リネットは夢を見ていた。自分の生まれ育った家と、そこで暮らす家族の夢だ。今となっては当時の記憶も、家族の顔さえも朧げなものだった。

「リネット」

 父と思しき男が名を呼ぶ。お前は帝国の為に生きて帝国の為に死ぬのだ、と。命を落とすことは恐ろしいことではないのだ、と。

「リネット」

 母と思しき女が再度、名を紡いだ。お前は家の為に結婚しなければならないが、そこに愛情などという感情は必要ないのだと告げる。
 国の為に命を使い潰す我々にとって愛という感情は不完全で邪魔なものでしかない。だから排除しなければならない、と。彼らが何を言っているのか理解できない。これが自分が過去に経験したものだったのか、ただの悪夢でしかないのか。それさえも判別できない。夢にしては妙にリアルで、彼らの言葉が脳の奥底でぐるぐると繰り返される。
 ——これは、私に与えられた罰なのか。
 ラグナに対して抱いている温かな感情の正体が恋や愛と呼ばれる類のものであるのなら。よりによって自分が全てを奪い、壊し、捨て置いた男に都合よくそのような感情を向けてしまった己への、過去の自分からの責め苦なのかもしれない。
 嗚呼、そうか。自分の中でラグナの存在は大きくなりすぎた。ラグナという青年の本当の名を消し去り、記憶を奪い、彼が今まで歩んできた人生を、そこで形成された人格や人間関係をぶち壊した自分が、恋をしてしまったことに対する罰。

「任務を失敗した時点で、お前は潔く死ぬべきだったのだ」
「そうすれば、生き恥を曝すこともなかったでしょうに」
「利用する為に近付いただけの敵に対してそのような感情を持つこと自体が愚かで恥ずかしいことだ」

 やけに鮮明に響く幻聴にリネットは唇を噛む。彼らの言葉を否定できるほどの意思は今のリネットにはない。今からでも遅くはない。この夢から醒めた瞬間、舌を噛み切って死ぬべきだろうか。
 ……否、他でもないラグナが言ったのだ。帰る場所がないのならこの町で暮らせばいい、と。死ぬなんて絶対におかしいと。だから生きることを選んだ。今更死ぬことを選ぶなど、それこそ自分の存在を受け入れてくれたカルディアの町、何よりラグナに対する裏切り行為だ。
 ラグナは記憶喪失の原因を作ったリネットに対しても死ぬことを望まず、人懐っこい笑みを浮かべるようなどうしようもないお人好しだが、そんな彼に惹かれたのは自分自身。ラグナに告白のようなことを言われなくても、いずれは悪夢に苛まれていただろう。

 子供の頃の話だ。まだ幼かったリネットは恋という感情すら知らなかった。同じくらいの年齢の子供が「わたしあの子のことがすき」と恥ずかしそうに話していたのを見たことがある。
 当時、その意味をよく理解できなかったリネットは父親にその言葉の意味について質問したのだ。
 父親は怒気を孕んだ声で当然のように言う。将来このゼークス帝国を支えていく我々には不要なものだ、と。それは即ちお前が知る必要のないものだという拒絶を示していた。
 子供だったリネットはそれ以来、恋というものを考えることはやめてしまった。恐らく帝国で過ごしていた間にリネットに恋をした人間もいたのだろう。それでもリネットはその人から向けられる感情を恋とは捉えなかった。
 今更、自分の中の恋バグを自覚して自嘲する。

「……この町に来て、私はおかしくなった。この変化を受け入れたくない気持ちも確かに否定はできない。だが、私は許されるのならばこれから先の長い人生をこの場所で生きていきたい。罪を償いながら、変わっていきながら」

 随分と、都合の良い悪夢だ。己の罪深さと恋を改めて認識させる。苦しみを伴うことも否定は出来ないが、大した痛みではない。
 ゆっくりと意識が浮上する。目を覚ました瞬間に夢の記憶は靄がかかったようにぼんやりと曖昧になってしまったが自覚した感情だけは何故かはっきりとしていた。