本能が姉を選んでしまった 拓海side
オレにはねえちゃんがいる。
オレより3つ年上で、オレにもとうちゃんにも全然似てない顔をしている優しくてあったかいねえちゃん。
小さい頃からオレはそんなねえちゃんにべったりだった。その理由は、お母さんってものがいなかったせいもあると思う。
だってねえちゃんは世の中のお母さんがするようなことを全部、オレにしてくれた。
朝は起こしてくれるし、ご飯だって作ってくれる。オレの寝癖も治してくれるし、風邪をひいた時はずっとそばにいて看病もしてくれた。
でも家族ってこんなもんなんだって信じて疑わなかった。だってねえちゃんはオレのねえちゃんだし、ねえちゃんの弟はオレだ。家族としてあるべき姿なんだって。
でもオレが中学校から下校してる時に、そんな揺らぎなかった考えがぐらぐらになるほどのことが起こった。
ねえちゃんはオレの中学校からそう遠くない高校に通っていて、たまたまねえちゃんが歩いて帰っているのを見つけた。隣にはねえちゃんの友達も一緒で、その人もおんなじ女の人だったけどねえちゃんはすごく楽しそうに笑いながら、その人の寝癖を優しく撫でていた。
その時、言いようもない感情が胸を支配した。痛いような、締め付けられるような苦しい感情。
オレだけのねえちゃんなのに、なんて思った時に我ながらなんて馬鹿っぽい考えだって呆れる。
まるでおもちゃを取られて泣く赤ちゃんと変わらないソレは早く卒業しねーと…、とその時に強く思った。
✳︎
「おーい拓海ぃ、綾乃に早く風呂あがれって言いにいってこい」
「え、やだよ。なんでオレが…」
「お前の方が風呂からちけーだろうが」
がっこーが終わって居間で宿題をしてたオレにとうちゃんがそう言ってきた。
確かにねえちゃんがお風呂に入ってから50分以上経っているせいで、後に入るオレととうちゃんまで寝るのが遅くなってる。
特にオレは朝、なんでか車の免許なんて持ってないのに配達に行かされるしで最近はずっと日中も眠い。
だからねえちゃんにそろそろお風呂をあがってもらわないと困るのはオレもだった。
仕方なくとうちゃんに聞こえるようにデカいため息を吐いて、宿題のノートに鉛筆を置いて立ち上がる。
居間から廊下へと行けば、閉じられた洗面所の扉の先からゴソゴソと物音が聞こえていた。なんだ、ねえちゃんもう出てるじゃんか。オレは迷うことなく洗面所の扉を開く。
「ねえちゃん、オレととうちゃんが入るんだから早くあがっ……」
「あ、ごめんね今すぐ出るから!」
そこにはお風呂からあがったばかりのねえちゃんがいた。
流石に服は着てるけど肌着のキャミソールと太ももが丸見えの短いズボンしか身につけていないねえちゃんに、オレは全身が沸騰しそうなほどの衝撃に襲われる。
長風呂のせいで火照ったらしい顔をパタパタと手で仰いでいるその姿から目が離せない。
「ちょっとお風呂でうとうとしちゃってた」
そう朗らかに笑いながら床に落ちているバスタオルを拾うために屈んだねえちゃんの胸元がオレの目を奪ってくる。
見たこともない女の人の、その膨らみを見ちゃダメだってわかっているはずなのにどうしても視線が留まってしまう。
普段見えることのない真っ白な肌をしているそのふっくらした胸元を見ていると、モヤモヤとした変な気持ちが沸々と湧いてきた。お腹の下がグーッと重くなるようなヘンな感覚。
なんか、…むずむずする。
それと同時にねえちゃんに変な目を向けてしまっているんじゃないかと、一緒に罪悪感も湧いて出てきた。
「拓海、大丈夫?なんかぼーっとしてるけど…」
「え、あ、うん。大丈夫、だと思う」
「寝不足のせいかな…早く寝ないとなのに、長風呂しちゃってごめんね」
心配そうな顔をしたねえちゃんがオレの頭を撫でようとする。
いつものように頭を撫でるだけの手が、途端に怖いと感じた。ねえちゃんなのに、知らない女の人みたいな感覚に陥る。不自然にならないようにねえちゃんの手をすり抜けて、風呂場のドアを開ければねえちゃんはきょとんとしながらも首を傾げて洗面所を後にした。
数秒経てば居間の方でとうちゃんと会話するねえちゃんの声を聞こえて、オレは急いで服を脱いで風呂に入る。
色んな感情に支配された頭を冷やすために、湯船のお湯を桶で掬って一気に頭から勢いよくかけ流した。
それでも、モヤモヤした気持ちは晴れない。なんなんだよ、これ……。
「何考えてんだ、オレ……相手はねえちゃんだぞ……」
いつかの時に、学校に変な雑誌を持ってきたイツキのあの雑誌を思い出す。そこには大人の女の人が霰もない姿でポーズをしているページが写っていた。クラス中の男が集まって楽しそうに話してるのを尻目にそんなもん見ておもしろいんか?なんて思ってたけど、今オレが感じたこれはそれとさほど変わりないと気付く。
オレ、もしかしてねえちゃんのこと…そーいう目で見たのか?
