あと何回死んだら気が済むの

「マネージャーやってるからって、調子に乗らないでくれない?」

 あぁ、またか。そんな言葉が脳に浮かぶ。
 目の前にいる、うちのバスケ部エースである黄瀬のファンらしい女子たちは、腕を組んで睨んできている。さすがに慣れたもので、泣いたりなんかすれば相手が調子に乗ることなど目に見えているので、私はただ無反応を貫く。この人たちは何も知らないから、黄瀬の頑張りも知らないから。だからこんなことが言えるのだと、ひたすら自分に言い聞かせながら。
 海常バスケ部に入部した時、なんとなくまずいなとは思った。あのモデルとしてもバスケプレイヤーとしても人気な黄瀬が、推薦で入ってきたと聞いたから。それでも私はバスケが好きで、運動が得意なわけではないから男子バスケ部のマネージャーに志願したのだ。けれども、やっぱりそれは黄瀬目当てと勘違いさせてしまったようで。同級生やら先輩やら、よくわからないけれど呼び出しを食らうのも日常的になっていた。

「うちら、体育館で練習見てるから、よーくわかるんだよね。黄瀬君から話しかけてもらえるからって好かれてるわけじゃないってちゃんと理解してる?」
「…………」

 こういう時に、バスケ部の誰かが通りがかってくれないかなんて期待してしまう私は、やっぱり夢見がちというかなんというか。
 人の通らない別棟の校舎の階段なんて、先生に頼まれごとをしたとかそんな用事でなければ来るわけがない。生憎とバスケ部の人たちは自己主張が強く、先生たちからすれば物を頼みづらいわけで。そういうのを頼みやすい人たちは、通りがかったとしても見て見ぬ振りだろう。だから私を助けてくれるヒーローなんて、結局いやしないのだ。
 予鈴が鳴るまで同じような内容の繰り返しの言葉を浴びて、授業に遅れるぎりぎりのところで教室に戻った。
 最早私が昼休みの終わりぎりぎりに教室に戻るのは恒例なので、誰も気にしない。私も誰かに心配をかけたいわけでもなし、次なんだっけーと友達に尋ね、クラスでの日常にとけ込み直した。


「あぁもう、なんだってのよ……」

 ばしゃばしゃと水道水に浸しながら乱暴にTシャツを洗う。完全にやられた。ロッカーに入れておいた部活用のTシャツに、絵の具か何かがつけられていた。
 ひとまず制服のままドリンクやらタオルやら準備して、Tシャツを洗いに来たのだ。制服ということに怪訝そうな顔をされたが、用事が長引いて忙しかったから、と誤魔化しておいた。だから必要なものだけさっさと準備して、着替えてきますと。そう受け取ってくれたはずだ。
 色が残るのは仕方がないかもしれないけれど、なんとなくこれを残したら負けな気がして。
 乾燥機にかければなんとかなると思って洗っているけれど、終わりが見えない。

「……っ」

 この場に他の誰かがいれば、強がりもできたのに。ひとりだと空しさやら悔しさやらが余計に増して、鼻の奥がつんと痛む。
 目に涙が浮かんで、頬を滑り落ちた。気づかないふりでもしなければ、手も止まってしまう。

「如月っちー?」
「!!」

 まさかこんなところまで部員が探しに来ると思わなかった。
 振り返らないまま手を止めて、"黄瀬?"と確認する。返ってきたのははいっス、という言葉で、さらにここに来た理由も続けられた。

