嘘をつくならせめて上手にね

「如月伊織です。中学でもバスケ部のマネージャーをやっていました。男子バスケの方が熱くなれるので好きです」


 可哀相に。彼女――如月っち――を見てまず真っ先にそう思った。
 淡々とした語り口に、自己紹介の時にしか合わなかった視線。この子は本当にバスケが好きで、この部のマネージャーの仕事を選んだのだとわかったから、そう思った。
 一年の中でマネージャー経験者は如月っち一人だけ。確認作業のみで先輩から学ぶことを終えた彼女は、すぐに案内をしてもらって仕事に移っていた。

「黄瀬君、はいドリンク」
「タオルはこっちだよー」
「ありがとうっス」

 甘ったるい声を出していろいろ差し出してくれるマネージャーに作り笑いをして見せれば、マネージャー陣どころかギャラリーのそこかしこから小さく黄色い悲鳴が上がる。
 そんな声に交じって、自己紹介の時よりは活き活きとした如月っちの声が聞こえた。

「この内容で記録を取ればいいんですか?」
「おう。如月が一番慣れてるし、任せるわ」
「わかりました。……一年生、体力テストやるから集合!」

 一年に集合をかけてからの手際は物凄く良くて、先輩たちも感心していた。

「黄瀬はSFだったよね? 割とどこでもできる?」
「はいっス! 一応オールラウンダーっスよ」
「ん、了解。じゃあそうなるのかな。テストは反復横跳びからね。一個一個終わるごとに報告に来て」
「了解っス!」

 オレの営業スマイルに対する如月っちの反応の薄さは、今までに見たことがないほどだった。
 レギュラー入りが決まり、練習も日常の一部になって。その頃にはもう、最初にマネージャーとして居た女子の大半が辞めていた。理由の予想なんて簡単につく。オレ目当てだった子たちは、海常の練習スケジュールがきつかったか、所謂"抜け駆け"と見做され呼び出しでも受けたかのどちらかだ。先輩マネージャーも多分、その学年の中で嫌がらせでも受けたのだろう。
 最後の先輩マネージャーが辞めて、ついに如月っち一人になった。退部届を出して去っていく先輩の後姿を見つめる彼女の目からは、何の感情も窺えない。

「如月さんは辞めないんスか?」
「何その辞めてほしそうな言い方は……」

 眉をしかめて不機嫌そうに言う彼女に、慌てて弁解する。

「いやっ、全然そんなことは思ってないっスよ!? 如月さん居なくなったら選手でやりくりしなきゃだし!」

 ふと気が付くと、如月っちは自嘲気味に微笑んでいた。

「如月さん?」

 はっとしたように体を震わせた如月さんは、取り繕うように笑った。

「これから一人でやってくってなると忙しいなぁー……とか思って」
「そう、っスね」

 取り繕われてしまったから、あの微笑の意味は聞けずじまいだった。


 別の日のこと、監督の都合でいつもより練習が早く終わって、やり足りないという笠松先輩と一緒に自主練をしているときのことだった。体育館の扉が開く音がして、誰が来たかと思って二人して見れば、体育館シューズを持って入ってきた如月っちの姿が。オレたちを目に留めて驚いていた。

「あれ、笠松先輩と、黄瀬?」
「おー如月。どうした? 鍵なら預かるぞ」
「いや、えっと……今日練習も片づけも早く終わったから……、ちょっとボール触りたいなって思って。だめ、ですか?」

 多少面食らったようだった笠松先輩だけれど、すぐに許可を出した。この人はクラスで女子との接点なんて欠片しかないから女の子に慣れていないらしいけれど、如月っちには普通に応対している。それだけ打ち解けやすいのだろうか、彼女は。

「如月、バスケできんのか?」
「……まぁ視野は広い方ですかねー」
「わかるけどできないんだな」
「大正解です」

 でも好きだから時々やりたくなるんですよ、なんて。屈託ない笑顔で言う。

「よっし如月、1on1やるか」
「何それ勝てるわけない!!」
「光栄に思えよ。海常レギュラーとやれるんだぜ?」
「何の名誉になるんですかそれ!」

 文句は言いつつもボールを持った笠松先輩に対して構える如月っち。いつも見ているだけはあるなぁ、なんて思う程度の構え方だった。
 オレは邪魔にならないように、ドリンクを飲みながら隅っこで観戦。
 しばらく観戦していたわけだけど、やっぱりというかなんというか。笠松先輩が加減しても如月っちに勝ち目はない。

「ちょ、ほんとに勝てない! ボール触れてない! ドリブル三秒で捕られるとか……!」
「加減してでも負けたら海常レギュラーの名が泣くだろーが」
「先輩大人げない!」

 笠松先輩が笑いながらゴール付近でむすっとしている如月っちにボールを渡すと、それを受けた如月っちはゴールに向き直った。ゴールをまっすぐ見据えて、普段見てきた成果か、リングにも当たらずパシュ、とネットを通る音だけが響くきれいなシュートを見せてくれた。

