朝からざあざあと降り続く雨は夕方まで止む気配はない。恵みの雨とは言うけれど今にも雷が落ちそうな荒れた天気ともなると流石に少し不安にもなる。
 最低限の作業を済ませていつもより早く、昼頃に家に戻ってきたのは正解だったかもしれない。雨で濡れた体を適当なタオルで拭きながら、アリスは思わず溜息をつく。

「ああ、アリス殿。おかえり」
「ただいま、ラインハルトさん」

 おかえり、と。部屋の奥から投げられた言葉がどこかくすぐったい。数日前までこの場所で一人暮らしをしていたし、おかえりと言ってくれる相手もいなかったのだから当然かもしれないけれど。
 アリスが恋人だったラインハルトと結婚したのは少し前のこと。元々恋人となってからそれなりに時間が経っていたし、いつかは家族に——と考えることがなかったわけではない。
 結婚してほしい、とまっすぐに伝えられたことは今でも覚えている。緊張して彼になにを言われたか、自分がどう返事をしたのか曖昧な記憶ではあるけれど。
 ——結婚したからと言ってアリスにとって何かが大きく変わったわけではない。同じ家で生活するようになったことで彼と過ごす時間が増えたけれど、それだけだ。気持ちが変化したなどということはない。
 嗚呼でも「おかえり」と言ってくれる人がいるのはとても良いものだ。穏やかで優しい声で紡がれたその一言だけで幸せだな、と思える。我ながら単純かもしれないけれど、とアリスは苦笑した。

「雨が強いので、仕事を切り上げて戻ってきちゃいました」
「天気が悪いのはあまり好きではなかったが……あなたと過ごせる時間が増えるのなら、たまには悪くないのかもしれないな」

 さらりとそんなことを言い放つラインハルトにアリスは耳まで朱に染めた。
 結婚してから数日。付き合ってからは一年以上。片思いしていた期間を含めると彼のことを意識するようになってかなり長いが、未だにラインハルトの素直な言葉には慣れない。
 嬉しくない、と言ったら嘘になる。ラインハルトにそれだけ愛されているのだと実感できて、幸せすぎてどうにかなってしまいそうなくらい。恐らく、一生慣れることはないのだろうけれど決して悪いことではない。
 ……このままでは自分の心臓が保たないかもしれない、なんて思ってしまうだけで。
 恋人だった頃と違い、朝目覚めれば必ずラインハルトがそばにいて、眠る前も彼はすぐ近くにいる。彼が騎士としての仕事で王都へ行かねばならない用事でもない限りは毎日一緒にいられるとはいえ、昼間はお互いにやるべきことが他にあるからずっと一緒にいられるわけでもない。
 今日は天気が悪かったお陰で家で二人きりで過ごす時間が増えたのだから確かに雨も悪くはない、とも思うけれど。

「しかし、このままでは雨が止んでもあなたのことを離したくなくなってしまう」
「ええと、その……私もラインハルトさんと離れたくない、ですけど……」

 視線を逸らし、曖昧に言葉を返す。
 ずっと雨が降っていてくれたなら一緒に過ごす口実になるのに。なんて、雨が止まないのも困るのは分かっているけれど。

「そ、それより、お昼ご飯にでもしましょう! 私が何か作りますからラインハルトさんはゆっくり——」
「いや、アリス殿も疲れているだろう。私も手伝おう」
「……いいんですか?」
「もちろん。我々は夫婦なのだから当たり前のことだと思うが……」

 夫婦、という単語に心臓が跳ねる。まだ慣れないその響きは嫌いではない。一緒に生活をしていることが実感できるこの時間がなによりも幸せだと、そんな風に思えた。