「監督が着替えるにしては遅いから探して来いって言ってきたんスよ」
「そう、ごめん」

 できるだけ短い言葉を選んだけれど、いつもより声が震えたのが自分でわかった。

「いえ。……あの、何してるんスか?」

 何となくでも近づいてはいけないと思ったのか、黄瀬は少し距離を置いたまま問うてくる。見てないからこんなのは感覚であるけれど。

「ちょっと、汚しちゃって。ここ時計ないから時間がわかんなかったんだ。ごめん、すぐ戻るね」

 水を吐き出し続ける蛇口を見てはっとし、栓を閉める。
 もうこれ以上は時間的にもTシャツの様子的にも仕方がないから、乾燥機を借りようと思いTシャツを絞った。

「……それ、部活用のTシャツ、なんスよね?」
「今日美術だったんだけど、忘れ物しちゃったから代わりにね。まさか絵の具こぼしちゃうと思わなかった」
「オレ隣のクラスだけど、如月っちのクラスで美術がなかったことくらい知ってるっス」
「…………」
「もっと言えば、今の単元で絵の具は使ってないっス」

 あぁもう、鋭いなぁ。鋭いし面倒くさい。お願いだから詮索しないでほしい。きっと今も体育館では、海常バスケ部の練習を見ている女子たちが"あの子遅刻してるの? 黄瀬君に迷惑かけるなんていい度胸ね"なんて、囁き合っているのだろうから。
 自分の嘘が甘かったことは心の中で棚に上げた。

「……誰に、やられたんスか?」
「別に。黄瀬には関係ない」
「……、そう、っスね……」

 突き放すように言ってしまったことを後悔したけれど、一度吐き出した言葉はひっこめられない。
 黄瀬は一言だけ苦しげな言葉の紡ぎ方をして、元来た道を戻っていったようだった。
 Tシャツを乾燥機にかけて部屋を出ようとしたところで、笠松先輩と鉢合わせた。

「おう、遅いじゃねぇか」
「……すみません」
「シャツ、忘れたんだろ? 俺の予備貸してやるから、急いで準備しろ」

 差し出されたのは、きれいなTシャツ。流れで受け取ってしまったけれど、笠松先輩は気にせず言葉を続けた。

「お前、黄瀬のこと嫌いなのか?」
「え? なんでですか」

 珍しく黄瀬を気遣うような表情を見せながら言う笠松先輩に、不思議に思いながら訊き返す。

「いや、さっきものすごく傷ついた顔して帰ってきたからよ……。お前に何か言われたんじゃねぇかって」
「なんで私がそんないじめっ子になってるんです!? ひどい!」
「ははっ。まぁ、急げや」
「……はい。ちゃんと洗って返しますね」

 黄瀬は多分、全部察してしまった。だから笠松先輩もあんな風に、何も言わずにTシャツを貸してくれたのだ。
 とりあえずTシャツは乾燥機に任せることにして、着替えて体育館に戻った。

「遅いぞ、如月」
「すみません、監督」
「笠松が記録を取って欲しいそうだ」
「わかりました、すぐやります」

 ストップウォッチと記録用の道具を持って、笠松先輩のところへ。サイズが大きくて誰が見ても借りたと分かる様相。けれど部員の誰も特に茶化してくることなんてなくて、至っていつもどおりに部活は終わった。
 片づけを終えて部員とお疲れさま、と言葉を交わしながら校門へと早足で向かう。いくらなんでもこれは暗い。早めに帰るに限ると思って、小走り気味になった。

「如月っちー!」

 後ろから呼び止められて、思わず振り返る。声の主は呼び方からもう既にわかっていたけれどやはり黄瀬で。内心げんなりしつつも笠松先輩の言葉を思い出して足を止めた。

「どうかしたの?」
「えっ、いやっ、その……、一緒に、帰らないっスか?」

 窺うように言われて、黄瀬がさっきのことを気にしているのがわかった。
 この時間ならあの女子だってさすがにうろついてはいないだろうし、まぁ……、いいか。

「いいよ。私の家東京だけど、大丈夫?」

 そう訊くと、前に帰宅する私を見つけたけれど地区は違うと思う、と帰ってきた。

「それでも東京なんで大丈夫っス。元々送っていくつもりだったんスから」
「そうなの? ありがとう」

 そこからは特に会話もなく、並んで時々曲がるところで言葉を交わすのみ。けれど黄瀬がそわそわと落ち着きがないのは横目にしっかりと捉えていて、これはこっちが切り出さないと話してくれないだろう、と諦めることにした。

