(成長)
「つまんない」
「それ綾部先輩にも言われた」
私がそう返すと兵太夫は眉間にしわを寄せた。几帳面に切り揃えられた茶髪がその上に乗っかっている。何も言わずに、顔をしかめたまま彼は去っていった。
私が何をしたのか分からないが、少し前から兵太夫(と三治郎)のからくりのターゲットにされ、日々餌食になっていた。大げさにリアクションをとるからいい気になるのだと、他の被害者達を見て学んでいた私は、どんなに大がかりなものを仕掛けられても平然とあしらった。
つまんない。そう言われたからもう飽きたのだろう。
そう思っていた。けれど次の日からも奇襲は続いた。
「なんなんだ…」
頭をかかえながら食堂に向かう。ちなみに、先ほど上からタライが降ってきたので現にこめかみの辺りがガンガン痛む。原因は言わずもがな兵太夫だ。コントみたいなチョイスやめて欲しい。というか、仕掛けてくるのをやめて欲しい。
今日はAランチにハンバーグが付いていた。私の好物のそちらを迷わず選んで、おばちゃんからお盆を受け取り席に着いた。
「今日は随分と元気がないね」
席で声をかけて来たのは庄左ヱ門だった。Bセットのお盆を置いて、私の目の前に座る。
「ハンバーグなのに」
「ハンバーグが私を救えない事だってありますよ」
そう言ってほかほかのご飯に口をつけた。いつもながらとても美味しい。さすがおばちゃんだ。うん、ちょっと回復したかもしれない。「名前って案外子供っぽい所あるよね、誰かみたいな」失礼な。
「で、どうしたのさ」
庄左ヱ門の黒く丸い目が私に向く。
「どうしたもこうしたも、あんたのとこのからくり厨が」
「ああ…」
苦笑いで庄左ヱ門も箸をすすめた。
「まあ、あんまり責めないでやってよ」
無茶言うな。私が憮然としたのを見て、庄左ヱ門は柔らかにわらった。笑い事じゃないんですけど。庄左ヱ門はあてにならないので、私は食事に集中することにする。
その日はもう何事もなく終わって、ゆっくりと眠りにつくことができた。願わくばこの安寧が続いてほしいのだけれど。
昨日はタライが落ちてきて、今日は私自身が落ちるって……今は落下系に凝っているのか? ここどこだ。足元がひらけたのは職員室前の廊下だったけれど、縦に横に仕掛けで飛ばされて、現在地はよく分からない。
真っ暗で、私は夜目がきかないほうだから、周囲の状況が何も分からない。辺りを手で探ると、少し狭い、木材に囲まれた場所のようだ。
これは、ちょっと、やばいかもしれない。
冷たい汗が背中に流れるのを感じた。
「へ、兵太夫」
私のものじゃないみたいな、頼りのない声が出た。
「ねえ、ちょっと」
「いるんでしょう」
「聞いてんの!?」
がんばって声を張ろうとしても、絞り出せたのはごく小さなものだった。
本当に彼は居ないんだろうか。
どうしよう。怖い。暗い。怖い。誰もいない。
足の力が抜けていく。そのまま床にへたりこんでしまった。情けない、でもどうしようもない。
奴に文句を言う余裕もないまま、ひとりうずくまって震えた。
どれくらい時が過ぎただろうか。目も耳も塞いでしまって、それでも震えはいっこうにおさまらない。こんなことでは、実戦でやっていけないのに。
「…い」
「………おい!」
肩を掴まれてはじめて、誰かが呼んでいることに、そこにいることに気づいた。びくりとあからさまな反応を示した上に背後もあっさり明け渡してしまったが、そんなものは一瞬だった。つむっていた目を素早く開き、苦無を取り出して相手へ突きつける。
兵太夫が灯りを持って、怯んだようにこちらを見ていた。
暫くお互い押し黙っていた。程なくして私はだらりと手を引っ込める。足の力がゆっくりと抜けていく。またへたり込む私に兵太夫はかけ寄ったが、私の言葉に伸ばした手を止めた。
「満足?」
思っていたよりも低く、かすれた、それでいて怒りの十分にこもった声が喉から出た。肩が跳ねた兵太夫をちらと見やると、それなりに酷い顔をしている。こんな場所でなかったら笑い飛ばしていただろう。
