夏が終わった。暦の上ではもう秋が来ている。にもかかわらず、太陽は未だ高く、私たちのつむじをじりじりと焼き続けていた。一旦クローゼットの奥に仕舞ってしまったポロシャツをまた引っ張りだそうかと思案しつつ、結局は夏服のスカートに長袖のワイシャツを押しこみ、袖をいくらかまくって玄関のドアを開けた。私の朝は早い。ほぼ引退した身とはいえ、四天宝寺中テニス部のマネージャーは人手が足りていなかった。

 朝のHRギリギリに席へ滑り込む。隣の女子と2限の小テストの話をしつつ、鞄からボディシートを取り出して汗ばんだ身体を拭いた。ほんとうはトイレで一思いにさっぱりしたかったが、後輩との引き継ぎで片付けがうまく終わらず、ここまで遅くなってしまった。私立だとシャワールームなんかがあって、マネージャーも女子用のところを使わせてもらえたりするんだろうか。スカートを少しめくって脚をさらす。どうせ左は窓で、右五方は女子なのだ。気にする人もこともない。シーブリーズのフタを開けたところで白石が教室に入ってくるのが見えた。塗った首筋に扇風機の風が当たって、火照った肌を少しだけ冷やしていった。級友に向け軽く上げた、解けかけた包帯と左手。



 放課後の部活も終わり再び制服に着替えると、登校中に流れた汗が若干残っていて気持ち悪かった。まあ仕方ない、早く帰ればいいだけだ。明日こそはポロシャツを着よう、あと家に持ち帰ろうとしたデータファイルはやはり戻しに行こうと部室への道を進むと、校門に向かう金ちゃんたちに会った。
「おー名前! 名前もアイス食いにいこうや!」
「んーごめんなあ、今日は早よう帰らんと」
 えーーーー!! とそれはそれは大きな、すばらしいリアクションを頂く。嘘ついた。でも私は早く帰って風呂に入りたいんだ、ごめんね。また今度奢るから、と言ったら沈んでいた金ちゃんはくるっと眩しい笑顔に変わった。
「ほんま?!」
「何味がいいかよう決めとき」
「ゴチになりまーす」
「名字さっすがー」
「あんたらまで奢れんわ! あ光は考えんでもない」
「……うす」
 うぃーす、あざーっす、じゃない。そんな大人数奢れるほど私の懐はあたたかくない。
「せや、白石にもおごらせたろ!」
 おごらせたろ、などとかなりひどい言い回しを、この可愛らしくも油断のならない後輩は満面の笑みで言い放った。
「白石部長にも断られたんすよ、鍵返すついでに用があるって」
 財前がぼそりと耳打ちする。めずらしい。白石は金太郎にかなり寛容だったように思えたが。じゃあ俺はダッツで、そう言う後輩に舐めとんのかと返すと、ひらりと笑って背を翻した。



