ミナモデパートは平日にも関わらず賑わっていた。あたりに漂う甘い香り。フロアを占める女性、女性、女性。手持ちのポケモンたちは混雑に巻き込まれないようにボールに入れられているらしかった。懸命だ。ボールに入っているアチャモが何事かとポケットを揺らすのを、大丈夫だと上から撫でる。人混みをどうにか避けながら目当ての店へ進み、迷わずショーケースの真ん中に鎮座する箱を指差した。

 買っちゃった。カロスのパティシエによる今年の新作、ホウエン近辺では唯一ここでしか買えない、きのみをふんだんに盛り込んだバレンタイン限定チョコレート。去年は迷って結局やめてしまった店のもの。
 足取り軽くデパートを後にしたけれど、浮わついた気持ちは向こうからやってきた人物によって一気に現実に引き戻されてしまった。
「やあ」
 やあじゃない。奥様方や子供たちがちらちらと視線を送っているのはエアームドを連れた細身の男で、革のトランクを持っていない方の手で私にひらひらと挨拶をした。太陽の光を受けてきらりと反射する指輪。
「キミもミナモに来ていたんだね。珍しいじゃないか、デパートなんて」
「ケンカ売ってんの…」
「売ってないよ。バトルはしたいところだけど」
 孵化したばかりのアチャモしか連れていないと憮然と返すと、ダイゴは肩をすくめ、それから私が手に持つ小さな紙袋を見て言った。
「チョコレート、誰にあげるんだい?」
「え?」
 実際のところ軽いが値段の分の重みを感じていた袋に、さらにずしりと重力がかかった気がした。
 いや、自分用、だけれども。
「……ミクリに」
 でまかせは簡単に口から出ていった。ダイゴは一拍置いた後、ふむ、と顎に手をやって言う。
「ミクリにあげるにしては高価すぎないかい?」
 まあ知らない訳ないよな、この人が、このブランドを。石だけを見ている自由人のようにみえて、ちゃんと世の中のことにも気を配っている。
「まあ散々ご心配をおかけしましたのでね」
 ため息をつきながらしらを切る。それに対してダイゴはにこりと微笑みをたたえるのみに留まった。
「じゃあ、僕からもこれを」
 じゃあってなんだ。嫌な予感がする。さっさとお暇しようかとも思ったが、エアームドが鋭くこちらを射抜いていた。ごめんね、久しぶり。鋼の鎧に手を伸ばすと、撫でやすいように頭を下げてくれた。心地よい冷たさが指先をのぼっていく。道端で堂々とトランクを広げるダイゴは、綺麗な小さい包みを私に手渡した。
「親愛なる名前に」
 怪訝に思う私にダイゴは目で開けろと訴える。私がまだ押し黙っていると、困ったように笑って私の手を取り、包みに手をかけさせた。仕方がないので丁寧に包装されている箱を開封する。
「……これ」
 チョコレートのセット。つやつやとした表層は宝石のような眩ゆいきらめきを放って…いや、中央に収まっているそれは、繊細にカッティングされ、海のような深いブルーが一際光り輝いていた。
「採掘してきたものを自分で加工したんだ」
 結構上手いだろう? と余裕の笑みを浮かべてみせる。
「こんなもの、もらえない」
 何を考えているんだ、御曹司さまは。目眩を覚えながらも箱を彼に返そうとすると、やんわりと押しとどめられた。
「駄目だよ」
「なんで」
 私をまっすぐに捉える瞳は手元のサファイアと同じように煌々と光っていた。
「これはほんの、気持ちだから」
 箱を持った私の手に両手を重ねる。傷も肉刺もある、ただうつくしいだけではない手のひら。
「いや重すぎんだろ!」
 私が思わず叫ぶと、ダイゴは吹き出し腹を抱えた。
「言うと思った!」
「いや思ったんならやめてくれよ…」
 あははと目にうっすら涙まで浮かべるダイゴは、落ち着いたところで私に向き直りこう言った。
「ねえ名前、君は結構僕に心配をかけていると思うんだけど、それでも僕の頼みごとは聞いてくれないのかい?」
「うっ……」
 言葉に詰まる私にダイゴは意地悪く、しかしあくまでも紳士的に口角を上げた。
「簡単なことじゃないか。この数粒のチョコレートを腹に収めて、サファイアは売るなりなんなりすればいい」
 私がそんなことできないのを、ダイゴは知っている。アクセサリーでもなんでもない綺麗なだけの石を、持て余して大事にしまっておいてしまうのを知っている。
 簡単なことだ。私を言いくるめることなんて。それが嫌だから会いたくないのだ、ダイゴには。
「……わかった」
 大人しく受け取った私に、ダイゴは満足げだった。
「ありがとう」
 貰ったのは私の方なのに、なぜダイゴが礼を言うのか。けれど私がそれを口にするのも釈然としないので視線を彷徨わせると、エアームドが手持ち無沙汰に羽を広げていた。ポケットのボールはたまにころころと揺れ動いている。タイプ的にどうなのかな、と思ったけどとりポケモンだし、赤ちゃんだし、仲良くなれるんじゃないのかな。ダイゴのエアームドは彼ともう長い付き合いで、温厚な性格のやさしいポケモンだ。落ち着きのないボールを大きくして宙に投げた。
 アチャモははじめ腰が引けていたが、すぐにエアームドに元気よくなにか話しかけていた。ありがとう、そう言うとエアームドは少しだけこちらを見て、ダイゴを見て、またアチャモの相手に戻った。
「さて、これからミクリの所へ行くのかな」
 あ、自分で言ったにも関わらず忘れてた。
「……実はこれは自分用のご褒美として買ったもので」
 苦々しく口にすると、ダイゴは小さく溜息をついた。
「そうだろうとは思ったけれど……」
 心臓にわるいよ、と眉根をわずかに寄せてダイゴはそう呟く。すみませんね。心の中だけで謝る。
「それなら僕の家に寄っていきなよ。いい茶葉があるんだ、お茶会にしよう。ついでに一粒だけ、キミの買った分をわけてほしいな」
 なんてね。ダイゴの横顔は相も変わらず涼しげだった。自分は宝石を押し付けるくせに、ねだるものはたったの一粒なのか。ふっと嘆息して私は答える。
「じゃあ、その前に買い物」
「え?」
「さすがにもうブランドもののチョコは買えないけどさ」
 こちらに駆け寄ってきたアチャモを抱き上げて首元をくすぐる。
「……ケーキでも作るよ」
「……ほんとうに?」
 聞き返すダイゴを見ると、瞬きを繰り返していた。機嫌良さげに喉を鳴らすエアームド。アチャモもつられて鳴き声を上げる。
「嬉しいな」
 顔を綻ばせるダイゴはエアームドに向き直ってまた笑った。聞いたかい? 名前が! そりゃ聞いているだろうよ。意味がちゃんと伝わっているのかどうか分からないが、この子なら全部お見通しなのかもしれない。
「ああ、心が躍るよ」
 童心に帰ったように嬉々として路を行くダイゴに並んで歩く。そんな言葉を簡単に紡がないでほしい。私は案外、単純なのだ。