「ひとが弱っているところを見るのが好きなんでしょう」
「っちが」
「違わない」
少し薄れて見える視界で兵太夫の両目を捉えると、彼は決まりが悪そうに口をつぐんだ。
「ひとにはやっていいこととそうでないことがあるんだ」
私はすらすらと言葉を並べる。視線をぼんやりと黒目に合わせたまま。
「あなたはそれを私にやった」
息を吐いて、少し吸って、また浅く吐いた。
「ほんとうに、」
右目から涙が落ちた。続けて左からもぼろりと零れる。自分は泣いているんだと意識したら、溢れて溢れて止まらなかった。床についた自分の手の甲に小さな水たまりができていく。「出よう」兵太夫が私の手を掴んだので、落ちた雫は湖にはならなかった。
立ち上がり歩き出そうとした兵太夫だったが、私がつないだ手を引いたので床に転げてしまった。驚いてこちらを見た兵太夫に、情けなく私は言った。
「うごけない」
彼はわずかな間の後、黙って私をおぶった。どちらかといえば華奢な、それでも広くはなった肩に手を回す。彼の結った髪の毛が私の額にぴしぴし当たって、それが鬱陶しくて背中に顔を押し付けたら、涙腺がさらにゆるんで仕方なかった。彼の装束をぐしゃぐしゃに濡らしてやった。兵太夫が歩くと体がゆらゆら揺さぶられる。自分の嗚咽ばかりが響く中で、「ごめん」と小さく聞こえたような気がした。
まぶたの裏に熱い光を受け、沈んでいた意識が浮上する。目を固く閉じていたら、安心からか少しの間眠ってしまっていたようだった。はっと覚醒するとオレンジ色の光があたりを包んでいて、夕焼けが広がっている。ああ、もう日が落ちる時間になっていたのか。裏山は鍛錬をする生徒も夕食時に向けて学園への帰路を辿っているようで、あたりにはひと気が感じられなかった。
「済まなかった」
私が起きたのを察したのか、兵太夫は私をおぶったまま、こちらに表情を見せないで言った。
「……ちゃんと顔見て言ってよ」
癪なので掴んだ肩に少しだけ力を入れて、態と弱々しい声を出す。兵太夫は案の定動揺を見せ、そっと私を草地に下ろして向かい合った。
「ごめんなさい」
狼狽えた視線をいちど私と合わせてから、丁寧にも頭を垂れて兵太夫は謝罪した。
「……はあ」
兵太夫は顔を上げない。なんだかとても、とても疲れたなあ。すべてがどうでもよくなって、私は今まで大事に守ってきた弱みをゆっくりと吐露した。
「……私、駄目なんだ、暗くて狭い所……。忍者失格だって言われるだろうから、隠してきたけど」
兵太夫が上を向いて私の眉間あたりに視線を彷徨わせる。
「昔、人攫いにあって……無事だったんだけどね、怖かった。すごく。だから、自分も家族も仲間も守れるようになりたかった。だけど……」
無理なのかなあ。
ぽつりと呟くと、枯れ果てたと思われた涙がまた滲んできて余計に情けなく、またつうと頬を伝った。
「大丈夫だ」
兵太夫の声は掠れていたが、萎びた私をあたためるだけの熱はこもっていて、私の冷え切った指先が震えた。
「お前は、僕の絡繰にいくらかかってもきちんとひとりで抜け出しただろう」
私の土と涙で汚れた手に兵太夫が自分の手を重ねる。
「僕が保証する。お前には忍者の才能がある」
俯いていた顔を上げるといやに真面目な顔をして兵太夫はそう言った。いつもだったら茶化すところだったけれど、その双眸は私を真っ直ぐに貫いていた。
「もし忍になれなかったとしても、僕がもらってやるよ」
はあ?
それ今の流れで言う事なのかと怪訝に見やっても、兵太夫は頬を赤く染めたままこちらを見据えて、いたって真剣なようだった。
もしかしなくてもこいつは、私に懸想して、気を引きたかったがためにこんなことをしていたのか。
「もらってやるじゃなくて、仕方ないから行ってやる、なんだけど」
呆れた私は何度目か分からないため息をついて、彼のかたい手のひらを取る。このどうしようもない馬鹿の、顔に見合わず無骨な手が、私は案外好きだった。
190602
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斜掛