「……なに?」
「えっ!?」
「何か言いたいことあるんでしょ? 別に誰も聞いてないだろうし、言えばいい」
「! ……あっ、あの。如月っちはオレのこと、嫌いなんスか……?」

 ド直球だな、黄瀬。しょぼんと垂れた耳でも見えそうな態度に、そんな風にツッコめるわけもなく。私としても突き放して後悔したところはあったから、立ち止まって素直に黄瀬に謝った。

「さっきのことでしょ? 八つ当たりしちゃっただけなの。気分悪くしたでしょ、本当にごめん」
「それなら、本当に良かったっス……。オレ、如月っちに嫌われちゃったのかと思って……」
「別にあれは黄瀬の本意じゃないでしょ。私は好きでバスケ部のマネージャーやってるんだし、黄瀬のこと嫌う理由なんてないよ」

 まぁ、確かに黄瀬の所為で、とかは思ったりもしたけれど。気が荒んだゆえの八つ当たりであって、別に黄瀬が悪いわけでもなんでもないのだ。
 笑わないでね、と前置きすると、黄瀬はこくりとやけに神妙そうな顔で頷いた。

「私夢見がちだからさ、いつか私を助けてくれる人が現れるんだって、ちょっと楽しみにしてるんだ」

 笑わないでとは言ったけれど、こんな発言、笑うしかないと思う。黄瀬の顔を窺うと、意外にも、困ったというか泣きそうというか、そんな顔をしていた。

「……え、あの、黄瀬?」
「なんで、っスか」
「え?」
「助けてほしいなら、なんでそう言ってくれないんスか……!」

 ちょっとよくわからないんだけど。
 思ったことをストレートに伝えると、黄瀬はさらに必死さが増した。

「だってそういうことっしょ!? 助けてくれる人を待ってるっていうのは、助けてほしいって思ってるからじゃないんスか?」
「……そう来られちゃったかぁ」

 裏返せば、そういうことなのかもしれない。所詮夢だと、諦めきっていたからそっちにまで考えが及ばなかった。

「決めたっス! オレ如月っちが傷つかないよう頑張るから! だからそういうこと、言わないで欲しいっス」

 ちょっと待て、どう飛躍したらそうなるの。

「黄瀬、本当によくわからないんだけど。別に黄瀬にそこまでしてもらわなくたって……」

 言葉の半ばで、肩を掴まれた。

「如月っちの言う"助けてくれる人"にオレがなりたいって言ったら、怒るっスか?」

 必死すぎて顔が近いよ、黄瀬。目を逸らしてわんこよろしく頭を撫でると、肯定と取ったのか顔を輝かせ始める。
 そういえば黄瀬って意外と泣き虫だったかなぁ。目尻に浮かんだ涙を見て、ふとそう思った。

「……泣いてどうにかなるなら、楽なんだけどね」

 黄瀬の涙を拭いながら、そう呟いてみる。
 もう慣れっこになってしまった私には、泣くことなんてできやしないのだ。きっとまたTシャツを汚されるようなことがあっても、今度は何も思うことはない。ひとつひとつ、"悲しむ"ことへの対象がなくなってきている気がした。

「多分、物を汚されたりとかは防ぎきれないけど。でも、如月っち、オレの前では強がんなくても大丈夫っスから」
「うん……、ありがとう、黄瀬」

 どれだけ素直になろうとしても、自嘲的な笑みしか作ることができなくて。そんな私を見て、黄瀬はまた泣きそうな顔になる。黄瀬を泣きそうにさせてしまうこの現状だけは、どうしても慣れなさそうだ。


(あと何回死んだら気が済むの)
 心を何度殺しても慣れないの

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