09.推察

「良かった! 来てくれたんだ」
「……や、約束だったから……」

 昨日と今日で気づいたことだが、彼女はあまり人と話すことに慣れていないようだ。ノワールの目を見て話さないし、声も小さいし、いつも自分の腕を握りしめている。
 だからこそノワールは、ミチカが来てくれたことも、約束を守ってくれたことも嬉しかった。

 だが、彼はうっかり者だった。ミチカと会うことに気を取られてばかりで、今夜は何を話すか全く考えていなかったのだ。しかも相手は女の子。一瞬で頭が真っ白になった彼は、あ、えーと、などとどもりながらも彼女に質問を繰り出した。

「……えっと、今日は、何をしてたんだ?」

 もっとマシな質問があるだろッ!!
 と心の中で自分ツッコミをしたが、残念だがとっさに思いつかなかった。幼馴染のスピカになら、肩の力を抜いてもう少し気楽に話せただろうに。
 そんな彼の気持ちには気づかず、ミチカは「今日……」とぽつり呟くと、

「…………草抜き……?」

 と、答えた。

「草抜き?」
「……あ、ええと」

 趣味かな? と一瞬頭に麦わら帽子をかぶって草をひく彼女の姿が浮かんだが、煙となって消える。貴族でもメイドでも草引きが趣味な人はいないだろう。ミチカは口ごもりながら、慌てて言葉を付け足した。

「……おばさん、の……手伝いで。午前中は草引きを、してたの。午後からは……うん、夏休みの宿題を、してたよ」
「そうか。手伝ったりして偉いな」

 そんなことない、とミチカは言った。草引きは使用人の仕事だ。ということは、彼女は学生だけど平民なのだろうか。ノワールは不思議に思った。ノワールやリヒトのように貴族や王族は、周りの世話は全て使用人がしてしまう。それが彼らの仕事だからだ。
 けれど、ミチカの身なりはシンプルだがさほど貧相なものではなかった。昨日は舞い上がってそれほど思わなかったが、彼女と何かが違うことに、ノワールは違和感を感じていた。

「……ええと、ノワールくん……だったよね。あなたは、今日は何をしていたの?」
「えっ? ああ、僕は……」

 友達と散策を、そう答えようとしてリヒトが壁からひょっこりと顔を出した。

「その質問には、私が答えよう!」
「きゃっ……」

 突然の新キャラに驚いたミチカは、半歩後ずさった。目を見開いてノワールとリヒトを交互に見遣る。

「おい、リヒト。急に出てきて彼女を驚かさないでくれ」
「しょうがないじゃないか。君ってばいつまで経っても私を紹介してくれないんだから」
「シッ、声が大きい。誰か来たらどうするんだよ……」

 声が大きい、と叱咤するノワールもまた、少し声が大きくなっている。自分でそれに気づいた彼は、誤魔化すようにゴホンと咳払いをしてミチカに向き直った。忌憚ないやり取りにミチカは二人の関係性を悟ったのか、じっとその様子を見つめていた。

「驚かせてすまない。私は、リヒト・クリスマス・キャンベル。リヒトでいい。ノワールの親友さ」
「本人の目の前で親友と言ってしまうの、恥ずかしくないか?」
「いや、まったく!」
「はあ……。というわけで……彼は僕の友人で、この鏡と……君の鏡がなぜ繋がっているのか、調べるのに協力してもらおうと思って呼んだんだ。君の了解も得ずに勝手に連れてきて、驚かせてごめん」

 申し訳なさそうに頭を掻くノワールに、ミチカはふるふると首を横に振った。

「……ううん。私も、少し……気になっていたから。……謝らないで」

 そう言ってくれた彼女に、ノワールはほっと安堵の息を漏らした。
 二人の様子に「ふむ」と何かを悟ったように頷いたリヒト。つかつかと鏡に近づくと、ミチカの顔をじっと見つめる。ミチカは突然のことに目を丸くさせて視線に縮こまった。

