ゴムなんか用意していなかったので、飛びそうになる理性をぎりぎりのところでつなぎとめ、名前の腹の上に精液を吐き出した。肋の透ける薄い腹が上下するのを見ていると、急速に頭が冷えていった。名前はずっと泣いていて、きっと悦くなんてしてあげられなかったんだろう。開かせてしまっていた脚をそっと閉じて名前の着衣を軽く整え、後始末をする。名前はさっきより落ち着いたもののまだ鼻を鳴らして、しゃくりあげていた。自ら望んだ結果のはずなのに居たたまれなくなり、泣いている妹からそっと背を向ける。
「おふろ」
掠れた声で名前が呟く。よろよろと立ち上がった脚元の覚束ない名前は案の定ふらりと傾き転びかけた。支えた腕を振り払われなくて良かったと、ほんの少しだけ、救われたように思った。
「……歩ける?」
見れば分かるでしょう。目も合わせてくれなかったが名前の震える肩はそう言っていた。無言で少しずつ足を動かす名前の細い腕を、どの程度の力で支えれば良いか分からず、ぐらぐらとした気持ちは内腑からずるりと身体を包み込み、僕も倒れそうだった。
給湯器のボタンを押して風呂を沸かす。熱いお湯が浴槽にゴポゴポと溜まっていくのが聞こえる。
「周助も入るでしょう」
脱衣所で怠そうに服を脱ぐ名前にああうん、と曖昧な返事をした。
「一緒に」
え、と名前を振り返った時にはもう風呂の扉は閉まって、くぐもったシャワーの音がドア越しに耳に入る。
しばし逡巡したが上半身の衣服を脱ぐ。顔を上げた先の洗面所の、鏡に自分が映っていて、改めて見つめた自身はこんな顔立ちだったのかと呆然とした。もっと名前に似ていたと思い込んでいた。微笑みを絶やさなかった頃の名前。今の自分はまったく酷い顔をしている。まるで人でも殺してきたような。
ゆっくりドアを開けると名前はイスに座ってシャワーに打たれたまま、ぼんやり足の先を見つめていた。縮こまった背骨は皮膚から浮き出て弧を強く描いている。
「名前」
呼びかけても返事はもらえなかった。
「シャワー、止めるよ」
拒否もされなかったのでハンドルを動かして止める。キュ、と間抜けな音がした。名前の長い髪からぼたぼたと水が垂れている。
「……髪、洗おうか」
「うん……」
申し出は意外にも拒否されず、シャンプーを手のひらにたっぷりと取り名前の頭に触れた。
自分の頭を後ろから洗っているようで妙な気分である。違う、それよりも莫大な寂寥感に襲われた。数年前はこんな風に名前の頭をよく洗ったものだった。だいぶ伸びた髪は薄い首と肩に張り付いている。ゆっくりゆっくり、慎重に、手を動かした。情けないことに目頭が熱くなり涙が零れ落ちそうだった。
コンディショナーも付けて、流して、そうしてやっと、名前は顔を上げた。風呂の鏡は湯気で曇って名前の表情は伺えなかったが、まあ良いものではないだろう。
「身体洗うから」
立ち上がった名前は僕に背を向けて立ち、ボディソープをタオルに垂らした。白くどろりとしたそれに良くない記憶が戻りかけ、それを必死で振り払う。空いた椅子に座り今度は自分の頭を熱心に洗った。
目を閉じていると背後から手が伸びた気配がして、シャワーヘッドを取っていった。すぐ後ろで聞こえる水音。
「私は、周助とふつうの兄妹になりたかったよ」
名前の声は小さかったが、シャワーの音に紛れずにまっすぐ耳に届いた。
「私、高校生になったら彼氏つくるから」
決別。宣誓。分かっていたことだった。
「周助も、告白断らないでね……」
再び伸びてきた手がシャワーを止めて、また風呂場は静かになった。
「うん」
名前がそれを望むのだったら。僕だって僕の我儘を叶えてもらったのだから。
名前は浴槽には浸からずに先に出て行ってしまった。
目を開けて、泡を流して、コンディショナーをして、また流して、身体を洗って、また流す。日々のルーティンは考えずとも体が覚えているのだが、どれをやったのか、はたまたやっていないのか判別できなかった。いつもより長い時間をかけて身体を洗い上げる。
ひとりで熱いお湯に浸かると、今度こそ涙は堪えられなかった。堰を切ったように溢れ出す感情をどうすればいいか分からず、ひたすら静かに泣いていた。涙は既に濡れている頬を素直に滑り落ちていく。
名前は僕を許さないだろう。けれど名前に破瓜の痛みを植えつけたのが自分であって良かったと、心底思うのだ。
190829
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斜掛