プロローグ
静かな、静かな夜だった。
地には焚き火が煌々と辺りを照らしている。空は真っ暗で、星すらも見えない。
木の燃える音だけが聞こえる中で、きらりと一筋の光が瞬いた。
「ヴァルプルギスの夜が、はじまるぞ!」
けたたましい笑い声が響き渡ると、どこからともなく箒に乗った女たちが現れる――魔女だ。
今日は年に一度の魔女の集会、ヴァルプルギスの夜。悩みも苦しみもない、ただ気持ちのよい時間を過ごすためにこの夜に集まってくる。
服を着ていない者、悪魔を連れ添い契りを交わす者、魔女同士で談笑を始める者……。それぞれが焚き火を囲い、それぞれの夜を楽しんでいた。そんななかで、誰かがそっとつぶやいた。
「今年も、”あの四人”は参加していないの?」
あの四人。
その言葉を聴いた周囲の魔女は、嘲るように笑った。
ヴァルプルギスの夜は、魔女ならば誰でも参加できる「魔女の社交場」だ。情報を手に入れたり、自慢したりする。普段できない「取引き」も可能だ。
行かない魔女は、よっぽど愚かか、怠惰な魔女のレッテルを貼られる。けれどたまに、こんな魔女もいる。
”なんらかの禁忌を犯し、参加できなくなっている魔女”
「本当に、馬鹿よねぇ」
酒を飲みすぎて酔っ払った一人の魔女が言った。頬を赤くして、どこか遠いところを見つめる彼女は色っぽい。絡まれた魔女は見習いから明けたばかりなのか、あどけない顔をしている。
若い魔女が不思議そうに視線だけ動かすと、その魔女は楽しげにニヤリと笑った。
「ああ、あなた……今年から参加したのね。じゃあ、魔女の禁忌(ルール)も知らないでしょう。いいわ、教えてあげる」
妖艶な魔女は手の平からふうっと息を吐いた。すると踊るように白い粉が舞い、空中に文字となって整列していく。魔女の魔法だ。
一番最初の文字は、「魔女の禁忌」と掲げられた。
「魔女がしてはいけないことは、全部で四つ」
ひとつめは、王子様に恋をしてはいけない。
王子様はお姫様と結ばれるって相場が決まっているの。と、魔女は言った。王子様とは絶対に関わってはいけない。どんなに強気の魔女でも。純粋で、無垢で、素直な彼に若い魔女はあっという間に心を奪われてしまうから。
ハッピーエンドはありえない。気を付けて。
ふたつめは、女性に恋をしてはいけない。
魔女は女。そして世の理(ことわり)を知るもの。女が子供を産むためには、相手は男で無ければならない。魔女が女を愛しても、決して交わることは許されない。
その理を破壊するような魔法を使おうとすれば、罰が下される。
罰は、驕りの心をもって知るでしょう、と魔女は言った。
みっつめは、恋した相手を食べてはいけない。
魔女はその体を保つために、生き物を摂取する。
むかしの話だ。狂った古の魔女が、若い女の生き血を集めて浴びていたという。あるいは、首に噛み付いてその血をすすったと。
しかし、魔女は恋した相手の血を吸ってはいけない。さすれば、たちまち相手と同じ寿命に縮んでしまうからだ。
少しでも長く生きたければ、恋をした相手の髪も、皮膚も、血も。
口に含んではいけない。
よっつめは、四親等以内の異性と交わってはいけない。
再度の言葉となるが、魔女は世の理を知るものだ。
そして、もとは人間だ。魔女になった人間は、自分と同じ血の流れるものと心身を交えてはいけない。もしも、この罪を犯してしまったなら……終わりのない悪夢を見ることになる。
長い、長い夢を。
砂はやがて彼女のもとへと戻っていく。魔女は、にっこりと笑って問うた。
「まるで、なぜどれも恋をすることが罪になっているのかって、顔をしてるわね」
艶めく魔女は頬杖をついて若い魔女に言った。不思議そうに聞いていたのだろう。いずれわかるとでも言うように、魔女は紡ぐ。
「あなたはまだ若いから、わからないのよ。魔女にとって、どれもこれも、愚かなことに……」
そう言って、魔女は突っ伏したまま眠ってしまった。両手で包んでいたマグカップ。入っていた洋酒はすでに冷え切っている。いとけない魔女はブランケットを傍らの同胞にかけ、頭上を見上げた。彼女の言うように、本当に、そうなのだろうか。
空には星の代わりにたくさんの魔女が飛び交っている。どいつもこいつも、楽しそうだ。
彼女には、同胞の言う言葉が理解できたが、納得できなかった。愚かかどうかは、恋をした本人にしかわからないからだ。そしてまた、興味がわいた。一人の魔女を狂わせるほどに、また理性もきかなくなるくらいの「恋」とは、どのようなものなのかと。
「……ほんのすこしだけ、憧れるわ」
幼い魔女は、足を揺らした。今夜ここに来られぬ、魔女に思いを馳せながら。