——目を覚ましたら、そこは知らない世界だった。

 ドルチェが生まれたのは今よりずっと昔。生まれ育った町はまだ現代のように技術は発達していなかったがそれなりに栄えていたように思う。
 衰弱しつつあった風幻竜セルザウィードを助ける為に自らの命を差し出した日のことは今でも覚えている。
 ドルチェの両親はドルチェが帰ってくる日を待っている、と見送ってくれた。ピコは自分が幽霊であるが故にドルチェの代わりに「守り人」になれないという現実にひどくショックを受けていた。
 ……待っている、だなんて。そんなこと現実的に不可能だとドルチェは呟く。次に目覚めるのは何十年後か、何百年後か。誰かが犠牲になることなくセルザウィードを助ける手段が見つかるまでは、きっと解放されることはない。
 自分の意思で決断したことだったしこの選択を後悔していないけれど、最悪、二度と目覚める日が来ない可能性だってある。幽霊のピコはともかく、両親が生きているうちに戻ってくることはないだろう。これが今生の別れであることなど百も承知の筈だ。
 これ以上考えすぎると決意が揺らいでしまいそうで、敢えて二人の言葉を意識の外へ置いた。

 そうして目が覚めたのは遠い未来だった。
 自分が生まれた時代の痕跡など殆ど残っていない。まるで異世界のよう。見知った顔はずっと目覚めを待ち続けてくれていたらしいピコと、風幻竜セルザウィードくらい。
 当初はセルザウィードの手によって風幻竜の友達であったことも、守り人のことも、綺麗さっぱり忘れてしまっていたから本当にピコ以外のことは何も分からなかったし見知らぬ町に馴染むのに苦労したことを覚えている。
 そんなドルチェに率先して手を差し伸べたのが、レストであった。
 セルフィアの町で生きる人々はドルチェが呆れるほどのお人好しばかりで、困っているドルチェを見かけると頼んでもいないのに声をかけたり手伝いを申し出るような人が多かった。記憶も朧げで行く場所もないドルチェとピコを「うちに住んじゃえばいいわね」なんて言って衣食住の全てを与えてくれたのは看護師のナンシーだ。
 レストはそんなセルフィアの民の中でも特にお人好しだった。何でも空から降ってきて、記憶を失いながらも様々な事情から代理の王子をしているらしい。日々誰かの困りごとに首を突っ込んでいる彼はドルチェが困っているとどんな些細なことでも声をかけてきた。変な人。それがドルチェの彼に対する率直な印象だった。

「ドルチェ、何か困りごと? 手伝おうか?」
「……別に、何でもないけど」

 嘘。
 本当は少し困っている。とはいえ大したことではなく、ナンシーが薬草が足りなくてどうしようかと頭を悩ませていたのを偶然見かけただけだ。
 普段とても世話になっているジョーンズとナンシーの助けになりたいとは思っているのだが、ドルチェは元々あまり素直ではない。素直になれないからこそ二人に直接「わたしに何か出来ることないの?」などと声をかける勇気もない。
 セルフィアの町の唯一の病院。そこの薬草が足りていないのはとても困る。基本的に平和な町ではあるが怪我や病気の治療に訪れる人がいないわけではない。一番病院の利用頻度が高いのは他でもないレストだ。農作業をしているしモンスターと戦うことも多いから小さな怪我はきっとほぼ毎日しているだろう。
 だが、彼の手を借りるようなことではない。ドルチェも薬や薬草の知識はある程度有しているし、町からあまり離れていない場所に薬草が群生している場所があった筈だ。一人で——否、ピコと二人で行っても危険は少ないだろう。

『薬草が足りなくてナンシーさんが困っていますの。普段お世話になっていますから、助けになろうと思っていたところですわ』
「ちょ、ピコ……!」

 出来る限りレストの手は借りたくない、と考えていたドルチェのことなどお構いなしにピコが口を開く。
 レストがいたほうが早く終わるし、モンスターとの戦いに慣れているレストがいてくれたほうが色々と安心だし、彼が手伝ってくれるのなら意地を張っていないで助けてもらうべきだ。それがピコの言い分らしい。
 ——別に、レストのことを頼りにならないと思っているわけではない。彼と自分には同じ町の住人というだけの繋がりしかない。だからあまり迷惑をかけたくはない、と。そう思っただけだ。
 もちろんレストは迷惑だとは思わないだろうしそれはドルチェも理解しているけれど、こればかりは守り人になる以前からの性格なので今更すぐには改善できない。