それを自覚した自分に強烈な嫌悪感を抱いたオレは、その日からねえちゃんの顔をまともに見れなくなってしまった。
*
「なあたくみぃ、気になんねーのか」
「なにがだよ」
「学年1のマドンナ野本さんがお前のこと好きなんだぞ〜!?かー!!モテる男はいいなコンニャロ〜!」
「いって、痛いってイツキ…」
放課後、イツキと話しながら下校している時にそんなことを言われる。
オレが知らない隣のクラスのその野本って人に好意を向けられているらしいっていうことは今日初めて聞いた。それを聞いてもイマイチ実感も湧かないし、しかも知らない子だし……へーそうなんだってだけで特に何も思うことはない。
小突いてくるイツキにムカつきながらも、ホケーっと何も考えずに空の色を見る。今日天気いーな…。
「野本さん、顔は可愛いし、ないすばでぇだし…お前もとうとう彼女持ちかよぉ…」
「オレ、その野本って知らねーし…彼女とかいうのもよくわかんないよ…」
彼女って、きすとかはぐしたりする相手とかだろ?オレにはあんまりピンとこない。好きって気持ちもよくわかんねーし、外野が勝手に騒いでることだから面白くもない気持ちでつい返事がテキトーになる。
オレの言葉にむっと顔を顰めたイツキは不満げな声色で口を開いた。
「お前、ヨユウってやつかそれ?嫌味にしか見えねーって」
「だって本当のことだし…」
「あーあ、お前のお姉さまがあんなんだから並の女じゃ興味持たねーのかぁ?」
瞬間、ねえちゃんの話題が不意打ちでだされて足が一瞬だけ止まってしまった。その動揺を隠すようになんとか足を動かす。
なんだってまたそんな話……。
動揺して何も喋らないオレが、なんの反応もしないのをいいことにイツキは言いたい放題だ。
「拓海のねえちゃん、ほんっとお前に似てねーよな…優しくて、大人で、美人で、お前は本当に恵まれてるよ」
「あーうん、そうなんかな…」
「そーだよ!だって小学校の時から大人っぽくて人気だったじゃんかよお!」
イツキの言葉でそんなこともあったな、と少し前の記憶を思い出す。
確かに小学校の頃はねえちゃん目当てでオレに話しかけてくる上級生が多かった。当時はめんどくせーな、と思ってただけで話しかけてくる目的なんて気にもならない。そうして中学校になって初めてねえちゃんがガッコーでモテてたんだって気づいた。
とは言ってもオレには関係ない話だし、ねえちゃんもオレと一緒でそーいうことには興味ないみたいで姉弟揃ってボケーっとしてんなって前にイツキに笑われたっけ。
歩きながらも地面に落としていた視線に小さな石が入ってきて、歩くついでに遠くへと蹴飛ばす。
なんか、おもしろくねー……。
オレのそんな様子に変な目を向けていたイツキだったけど、突然思い出したかのように話し始めた。
「そーいえば、一個上の先輩でさ光田って人がいんだけどよー…聞いた話によればお前のお姉さまがまだこのガッコーに通ってた時に猛アタックかましてたらしいぜ」
「は、?え、そんな話ねえちゃんから聞いたことねーよ……」
オレの知らないねえちゃんの話になんだか胃がムカムカする。でも思えば弟のオレにそんなことをいう義理はどこにもない。あの日から変な感情に振り回されてばかりで、オレおかしくなっちまったんかって怖くなってくる。
イツキはオレに構わず話を続けた。
「ケッコー最後には折れそうな雰囲気だったみたいでよお。ま、あえなく撃沈でお前もよかったな〜」
その言葉を聞いて、思わず想像してしまう。
