「ねえお姉さん、今暇かな?」
 放課後の開放感が台無しの一言である。駅前でスマホを弄っていたら軽薄な声が降ってきたので、とりあえず無視を決め込んだ。シカトを貫いてもその男はなんだかんだ話しかけてきているようだったが、ワイヤレスイヤホンをした私に(私は髪が長く耳にもかけていないので音楽を聴いてるようには見えないだろう)、そうとも知らず話しかけているのは健気なものだ。スマホ越しにちらりと視線を向けると、あざやかな青いブレザーが目に入った。あ、夢ノ咲だ。……千秋と同じ。
 黒くふといフレームの眼鏡を思い出し油断していたら、急に彼が顔を覗き込んできたのでうわ、と思わず後ずさった。
「ああごめん、大丈夫?」
「大丈夫じゃないですけど」
 睨んだ先の綺麗な顔は私の小さな反抗を意にも介さず微笑んだ。まぶしく明るい髪は肩まで伸ばされ、チャラさに拍車をかけている。彼の開け広げられた襟元から覗くネックレスに、オレンジ色の夕日が反射して私は目を細めた。
「気分悪いの?」
 いやあんたが話しかけてくるからでしょうよ。面倒なのでなにも言わずまたスマホに目を落とそうとしたが、向かいからやけに楽観的な声が聞こえた。
「お〜〜い、羽風〜〜っ☆」
 目の前の彼が反応したのでまた厄介なのが増えたな、と思ったけれど彼は彼で「うへえ」とでも言いたげな顔をしていたので駆け寄ってきた声の主を見やるとまあ、懐かしい顔が輝かんばかりの笑顔をたたえていた。
「下校時間が合うとは奇遇だな! 一緒に帰ろう!」
「男は呼んでないよ〜もりっち……。俺この子と帰るんだけど」
「いや帰らないですけど」
「む?」
 千秋はようやく私に気づいて大きな目をさらに大きく丸くして詰め寄った。
「名前か!?」
「そ、うだけど」
 近い。鼻がくっつきそうなほどの距離に千秋の顔があって、焦点がうまく合わない。近い。千秋は勢いよく彼(はかぜ、と言ったか)の方を振り返って言った。
「名前はダメだ!!」
 は? という声がはかぜくんとハモったのも束の間、千秋に手を取られて改札の方まで強い力で引っ張られ、ICカードをカバンからなんとか取り出しタッチをし階段を駆け上がっていく。千秋はこんなに足が速かっただろうか? どうにか付いていこうと必死で走って、気づいたらホームに立っていた。
 息を切らした私とは対照的に、千秋はわずかに汗ばんだだけのようで、繋いだ手が熱いのは私の方だった。
「……手、痛い」
 嘘だ。痛いと言うほどではないけれど、脈音がどくどくとはやり、どうにかなりそうだった。
「わ、悪い!」
 バッと離された手のひらをさする。あつい。
「それにしても名前、なんでここにいるんだ? 学校こっちじゃないだろう」
「近くに寄ったから……」
 もしかしたら。もしかしたら会えるんじゃないかと柄にもなく期待を抱いた。それは裏切られずに千秋は今私のとなりに立って私を見ている。
 芸能の学校に入るなんて正気とは思えなかった。戦隊モノとアイドルが結び付かない私は千秋が決めた志望校に内心納得がいかず、少し、いや結構、腹を立てていたのだった。きっとこの先も同じ学校で、たまに同じクラスになって、同じ授業になって、毎日千秋の顔を見て相談に乗ってヒーローの話を聞けると思っていたのだ。見事合格した千秋を笑顔で祝福できるだけの心はあったけれど、入学式を終え、毎日全くの逆方面、違う時間に向かう新たな生活は、たやすく私たちの間に溝を作っていき、だんだんと途切れていく電話やメッセージに、置いていかれたような気持ちになった。
 気づけば高校生活は終わりに近く、私も進路を決定し、今のところは順調である。けれど不安だったのだ。千秋が、望む自分になれているのか、なれるのか。昔は身体も弱かったし、芸能の仕事は大変な思いをしているんじゃないだろうか。自分に余裕ができたからって急に人のことを思い出すのはおこがましい。けれど、今日足を向けて良かった。背筋を伸ばし重たそうな眼鏡を外して希望に満ちた笑顔を浮かべる千秋は、
「ヒーローみたいだったね」
「え」
 千秋に向き直り、きょとんとした顔にめいっぱい笑ってみせた。
「カッコよかった、ありがとう!」
 千秋は二、三度瞬いた後、まさしく太陽のような、まぶしく明るい光かがやく笑顔を見せた。
「俺は燃えるハートの守沢千秋! 困ったことがあったらいつでも頼ってくれ!」
 夕日を背に胸を張り、高らかに宣言する千秋は、紛れも無いヒーローだった。
「……ところで」
 さっきまでとは一転、視線を彷徨わせもにょもにょと千秋は話題を変える。
「羽風と付き合っているのか……?」
「えっ!? いやいやいやそんな訳ないじゃん! 今日初めて会ってナンパ? されただけだよ」
「そ、そうか!」
「ちょっと困ったから、千秋が来てくれてよかった」
「う、うむ。羽風にもよく言っておく」
 安堵の色を浮かべる千秋におや、と思う。自分の都合の良い解釈に笑ってしまうが、今日はもういいだろう。今日はとても良い日だった。
「俺は名前に助けられてばかりだったからな」
 眉を八の字に下げて千秋は困ったように笑う。
「名前を守れるような男になれたのなら嬉しい」
 ずるい。そんなことを言われてしまったら、顔に熱が集まるのを誤魔化せるわけもない。それを見た千秋も急激に頬が赤く染まっていく。
「い、いやこれはだな! いやなんというかその」
「流星レッド」
 あたふたしていた千秋の動きがはた、と止まる。
「……知っていてくれたのか、俺の活動」
「うん。それでね、私いま、すごく困ってるんだけど」
「えっ! ああっ、すまない!」
「だから」
 千秋の手を今度は私が握る。千秋の手も熱く、血が流れていた。
「私が望んでるもの、叶えて」
 判ってくれるだろうか、こんなので。千秋はうぐ、と変な声を漏らし、視線を右往左往させたが、紅潮した顔を意を決したように引き締め、私と対峙した。
「好きだ」
 ずっとその言葉を望んでいた。


190901
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