「……そういえば、マールはオレの義姉さんってことになるのかな」
「どうしたの、突然」

 カフェ・メリナで食事中だったマールはディルカの唐突な発言に思わず目を丸くした。

「だってマールはもうすぐ兄さんと結婚するだろ」

 マールとディルカの兄であるユリスが婚約したのはつい三日前のことだ。
 元々お互いに意識していたし、いつかはそういう風になれたら幸せだと思っていた。けれどもマールには牧場の仕事やバザールへの出店もあるし、ユリスはユリスで家庭教師として都会まで仕事に出ていて夕方まで留守にしていることが多い。
 そうして気持ちを伝えるタイミングを見失ったまま半年ほど過ごしていたが意を決してマールがユリスへ想いを告げたのが三日前。この辺りの地域でプロポーズに用いるとされている青い羽根を渡して、結婚してほしい、と。
 その日のうちに式の予定まで立ててまずはディルカに報告。そのあとすぐに町長のフェリックスにも婚約を報告して式の進行をお願いした。
 結婚に向けた準備でバタバタしていたマールが休憩の為に立ち寄ったカフェでのディルカの発言が、冒頭のものである。

「確かに……ディルカは私の弟になる、のかも?」
「いきなり義姉さんって言われてもなんか変な感じだな。オレ、マールのことはずっと良い友達だと思ってたから」
「別に態度を変える必要なんてないよ。私にとってもディルカは義弟というより友達だし」
「そっか」

 そよ風タウンで暮らし始めた当初はこの町で誰かに恋をして結婚までしてしまうなんて思わなかったなぁ、とマールは小さく笑う。
 此処に来る前は牧場主とは無縁の仕事をしていたし、恋をした経験も皆無に等しい。正直この仕事をずっと続けられるか不安に思うこともあったし自分が誰かを好きになって家庭を持つようになる姿なんて想像も出来なかった。

「オレさ、兄さんがマールと結婚するって聞いてちょっと安心したんだ」
「安心?」
「兄さんはずっとオレの為に頑張ってくれてたから。たまには自分の幸せを優先してもいいんじゃないかって思ってたけどもしかしたらオレが家を出るまで兄さんはオレのことを第一に考えるんじゃないかって心配だったし」

 気にかけてもらえるのは嬉しいけど、とディルカは付け加える。
 ——そういえば、ユリスはいつもそうだった。ある時はディルカに言い過ぎてしまったと落ち込んでいたし、またある時は自分はずっとディルカの親として接してきたのだと、そんなことを話していた。
 彼の生活は常に弟であるディルカを中心に回っていて、そのように生きることになった事情は察するけれどユリスのことが少しだけ心配になった。それがいつの間にかこの人を隣で支えたいと思うようになって、これが恋と呼ばれる感情であると漸く自覚したのだ。

「マール、兄さんのことをよろしくな」
「……そんなこと、こちらこそ、だよ」



 ユリスと結婚してからもう一年近くになる。
 結婚したのは朗らかな春の日だったけれど、今は厳しい冬の季節だ。そんな冬ももうすぐ終わり、また暖かな春がやってくる。
 冬は比較的、牧場の仕事は少ないほうだった。朝起きて、動物たちの世話をして。作物を育てるには向いていない季節で物寂しい畑に異変がないかを確認して。
 次のバザールに向けてミルクや卵を加工したり料理を作っても暖かい季節と比べれば時間に余裕はある。

「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、ユリス」

 都会の教え子の為に朝から出かけていたユリスが帰宅した気配を感じてマールはパタパタと出迎える。結婚してからタイミングが合うときは極力ユリスのことを出迎えるようにしていた。
 町の外へと続くバザール会場から牧場までは意外と距離があるし毎日のようにあの距離を歩くのは大変だろう。疲れて帰ったときに誰も出迎えてくれないというのはあまりにも寂しい。

「ユリス疲れてるでしょう? ホットコーヒー淹れてくるね」
「ありがとう、マール。ですがそこまで気を遣わなくても……」
「私がやりたくてやってることだから、ユリスは気にしないで。冬はどうしてもちょっと時間を持て余すから」
「でしたらボクも手伝います。夕飯の支度もしなければならないですし」
「……じゃあ、お願いしようかな」
 
 任せてください、と微笑してユリスは家にある食材の確認を始めた。
 確かチーズに卵、そろそろ傷みそうで早く使い切らなければと思っていたミルクとハーブもあったような。他にもいくつかある食材を使えば何品か作れそうだ。
 ユリスは両親を亡くしてからまだ幼かったディルカを育てる為に家事全般を一人でこなしていたこともあり慣れているらしく、結婚してからはこうしてよく食事の支度を手伝ってくれる。
 お互いに忙しい身だから相手の帰宅が遅いようなら先に準備して待っているし二人とも忙しい日はカフェで軽く済ませてしまう、ということもあるけれど。

「マールは何か食べたいものなどありますか?」
「んー、ユリスの得意料理、とか?」

 絶対に食べたい、作ってほしい料理はすぐに思い浮かばないけれどそういえばユリスの得意料理はあまり聞いたことがなかったな、なんて。
 彼は甘いものが苦手だからきっと甘いものは——ディルカにせがまれたら別なのだろうけれど、自主的には作らないのだと思う。やはり自分やディルカの好きな食べ物は作り慣れていて得意と呼べるものだったりするのだろうか。

「得意料理、ですか」
「だめだった?」
「……いえ、意外な返事だったので驚いてしまって。了解しました、楽しみにしていてください」

 そう告げてメニューを考え始めたユリスの隣でコーヒーのカップを用意しながら幸せだなぁなんて思う。
 春の陽だまりのようなあたたかなものが胸の奥にじわりと広がる。冬の雪さえも溶かしてしまいそうだった。