「あれ、鍵返したんじゃ」
 途中まで来た手前ダメ元で、開いてなかったら教室に置いてこようと来てみたが、白石はまだ部室に残っていた。というか椅子に座って机の上に溶けていた。
「なにを干からびとるん」
「……名字」
 白石は棚にファイルを戻す私をぼんやりと見ていた。生ぬるい視線を受け流しつつ引き出しを閉める。
「とっとと帰ろうや、金ちゃん憤慨しとったよ」
「ああ名字も会ったんか。……せやなあ」
 そう言いつつぐだぐだしている白石をほっぽって部室の鍵を取った。
「早よせんと閉じ込めるで」
「ちょっ待ちい!」
 あんたがうだうだしてるからでしょうが。じろりと彼を見ると、バツの悪そうな顔で目を逸らした。
「なんかあったん」
「いや〜……」
「らしくもない」
 白石がうんうん唸っているのを訝しげに伺うと、よし、と小さく呟いて私を見据えた。
「ちょお、座ってくれん?」
 帰らないんかい! と思ったけれど、調子の悪そうな白石を見るとそうも言ってられず、向かいに座った。消した扇風機のスイッチを再度入れる。ややあって回り始める羽が、こもった空気をかき混ぜていく。
「なんやの、ほんと。大丈夫?」
「大丈夫…やないな…」
 ゲンドウポーズで喉の奥から重々しく絞り出された声。これ突っ込んだ方がいいのかそれともまじめにやってんのか。分かりにくい。だから白石よくスベるんじゃないのか。面倒なので黙って続きを促す。
「いや…俺らも半年したら卒業やん」
「今更すか」
「ええやろ今更感傷に浸っても!」
「まあ個人の自由ですね」
「せやから…名字とも離れることになるなあ……と……」
「は?」
 なんでそこで私の名前が出てくる。意味分からん、と顔にでかでかと出した私をちらりとも見ずに白石は拳に顔をうずめている。
 この男は、私に対してそんな情は持ち合わせていなかったはずだ。同じ部活、同じ学年の部員とマネージャー同士、話すし休日も会うしたまに放課後もつるむ。しかし、白石が目をかけているのはもっぱら部員であり、仲が良いのも男子だ。私の方も同輩よりは後輩にメールしたり絡んだり、遊び遊ばれしている。女に困らない美貌と才気を兼ね備えている男なのだ、クラスもついぞ一度も被らなかった私に、離れ難さを覚えるような素振りは一度も見せなかった。
「あーまあそうやなあ、あんたみたいなギャラリー引き連れる人間そうそう会わんしなあ、寂しいわあ」
 まあ、それも東京に行ったらわんさかいたのだが。高校でもテニス部に入るかはちょっと分からないし。なんかやたらキラキラしててたまに面倒だったし。
「そういうこととちゃうねん…」
 白石は普段聞かない沈んだ声で言った。あれ、しくったか。
「ごめんなあ、ボケかと思たわ」
「……普段のツケが回ってきよったなあ……」
 よく分からないが、いい加減顔を上げたらどうなのか。
「白石」
 とりあえずゲンドウをやめろ。と組まれた手に触れると、大げさな程おどろき、仰け反り、目を見開き、声を上げた。
「うわああああ!?」
「うわああ!?」
 つられて私もびっくりしてしまう。突き飛ばされないだけまだ良かった、けどなに、白石のその、名前の通り白い肌が真っ赤に染まっているのは、蒸した室内のせいだけではないということは私にも分かる。
「白石……私のこと好きなん?」
「…………」
 白石の頬に流れた汗が顎を伝い、机の上にぱたりと落ちた。
「……はい」
 沈黙。年季の入った扇風機が首を振るたびにがこりと音を立てる。外で鳴いてる、蝉以外にもよく分からないいろんな種類の虫の鳴き声。彼の表情を伺ってみても、長い前髪でよく見えなかった。
「いやだって、白石……。好きなタイプ、清楚で大人しくて逆ナンとかしない子じゃなかったの」
「よう知っとんな!?」
「『白石くんの好きなタイプ教えて♡』って女子に聞かれるから近くにいた謙也に聞いたわ」
「謙也……」
 私はお世辞にも清楚とは言い難く、他校と合同練習や試合があれば小春ときゃあきゃあ相手の選手について盛り上がるたちだった。さすがにナンパはしないが。学校間の関係にヒビ入れるほど馬鹿ではない。
「……なるべく名字っぽくない理想像を描こうとして……」
 それ若干disられているんだが。まあ間違っちゃいないが。なんかこう。
「なんでそんなまどろっこしい…」
「やって名字、俺に全然興味ないやん!?」
 初めてちゃんと顔を上げた。相変わらず上気しているが、見開かれた目は少しばかり揺れている。
「でたナルシ」
「いや……はい……そうです……」
 またすごすごと伏せていかれる色素の薄い頭。
「……全国までに振られたらかなわんから、いっそなんでもないよに繕ったら……まあうまく行きすぎまして……」
「さすがミスターパーフェクト」
「茶化すとこやあらへんて」
 フッと、自嘲気味な苦笑が腕の間からもれるのをどこか冷静な気持で見ていた。
 はあ、まあ、難儀なことで。丁寧に積み上げられた完璧主義もつつくと脆い。その証拠にほら、私がそのきれいにセットされた頭をくしゃりと撫ぜると、面白いくらいに惚けた顔を見せるのだ。日頃むかつくほど整った表情を浮かべるかんばせが、思わずこちらも恥ずかしくなるような。
「あんた、私のことめっちゃ好きやん……」
 白石は首まで真っ赤に染めて言った。
「その通りです……」


190304
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