部活のレギュラーとそのマネージャー。よくある恋愛モノの設定である。少年漫画なんかでは、スポーツ物のヒロインはマネージャーであることが多く、蝶よ花よ……とまではまあいかないが、部員たちに可愛がられ、年ごろの憧れを抱かれ、なんなら癒しを担わされているが。
 実際のところはこの通り、ほぼ雑用係である。仕事で荒れた不器用な手はハンドクリームごときでかんたんには癒らず、先日ようやく皮膚科に行った。早く行けばよかったと思った。学園祭で少しだけ羽目を外しおしゃれをした、かわいらしい同級生たちに囲まれ、大会のことをまだ引きずっているわたしは、かさついた甲の皮膚をさすって、賑やかな場に似合わない溜息をつく。赤也が男子テニス部の出し物に出演するらしく、シフトの交代と共にまっすぐ会場となる体育館へ逃げ出した。しかしそこも暗幕が隙間なく張られており、人は集会以上にわらわらと詰め込まれていて、物理的に息苦しかった。
 少しだけ人口密度の薄い一番後ろに立って、壁を背に舞台の方を見た。野球部有志のよく分からない寸劇。入り口で配られたチラシを見ると、プログラムは押しているようで、現男子テニス部有志の出番はまだ先のようだった。
「彼氏ヅラ」
 藪から棒に飛んできた聞き捨てならない台詞は幸村の声だったので許した。仁王だったら……と思ったところで、冷静を欠くからからかわれるのだとようやく思い当たった。
「うるさいよ」
 小言くらいはわたしだって許されたいので、そう返しておいた。
「名字は前の方に行かないのかい」
 丸井とジャッカルの目立つ頭がパイプ椅子の最前列に見えた。野球部と仲良くヤジを飛ばしている。
「目立ちたくない……」
「はは」
「幸村こそ座ってくれば」
「いいよ、俺もゆっくり見物したいし」
 そう言って腕を組む幸村の方が彼氏ヅラでは、と口にしないまでも主張したかったのでわたしも左にならったら、察しがいいので肘鉄を食らった。普通に痛かった。よろけると大袈裟だなとまた笑われる。
「俺たち噂されてるらしいよ」
「なにを」
「付き合ってるんじゃないかって」
 なんでもないように幸村がそう振ってくるのは、もう何回もやったくだりだからだ。そういえば大会があるからか止んでいた恋愛の揉め事は、引退した今またぽつぽつと浮上してきているらしかった。
「そんなんじゃないっつの」
 幸村は肩を竦めてみせた。
 マネージャーという立ち位置はやはり誤解されやすい。そういった、淡く甘酸っぱい気持ちでこの部活に入ったわけではなかった。残念ながら、断腸の思いで、やむなく今の立場を選んだ。最初は女テニに入部する気でいたのに、強くなる気でしかいなかったのに、体験入部の際に通り過ぎた男テニのコートに、幸村精市という圧倒的な存在がいたのだ。柳生や柳、そして他でもなく真田のことを心底羨んだ。
「わたしもほんとうは コートに立ちたかった」
 幸村の、立海の駒の一つとして貢献したかった。プレーに檄を飛ばされたかった。入院生活の不満を大声でぶちまけられたかった。怖いくらいの冷えた眼差しにオーダーを出されたかった。どれも叶わなかった。こんなことを幸村に言ってしまうような自分がたまらなく嫌だ。フェルトのマスコットになんか祈りたくなくて、裁縫は苦手だからと逃げた先の力仕事を黙々とこなして、身体を痛めるしかなかった。ラケットでできたマメはもう随分前に消えて、かわりに現れるようになった擦り傷とペンだこが今も残っている。
「……俺は、名字たちの思いもちゃんと背負っていたよ」
 幸村はそう言ってくれたが、この人にさらにプレッシャーをかけていた事実が改めて浮き彫りになって惨めになった。そんなことを言わせてしまった自分を嫌悪する。そういう卑屈なところがいけないと分かっているつもりだけれど、幸村を見ているとそういった思いがいつも溢れそうになって苦しかった。
「……それなら、うれしいなあ…………」
 全力を出し尽くしたレギュラーたちに向かって何を、というのはもっともだが、わたしが、もし、男だったら。あの場に立つための努力は惜しまなかった。表彰台の一番高いところに、幸村精市を乗せるために、わたしは。
 洗濯だってドリンク作りだってバスの座席決めだって掃除だってそれこそ応援だって、全部全部大事な仕事で、立海の勝利のためだった。
 けれど、どうしても夢想してしまうのだ。ありもしない世界を。幸村の左腕である自分を。コートの上で、ベンチの前で、彼のすぐ隣に立つわたしを。
 負けたくなかった。そんなの誰だってそうで、三連覇がかかった代の部長に就任した、難病をも克服した、幸村精市が一番思ったことだろう。それでもわたしは。
 達成感も、次なる目標もない夏休みなんて、入学して以来初めてに等しかった。空虚な気持ちは連日の蒸し暑さのせいだけではない。
 どうしてわたしたちは負けたんだろう。そんな呟きは誰にも言えないまま、熱のように体内に籠もって、涼しい風が吹き始めても霧散してはくれなかった。だから神さまなんていないって最初から言っていたのに、神の子に縋ろうとした愚かなわたしたち。応援団だった子羊たちは散り散りになって遠巻きにわたしたちをひそひそと噂する。馬鹿じゃないの。自分を含めた全員に言う。後悔なんて次に繋げないと意味がないと頭では考えていても、向く方向が前なのか後ろなのかすら分からなかった。幸村のいる方角が、進むべき道だったから。神よ、と信じもしない存在に投げかける。彼を早く自由にしてあげてください。わたしにはできないから。
 わたしが神さまだったなら。君の隣でずっと献身すると、重荷を分つと、共にあると、約束できたのに。


200721
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