「薬草、ってことは僕よりドルチェのほうが詳しいかな。僕も薬草は使うことがあるけど育ててるわけじゃないし、基本的にはレシピを見ながら手順通りに調合しているだけで薬草の種類や効能の知識は最低限のものだから」
「そう、だったら手伝わなくても——」
「手伝うよ。町の外に行くならドルチェとピコだけだと危ないし、万が一ドルチェに何かあったらジョーンズさんもナンシーさんも悲しむと思う。もちろん僕も、後悔すると思うから」
「…………勝手にすれば」
「うん、そうする。僕が助けたいと思っただけだから、ドルチェもピコも気にしないで。暇だったし」

 暇だったし、と言ってはいるが仮初とはいえ王子であるレストが暇なわけがない。城の裏手にある広大な畑をいつも一人で管理しているし、何体かのモンスターを仲間にして世話をしているとも聞く。それだけでも、かなりの重労働。
 それなのに嫌な顔ひとつせずに手伝う、だなんて。
 第一こんなに素直ではなく可愛げもない女、普通の人なら距離を置きたい筈だとドルチェは溜息をつく。
 相手を不快にさせてしまったのでは、言いすぎてしまったのでは。そんなことをぐるぐる考えてしまうがレストはまるで気にしていない様子。本当に変な人だ。良くも悪くも。





「守り人になった人たちってずっと昔の時代に生まれた人たちだから、やっぱり生活する上で不自由なことも多いんじゃないかなって思って」

 自分もノーラッド王国とは違う文化を形成する知らない国にいきなり放り込まれたら困ってしまうだろうし、とレストは苦笑いする。
 昔は当たり前に使われていた文字や道具が失われているかもしれないし、過去の時代にはなかった文化に戸惑うこともあるかもしれない。
 守り人を永い眠りから解放したのはアースマイトである自分なのだから、せめて困っていることがあれば積極的に助けたい、と。それがレストの言い分だった。
 摘んだ薬草を家から持ってきたバスケットに詰めながら、ドルチェはレストの言葉を聞き流す。
 そこまでしてもらう義理なんてないし自分は子供でもない。確かに最初は戸惑ったが此処で生活を始めてそれなりの時間が経過した今となっては普通に生活する分にはあまり困らない。なんて思ったが口にはしないでおいた。ドルチェに場の空気を悪くする趣味はない。

「はい、ドルチェ。これで十分な数を確保できたかな」
『ええ、十分そうですわね』
「……そうね。これだけあれば暫くは病院の薬にも困らないと思う」

 思っていたより呆気なく終わってしまった。
 特にモンスターに襲われることはなかったし、当然ながら不審者を見かけるようなこともなく。バスケットから溢れそうなほどの薬草が手に入ったからこれで薬を作れば問題ないだろう。本当は薬なんて使わずに済むのが一番なのだけれど。

「レスト」
「うん?」
「その、今日は、ありがとう……」
「どういたしまして」

 頬を朱に染めて目を逸らすドルチェの反応がどこか可愛らしくて。なんて本人に言ったら怒られてしまうのだろうなとレストは小さく笑う。
 そんなドルチェの姿を見て興奮したのかピコが何か騒いでいる。セルフィアの何でもない日常の風景だ。

「レストが……その、わたしに親切にしてくれるのって、わたしが守り人だったからなの?」

 ずっと疑問だったのだ、とドルチェは続ける。
 本来なら交わることのなかった違う時代の人間。深い眠りから醒めると家族も友達も全員亡くなっていた。それがどうしようもなく悲しくて虚しくて、泣きたくなることもある。
 セルザウィードを助けたいという思いは嘘偽りないものだったけれど、その為に取りこぼしてしまったものが多すぎた。

