一等星を穿つ

 未来から創造神に導かれるままやってきたという女のことは今でもよく覚えている。
 ポケモンが恐ろしい存在とされているヒスイにおいてポケモンに恐怖心を抱くこともなく——彼女が生まれ育った時代ではポケモンと人間の距離が近く一緒に生きるのもそう珍しくないらしい——ポケモン勝負に対しても積極的。
 ヒスイ地方ではポケモンを連れていない人間も多いし連れていたとしても一体二体育てるのがやっとということも多いのだが、彼女は六体を平等に育て上げていた。もしかしたら自分との戦いでは最後まで使わなかっただけでそれ以上のポケモンを平等に育てているのかもしれない。

「ウォロさんとの勝負、楽しいんです。だってウォロさんのポケモンとても強いから」

 ヒスイでの立ち回りにまだ慣れていないから修行に付き合ってほしいと言われ相手をしていた折、そう言って笑った女——ショウの姿がやけに印象に残った。
 とても強いから、なんて言いながらショウのミジュマルはウォロのトゲピーを的確な判断で追い詰める。慣れていない、とは何だったのかと思わず悪態をつきたくなるほどショウの指示には迷いも間違いもない。ヒスイ地方でこれほど上手くポケモンを扱える人間はそういないだろう。

「お手合わせありがとうございました! よかったらまた勝負してください」
「こちらこそ。ジブンとしても、素質のある人と戦えるのは楽しいですから」

 結局その日、ウォロは女に完敗した。
 これが未来の人間の実力か、とか。自分を負かしておきながら涼しい顔で「もう少しで負けるところでした」などと宣うのが気に食わない、とか。思うところは色々とあるけれど。
 まだ本気を出していなかったとはいえ貰ったばかりのポケモンを使っている女に敗北した悔しさがないわけではないし、本当に楽しげに戦っている姿に内心苛立ちを覚えたのも事実。
 ——この女を利用していずれアルセウスを従えるのだから今は適当に信頼を得ておけば良いかと強引に納得した。



 ショウは真の目的を明かしたウォロを下した。ヒスイ地方特有の姿に進化したダイケンキと、これまでの旅路で出会ったポケモンたちの力で。
 決してウォロが弱かったわけではない。ヒスイ地方の誰よりも強いという自負があったし、実際にショウ以外が相手であれば勝てていただろうとも思う。
 ただ単純にショウの実力が想定を遥かに超えていただけだ。才能があることは知っていたがそれでも初めて戦ったときはまだ生まれたばかりのムックルのようだった女が、荒れ狂う神々を鎮めギラティナさえも打ち倒してしまった。
 その後、ショウがどうなったのかウォロは知らない。アルセウスに会えたのか、それとも結局会えなかったのか。
 知ろうと思えばコトブキムラに寄らずとも知る手段はいくらでもあっただろう。ヒスイの救世主となった女のことなど、知らぬ者のほうが少ないくらいだったしそんな有名人の話題は自然と耳に届くものだ。ウォロ自身が知ることを拒んだというほうが正しい。
 仮にアルセウスに会っていたとして、その後元の時代へと帰還したのか、それともヒスイ地方に留まることを選んだのか。どちらにせよもう二度と会わないだろうし、会うつもりもない。



 ミアレシティの美術館では大ヒスイ展なる催しがあるらしい。
 ヒスイ地方。その名を聞くのは随分と久しぶりだ。かつてヒスイと呼ばれていたその場所はいつしかシンオウ地方と呼ばれるようになった。今ではヒスイという名は人々の記憶から薄れてあまり知られていない。
 自分たちが生きていた時代のことが後世に詳しく伝わっていないというのは寂しくもあるが、歴史なんて興味がない人にとってそんなものかと強引に納得する。異国であれば尚更だ。それに、こうしてその時代の営みをのちの世に伝えようとする誰かがいるというのは幸せなことなのかもしれない。
 ——ショウに敗北してから気が遠くなるほどの時間が過ぎた。アルセウスを従えて新しい世界を創造するという野望は未だ果たされていない。アルセウスに近付く術すら見つけられないまま、各地を彷徨った。
 認めたくはないけれど、自分にはアルセウスに会う資格と呼べるようなものが足りていないのかもしれない。そしてその資格は自分の在り方を変えなければどれだけかかったとしても手に入れることが出来ないものなのではないか、とも。

