イザベラ@

 ヒキガエル。それがイザベラについたあだ名だった。

 茨が茂る森の奥深く。誰にも会わず、ひっそりと引きこもっている彼女にぴったりのあだ名じゃない! と、同期の魔女たちは口を揃えてバカにする。
 華やかな社交場は嫌いだ。まぶしくて、笑い声があちこちにあって、息苦しい。コミュ障のイザベラにとって、地獄の何者でもない。

 イザベラが住むのは王都から大分離れた森の中。街中に店を構えるなんて絶対に無理。そう思った彼女は、郊外に家を建てた。家の畑でハーブや野菜を作る。それで調合した薬や、化粧水を配達人に売る。売れたお金が、彼女の収入源。
 配達人はあと十分ほどでやってくる。ホビット族の男性、ヤックだ。

 ――コン、コン。

 来た。仕分けをしていた手を止めて、イザベラは玄関へ向かった。念のため、ドアスコープを覗いてヤックかどうか確認する。背の低い、ひげもじゃの男が見えた。
 ……うん、大丈夫。
 イザベラは玄関先に立てかけられた鏡を覗く。身だしなみを軽く整えたら、急いでそのドアを開けた。

「やあ、イザベラ。元気にしてたかい」

 陽気に話しかけてきたこの男が、ヤックだった。

「……え、ええ。ぼちぼち、ね」

 ヤックはふうと息を吐くと傍らに荷物をどさっと置いて背伸びした。ヤックは、歩くのが苦手で王都から馬を使いやってくる。毎週、二回。月曜日と金曜日だけ。彼はイザベラの数少ない収入源を生み出す人でもあるし、数少ない話し相手でもあった。

「先週売ってもらった傷薬と、やけどの薬がとっても効くって評判がいいよ。食堂で働く女どもや、洗い物で手が荒れたやつらにはハーブを練りこんだクリームが飛ぶように売れてる。そのあたりをまた、補充したいんだが」

 頼めるかい? とヤックが顔を上げたと同時に、イザベラは大きく首を縦に振った。
 黒い髪とワンピースをなびかせて、奥の戸棚から小瓶が入った木箱を取り出す。人差し指でいち、に、さんしときちんと数えて隣に置いて。別の戸棚から数本の緑の瓶も取り出した。
 イザベラはそれらをまとめて持ってくると、ヤックが不備ないかひとつひとつ確認を始める。

「うん、うん。いいね。申し分ない。さすがはイザベラ。有能な魔女だよ」
「うっ!? そ、そんなことないわっ!」

 ヤックが褒めると、イザベラは手をぶんぶん振って訂正する。顔は青い。そんなに謙遜しなくてもいいのに、とヤックは言うが、イザベラはあんまり褒められたくはなかった。
 彼女は自分に自信がない。褒められてもその言葉を疑ってしまうし、むずがゆくて仕方なかった。ヤックが本心から言ってくれているのは、わかっているのだが。

 ホビットは苦笑しつつも丁寧に礼を言い、商品を袋にしまい込んだ。次にここに来るのは、また来週になるだろう。

「そういえば、気になることがひとつあったんだが」
「……?」

 ヤックは言うべきか言わざるべきか、困った顔で彼女に告げる。そんな顔をする彼も珍しい。イザベラが黙ってヤックを見ていると、彼は肩をすくめて言った。

「君、この森の結界を張っていたと思うんだけど、一か所破れていたところがあったよ」
「ええっ!?」

 イザベラは飛び上がって驚いた。森には誰も入って来られないよう、特別な結界を施してある。それが意図的に破られたのか、動物の仕業なのかはわからない。だがこれは、引きこもりのヒキガエル魔女、イザベラにとって大問題だ。
 悪党だろうが善人だろうが関係ない。来られても、困るのだ。ヤック以外、まともに話せないのだから。来たこともないお客様に遭遇してしまうことは、何としても避けなければ。

 イザベラは破れているだろう場所に向かうと、さっそく修復にとりかかった。幸い、周辺に生き物がいる気配はない。ならばなぜ結界が破られてしまったのか、そう思うと寒気がする。
 魔女は破れたところをより強固に魔法をかけた。さっさと家に戻ろう。そう思いながら。