「……違うよ。ドルチェがドルチェだったから、僕は助けたいと思ったんだ」
「何それ」

 もしも自分を憐んでいるのだとしたら——と思ったがレストの返事が予想外のものだったからドルチェは素っ頓狂な声を漏らした。
 即ち、ドルチェが守り人であったとしても、そうでなかったとしても、自分が「ドルチェ」を助けたいと思ったからそのように行動しているという宣言。
 面と向かって言われると少々、否、かなり恥ずかしい言葉を何の躊躇いもなく。

「きっとドルチェがジョーンズさんやナンシーさんを想う気持ちと似たようなものじゃないかな」
「……二人にはお世話になってるし、これくらい当然だと思うけど、あんたとわたしには何の関係もないじゃない」
「そうかな? 僕はドルチェともっと仲良くなりたいし、もう友達だと思ってるし、友達が困ってたら少しは助けになりたいと思うのは僕にとっては普通のことだよ」
「…………変なの」

 レストの言い分がわからないわけではない。
 ただ、ドルチェの割と特殊な人生においてレストほどのお人好しは今まで存在していなかったから、困惑している。同時に友達だと思っていると言われて何となく安心した自分もいる。
 素直じゃない。可愛くもない。こんな女をそんなことなど気にせずに友達だ、と言える。そこがレストの良さでもあるし、そんな彼の言葉に嬉しくなってしまうけれど少し呆れてしまう。
 友達はもっと選んだほうがいいわよ、という言葉は飲み込んだ。

「じゃあ、帰ろうか。遅くなるとジョーンズさん達も心配するだろうし」
「……ええ、そうね」
「家まで送るよ」

 ほら、とドルチェの手を引いて歩き出す。
 嫉妬したピコの声がどこか遠く聞こえた。



 ドルチェがセルフィアで生活を始め、季節が一巡した頃、唐突にレストに告白された。
 好きだ、付き合ってほしい、と。そんなありふれた告白の言葉にひどく動揺したことを覚えている。
 守り人となったあの日、見送りにきた家族の顔をふと思い出した。あの人たちは、自分がずっとずっと遠い未来でレストの手をとることを、二人で歩いていくことを喜んでくれるだろうか。
 決してレストの気持ちが迷惑だったわけではない。彼が好きだと言ってくれたことが心の底から嬉しい、と思ってしまった自分がいる。
 きっと自分はレストのことを少なからず好意的に思っている。だからこそ過去に置き去りにした自分の大切な人たちに祝福してほしい、とも思う。

「……あんたは以前、わたしのこと友達だと思ってるって言ってたけど」
「うん」
「何というか……いつからわたしのことを……その、好き、だったの」
「あの時もドルチェのことは好きだったよ。友達として、だけどね。きっかけはよく分からないけど、ドルチェのことをもっと知りたい、もっと一緒にいたいと思うようになって、ああこれが恋なのかなぁって」

 恋。
 それがどのようなものなのか全く知らないわけではない。
 ドルチェとて年頃の娘である。マーガレットやシャオパイといったセルフィアで暮らす歳の近い女子たちとそのような会話をすることはある。といってもドルチェが積極的にそんな話題を振るわけではなく、他の誰かに巻き込まれる形であることが大半ではあるけれど。
 結婚願望は……どうだろうか。違う時代に生まれ、漸く現代に慣れてきたところでそこまで考えたことはなかったかもしれない。
 子供の頃、仲睦まじい両親の姿を見て漠然と自分もいつかはこんな家庭を、くらいのことは考えたことがあるかもしれないけれどあの頃は自分が守り人になることなど想定もしていなかったから今とは事情が違いすぎる。
 レストは自分のことをそういう対象として好ましく思ってくれているのだろうか。そう考えると少し、否、かなり恥ずかしい。

「……恋人同士って何をすればいいのか分からないし」
「別に、意識して特別なことをする必要はないんじゃないかな。今までと変わらないことが、案外特別に感じることもあるし」
「そういうものかしら」
「僕はドルチェにこの世界のことをもっと伝えたいし、見てもらいたい。だから一緒にいろんなところに出かけられたらいいなとは思うよ」

 ぎゅ、と手のひらを握りしめられて、体温が上昇するのを感じた。
 ——恋をしている、と。自分の感情を認める他ない。けれどその体温が心地よかった。