「こんな貴重なものを寄贈していただけるのですか?」
「ええ、実家の蔵から見つかったものでして。ジブンには不要なものですからその価値が分かる人に託すべきかと。適切に保管されていたものではないので状態はよくないかもしれませんが」

 よくもまあベラベラと薄っぺらい嘘を重ねられるなと我ながら感心する。イチョウ商会の商人だった頃の営業スマイルを顔面に貼り付けて出来るだけ怪しまれないように言葉を紡いでいく。
 古代シンオウ人にとっての正装である服を寄贈しようと思い立った理由は自分でも分からない。アルセウスへの興味や執着を失ったのか、諦めてしまったのか、それとも服を手放した上でアルセウスを従えるという野望を諦めてはいないのか。自分の感情がこんなにも分からなくなることは生きているうちにもう二度とないかもしれない。

「大ヒスイ展、色々な展示があるのですね」
「現物が消失してしまっているものに関しては残っている資料から再現したレプリカになりますが当時のものをそのままお借りすることが出来たものもあって……」

 熱心な説明を適当に聞き流しながら展示品をぐるりと見渡す。ヒスイの歴史に興味がある、どころか当時の生活をこの目で見て経験しているのだから懐かしさは感じても物珍しさはない。
 そんな中で一際心を惹かれる展示があった。

「……これは?」
「シンオウ地方がヒスイと呼ばれていた当時のポケモン図鑑です。消失していたものが最近いくつか見つかって、こうして一緒に展示させていただきました」

 ——図鑑を完成させたのは当時十五歳くらいの少女だったそうですよ。
 ヒスイ地方に生息しているポケモンのスケッチと生態に関するメモ。今の時代、ポケモン図鑑はスマホアプリとして広く普及していてスマホロトムさえあれば誰だって使える便利な道具となっているがヒスイの頃は図鑑なんてなかった。
 同じポケモンを何度も捕獲し、観察して、手書きで書き記していた。ラベンの図鑑を完成させたいという夢に協力していたのはショウだ。
 最後にショウと会ったとき、彼女はまだ図鑑完成には至っていないようだったけれどもあれから努力の末にヒスイ地方で初めての図鑑を完成させていたらしい。

 ショウがいつか図鑑を完成させるその日をずっと楽しみにしていた自分がいる。
 これはアルセウスを従えるだとか、新世界を創造するだとか、そのような野望とは関係ない。純粋な興味であった。ヒスイ地方にはどれだけのポケモンが生息していてどんな生態なのか。それを完成させるというのはとんでもない偉業だが、その偉業をこの目で見てみたい。
 長い時間が経ってしまったけれどショウが完成させた図鑑を漸く見ることが出来た。ここに至る為に今日、ミアレ美術館まで来たのではないかと脳が錯覚してしまいそうなほど。

『ポケモン図鑑を完成させたらそのときはウォロさんに見てもらいたいです』
『いいんですか?』
『ウォロさん、こういうの好きそうだなと思って。誰かに見てもらってこそのポケモン図鑑ですから』

 そう言って笑った女のことをふと思い出した。彼女がヒスイで完成させたものが遠い未来で自分のもとに届いたというのは何とも不思議な縁だ。
 もう二度と会うことはないであろう女からの贈り物に思わず自嘲する。自分はきっと、この瞬間ショウという女に真に敗北したのだ。だがこの時だけはそれも悪くはないかと思えた。