しいな」
手塚は純粋にそう思ったのだが、嫌味だと受け取った幸村は少し顔を歪めた。
「ゆめみ、次の試合のコートが決まったよ」
ゆめみにそれだけ伝えると、くるりとジャージを翻して後ろを向いて歩き出す。真田と柳も幸村にならって無言で後ろを向く。
少し歩き出したが、すぐに振り返った。ゆめみがきょとんとしているのを見ると、柳が「ゆめみ、行くぞ」と声をかける。
ゆめみははっとしたように「じゃあ国光くん、不二くんまたね」と言って、小走りで彼らに駆け寄った。
あんなに厳しい表情を浮かべていた幸村、真田、柳はゆめみが駆け寄るのを見て、ほっとしたような表情に変わる。
ゆめみを真ん中に受け入れて、雑談しながら歩き出した立海の三強を見て、不二はそういうことかと理解した。
幸村、真田、柳の3人は別に挨拶に来た訳ではない。ただゆめみを連れ戻しに来たのだ。
不二の口から笑みが漏れる。
それならそうとはっきり言えばいいのに。彼らの不器用なやり方が面白い。それでもやっぱり気に入らないなと思った。結果的にゆめみを奪われた形になったのだ。
不二は3人の内、誰がゆめみを好きなのか気になった。
「試してみようかな」
彼らのそんな思惑に全く気が付かず、『何をしに来たんだ、あいつらは』と思っていた手塚は、不二の呟きに不可解な顔をする。
不二はクスッと笑って走り出した。
その時ゆめみは、幸村と前を歩いており、そのすぐ後ろには柳と真田が付いて来ていた。
話の内容は次の対戦相手の話だ。
「彼らも海の近くの学校らしいよ」
「なんか親近感覚えちゃうね」
「部室がビーチにあるとのことだ」
「たまらん環境だな、トレーニングには最適だ」
穏やかに話をしていると、後ろから不二が「ゆめみちゃん」と声をかけた。
4人は振り返る。
一瞬で固い表情に変わった幸村、真田、柳に、不二はクスッと笑った。
「忘れ物があったよ」
「え?何?」
親切な表情を浮かべている不二に、ゆめみは少し駆け寄った。
不二はそんなゆめみに近付いて、そしてその頬に顔を近づける。
チュッと小さな音を立ててキスをした。
ゆめみは固まる。
幸村、柳、真田の時間も止まった。
不二だけがふふと柔らかく笑って「じゃあまたね」と軽やかに去って行った。
まさか3人共そうだったとは、と内心焦りながら。
ゆめみは少しして、無表情でキスされた頬を触った後、真っ赤になった。
羞恥心からでは無い。怒りの感情だった。
真っ赤になって怒るゆめみが珍しくて、3人はショックを受けつつもその表情に釘付けになる。
「ゆめみ、水道に寄ろうか」
柳が優しくそう言うと、ゆめみはこくんと頷く。その目には涙が溜まっていた。
いつも穏やかで優しいゆめみをここまで怒らせられる人間はなかなかいない。
憎らしく思いつつも、不二周助凄いな、と柳は心の中で感心した。
(180525/小牧)→96
不二くんの意地悪。