「こんにちは、イカルガさん」
「……おや、あなたは」
居酒屋で今日のおすすめだと言われるまま注文したスタミナ丼を口に運んでいたイカルガは背後から投げられた予想外の声に目を丸くした。
大地の舞手。アズマの国に危機が訪れたときに現れて龍と共にアズマを救う存在とされる。幕府にいた頃にそのようなことが書かれた書物を読んだことがある。
彼女とは何度か挨拶を交わした程度で正直そこまで親しい間柄ではない。お人好しで、いい意味でも悪い意味でもお節介なところがある。数日ほど遠巻きにカグヤを観察してイカルガは彼女の性格をそういうものだと理解した。少なくともイカルガの周囲にはあまりいない性格の人間ではある。嫌いなタイプだ、とも思ったし今だってその印象が覆されたわけではない。
そも、自分たちは初対面で敵対していた関係だ。命まで奪う気はなかったがカグヤが従わぬのなら気絶くらいはさせようと思って攻撃を仕掛けたし、式神たちにもそう命じた。
——尤も、舞手である彼女の実力が想定以上で先に膝を折ったのは自分のほうだったのだが。
「となりの席、いいですか?」
「はあ、まあ構いませんが……」
「ありがとうございます。まだお昼食べてなくて、お腹すいてるんですよね。一人で食べるのも寂しいですし」
昼食には少し遅めの時間。先程まではカイやひなが食事を楽しんでいたようだが今は他に客もいない。
一人でゆっくりと食事を味わいたかったイカルガは敢えて喧騒を避けて、この時間に昼食をとっていたがカグヤの場合は恐らく里長としての仕事が一区切りついたのが今だったのだろう。行く先々で里長の仕事を引き受け里の復興に尽力しているらしい、というのは都にいた頃からの知人であるヒスイから聞かされた。
自分が同じ立場であれば絶対に断っているが、カグヤの困っている人を放っておけない性質は想像を超えるようだ。
「イカルガさんは一人で食べていることが多いですよね」
「…………見ていたのですか。他人の食事をじろじろと見るのはあまり感心できませんが」
「すみません。近くを通りかかったときに美味しそうに食べてる姿がとても印象的だったので」
大地の舞手として、里長として常に忙しそうに駆け回っているカグヤなら店に用がなくとも居酒屋や茶屋の近くまで立ち寄る機会は多いだろうし、食事中の姿を見ていてもまあ不思議ではないかと納得する。
他人に深入りすることなく一定の距離感を保つことの多いイカルガは確かに誰かと一緒に食事をすることは少ない。都では付き合いで渋々幕府のお偉方と料亭に行くようなこともあったが、この里では付き合わなければ後々面倒なことになる催しもない。
——アズマの国の神々から宴会に誘われることがないわけでもないが、意外と良識のある彼らは体調が悪いだとか用事があるだとか言って断れば無理強いしてくることもないので助かっている。
「……まあ確かに、食事は好きですが」
「イカルガさんって独特の雰囲気があるので何だか意外だったというか」
「私を何だと思っているのですか。それを言うなら敵として戦った私に気軽に話しかけるあなたのほうが余程独特だと思います。とても味方として信用出来るものではないでしょうに」
「そうでもないですよ。イカルガさん、アズマの国のことを一番に考えてるんだろうなっていうのは分かりますし、何の理由もなく危害を加えるような人でもないですし」
結界を張ったり式神を巡回させて魔物を里に近づけないようにしてくれていますし、と続けるカグヤにイカルガは呆気にとられる。
誰に頼まれたでもなく、幕府から派遣された自らの役割であると密かに里の周囲を警戒していたのは事実だが、カグヤが気付いているとは思わなかった。
「……よく見ているのですね」
「意識したことはなかったですけどもしかしたら癖になっている部分はあるかもしれませんね、他の人の様子を見ることが。困っている人がいるなら助けたいですから」
「それは舞手としての役割からですか」
「いいえ、ただの性格だと思います」
変な人だ。改めてそう思う。自分と直接関わりのない人間のことをそこまで気にかける必要などないだろうに。
——その優しさこそが彼女の持つ強さの源流であるのかもしれないけれど。
「舞手」
「はい」
「これは幕府の者としての助言ですが……努努、鍛錬を怠らぬよう。人助けをするのは結構ですが、力が伴わなければ余計な悲劇を生むだけですよ」
言うまでもなく、彼女が努力の人であることは知っている。里長としての仕事も忙しいのに夜遅くまで開けた場所で剣の素振りをしている姿を見たこともある。
ただ、一人で手が届く範囲の全てを救うのは現実的に不可能ではあるし力が伴っていなければ本来救えたはずのものを救えずに一生引きずることもあるだろう。
ありがとうございます、なんて朗らかに笑うカグヤに思わず息を吐く。やはり彼女の在り方はすぐには理解できそうにない。
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