夕刻、突然降り出した雨はもう暫く止む気配がない。
せめて朝から降っていてくれたら畑仕事が少し楽になったのに、なんて思わないでもないが今更言ったところでどうしようもないことだ。
雨はそんなに嫌いではない。流石に台風のような天候となると話は別だが、傘に打ちつける雨の音もそれはそれで風情を感じるし雨の日にしか見られない風景もある。子供の頃に雨上がりの虹を見たときには心が躍ったし大人になった今でも心惹かれるものだ。
とはいえ、雨に濡れて風邪でもひいてしまうと大変だし何日も続けば里で育てている作物にも影響が出る。やはり何事も程々がいい。
傘を差して雨の音を聞きながら歩を進める。
イカルガは確か夏の里の見回りをすると言っていたような。この時間帯なら浜辺だろうか。陽が沈みかけているこの時間に里の外まで出かけてしまったなんてことはないと思うけれど——いや、陰陽寮に属する陰陽師として何か気にかかることがあれば深夜だろうと里の外へ出て行ってしまうような人ではあるなと思い直す。
普段から里に魔物が近付かないように様々な対策を講じてくれているとはいえ一人ではどうしても限界がある。だからこそ式神などを駆使して見回りを強化しているようだけれど、この雨では今は式神は何の役にも立たないかもしれない。
普段は夏と剣を司るマツリの元気さを思わせるような気候の里も今はジメジメとしていて里全体の雰囲気も少し暗いような気がする。商業が盛んなこの里は雨が降れば客足が遠のくだろうし仕方がないのかもしれない。
急な雨だったからか傘も差さず慌てて駆けていく里人を何度か見かけた。彼らも雨が降り出すまでは買い物でも楽しんでいたのだろう。
晴れた日であれば水着姿で水遊びをしたり休憩している人をちらほらと見かける浜辺だが、流石にこの雨の中で遊んでいる人はいないようだ。体調を崩すかもしれないし事故に繋がる可能性もあるのでそんな無茶をする人がいれば誰かが注意するだろうけれど。
浜辺にいるのは見慣れた白い軍服姿で佇む青年だけだ。
「イカルガさーん!」
「……カグヤ?」
雨が強くなる中で傘も差さないまま海のほうへと視線を向けていた伴侶の名を呼べば青年は驚いたような表情を浮かべる。
「今朝は雨が降りそうな気配がなかったのでイカルガさん傘を持ってなくて困ってるんじゃないかと思って迎えにきたんですけど……何してるんですか?」
この天気だと早めに仕事を切り上げて雨宿りでもしているものと思っていたのだが、イカルガの髪や衣服は濡れてしまっている。
こんなことなら手ぬぐいでも持ってくるべきだったか、なんて反省するが今更どうしようもない。
ずい、とイカルガのほうに傘を差し出せば彼は大人しく傘の下に入る。一本の傘に大人の男女二人が入るのは少々狭いし肩が濡れてしまうが二人ともびしょ濡れになるよりは——イカルガはもう手遅れかもしれないが——遥かにましではあるし背に腹は代えられない。
「僅かに魔物の気配を感じたので式神を使ってその気配を追っていました。まあ急な雨で式神が使えなくなってしまったので諦めて戻ろうかと思案していたところですが」
「魔物の気配、ですか?」
「ええ、ですが強い個体ではありませんよ。雨のお陰か気配も先程よりは遠ざかりましたし……万が一この里に侵入してきたとしてもマツリの神だけでも対処出来るでしょう。念の為、魔物除けの結界は施しておきました」
モコモコのような比較的温厚で人に危害を加える可能性の低い魔物ならともかく、好戦的な魔物だった場合は放っておけないだろう。
ただ人里の近くまで迷い込んでしまっただけだとしても、人との共存が難しいのなら最悪討伐するしかない。カグヤであれば手懐けてしまうことも可能ではあるが多少の手間はかかるしその場に偶然居合わせたときでなければ無理なことだ。常に小屋に空きがあるとも限らないのだし。
「いつも里を守ってくれてありがとうございます」
「アズマの国を守る立場の者として当然のことをしているまでです。それに、カグヤだって魔物の痕跡に気付けば調査するでしょう」
「それはそうですけど……でも、私はイカルガさんほど常に気を張ったり里の見回りをしているわけではありませんから」
「あなたには里長としての仕事もあるのですから、それでいいのでは? ……私としても、あなたの負担が軽くなるのならこの程度の仕事は何の苦でもない」
それにしても、とイカルガは言葉を続ける。
「急な雨に降られて運がないと思っていましたが……こうしてカグヤが迎えにきてくれるのなら悪いことばかりではないのかもしれません」
「これくらい、お安い御用です。イカルガさんが体調を崩すほうが大変ですから」
「この程度で体調を崩すほどやわじゃありませんよ」
「私が心配したいんですよ。大切な人のことなので」
ざあざあと降り続ける雨の中、声が雨音に掻き消されてしまわないようにはっきりと告げる。
大切な人のことを一番近くで心配することが出来るのも愛を誓い合った自分の特権だ、なんて大袈裟かもしれないけれどそんな風に思うのだ。
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