「お、おまえ精度は中々だな!」
「ありがとうございます。私ちょっと休憩しますよ?」

 オレの居る方に歩いてきた如月っちに、飲みかけで悪いなとは思いつつもドリンクを差し出した。まぁ、寄って集ってくる女の子だったら喜ぶのだろうけど。

「如月さん、飲むっスか?」
「え、いいの?」
「どーぞ」
「ありがと、買いに行こうか迷ってたんだ」

 へらりと笑う如月っちを見て、これが本来の彼女なのだろうな、と感じた。
 というか、間接キスとか気にしないのか。中学でも男子バスケ部のマネージャーだったというし、仲良くなった部員が居れば当たり前だったのかもしれないけど。

「……如月っち」
「え?」
「って呼んでもいいっスか?」

 不思議そうな顔をした如月っちは何それ、と訊き返してくる。仲良くなった証っスよー、と返すと、どうぞご自由に、と返ってきた。多分如月っちは、桃っちと同じようなめんどくさくないタイプだ。それに、楽しそうに笑う如月っちのことを知れて、少なからず嬉しく思う自分がいたのも事実。
 この時のオレは知らなかったのだ。如月っちがまさか、今までに辞めたマネージャーと同じように呼び出しや嫌がらせを受けていたなんて。


 監督に如月っちを探しに行けと言われて、サボったり遅れたりするなんて珍しい、と思いつつ探しに行った。
 水道の水が思いっきり流される音が聞こえて、そっちだろうかと足を向けてみた。
 そうして見たのは、穏やかではない雰囲気と、普段見るより弱々しい背中だった。

「黄瀬?」
「……はいっス」

 ここに来た目的を言うと、返ってきたのは素直な謝罪の言葉。なんとなく近づいてはならない気がして、少し遠い距離のまま会話を続けた。
 若干汚れたTシャツに、いつもと違う弱々しい如月っち。何があったのかわかってしまって、嘘は全部砕いてやった。最後に突き放されて苦しかったけれど、きっともっと苦しいのは如月っちの方。体育館に戻ってレギュラー陣に今までのやり取りを教えると、練習してろ、とだけ言い残して笠松先輩は出て行ってしまった。
 少しして、笠松先輩が貸したらしいサイズの大きいTシャツを着て戻ってきた如月っちに、皆怒るでも茶化すでもなく、いつも通りを心掛けて練習を再開していた。
 部活が終わってからすぐに着替えて、暗いからと早めに帰ることを許されている如月っちの背中を慌てて追った。送っていくという建前で、ちゃんと話すつもりだった。

「……なに?」
「えっ!?」
「何か言いたいことあるんでしょ? 別に誰も聞いてないだろうし、言えばいい」

 オレに何か言うことを許してくれて、理不尽なことも言わない。勝手にイメージを押しつけてきて、ひとつでも何か違うと言ったら手のひらを返してくる、そんな女子ばかりを相手にしていたから、如月っちのその態度はオレにとってひどく新鮮だった。
 オレのことを嫌いかと聞いたら返ってきた言葉に、嬉しく思う自分がいた。
 夢見がちな発言も、助けてほしいくせにそれを言わないどころか気づいてすらいない発言も、笑うことなんてできない自分がいた。
 だから彼女が楽しみにしている"助けてくれる人"になろうと決めた。オレの頭の中だけで処理されて、飛躍した話についてこられない如月っちだけど、それでもいい。わけもわからないうちに頷かせてしまえ。
 犬みたいに頭を撫でられたことも、あまり気にならなかった。

「……泣いてどうにかなるなら、楽なんだけどね」

 気づかないうちに浮かんでいたらしいオレの涙を親指で優しく拭いながら、呟かれた言葉。小さかったけれど、夜の静かな道で言われれば、嫌でも聞こえた。

「多分、物を汚されたりとかは防ぎきれないけど。でも、如月っち、オレの前では強がんなくても大丈夫っスから」
「うん……、ありがとう、黄瀬」

 きっと、彼女は素直になってみようとしていた。それでも、マネージャーが一人になった日に見た如月っちのあの自嘲的な微笑みしか浮かべられないようだった。
 奥歯を噛むと、鼻の奥がつんとする。オレは自分でも思うほどに、案外泣き虫だ。
 それから、オレが如月っちに付きまとう日々は始まった。
 だけどやっぱり物を汚されたり罵詈雑言の書かれた手紙を受け取ったりすることを防げはしなくて。オレが泣きそうな顔になると、決まって彼女は正反対の笑みを浮かべて言うのだ。あぁ、これじゃあ彼女の夢見がちな発言に乗った意味がない。

「私は大丈夫だよ、黄瀬」


(嘘をつくならせめて上手にね)
 できないんだから本音を頂戴

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