例えばねえちゃんがそいつと付き合ったら、どうなるんだろ…。
それでも弟のオレに対しては別に態度は変わらないものだと思う。オトコと付き合ったって家族の関わり方が変わることはまずない……。
でも好きな人ってやつは特別で、ねえちゃんもオレへの態度と同じようにそいつの頭を撫でたり、寝癖を治してやったりすんのかな…。
ねえちゃんの優しい眼差しや柔らかい手で、知らねーやつにそーいうことしてんのを考えるだけでイライラしてくる。
なんかムカつく。でもこれが本当に弟として正しい感情なのか、今のオレには判断がつかない。
「イツキ、早く帰ろうぜ」
「あ、待てよ拓海ぃー!いきなり走んなってー!!」
話を遮るようにしてオレはイツキより先に走り出す。もうねえちゃんのそういう話は聞きたくなかった。
✳︎
「…っなんで雨なんか降るんだよ、もー…」
天気予報は大外れ。
家まで走って帰っているオレの身体を強い雨が打ち付けている。イツキは一足先に帰ってしまったし、オレ1人だけでこの大雨の中を走るのは恥ずかしいぐらいに周りの視線が痛かった。
通い慣れた道を走って、走って…商店街のところまでくればオレの家はもうすぐそこだ。
せめてもと傘がわりで頭に乗せるようにしている鞄を強く握りしめて一気に駆け抜ける。
そうしてやっと店先についたオレを待っていたかのように店の引き戸が丁度良く開けられた。
そこにはタバコを吸いながら手にタオルを持っているとうちゃんがいて、オレはびっくりしながらもありがたくそのタオルに手を伸ばす。
「…ありがと、とうちゃん」
「おー、おけえり。風邪ひいちまうからしっかり拭いとけよ。っと、それよりも綾乃に会わなかったか?」
「ね、えちゃん…?別に、会わなかったけど…」
受け取ったタオルでずぶ濡れの髪の毛を乱暴に拭いていると、とうちゃんがそう聞いてくる。
動揺で声が裏返りそうになったオレはなんとか平静を保ったまま言葉を返せた。それに気づいているのかいないのか、とうちゃんは感情の分からない声色でそうかとだけ返してくる。
ずっとこうだ。ねえちゃんの話題が出た途端に身体が強張る。最近ねえちゃんからもオレの様子が可笑しいって、言われてしまった。
でも一度感じてしまった違和感のせいでもう前のオレに戻ることができない。
「オレ、先に風呂入ってもいい?」
「沸かしてくっから待ってろ」
とうちゃんは奥へと引っ込んで行って、風呂を沸かしに行ってくれる。
このまま家ん中入ったらゼッテーとうちゃんに何か言われるから、オレは店へ入ることなく店先で身体を拭く。
いつもより薄暗くて大雨の商店街をぼんやり見つめながら、デカいため息が出た。
ねえちゃんにずっとこのままの態度をするわけにはいかない。かといって、今更どうすれば…ってここんとこ四六時中そのことを考えてる。
いっそのこと、オレを好いてるっていう野本って奴と付き合ったら……いやいや、好きでもないのに付き合うのはサイテーだしオレもなんか嫌だ。
嫌な考えを振り払うように頭を左右にぶんぶん振っているオレの耳に、ぱしゃぱしゃと水の上を走っているような足音が入ってくる。
その音の方に目を向ければ、渦中にいるねえちゃんが走って帰ってきていた。
「あ、拓海ただいま…!お姉ちゃんも雨に振られちゃった〜」
「お、かえり…」
優しい笑顔でオレの隣に同じように並ぶねえちゃん。オレの動悸は一気に跳ねがり、まともにねえちゃんの顔が見れなくてオレはそっぽを向いてしまった。
そんなオレの変な態度はもう慣れっこなのか、特に何を言われるでもなく服についてる雨粒を払う。