 その夜。
 胸騒ぎがするイザベラはなかなか寝付けなかった。昼間に結界を破られたことが気になって、仕方なかったのだ。ベッドから体を起こし、リビングへと向かう。コップ一杯の水でもあおれば、気持ちも落ち着くかもしれない。
 ランプに火を灯してコップを探した。井戸から汲んでいた水を……と思ったが、ヤックから買ったミルクの方が寝つきがよくなるかも。イザベラが踵を返したその時だった。

 ドンドン。玄関から、強いノック音が聞こえた。

「ひいっ!?」

 持っていたコップを慌てて落とすところだった。イザベラは恐怖で顔を青くして、扉の方を見遣った。時計の針は、二十時を指している。こんな夜更けにヤックは来ない。むしろ、ヤック以外はこの森に入れないようになっている。歓迎した者以外は、入れないのが結界なのだ。となると。

 やっぱり、破れた結界から誰かが入り込んでいたんだわ……。

 どうしよう、とイザベラはその場で行ったり来たりを繰り返す。ノックをする音はいまだ止まない。部屋の中をきょろきょろと探して、防犯用の杖を手に取った。後から考えれば、魔法で何とかすればよかったのに。慌てていたイザベラの頭の中には、考える余裕などなかった。
 杖をぎゅっと握って、ドアスコープの向こうを覗き見る。だが、真っ暗で何も見えない。家の外にも明かりをつけておくべきだった、と彼女は心底後悔した。イザベラは勇気を出して、

「どなたですか」

 と声をかけた。自分では腹の底から声を出したつもりだったが、思ったより声が出ず、へなちょこな声だった。
 ドアの向こうの来客は、イザベラの声に戸を叩くのをやめたようだ。しかし、反応がない。
 どうしたんだろう。
 イザベラは困ってしまった。扉を開けるべきか迷った。だって、何かわからないものが向こう側にいるのに、怖いじゃないか。
 もう一度、どなたですかと声をかける。しかし、反応は変わりない。

 イザベラは扉に耳をくっつけて、何か聞こえないか探ってみる。すると、かすかに男の声が聞こえてきた。蚊の鳴くような声で、「……けてくれ」と。
 ――たすけてくれ、だ。
 イザベラが勢いよく扉を開けると、一人の男がなだれ込むようにその場に倒れこんだ。どしゃりと崩れ落ちたその腹には、赤黒い染みがにじんでいる。怪我をしているのがわかった。
 人と関わることが苦手なくせに、怪我をしている人を放っておけない。お人よしの魔女は、慌てて人差し指を振った。すると煌めく粒子が魔法となって、彼をそっと宙に浮かべる。
 イザベラは二階の空き部屋へと彼を運んだ。体を仰向けにしてベッドへと寝かせる。

「……まあ」

 その顔を見た彼女は驚いた。男は若く、端正な顔立ちをしていたのだ。イザベラは目を瞬かせて、男の顔をまじまじと見つめた。今まで出会った人間の男の中でも、こんなに美しい人は見たことがない。見習い魔女を終了して、最初で最後に参加したヴァルプルギスの夜。その夜でも、こんな人間を連れた魔女も思い浮かばなかった。
 彼がうめき声を出して、イザベラははっとした。
 そうだ、男は怪我をしていたのだ。

 服をめくって腹の傷口を見ると、どうやら鋭いもので裂かれたようだ。イザベラは一階へ戻り、薬草棚へ向かう。昼間にヤックに売った傷薬とは違う、特効薬の茶色い瓶。ああ、足元にある木箱からも二枚ほど薬草を持っていこう。あとは消毒液と、ガーゼでいい。
 ボウルと井戸水、タオルを魔法で運んで、部屋にそっと入った。

「痛いかもしれないけど、我慢してくださいね」

 聞こえているかはわからない。汗ばんだ彼にそう言って、イザベラは手当てを施した。痛みがひどいのか時々くぐもった声を出していたが、止血もしたし傷口もふさいだ。明日の朝には目も覚めるだろう。ほっとしたイザベラは、自分の部屋に戻ってから気づいた。
 ……どうやってお帰り願おう。と。

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