 店の前でポケモンたちをボールに戻す。あとでね、そう言ってもアチャモはまだ遊び足りなさそうに抗議するので笑ってしまったけれど、いつになく落ち着いたトーンのダイゴの声によってそうもいかなくなってしまった。
「キミがもし、その石を次に会うときも、もしかしたらその先もずっと、持っていてくれるんだったら」
 見上げた表情も真剣だった。およそテレビ中継中のチャンピオンリーグで見せるような圧を感じる眼差し。
「その時は、キミに伝えたいことがあるんだ」
 私はなにか、例えば、それは今じゃ駄目なのかと言おうとしたけれど、店内から出てきた人が邪魔だと言わんばかりにこちらをじとりと見てきたのでそそくさとガラスのはめられたドアを開けた。何を買えばいいんだっけ。チョコレート、そう…………。
 さっきの声音が頭の中に残っている。改まって言わなければならない話題は、私たちの間にたくさん転がっている。見ないふりをしてきたあれこれ。心しておけよ、あと手持ちは常に揃えておけ、そういうことだろうか。どのみち、この場でそう宣誓されてしまったらお茶もケーキも存分に楽しめないのだが。そう、いつも気持ちばかりがはやって上手くいってくれないのだ、私たちは。こんなに長い付き合いなのに、またポケモンたちに助けてもらうのかな。アチャモを連れていてよかった。おとなしくなったボールからは、能天気なあくびが聞こえるようだった。

 生活感のありすぎる私の家にあの蒼くうつくしい石が置かれる場面を想像できない。見るたびに彼を思い出してしまうだろうから、きっと引き出しにしまっておくだろう。専用の箱なんか用意をして、丁寧に丁寧に。


190312
back


斜掛