≠転校生


 ハンバーガーなんて食べるのはいつ以来だろう。制服で学校帰りに寄り道するのも、そういえば久しぶりなことだった。まあそれもそのはず、私は今年受験生だ。暇さえあれば参考書をひらく毎日。周りに流されて、実力よりも少しだけ上の大学を目指して勉強してきていた。なんとなく。

「まさか本当について来てくれるなんてね」

 目の前に座る男の子はそう言って笑った。ナンパ(と言って良いのかは分からないが)されたのはもしかすると初めてかもしれない。化粧もせずスカートも校則に引っかからない程度で髪は黒、おまけに単語帳を開きながら歩いていた私に声をかけたこの人は相当暇だったんだろうか。私はといえば、今日は塾が休みだ。といっても家に帰ればまた自習だけれど。
 二人掛けの小さいテーブル席。金髪のロン毛で、制服だから同い年ぐらいだろう。ワイシャツのボタンは外しまくっているけれど、ピアスはしていなかった。

「お腹、すいてたんで」

 バーガーを頬張りトレーの広告を凝視しながら答えると、ちょっとの間の後に大きな笑い声が上がった。ひいひい言っている。失礼な、そう思って顔を上げると、彼は涙まで浮かべて腹を押さえていた。さっきまでと違うあどけない笑顔にすこし驚く。

「いや、君ほんとおもしろいね。どこ行く? って聞いてファストフード選ぶのもびっくりしたけど」
「…いっぱい食べたかったので。奢ってくださるんですよね」
「もちろん! 女の子に払わせるわけないじゃない」

 おんなのこ。そう言って私を見る。ちゃんと顔を見ればとても整った人だったので妙に落ち着かず、私はまた広告に視線を落とした。エビカツもおいしそうだな。最近リニューアルしたらしい。

「もっと頼む?」

 私の視線の先に気付いたのか、彼はそう言った。やわらかな声。こう、気のつくところもモテるんだろう。

「お願いします」

 遠慮はしない。奢ってくれると言うのだから乗っかるまで。どうせ今日だけ会う人だ。見返りを要求されたら怖いけど、すぐ近くに駅も交番もあるし、まあ大丈夫だろう。

「君の食べっぷり見てたら俺もお腹すいちゃったな〜。頼んでくるね」

 そう言ってカウンターのほうへ向かった。腰の位置が高い。長い足だな。



「おまたせ」

 参考書でも読んでおくかと筆記用具まで机に出したけれど、たいして待たずに、エビカツとなにかと彼が来た。

「ありがとうございます」

 受け取って、しばらく二人して無言で黙々と食べた。
 ちらっと向かいの彼をみやると、大きく口を開けているところだった。目があう。ひとつ瞬きをしてハンバーガーをかじったのち、照れたように目を細めた。私は視線をそらす。ちょっと、かわいいとか思ってしまった。

「勉強たのしい?」

 突然のそのひとことでまた彼を見ることになってしまったのだけれど。

「ふ、ふつう」
「そ」

 彼は微笑んで言った。

「嫌じゃないんならよかった」

 そして最後の一口をもぐもぐと咀嚼する。ああ私も早く食べないと、と口を開けるとまた笑われた。

「急がなくていいよ」

 そうは言われても、くすくす笑いながら眺められると、居心地がわるくて自ずと食べるスピードも上がる。
 それに気づいたのか彼は私のトレイの脇に伏せたままの参考書を手に取る。ああまた、気を使わせてしまった。

「俺もさあ、もしかしたら今頃勉強漬けだったかもしれないんだよね」

 ぱらぱらとページをめくりながら彼は言った。

「…推薦で、決まったとか?」

 というかやっぱり同じ歳だったのか。推薦組なら敵だな。

「いや、俺はアイドルになるんだ」

 参考書をそれなりに真剣に斜め読みしながらさらっと、ごく当たり前と言わんばかりに彼は言った。店内の騒がしい音が一瞬遠のく。
 あい、どる?

「んー、最近そこそこ名が知れてきたと思ったんだけど。うちの学校この辺だし…。けどやっぱりまだまだかな」

 ほうける私に、彼は眉をハの字にして苦笑を浮かべる。
 受験をする人しない人、それだけの判断基準しか今の私の脳にはなかったけれど、そうか、すでに夢を掴んでいる人もいるのか。

「名前は」
「え?」
「名前、なんて言うの」

 思わず言った私の言葉に彼はすこし驚いたようだったけど、すぐにほほえみを浮かべて、机の脇にあるペーパーナプキンを1枚取る。私の筆箱の中からも、「ちょっと借りるね」と言って黒いペンを引き抜く。
 さらさらと数秒で書かれたそれを、はいと渡された。

「羽風薫。勉強応援してるね、名前ちゃん」

 受け取ると彼のサインが書かれていた。

「あと、俺のことも応援してくれると嬉しいな」

 その言葉にもらったサインから顔を上げると、ご丁寧にウインクを頂いた。
 私の名前をなんで知っているんだと思ったけれど、参考書は学校でも使っているやつだったからしっかり本名を記してあった。そう、私の頬が熱いのはそれを恥ずかしく思ったからであって、決して彼のせいなんかではない。

「べ、勉強、ぜんぶ終わったら、応援する」
「ほんと?」

 だからその朗らかな笑顔をまっすぐ見れないのも、断じて。
 思わず手に力を込めてしまっていて、くしゃりとサインの英字がゆがんだ。

 その名前を私はずっと忘れることができずに、記憶の中の英単語や人名や公式の隅っこに、でも妙な存在感をもって、居座ってしまった。
 ただの気まぐれで私と話したんだとは分かっている。でも、ほんの少しのあいだに不本意ながら掴まれてしまった。彼のことを応援できるように、私も頑張らなければいけない。まだ夢もなにも、分からないけれど。
 来年の春にはきっと、彼の歌声を聴きに行こう。


160614
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