現実が現実たる証拠をあげよ

 私が"好きだ"と伝えた瞬間、黄瀬は私たちの間にある距離をすぐに詰めて、私を腕の中に閉じ込めた。

「……良かったっス」

 泣いてしまったせいなのか、あやすように背中を叩かれる。

「はー、なんかしおらしい如月っちっていうのも新鮮っスねー」
「なによそれ……」

 からからと笑う黄瀬を体を離して睨んだけれど、怖くないっスよーと軽くあしらわれる。

「あ、でも"如月っち"って呼ばれるの嫌なんスよね? オレの好意カン違いするぐらいには」
「別にもう気にしてないからいいよ……」
「嫌っス。んー、やっぱ"伊織"って呼ぶのが一番スかね?」

 黄瀬が呼びたいっていうだけじゃ……。そしてそれって私も名前で呼ぶことにならないだろうか。黄瀬なら言い出しかねない。

「伊織からも"涼太"って呼んで欲しいっス!」

 ほら来た。いやいやいや、でも恥ずかしいしもう"黄瀬"で慣れてるし。
 いくら嬉しそうに言われたところで、慣れや羞恥が邪魔をしてしょうがない。

「……ダメ、っスか?」
「くっ……」

 彼は私がこのしょんぼり顔に弱いことに気づいているんじゃないだろうか。しかも黄瀬は腕を解いてはくれないので、至近距離だ。いくら顔目当てじゃないとはいえ、イケメンが眩しい。

「……りょう、た」
「なんでそんなに恥ずかしがるんスかー!」

 目を逸らしながら呼んだからか、満足いかないと言われてしまった。

「もう一回! ね、伊織」
「涼太。……これでいい?」
「なんでそんな不満げに言うんスか!?」
「言わされてるからだよ」

 しゅんとする黄瀬に対し罪悪感が湧くも、羞恥心の前にはそれも膨れ上がりはしない。
 買ってもらった紅茶を開けて一口飲むと、紅茶特有の渋みと甘さが口の中に広がった。ずっと話していたからか喉も渇いていて、丁度良かった。

「そういえば事務所とかは大丈夫なの?」
「えー、そういう心配しちゃうんスか。大丈夫っスよー。オレの家に呼ぶのは無理なんスけど、変装すればデートだって行けるし、そのまま出かけたとしても最悪部活仲間って誤魔化せるっスよ!」
「なるほど……。黄瀬が大丈夫ならいいんだけど」
「心配してくれるのは嬉しいんスけど呼び方戻ってる!!」

 そっか、黄瀬の家に遊びに行ったりはできないのか。少しだけ寂しい気もするけれど、仕事のこともあるのだから仕方がない。私は別に嫉妬を表に出すタイプでもなし、黄瀬が仕事と割り切ってくれるのなら街中で声をかけられたとしても気にしないことにしよう。黄瀬に暇ができるとも思えないけれど、出かけるのも良しと言ってくれているし。

「あの、伊織……?」
「うん?」
「何か不満だったりとかするっスか?」

 黙り込んだ私に悪い予感がしたようで、おずおずと訊いてきた。
 安心させるように笑って、首を横に振る。

「うぅん、特に何も。……帰ろっか」
「……はいっス!」

 いつもと違うのは手を繋いでいるということだけ。黄瀬がごく自然に手を取ってくれたから、手に触れる熱が気になるという程度のものだ。普段一緒に帰る時と同じような話しかしていなかったけれど、それでも悩んだ後だからか楽しかった。



「森山先輩、今日の決定率悪いですよ」
「げっ。マジ……?」
「見た感じ6割です。変則フォームは構いませんけどちゃんと入れてください」
「あー、可愛い子いないかなぁ。オレその子のためにならいくらでも入れられる気がする……!」
「海常(ウチ)のために入れろ!!」

 笠松先輩の怒鳴り声に苦笑しつつ、リバウンドを取る早川先輩にその調子だと声をかける。森山先輩と対照的に、今日は早川先輩の調子が良い。選手の調子も日それぞれで変わるので、当たり前といえば当たり前だけど。
 笠松先輩はどちらでもなくいつも通りで、3Pはかなりの決定率だ。小堀先輩も堅実なディフェンスを行っていて、となると問題は。

「黄瀬! 集中切らすな!」

 監督の怒号もご尤もである。ついこの間の練習試合で模倣(コピー)した技の完成度を高めているのだが、どうしてかあまり集中できていないようだ。というか、完成度がなかなか上がらなくて切れてきたというところか。

