一人厠に向かって歩く廊下を、冷たい風が通りぬけていく。少し前までいた世界とは違う季節に違和感をおぼえながら、ぼうっと空を見上げる。向こうは夏真っ盛りって感じだったのにな。

「女の人は、あんまり月を眺めていちゃダメなんだって。」

ふいに聞こえてきた幼い声にそっと視線を下に向ける。彼も私と同じく厠に行く途中だろうか。少なくともたまに雄叫びをあげながら走り回っている上級生たちとは違う目的だろう。距離をそのままに、何か返事を、と腰をおとしながらこたえる。

「どうして?」
「・・・」

・・会話が続くとは思っていなかったのだろうか。少し目を見開いて見せた後、見えないように後ろ手で組んだ腕をもじもじさせている。そのいつもとは違う年相応な姿に思わず私の頬も緩んでしまう。・・・かわいい。そういえば、前に似たようなことがあったような。ああ、そうだ。あれはたまたまいつもより早く出勤してしまった学校で、周りの子に比べたら大人しい性格の子と二人きりになったとき。小さな、おはようございます。に返事をしたあのとき、困ったように、でも嬉しそうに下を向いていたあの子。

「、・・・連れていかれちゃうんだって。委員会の先輩に聞いた。」
「そっか、ありがとう。心配してくれたのかな。」

私からの返事に、また腕をもじもじさせながらも少しずつ会話を繋げる小さな少年。不安と安堵に揺れる瞳を見つめながら、出来るだけ怖がらせないよう表情や仕草に気をつけて相槌をうつ。大丈夫、ちゃんと聞いてるよ。少しずつ緊張もほぐれてきたのか、いろんな話をしてくれた。仲のいい友達の話、優しくしてくれる先輩たちの話、口うるさいけど本当は頼りにしている、家族みたいな先生の話。

「でさ、俺は言ったんだ。そんなんだから、結婚できないんだぜって」
「うん」
「・・・そしたら、子どものお前には言われたくない。だってさ。このまま爺さんになるまで一人だったらどうするんだろ」

その人物を思い浮かべているのか、しょうがなさそうに笑みを浮かべている少年に、胸があたたかくなってくる。

「こまったもんだね。」
「!・・・うん、こまったもんなんだ。俺は、あの人に幸せになってほしいから。」
「、そっか。」

いつの間にか、二人とも廊下に座り込んでいて。何となく空いた距離をそのままにしながら会話を続けていく。今日の授業のここがつまらなかった、とか。友達とこんなことをした、とか。ほとんど、少年の話に私が頷いて、また話して、頷いての繰り返しだったけど、ぽつぽつと一日を振り返るような少年の話を聞くのはとても心地よかった。・・・きっと、媚やへつらいのまざった嘘だらけの面白可笑しい昼間の話と違って、純粋に思ったままを言葉にしてくれていたからだろう。できることなら、この時間が続いてほしく思ったが、あまり引き留めてしまうと彼が風邪をひいてしまう。

「ねぇ、きり丸君。暗くなってきたね。」
「ぁ、本当だ・・・」
「そろそろ、部屋もどろっか。」
「うん。」

月明かりの少なくなった廊下を静かに歩く。分かれ道に差し掛かったところでもう一度腰を下ろす。警戒心の薄れた少しつり目がちな目で不思議そうに見てくる彼に、思わず微笑んでしまう。良かった、さっきより顔色が良いように見える。

「じゃあね、私こっちだから。暗いから気をつけてもどるんだよ。」
「・・・お姉さんこそ。っきをつけ、てね。」
「、うん。ありがとう。」
「また、そのっ話そうな!」

どこか泣きそうに声をかける彼に笑ってこたえてみせる。そうだね、またお話ししよう。とっても楽しかったから。ほっと息を吐き自分の部屋へ帰る背中を出来るだけ見送ってから、自分も静かに足を進める。襖をあけ手元の蝋燭に火を灯し、日記をつける。無地のノートに、シャープペンを使って、私だけに読める文字で。






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