ここ、忍術学園に来てから一週間。おぼつかない手つきではあるが、井戸から水を汲んで顔を洗い、着物を一人で着付け、薄い化粧を施してと、なんとか一人で身支度を済ませることができるようになった。顔を洗ってもなお閉じようとする目をなんとか開き、食堂に向かうために重い腰を上げる。
「はぁー」
訳も分からず学園長との挨拶を済ませたあの日、くのいちの先生に連れて行ってもらったお風呂で、湯につかりながら必死に頭の中を整理して、私は一つの結論にたどり着いた。これが夢でなければ、ここは本当に忍者を育てる忍術学園という場所で、私は所謂トリップをしてしまったのだと。持ち込んだ手拭いで浴槽に水泡を作りながら、浴槽に張られた湯の中の自分の顔を睨みつける。あまりに突拍子のない出来事に頭が痛くなるのを感じながら、涙が零れそうになるたびに熱いお湯で顔をゆすぎ続けた私は、いつのまにかお風呂でのぼせ、そのまま運ばれた部屋で次の日まで眠りとおしたのだった。
「(しっかりしなくちゃ。いくら意味が分からないとはいえ、ここの人達からしたら、初日から仕事さぼったダメ人間だよ)あ・・・おばちゃん。おはようございます」
「あらあら、いつも朝からありがとうね。今日もアンタの係はお味噌汁だよ。よろしくね」
「はい!今日の具は・・・わ、あさり!私あさりのお味噌汁大好きなんです!」
「そうなの?じゃあ今日のお味噌汁は一緒に早起きを頑張ってくれる名前ちゃんへのご褒美ね、フフ」
「!!・・・おばちゃん」
ああ、おばちゃんの優しさが心と目に染みて泣きそう。慌てて袖で目元を拭って下準備を始める。まずは砂抜きしなきゃ。着物の袖を紐でたくし上げ、蛇口を捻り、大量のあさりをボウルに移しながら横目でそっとおばちゃんを盗み見る。今でこそ良好な関係の私と食堂のおばちゃんだが、ファーストコンタクトは最悪だった。
「貴方が新しい天女様ね。私は食堂のおばちゃんよ」
「、はじめまして!名字名前といいます。よろしくお願いします!」
「・・・ええ、よろしくね天女様」
これから暫くお世話になるからと連れられた食堂。笑顔で挨拶をしてくれたおばちゃんのその瞳にはありありと不安と嫌悪の色が浮かんで見えたのだ。そしてそれは、学園のすべての人達に言えることだった。我こそはといがみ合う深緑も、仕事を労ってくれる紺も、自らの魅力を必死に伝えてくる紫も、友好的に食事に誘う黄緑も、可愛らしい悪態をつく青も、健気に手伝いを申し出る水色も、それらを見てしょうがないと頬を緩める黒でさえも。ほの暗い瞳の奥に、隠し切れないほどの憎悪と憤りを押し込めて私に向かって”天女様”と笑いかける。初めて向けられる感情。いちいち張り裂けそうな胸の痛みをごまかして、一日中貼り付けた笑顔で仕込みや片づけを手伝った。
「(ふぅ、できた。)」
無心で作業を行い、やっとの思いで大きな鍋に大量のお味噌汁を完成させる。湯気でかいた汗を拭い、おばちゃんの手伝いをしようと振り返るも、すでにそこにはお味噌汁以外の品がすべて出来上がっていた。今日もまた間に合わなかった。少しでもおばちゃんの役に立ちたいのに。軽く下唇を噛みながら悔しがる私に気づいて、おばちゃんが眉を下げてほほ笑む。
「まだまだ、これからね」
食堂の仕事を手伝い始めてから数日目の夜、ごはん食べれてないんでしょ?いつも有難うね。と、わざわざ私の部屋に夜食を届けてくれたおばちゃん。息苦しいこの学園の中で、唯一私を思ってくれた優しい人。