Don’t cry my heart
今まさにスターレスから帰宅しようと裏口のドアノブに手をかけた金剛の背中を、誰かが引き止めた。振り返った先にいたのは藍で、閉店作業もとっくに終わっていたというのにまだステージ衣装を着ていた。軽く息を切らしているあたり、急いできたようである。何かトラブルが発生したのだろうか。例えば、ミズキが喧嘩売ったとか、リコが喧嘩売ったとか。
尋ねると、藍は屈託のない笑顔で告げる。
「落とし物届けに来た!」
ほら、と差し出されたものは小さなうさぎのマスコット。それは金剛が普段使っている鞄につけていたものであった。慌てて手に持っていた鞄を確認すると、確かにそこにある筈のうさぎがいない。
「本当だ、どこで落としたんだろう……」
「廊下。ゴミ捨ての帰りに拾った。なんか見たことあるって思ってさ」
大事なんやろ、と金剛の手にマスコットが落とされる。廊下に落ちていたと言うが、目立った汚れはなさそうである。つぶらな瞳を向けてくる頭を撫でながら、金剛は藍に礼を言った。
「いいって、いいって。気にすんな」
「でも、わざわざ走って来てくれたんだろう?」
「そう! めっちゃすれ違ってたのオレたち。大変やった〜」
聞けば、会う人全てに金剛の行方を聞いて回っていたらしく、つい先程もうロッカールームを出たと聞いて走って来たそうだ。決して広いとは言えないバックステージであるのに、こんなにも巡り合わないことがあるのか。自分がシャワーを浴びて早々に帰ろうとしていた中で、散々動き回らせてしまい申し訳なく思う。
再度謝り、礼を言うと藍はどうってことない、と首を振った。
「礼も謝罪も求めてないって。気にすんなよな」
「いや、でも、明日渡してくれたって良かったのに」
「うーん、まあそうなんやけど。見つけちゃったから」
オレがやりたかっただけやから、と藍は金剛の肩を叩く。むしろ気遣わせてごめん、と謝られてしまい、慌てて金剛は先の発言を撤回した。藍に謝って貰う必要などどこにもないのだ。ただ、自分が勝手に申し訳なく思っているだけで。
「見つけてくれてありがとう。なくした事に気付く前に渡してくれて良かった」
「へへ、じゃあ明日の賄いはフライドチキンかな」
「それは、もちろん」
やったあ、と万歳をする姿は少年らしく純粋であるのに、先のような誰も傷付けないように誘導する手腕には脱帽である。
きっと、藍は金剛が申し訳なく思うことを分かっていたのだろう。それでいて、マスコットを失くしたと気付いた時にひどく後悔し、自分を責めるだろうとも。
藍は人をよく見ているし、よく気付く。普段の自由気ままで我儘な態度に反し、細かく気遣いができるのだ。それを悟らせない賢さも、諭すやさしさも持ち合わせている。
すごい子だ、と思う。本当に。。
鞄に付け直しながらそんな思想に浸ってると、不意になあ、声が掛けられる。
「なんでうさぎ? ステージ衣装にもつけてるけど」
再び収まるところに戻ってきたマスコットを突きながら、藍は金剛を見上げた。
金剛は、執拗にうさぎの頬を指先で苛める藍を遮りながらも、少し考えて答えた。
「可愛いから?」
「それだけ?」
「うん。自分の好きなものが近くにあると良いだろ」
かわいいものが好きだ。小さくてまるくて、ふわふわしているものが。そういった発言をしたり、そういったものを身に付けているとよく「ギャップだ」と言われてしまうのだが、金剛にそんな意図はない。好きだから、好きでいるだけである。
確かに、自分のようないい歳した男が、学生に混じってファンシーショップにいるのは目立つだろうな、とは思うけれど。
「じゃあオレがつけるんなら犬かなぁ。それか虎?」
どう思う、と尋ねられた金剛は、藍の頭の先から足元までをしっかり見る。小さくて、元気で、よく動く。
「藍は……そうだね。犬かな」
「だよな! それならミズキも犬になっちゃうけど。ヒースとリコは?」
「2人とも犬というよりは猫、かなぁ」
「あはは、うん、わかる」
リコのあの威嚇する感じが猫だし、ヒースのぼんやりは爺さんの猫だよな、と笑って言うのを金剛は怒られても知らないよ、と宥める。しかし藍のことなので、どうせ聞いてないのだろう。
「オレもかわいいのつけちゃおっかなー」
「いいんじゃない? お正月でも虎あったし」
「あれな〜みんなから可愛いって言われた!」
それにしたって正月の虎は大き過ぎだったけど、と藍は笑う。そうだね、と金剛は笑った。
「ほら藍、俺はもう帰るから、早く着替えてきなよ」
「そうするー! じゃあな金剛、フライドチキン頼んだから!」
もうどっか行くんじゃないぞ、と藍はうさぎの頭を指で弾くと、くるりと背を向けて駆けて行く。
小さな頭が、角を曲がるまでを見送って金剛も店を出た。
明日は、とびきり旨いフライドチキンを作ってやろうと思う。
きっと鼻のよく効くトップが騒ぐだろうけれど、こっそり藍だけ特別に。