「っくしゅ…、うう…寒い…」
「今とうちゃんが…風呂、沸かしてる…」
「やった」
小さく喜んだねえちゃんを横目でチラッと確認すれば、寒そうに自分の両腕を抱いている。
ねえちゃんが風邪ひいちゃったら、嫌だし…オレは姉ちゃんにタオルを押し付けるように渡した。
その様子に驚きながらも、オレを包み込むような優しい笑みで口を開く。
「あれ、貸してくれるの?」
「いーよ…オレ、もう拭いたし…」
なるべくねえちゃんを見ないようにして渡せば、手からタオルがなくなる。
ああ、ねえちゃんとったんだなって手を引っ込めようとすればふと目の前に影が落ちて頭にふわりと何か乗せられる。
「全然拭けてないよ、拓海」
ねえちゃんがオレの髪の毛を拭いてる。
自分で拭くよりも柔らかくて優しい手つきで、オレはもうその場に立ち尽くすしかできなかった。
視界に入るのはねえちゃんの扇情的な身体。雨に濡れているせいでセーラー服がねえちゃんの肌にぴったりついていて、身体のラインが嫌でも分かる。
しかも白いセーラー服のせいでねえちゃんの下着の色まで透けていた。
至近距離で感じるねえちゃんの息遣い、匂いがオレの脳みそをビリビリと焼き付けてくる。
触りたい、ねえちゃんに触れたい。その白い肌を撫でたい、それで、それで………。
欲望のままにねえちゃんの顔を見上げれば、無垢な瞳がオレを覗いていた。
もう無理だ。もう、戻れやしない。腹の奥がイライラして、腰がズグン、と重くなる。
その感覚がなんなのか分からなかったけど、誰にも悟られちゃだめだと本能がそうオレに訴えかけた。
「オレ風呂いらねーから!」
拭いてくれていたねえちゃんの手を振り払い、店の中に入って靴を投げ捨てながら一気に自室へと走る。途中、とうちゃんの声が聞こえたけどそんなことに構っている暇はない。
自分の部屋の扉が壊れるぐらい思いっきり開けて、乱暴に締めて誰にも開けられないように扉を背にして床へと座り込んだ。
なんだこれ、アツい。濡れている身体なんて気にもならないくらいに身体が火照る。
そこへの少しの刺激だけで、身体が震えてしまって初めての感覚でオレはもう訳が分からなかった。
「おれ、…オレ…ねえちゃんを…」
ありえない。いや、そんなこと…だって姉弟なのに…。
でももうオレはねえちゃんをねえちゃんだと思うことはできない。だってねえちゃんは、女の人だ。
オレ、ねえちゃんのこと…そーいう目で見てしまった。確実に、性的な想いを孕んだ目で。
ねえちゃんがオレ以外の男と笑い合ってたり、キスして、その先までするなんて想像すらしたくなかった。反吐が出る。
もう、隠したり気づかないふりなんてできない。
オレは、実のねえちゃんが……好きだ。
ふいにオレの机に飾ってある、家族3人で写った写真立てが目に入ってくる。
写真の中のオレ達はすごく幸せそうで、もしオレがこの想いを口から出してしまったらこの写真のような日はもしかしたら一生こなくなるのかもしれない。
そうだ。オレとねえちゃんは家族で、男女の関係になることなんてだめだ。
この気持ちはオレだけの地獄。その地獄にねえちゃんを巻き込むことなんてできない。
なんとか立ち上がって机の上の写真立てを手に取り、ねえちゃんの顔を指先でなぞる。
オレはこれから先、今までと変わらず弟としてねえちゃんを大切にする。
それが唯一、オレの正しい答えだと思った。
「弟として」って言い聞かせながら、ずっと、ずっと姉ちゃんを………。