 彼は下から上まで彼女の姿を真剣な顔で眺め、腕を組んで考え込んだ。あまりに長い時間見つめるので、ノワールは眉を寄せて彼に尋ねた。

「どうしたんだ、リヒト。あんまり見つめたら、ミチカが困るだろ」
「……いや、私は……ええと……」
「……ふむ、ふむ。わかったよ、ノワール!」

 彼は喜色満面の笑みでそう答えるので、見つめていたことを詫びるのかと思った。だが、そうではないという。

「何がわかったんだよ」
「彼女はこの世界の人間じゃない」
「は?」

「――この鏡は異世界と繋がっている!」


 ノワールは目を疑った。いくら魔法が主流のこの国で、異世界と繋がる魔法はありえないからだ。確かにミチカのことは価値観や見た目が違うと感じる点はいくつかあった。けれど、世界は広い。ミチカもこの世界どこかに住んでいる人間で、遠くの人間とこの鏡が繋がっているという感覚しかなかった。
 ニホンという国も、自分が知らないだけで。

「まさか……そんなことがあるわけないだろう」
「いいや、そのまさかだよノワール。王城にある文献をすべて把握している私でさえ、ニホンという国はこの世界にない。聞いたことがないんだよ。そしてミチカの黒髪黒目の人種はこの国……いや、この世界のどこにもいないんだよ。せいぜい、君のように紫色の髪か青、焦げ茶がいいところだ。そして彼女の服は……生地は、私でさえ見たこともない上等の品だよ。私が見たところ、職人のように手作業で作った織り方じゃない。”人間が作ったものじゃない”んだ」

 ノワールは愕然とした。王城には、各分野のあらゆる文献や図書が貯蔵されている。そこにミチカの国が記されていないこと、ミチカのような見た目の人間はこの世界にいないこと。服を人間が織らなくても文明の進んだ国はこの世界にないこと。頭のいいリヒトは大概の事は辞典のように知っているし、嘘は言わない。
 だが、彼は俄かには信じがたかった。

「……そんなことって……あるのか? 異世界と繋がるなんて」
「残念だがどのようにしてこの鏡がミチカくんの世界と繋がっているかは私にもわからないよ。まあ、恐らくは金術か、あるいは面白がって使った魔法が上手く作動したか……。その類だろうね」

「あの……」

 ノワールとリヒトが討論していたところに、ミチカがおずおずと挙手をして切り出した。女性を放ってしまっていたことに気づいて、ノワールはごめん!と慌てて言った。リヒトの突然の言葉に驚いて、頭がいっぱいいっぱいになってしまっていた。
 せっかく会ってくれているのに、リヒトだけと話していては本末転倒だ。ノワールはミチカに向き直り、リヒトは仰々しく謝罪する。

「私としたことが、レディに対して失礼な振る舞いをしたね。許して欲しい」
「いえ……それは別に気にしてないんですけど……少し、聞きたいことがあって」

 聞きたいこと?
 リヒトが尋ねると、こくんとミチカが頷いた。

「……あの、魔法って、何?」

 その言葉に、ノワールは頭を抱え、リヒトはやはりか。と嬉しそうに言った。


「……昨日も、もしかして、って思ったの」

 椅子に座ってたどたどしく話すミチカに、ノワールとリヒトは耳を傾ける。

「ノワールくんみたいな髪色や目の色とか……こっちの世界にはいないし……。あ、地毛で、ってこと、なんだけど、ね。染めたりは……できるけど」

 ノワールの貴族の格好、鏡の向こうに見える祖母の部屋、鏡から見えるすべてが、ミチカにとって「異世界(ファンタジー)」そのものだと言う。

「魔法も、おとぎ話の世界でしかないものなの。知らない人と鏡越しにお話できること自体、私にはびっくりすることだから……」
「そう……なのか……」

 ノワールは大きなため息をついて膝上に手を組んだ。リヒトは愉快そうに話を聞いている。面白くなってきたな、とでもいうように。

「二人も……その、魔法って、使えるの?」

 ふと、ノワールが顔を上げる。鏡の向こうで、ミチカがそわそわと期待を持った目で見ていた。魔法を知らないミチカにとって、どのように使われるのかも想像がつかないのだろう。
 そうだな、とノワールは口元に手をあてて説明をした。

「今日はリヒトと湖まで散策に出ていたんだけど……水面の上を歩けるようになったり」
「え、ええっ」
「最初にミチカと会った時も、動物か何かが部屋にいるのかと思って風の魔法を使おうとしたんだよ」
「……!!」

 今まで大人しかった彼女が、やや興奮気味に話を聞いている。どうしたものかと考えていると、隣に座っていたリヒトが突然、椅子から立ち上がった。

「よろしい、ならばここで魔法を見せようじゃないか!」

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