「ラグナも相変わらず大変そうね」
「そうでもないですよ、好きでやってることですし」
冬も半分が過ぎたある日のこと。雑貨屋の前でラグナの姿を見かけて思わず立ち止まる。話している相手は雑貨屋の娘、ロゼッタだ。リネットも彼女とは何度か会話したことがある。尤も、町で唯一の雑貨屋なのだからこの町で生活する以上雑貨屋の利用は避けられないし当然ではある。
まだ町での生活に慣れていなかった頃には特にお世話になった。形が悪くて売り物にならないものを押し付けられたときもそうだし、生活に必要なものを最低限揃えなければならなかったときには「これなんかあったほうがいいんじゃない?」とアドバイスを貰った。商売が上手い、ということでもあるが。
ラグナとロゼッタ。とりわけ珍しい組み合わせでもない。ラグナが町の人たちとの交流を大事にしているのは言わずもがなだが、ロゼッタのほうもコミュニケーションが苦手なタイプではない。ラグナ個人のことも特に嫌ってはいないだろう。だから彼らが話し込んでいる姿も不思議な光景ではない。
「ところでラグナ、前に言ってた件だけど、材料なら何とかうちで用意できそうよ」
「本当ですか!?」
「正直、あんたなら自分でダンジョンまで取りに行ったほうが早いと思うけど。お金もかからないし」
「ええ、まあ、それも考えたんですけど……自分で使うものならともかく、きちんと知識がある人が選んだものを購入したほうが確実だと思いまして。ロゼッタさんに相談して正解でした」
「あたしは別の街で知り合いから買い付けただけだし専門家ほどの知識もないけど、まああんたが満足できるものは用意できると思う」
どうやらラグナがロゼッタに何か相談をしていたらしい。話している内容が気にならないわけではないが、立ち聞きなど下品だと思い直し静かにその場を離れた。
冬の終わり。春が近付き雪が溶け始めた頃のこと。
ラグナが倒れた、と町では噂になっていた。季節の変わり目であったことと普段から人一倍忙しく駆け回っていた疲労で体調を崩してしまったらしい。
牧場で偶然具合の悪そうなラグナを発見したミストが、半ば強引に病院まで連れて行ったのだという。これが牧場だったのとすぐに発見されたからよかったものの、ダンジョンであれば間違いなく死んでいただろう。そう考えた途端、心臓が冷えるのを感じた。……元々ラグナの記憶を奪い、計画に利用し、挙句モンスターをけしかけた自分にはラグナが死んでいたかもしれない事実に恐怖する資格などないというのに。
心配ではあるが、彼を見舞うような立場ではない。ミストやロゼッタをはじめとした町の住人たちがラグナの見舞いに行くだろうし必要があれば身の回りの世話もしてくれるだろう。自分はいつも通りに過ごそう、と思っていたのだが。
「お見舞いに行ってあげたらラグナさん喜ぶと思いますよ」
「……は?」
ミストの発言に思わず素っ頓狂な声を出してしまう。ラグナが喜ぶ、と言われても残念ながら自分には彼が喜んでくれるとは思えない。普段からお互いの立場を気にせず踏み込んでくるラグナだが、流石に衰弱しているときまで敵対していた過去のある人間の顔を見たいとは思うまい。
恋人であれば話は別だったのかもしれないけれど。
「ラグナさん、ああ見えて寂しがり屋ですし」
「…………はあ」
気の抜けた声が漏れる。
ラグナは誰とでも仲良くなれるタイプで、それ故に立場など気にすることもない。敵対していた女に仲良くなりたいなどと宣うような男だ。
彼が寂しがり屋だったとして、自分が見舞いに行く必要もないくらいには他人と関係を築いている。私である必要もない、とリネットは思っている。だが、ミストはにこにこと笑みを浮かべたまま続ける。
「これ、ラグナさんへのお見舞いに持っていこうと思ってたんですけど今は手が離せなくて。だから代わりにお願いします」
重みのある紙袋を押し付けられ、困惑してしまう。どうやらミストは意地でも自分を見舞いに行かせたいらしいと理解する。
……否、彼女の性格を考えれば本当に突然思い出して代わりに行ってほしいだけ、という可能性も否定は出来ないし、その可能性のほうが高い気がしないでもないのだが。
「因みに紙袋の中身はカブです」
「カブ」
「ほら、カブって栄養ありますし。まあラグナさんのお家にはもっと質の良いカブがあるかもしれませんけど」
そういえばミストはカブが好きらしいと聞いたことがあるような。病人への見舞いに自分の好きなものを持たせる辺りは彼女らしいというべきか。
少々ずれたところがあるミストだが、カブには栄養があるからなどと言われては反論も出来ない。野菜に関する知識は乏しいが、病人に栄養価の高いものを食べさせるのは間違いではないだろう。
——体調を崩している人間に料理をさせるわけにはいかないし、見舞いに持っていくものならばせめて調理済みのものにすべきでは、と思ったことは口にしないでおく。
その辺のことは他の人が気を回しているだろうが、いざとなれば自分が何か作るべきだろうか。そんなことを考えながら家を出た。