「如月、黄瀬を頼めるか」
「わかりました」

 監督が黄瀬ばかりに構っているわけにもいかないので、ビデオカメラと一緒に任された。まぁもちろん本物レベルにはなっているのだが、黄瀬にしては精度が悪い。

「もう、どうしたの一体。跳んだ時に軸ぶれてるじゃん」
「そーなんスか!?」
「え? うん……、カメラだと見づらいけど多分……?」
「もう一回やってみるっス!」

 意気揚々ともう一度シュートモーションに入った黄瀬は、今度はカメラに映った選手以上の動きを見せてくれた。

「できたっスー!」
「ん。これなら文句ないと思うよ」

 カメラの映像と比べてチェックをし、監督に出来上がったことを伝える。

「黄瀬のノルマはクリアか。時間も時間だ、もう上がっていい」

 監督から朝練終了の許可が出たので、笛を吹いて注目を集め、その旨を知らせる。監督から簡単な話があり、その後集まってきた選手にドリンクとタオルを渡して、使い終わったらカゴに入れるようにとも伝えた。
 さて、今日の私の一番の試練。できるだけ自然にを心掛けて、現在こちらに背を向けている黄瀬に声をかけた。

「はい、涼太」
「あ、どーもっス……って」
「涼太ァ!?」

 黄瀬……じゃないや、涼太より先に周りが反応した。涼太は渡した物を受け取ろうと振り返りかけたまま顔を赤くして固まってしまって、昨日までの余裕はどこに行ったのやら。

「如月、いつから……!」
「昨日です」
「え、結構前からだったんじゃ……」

 一軍の他の先輩が心底意外そうに言うのだけれど、そんなに仲良さげに見えていたんだろうか。

「涼太。なんか反応して」
「え、あ、嬉しいっスよ! ちゃんと変えてくれたんスね、伊織!」
「伊織!?」

 いちいち名前呼びに過剰反応しすぎですよ先輩方。
 笠松先輩に至ってはショート寸前だ。この人クラス写真直視できないほど女子が苦手とは聞いていたけど、男女の交際に対してここまでの反応を見せられてしまうとちょっと困る。まぁ一時的なものだろうから心配はしていないけど。
 見学している女子からひそひそと話す声が聞こえてきて、そちらに視線を流す。もう私は覚悟を決めたし、今更何をされたところで傷つく理由もない。涼太がさりげなく位置を変えて、私と女子の間に立ってくれた。

「しかしまぁ……、呼び方変わったぐれーで何もかわんねぇな」
「そうだな……」
「んー、そっスね。お昼一緒に食べるのも前からだし、部活での態度を変えようとは思わないし、時々一緒に帰るのも前からっスしね」
「こうして並べられるとおまえらのリア充っぷりったら……」

 悔しそうな森山先輩は置いておくことにする。いつまでもネット知識に頼ってるから……。
 涼太も苦笑いをして、ドリンクを飲み干して空になったボトルをカゴに放った。

「怪我した人いたら言ってくださいねー」
「全員大丈夫か?」

 部員たちからはうっすだのおうだの、それぞれとりあえず大丈夫らしい声が返ってくる。タオルと空のボトルが入ったカゴを持ち上げると、涼太が手伝うっス、と言ってボトルが入ったカゴを持ってくれた。

「伊織、今日はお昼どっちっスか?」
「お弁当。涼太は?」
「購買っス。買ったらどっか空き教室でっスね。ちゃんと迎え行くから待ってるんスよ?」
「はいはい」

 何となくだけど、涼太が少ししっかりした気がする。彼氏たる者、なんて意識があったりするのだろうか。それでも私の態度があまり変わらないから、懐く犬に対するものみたいになってしまってちょっと拙かったかなと思った。……が、それが表情に出たのかお返しっス、と頭を撫でられる。昨日と比べて少しだけ関わり方が変わったけれど、でもそれだけだ。ここ最近の日常と、大きく何かが変わるとも思えなかった。
 呼び出されようが私物に悪戯をされようが、必死になってやっと得たものを手放す気はない。他の朝練上がりの女子、遅めに登校してくる女子。視線に心を痛めることこそないけれど、刺さるものは刺さる。やはりこの近い距離では面倒事になりかねないだろうかと悩んだら、涼太がそれに勘づいたのか離さないと言わんばかりに私の手をぎゅうと痛いぐらいの力で握ってきた。
 どうやら手放す気は相手にもないようで、不覚にも安心したのは私の中だけの秘密だ。


(現実が現実たる証拠をあげよ)
 繋いだ手に痛みを感じること

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