「イカルガさんのお家に遊びに行っていいですか?」
そんな愛らしい恋人の言葉にイカルガは面食らう。
——自分たちは恋人同士なのだしお互いの家に遊びに行くのもそう不自然なことではない筈だ。カグヤの生活の拠点である竜神社へは用事がないときは寄らないようにしているが彼女が良いというならいつか遊びに行ってみたいとも思っているし。
だがまさか恋人のほうから行ってもいいか、と聞かれることになるとは思っていなかった。男が一人で暮らしている家なんて殺風景だし女性をもてなす用意も殆どない。流石に人も呼べないほど散らかっているということはないが何よりイカルガにも心の準備というものがある。
「わ、私の家など何も面白いものはないと思いますが」
「そんなことないと思いますけど……おうちデート、というものもあるみたいですし」
デート。逢引き。
今まで経験がないわけではない。カグヤと何処かへ遊びに行く経験は何度もある。彼女が海へ行きたいと言えば一緒に行って水遊びをしたし、甘味でも食べようと二人で茶屋に行ったこともある。山へ行き珍しい花々を眺めるだけの時間もあまり経験のないことではあったが有意義なものだった。
二人で出かけられるのならデートの途中で里人に頼まれて危険な魔物の討伐をすることになったとしても、それなりに楽しかったと思えるほど。
「でも、確かに急に言われてもイカルガさんも迷惑ですよね」
「いえ決して迷惑などというわけでは」
他でもないカグヤからの提案である。これが他の人間であれば理由をつけて断っているところだが、恋人の願いであれば極力叶えてやりたいと思う。
恋人を家に呼ぶ、なんて展開を想定していなかったので素っ頓狂な反応をしてしまったがカグヤを招くこと自体は嫌ではない。想像するだけで緊張して頬がぶわりと熱くなるけれど人を呼ぶ機会も少ない家に恋人がいてくれるのは嬉しくもある。
「ただ、その、そういった経験があまりないので戸惑ってしまって。今すぐに、と言われると流石に難しいですが……あなたが後日でも構わない、と仰るのなら」
「それは全然……というかいくら私でも今からお邪魔したいなんて流石に言いませんよ。イカルガさんにもご都合があるでしょうし」
◇
……という会話をしたのは一週間ほど前だっただろうか。
幕府にいた頃、人間の醜い部分を目にする機会が多かったイカルガはあまり他人に心を許すことはない。どれだけ一定の距離を維持しようとしても決して放っておいてはくれなかったカグヤに絆されて——気付けば恋仲になっていたが、恋人でもなければ気軽に誰かを家に招いたりはしない。
呪符や式神、陰陽術などについて教えてほしいことがあると言われて参考になりそうな本や道具を見せる為に家にあげることはあってもこの部屋以外には絶対に入れないと決めていたし、用事が済んだらさっさと帰らせていた。そも、家の外でも出来るようなことであれば最初から家の中に立ち入らせることもないだろう。
この里で生活している人々は人間の負の側面を感じさせないような、それこそカグヤのようなお人好しばかりではあるけれど。
「行ってもいいですか、って言ったのは私ですけど……でもやっぱり恋人の家にお邪魔していると思うと少し緊張しますね」
頬をほんのりと桜色に染めてそわそわと落ち着きなく視線を彷徨わせるカグヤの姿は可愛らしいものではあるが、緊張するのはお互い様である。
「…………あまりそうじろじろと見られると此方も落ち着かないのですが」
「そ、そうですよね」
家にあるものも都から持ち込んだ、仕事で使う道具が中心でそう珍しいものはない。陰陽師と縁遠い生活を送っている者にとって式神は見る機会のないものだろうが呪符であれば夏の里のヒスイも店で取り扱っているし、自らの武器とする者もいる。
そも、家の主であるイカルガは日中殆ど留守にしているから色々と部屋に揃えたところで滅多に使わないし必要最低限のものしか置いていないというのもあるけれど。
「ただ……」
「ただ?」
「その、将来イカルガさんと家族になったらどんな感じなのかなぁって想像してしまって」
将来。カグヤの口からそのような言葉が出てくるなんて。いつかそんな未来が訪れることを望んでいないわけではないし、彼女と家族になった未来を想像したこともある。
——きっとカグヤとそういう関係になれたら毎日が幸せだし、穏やかな日々を過ごせるのだろうと。それを夢のままで終わらせたくはない。
いつの日か同じ屋根の下で。彼女に恋をしなければ決して芽生えることのなかった望みだ。
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