「ミストさんも他の人たちも、ちょっと大袈裟だと思うんですよね。心配してくださるのは嬉しいんですけど」
「大袈裟なものか。……ラグナ殿が倒れた、と聞いたときは流石に肝が冷えたぞ」
ラグナ宅。正式にはミストが彼に貸し与えているこの建物に入るのは、ラグナに食事に誘われたとき以来だ。牧場自体に用事はない、というのもあるが誘われない限りリネットは意識的に近付かないようにしていた。何となく、自然を大切にせず必要であれば焼き払いながら生きてきた自分にはラグナが大事にしている畑に立ち寄ることが憚られたというのが大きい。
見舞いに訪れるなりラグナはリネットを笑顔で出迎え、ミストから預かっていた紙袋を受け取ると冷蔵庫から適当に水を取り出してマグカップに注ぎリネットに手渡した。
仮にも病人なのだから自分のことなど放っておいて寝ているべきだ、と注意したリネットに対するラグナの発言が、先程の台詞である。
「リネットさんも心配してくれたんですか?」
「それは、その、当たり前だろう。私とてそこまで恩知らずでも薄情でもないつもりだ」
第一、全く心配ではない相手のことなど誰かに頼まれたって見舞いに行くことはないだろう、と続ける。
自分もそこまで暇ではないし——いや、軍人時代ならいざ知らず、カルディアに来てからは戦うことも殆どなく軍を率いることも剣を振るうこともないのだから訓練もあまり必要ないし昔と比べれば随分と余裕のある生活をしているのだが、それでも関心を向けていない相手に時間を割いてまで見舞いに来ない。
ラグナが特別だから、ということでもないが、ラグナだったからここまでしているのも事実だ。例えばこれが自分の部下だったら。心配はするかもしれないがきっと見舞いに行くほどでもないし普段通りに過ごしていただろう。
「……それとも迷惑、だっただろうか」
「そんなこと! 来てくださって嬉しいです、とても。正直、リネットさんが来てくれるとは思ってなくて少し驚きましたけど」
「私も、行かないほうが良いのではないかと……そう思っていた。実際、私に出来ることなど限られている。病人の看病も、殆ど経験がない。役に立てるとは思わない」
「そんなことないですよ。体調を崩してずっと家にいたので退屈してましたし、弱っているときに一人だと心細くなることもありますから」
「…………ラグナ殿にもそのようなことがあるのか」
ありますよ、とにこやかに返すラグナに目を丸くする。意外、というのは失礼かもしれないがラグナにも体調が悪く弱っているときには誰かに側にいてほしいと思うことがあるとは思っていなかった。
もちろん、人が好きな好青年という雰囲気のこの男が孤独を好み他者との関わりを厭うようなタイプではないことは十分に理解している。
……だが、それでも。一人は寂しいし心細いと、そんなことを思うタイプには見えなかった。だから驚いてしまった。ラグナは世界でひとりぼっちになったとしても、強く生きていける人間だと勝手に思っていた。ガラガラとリネットの中にあった何かが音を立てながら崩れていく。それが何なのかはもう分からない。
「リネットさんにはないんですか?」
「……さあ、分からないな。軍人だった頃に一人で任務を遂行していて怪我で動けなくなったことはあったが、心細いと感じていたのかはあまり覚えていない」
まだ軍人としての経験も浅かったときに大怪我をして動けないまま数日を過ごすことになったことがある。助けが来るのかも分からず、時間の感覚もない中で永遠のような時間を過ごした。血を流しすぎたのか意識が朦朧として酷い眠気に襲われた。
ここで眠ってしまえば二度と目覚めることもない気がする、と必死に意識を飛ばさないようにしていたことだけは覚えているが、具体的にどう生き延びたのかはよくわからない。
何日か過ぎた頃に誰かが助けてくれたのだったか。飲まず食わずで死にかけていた怪我人は奇跡的に救助され、すぐに適切な処置を受けて回復した。そんな些細な記憶。今更ながら助けを求める体力すらなかったのによく助かったなと思う。もう助からないのでは、なんて考えたりもしたがあれが心細さから来るものだったのだろうか。それさえも確信はない。
「……私の話より、ラグナ殿のことだ。体調を崩しているのなら見舞いに来ただけの私のことなど放っておいて、大人しく休んでいろ。仮にも病人だろう」
「そう、ですね。牧場で世話をしているモンスターたちのことも心配ですし」
「分かっているならいい」
暫くして、すやすやと寝息を立て始めたラグナの姿を確認して苦笑する。
——どこまで無防備なのだ、彼は。
もしも自分がラグナの命を狙うために彼に近付いた刺客だったら、今この瞬間ラグナに襲撃を仕掛けることが出来ているのだろうな、と。当然ながらそんなことをするつもりはないが、流石に少し心配になる。それだけ信頼されている、というのも嬉しくはあるけれど。
「……おやすみ」
良い夢を、なんて言う資格は自分にはないのだが。
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